第13話 救うということ
18
カイムは館へ着くと、出迎えたマツダへジゼルを抱いて渡した。ジゼルを寝かせる部屋は事前にカイムの私室に用意させている。カイムとヘルレアは普段使われていない一室へ案内された。
マツダがジゼルを二つ並ぶベッドの内、一つへ寝かす。すると、ヘルレアがバッグからシャマシュを取り出した。
「いいか、カイム。シャマシュはこのガキにくれてやる。このネズミを先程の首輪のように駆動させることによって、綺紋モドキをある程度は押さえ込む。これはもう外せなくなると考えてくれ」
「よろしいのですか」
「使うべき時に使えばいい。惜しむことはない。もともと持っているのが間違いなんだ」
「意味が図りかねます」
「知る必要はない」
ヘルレアがシャマシュを投げると、ジゼルの元へ飛んでいき首に触れた。そうすると、シャマシュは溶けるように消えて、直ぐにジゼルの首へ黒い帯が浮かび上がった。
「これでいいだろう――そして、もう一度確認の意味で言っておかなければならない事がある。先に言ったように、民間人の元へ置けるだけの安全性は保証出来ない。だが、猟犬ならば、と、いうことだ。私ならジゼルをこの部屋から二度と出さない。今更、飼ってやれる程、余裕がないとは言ってくれるなよ。大金持ちの青二才」
「それは……あまりにも残酷ではありませんか」
「馬鹿を言うな、何が残酷だ。お前が生かしてくれと言ったのだろう。今更、どうにもなるまい――それとも今すぐ首を刎ねてやろうか、簡単にケリが着くぞ」
「それだけは、お赦しください」
「ならば、ペットとして可愛がってやれ。十分、見目がいいだろう。成長すればいい慰み物になる」
「ヘルレア、そのような仰りようは、彼女の尊厳を傷つけるものです」
「猟犬共を飼っているクセをして、ペットの使い分けも出来ないのか。ムサイ男を侍らすばかりではなく、こういう何も知らない未通女を自分好みに躾けたらどうだ? 何でもしてくれるようになるぞ、さぞや可愛いだろうがね」
「あなたほどに力のある方が、こんなにも幼い子を、言葉で傷つける意味はありますか」
ヘルレアはカイムを見つめる。その鋭い眼差しは、カイムへ何も告げてはいない。
「底辺の生き物を踏みにじるのは、理屈抜きに楽しいものだ――なかなかに惨めではないか。狂信者共に利用され、親もなく、猟犬に拐われて、一生部屋に閉じ込められる。馬鹿馬鹿しい人生だとは思わないか」
「あなたは痛みを知っているはずです。だから、人の側にいてくださるのではないのですか」
「カイム、私は人間をどれだけ嬲ろうと甚振ろうとも痛みは感じないんだ。私に人間を重ねて見るのは愚かなことだ」
「王が人の言葉に背を向けてしまう方ならば、僕は何も言いません。正すべき価値を見いだせるからこそ、何度でもその意味を問いかけましょう」
ヘルレアがしばらく無言でいると、唐突に小さく吹き出した。カイムは思わず瞬く。
「……ちょっとした仕返しだったんだけどな――何を答えられても、聞き入れられない愚か者とお思いですか、――だと? よくわからないが、カイムに驚かされて腹が立ったから、煽りに煽ったというわけだ。まあ、完全にこのガキは巻き込んだから悪かったな」
カイムは小さくため息をつく。
彼は膝を折って、王の僅かに高くなった視線へ目を合わせる。淵のような瞳にどこまでも落ちていくよう。
「……ヘルレイア、あなたの言葉は、あらゆる人々が口にする、どのような言葉よりも、多くの人を傷つけるのですよ。力を持つご自身の言葉を侮ってはいけません」
どこか自分の子供を諌めるかのような調子が、ヘルレアへどのように受け取られるかは分からなかった。恐怖するべき存在でありながら、同時に、けして道を誤らせてはならない子供のように、カイムは今、ヘルレアの傍にいる。
ヘルレアの手が伸びて来る。この手が何をもたらすのかは分からない。
