第25話 猟犬の掟 終わらない人形劇〈前編 僕達は死を重ねて〉
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ステルスハウンドの館。その外廊下をチェスカル達三人は歩いている。
任務を終え帰館したのだ。
チェスカルが執務室への廊下、その先頭を歩いていると、背後でハルヒコとルークが騒ぎを起こしている。
「お、お、俺、後でカイム様にお会いするから、今は忙しいから」
「阿呆、これがお前の仕事だろう。他に忙しいってなんだ」ハルヒコがルークの首根っこ引っ張ってる。
チェスカルはため息ついて眉間を寄せる。
「ルーク、カイム様にお会いするのが怖いのだろう」
「そんな事あるわけないじゃないですか」ルークがわけのわからない笑い声を上げる。
「幻覚を真に受けるな。どうせ直ぐお会いしたくなるくせして」ハルヒコが飽きれている。
「それは、それは……猟犬だから仕方がないだろう」
「もういい、お前達早く来い」
執務室の扉を叩くと、聞き慣れた主の声が入室を促す。
扉を開けると机に主がついている。
「よく帰った」
緑の瞳は穏やかで、微かに伏せられている。
「状況も大体把握している。本当によく帰って来てくれた」
チェスカルは主人の気遣いを感じた途端、激しい罪の意識に苛まれ、その穏やかな顔を見ていられなくなった。失礼だと分かりつつも俯いてしまう。それでもチェスカルは耐えられなくなり、身を崩すようにして跪くと、赦しを乞うように頭を深く垂れた。
「申し訳ございませんでした。一つの村を消滅させるにまで至りました。民間人を綺士に虐殺され、己は恥知らずにも帰って来てしまったのです」
チェスカルの背後でハルヒコとルークが、同じように跪く。
カイムはしばらく無言だった。一つ大きく息をつくくらいの間を感じた時、机から離れチェスカルの前に佇む。
頭にこびり着いた幻覚が蘇ってくる。恐れと痛み、悲しみが身体を引き裂くようだった。
「……立ちなさい」
それは幻覚とまるで異なる静けさと、思いやりを乗せた声だった。
チェスカル達がカイムの顔を見上げると、そこには酷く淋しげな顔で一人立つ主人の姿があった。立ち上がると、カイムは一つ頷き安心しているようだった。
「今回大勢の人が亡くなってしまった。僕達の力が及ばなかった。取り返しも付かないだろう。けれど、君達の頑張りまで無になるわけではない」
「それでも……」
「チェスカルの思いも考えるに難くはない。後悔も大きいだろう。だが、そうだね、皆には聞くに堪えない話しをしよう――人間は死を重ねていくしかないんだ。僕達は死を重ねて抗って行くしかない。全てはその積み重ね。君達の頑張りも、その経験として世界に蓄積されていく……さて、僕は机上で生き死にを論ずるだけの、冷酷な男だと思うかい?」
カイムは優しく笑む。まるで子供へ言い聞かせる父親のような姿だった。
ルークとハルヒコは子供のように首を振っている。二人は最後の文句だけに気を取られているよう。カイムが敢えて最後に、主人自身に関する否定を含んだ話を入れたのだと、チェスカルには分かった。猟犬はそれだけで話しの本筋がボケて、主人を全肯定する方へ夢中になる。
全てをたたむ工程に入っている。
チェスカルは主人に言われたのだ。
――もう忘れろ、と。無益なのだから。
チェスカル程度ではこれ以上、物を言うべきではないのだと思い知った。後は全てカイムが処理してくれるだろう。
――心さえも。
もう既にルークは、何事も無かったかのように、カイムと楽しそうにお喋りしている。
「転化して綺士と戦ったんです。神獣も居ましたけど、俺も結構、綺士を押せていたんですよ」
「そうかルーク、よく頑張ったね。獣身でいられる時間は長くなったかな」
「それは……、いいっこなしです」
カイムがルークの頭を撫でている。カイムよりもルークの方がニ、三センチ以上は確実に高いので、ルークは縮こまって嬉しそうに頭を撫でられている。
「ハルヒコはどうだったかな」
「恥ずべきことですが、これと言って何かの力になれたのか分かりません」
「そうかい? 村人へ手荒なことをせずに済んだのは、ハルヒコのおかげだと思うよ」
「え? その話は――、はい、そうであったら本望です」
「あの、失礼します。カイム様、詳細な報告は……」チェスカルは雑談が長くなりそうだったので、思わず口を挟む。
「今は疲れているだろう。皆、手当もしておいで。しっかり休むといい。仕事はその後でも遅くはない」
カイムがチェスカルの腕を優しく叩いた。すると心が落ち着くような感覚が湧いて来て、自分の今まで抱えていた緊張がよく分からなくなった。
「カイム様……あの」
「いいんだ、止めなさい。今は休養が第一だ。分かるね、君達はとても弱っている。僕には判る、この言葉でもう十分だろう?」カイムは有無を言わさずといった調子だった。これはもう喋るなと命令されたのだ。
「失礼を、承知致しました」
チェスカルは執務室を出て、扉を閉めようとした瞬間、カイムが額を覆う姿を見た。
何か困っているのかと、ぼんやり思った。だがそれ以上、何も考えることが出来なかった。
今度はチェスカルの背後が、別の意味でやけに騒がしくなった。公共である外廊下で、ルークはまさしく、キャッキャというような子供地味た高い声を出している。主人のカイムに会ったうえ、褒められて頭を撫でてもらったので、ハイになっているのだろう。それにしても、興奮し過ぎだ。
「なあ、ハルヒコゲームしようぜ。ネメシスシリーズの最新作買ったんだ。任務が終わったらやろうと思って、大事に取って置いたんだ」
「ん? あのグロゲーか。人間が宇宙生物に寄生されて、クリーチャーになるやつ……ていうか使徒かよ。遊びでまで、それをするか?」
「何言ってるんだよ、俺等の方がいつも、もっとグロい事してるだろ。こんなのグロにも入らない。楽しいだろが、カスタマイズ自由な銃をぶっ放して戦えるんだから」
「おま……、いつも本物振り回してるだろうが」
「何やってるんだ、お前達。ゲームはいいから早く医療棟へ行くぞ」
三人が医療棟への連絡通路まで出ると、夕暮れの心地よい風が吹いていた。
「今回の任務は、何だか長くて面倒臭かったな」ハルヒコが何気なく笑う。
「綺士にも会ったし、何か役に立つといいけど――それ寄りも早くゲームしようぜ。副隊長もどうですか」
チェスカルは赤々と焼ける空を見つめる。雲が滲むように空を霞めている。風の音に耳を澄ます。
一つ風が吹くと、頬がひんやりとした。拭ってみると微かに濡れていることに気付き、チェスカルは理由も分からず微笑んだ。




