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第12話 人というものを〈前編 死を恋う神へ〉

16



 カイムは、ヘルレアが先に支払わないように外で待たせ、会計を済ませることにした。今度は――ノヴェクへ――というやり取りを、何となく見せたくなかった。王が見ていなくても、持参したカードで会計を済ました。


 店外へ出るとヘルレアは、大分店から離れた木の側で、一人立っている。木陰に入っていたいのかもしれない。ジェイドからヨルムンガンドは陽射しを嫌うと聞いていた。ヘルレアの元へ行こうとすると、建ち並ぶ商店の一つに花屋を見つける。なんとなく気になり、一人で店に入った。


 花々の匂いがほんのり鼻腔をくすぐる。様々な種類の花が色鮮やかに咲いている。カイムは花に明るくないので名前が殆ど分からない。


 ただ、白百合だけがカイムの目を止めた。()()()()()()()よりも、やや小ぶりで色も黄色味掛かっているように感じられる。それでも札には白百合と書かれているので、種類としてはそれ程差は無いのだろう。しかし、館の白百合は自家栽培で専属の猟犬が育てているので、それは大きな差に繋がるかもしれない。


「……ああ、そうか。主人(カイム)の白百合だものな」自分のもの、特別な花だと意識しているのに、市販の花が同じものだと考えていたことに改めて気付いた。


 ――白百合は白百合でも、まったく違うのかもしれない。


 カイムは白百合だけは手に取れなかった。この花は死者への花だ。いくら死の王への贈り物だとしても、皮肉に過ぎる。


 それでうろうろと店内を見回ったが、今一、気に入った出来合いの花束がなかった。


 しかし、そもそもヘルレアは花を贈っても、喜ぶような存在だとは思えなかった。だが、贈って別に何かが損なわれるわけでもないと、もう一度花を見ては首を捻り続けた。


「何かお探しですか? 花束をお作り致しましょうか」店員が見かねたのか、カイムへ微笑む。


「そうですね、僕はあまり花に詳しくないのですが、贈り物にしたいと思っていて」


「では、当店にお任せ下さい。何かご希望のお色や組み合わせ、イメージ、贈る方へのお気持ちなどがございましたら、ご提案させて頂きます」


「……感謝の気持ちを、伝えられるような感じがいいのですが」


「では、お色などはいかが致しましょう」


「暖かい色味がいいですね」


「お値段のご希望はございますか」


「値段には特にこだわりはないので、一番良い状態の花束へ仕上げて下さい」


 店員はカイムの希望を聞くと、直ぐにとても豪華で密度の高い、黄色味の強い花束を作り上げた。


 カイムは店を出ると、背後へ大きな花束を隠した。王は前と同じところにいるから、そろそろと近付いて行く。そうするとヘルレアは、大分手前でカイムに気付き振り返った。


 カイムは何も言わず、いきなり花束をヘルレアへ差し出す。


 ヘルレアは目を瞬いている。


「デートでこういうのって良くありませんか」


「人間だったらな――こんなもの貰っても腹の足しにもならないさ。正直、花を愛でる人間の心理には今一つ付いてけない。私の視覚と嗅覚の鋭敏さは人間とは比べ物にならない。私とカイムが見ているこの花束は、二人では感じ方が全くの別物だろう。色彩がぐちゃぐちゃだし汚くて臭い」


「……ですよね、分かっていました」


 カイムは花屋へ戻ると、代金はそのまま、花束だけ返した。


 振られた残念な男のような、雰囲気を醸し出していただろうな、とカイムはため息をつく。


 外へ出ると王は子供と話していた。不思議に思ってヘルレアの元へ行くと、その子供が随分と目を引く容姿だという事に気が付いた。


 九、十才の女児だ。身長はヘルレアの胸下辺りまでしかない。明るく濃い金髪は腰まであり、緩く巻いたさまは、まるで人形のようで愛らしい。手作りらしい白いワンピースを着ている。


「ねえ、眼を見せて。光っているわ」


無料(タダ)じゃ見せない」


「ケチ!」


 カイムは可愛らしいやり取りに、小さく吹き出した、が――。


「……お前、何なんだ。首をへし折ってやる」


 カイムは総毛立ち、間髪入れずに飛び出した。頭が真っ白になり、衝動で体が反応していた。


 しかし、焦って走り寄るカイムを、手で制したのは王だった。カイムの胸元をやんわり抑えて、子供から距離を取らせているのが分った。


 女児は一般的に言えばかなり美しい容姿だった。一般的には、だ。一瞬、ヨルムンガンドと比べた事に、カイムは自分を恥じたが、それだけ幼いながらも、美貌を持ち合わせているという事だ。