王の白い手がカイムの顔に向かってくると、鼻を優しくつまんだ。だが、仄かに痛い。
「調子に乗りやがって……でも、そうだな。一々、引っ付いてくるカイムに、怯えられても困るからな。鬱陶しいったらない」
カイムは微笑む。言葉が――心が、通じるという幸福。
ノイマン会長が残してくれたものは、あまりにも大きい。たとえそれが、取り返しようもない歪みだとしても、確かな温もりがヘルレアへ宿っている。
「僕は怖がりですから、どうかよろしくお願いします」
「よく言うわな、その優男顔でアウトローの代表のようなクセして。猟犬の首領。とにかく、このガキが目を覚ますまで棲家にいてやるよ」
「よろしいのですか」
「……正直、私でも何が起こるか分からないから仕方ない。館がなくなるくらい、大爆発するかも」
「それは、かなり困りますね……」
ヘルレアはベッドの側に椅子を持ってくると、どっかりと腰を下ろしてしまう。
「これはもう、根比べだな」
「ならば、僕もここにいますので……」
「お前、仕事はどうした?」
「今、していますのでお構いなく」
「ああ、なるほどな。大した仕事だ。相変わらず猟犬も苦労するな」
ジゼルが寝言をこぼした。寝返りを打ったので掛け布団がづれると、カイムがひっそりと直してあげる。
「カイムは子供好きみたいだな――いや、変な意味ではなくて」
「そうですね、エマがいましたから。こうしてみると、普通の子供と触れ合うのは久しぶりですね」
「子供は館にもいるみたいだが、さすがに首領にでもなると接点がなくなるか」
「残念ながら、会うこともないですね」
「カイムくらいになれば、本当なら女もいるだろうし、子供も二、三人いてもおかしくはないよな。いや、女が二、三人か?」
「ヘルレア、微笑ましい話だったのに、そういうドロドロした話へ話題を持っていかないでください」
「こういう話は面白いって、相場が決まっているんだよ」
「王こそ、好きものですね」
「分かってるよ――お前にはそういう道はなかったってことくらい。双生児と関わる者、皆、そうだろう。血や性に縛られている。恐れているといってもいいかもしれない……何も分からず、ヨルムンガンドに犯された奴らはいくらでもいたようだし。特に双生児と関わり合い続けたノヴェクなら、尚更だ」
「ノヴェクは、……しかたがないのです。それこそ、憐れむ必要はありません。ジゼルの被害こそ、完全にその手合になるでしょうね。何も分からない幼い番を擁立できれば、操れると考えているのでしょう」
「本当に碌な連中がいないな」
「取り締まってはいるのですが、まさにいたちごっこという状態で、捕まえても、捕まえても、終わりがないのです」
「猟犬はそこまでするのか」
「まあ、ライブラとの兼ね合いもあるのですが」
ヘルレアが小さく吹き出す。
「天秤と猟犬が兼ね合うのか。目くそ鼻くそがのさばって、本当にクソみたいな世の中だよな、まあ、私が言ったら終わりだが」
ジゼルがうなされている。
「……教師様、」
「こいつ……」ヘルレアが顔をしかめる。
「教師様、か。いったい、どのような環境にいたのでしょうね」
このジゼルという子供が、これからどうなるかは、カイムには計り兼ねる事柄ではある。けれども、身近な世界蛇闘争の被害者へ、できるだけの事はしてやらねばならないとは思う。だから猟犬の主人として、幸福への一助は惜しまない。
しかし、当然ながらジゼルの幸せというものはジゼル自身が決めるものである。
あらゆる道を奪ったことは残酷だろう。だが、この異質な世界で、彼女なりの幸せを手に入れてほしいと思う。
背負わざるおえなかったもの、そして、猟犬と関わるということ――。
カイムはヘルレアを見る。王がジゼルを見守るその面差しは、思いの外優しくて、カイムはそっと息をつく。
常につきまとう恐れ、あるいは畏れ。竦む自らを御して、真正面から向かい合う事の難しさに、カイムは密かに目を伏せる。