 王とはまた違う血の通った白い肌。柔らかく巻いた純金の長い髪。しかし、硝子玉のような翠の瞳は、何も写していない。


 昼日中の明るい陽光の中で、どこか(かげ)りを背負う女児。(まと)う気配はあまりに小さく弱いが、人の心がささくれ立つ。


 カイムはその人形を模した子供の、異物に気づき息を飲む。


 首輪をしている。着飾る為のチョーカー類ではなく、犬が付けるような革製の、拘束が目的に使用される本物の首輪だ。


 子供が嗤う。


「この子がどうなってもいいの」


「どういう意味だ」


「人間が好き? 病気の王様、狂った王様、やっと見つけた。ようやく見つけた」


「王、いけません!」


「分ってる、普通の子供だ」


「ねえ、侮辱されたのに殺せないの? ヨルムンガンドでしょう。酷い、ノイマンのせいね。あの男、今もヘルレイアに鎖を括り付けてる」


「だったらどうした」


「私を助けたいわよね。王には見棄てられない」


「なぜ、そう思う」


 女児は小鳥のように笑う。


「王はこんなにも無垢な生き物を、見殺しには出来ない。ノイマンが教えてくれたでしょう――いいえ、それともアイシャかしら」


 女児は身を翻して走って行く。


 子供の足だ。その姿を追うに難しくは無かった。王なら、尚更に。


「王、追うのは危険です。お止めください」


「分りやすい罠だが、誘われたんだ。追ってやろう」


「子供の為ですか? 見棄てる事が出来ませんか、王」


「それは、願いか。カイムは見殺しにして欲しいのか。それとも、私への疑問か」


「疑問です」


「何を答えても意味は成さない。でも、何かはしてやろう。ただ、それだけだ」


「何を答えられても、聞き入れられない愚か者とお思いですか」


 ヘルレアは一瞬だけ目を見張った。


「……手を引いたのが私ならば、離してやれるのも私だ」


 ヘルレアが走ると一足飛びに子供の背後に着き、捕まえる事なく、誘導を受け入れた。カイムも見失わないように、二人の後を追う。


 カイムは眉根を寄せる。


 あまりにも危険だ。


 ヘルレアは人の意志に左右され過ぎる。本来なら、王程の力を持つ者が、人間の思惑などに乗ってはならない。


 だが、その心のありように、カイムは侘しさを覚える。


 カイムはまだ自身が王が病む、歪むという事を、真の意味で分っていないのだ、という気がした。


 女児は商店で賑わう区画から、人気も疎らな方向へとひた走る。王は足並を揃え、速度を抑えて距離を保つ。


 建物の路地へ入り、右へ左へと迷路を行くように走り続けると、広場へ抜け出た。そこは駐車場でトラックが数台停まっていて、敷地内には一軒の平屋が立っている。住宅ではなく簡素な造りで、屋根まで高さがあり倉庫という体だった。


 女児は建物へと迷いなく入って行く。


 ヘルレアは立ち止まり、カイムを振り返る。


「一緒に来なくてもいいんだぞ」


「お供するなら地獄まで」


「この状況で使うには、重すぎる言葉ではないか」


「王と一緒でしたら、どのような状況でも地獄になるのではないかと思いまして」


「喧嘩、売ってるのか」


 女児が消えた倉庫の入口へ歩み寄る。遠目から覗いて見ても、中は暗く何も見えなかった。勿論、カイムには。


「誰かいますか」


「うじゃうじゃいるぞ」


 ヘルレアが躊躇なく扉を押し開くと、一斉に照明が点灯された。


 カイムは目を細める。


 倉庫には大小の荷物が積まれている。そこにぽつねんと中年の女と子供が居た。


 女は頭に黒く穴が空いている。丸いフォーマルな黒い帽子を被っているので、カイムにはそう見えた。そして、真黒なワンピースを着ている。身体の線を隠すようなデザインで、ひどくのっぺりとして見えた。


 これは喪服だ。艶消しの深い黒が極彩色より毒々しい。


 ヘルレアは二人から距離を取って立ち止まった。カイムは傍に控える。


 女は何がそんなに嬉しいのか、満面の笑みを浮かべカイム達を見ていた。


 女の隣で女児が棒立ちになって、どことも知れないところへ視線を投げている。


「よくお出で下さいました。我らは〈レグザの光〉というものです」


 少し前に聞いたばかりの名に、カイムは頭を抱えそうになった。バングレンはまるで何か起こる事を、知っていたようなタイミングで、話題に上らせていた。カイムはバングレンが、確実にグルで無い事を知っている。だから、あの男は得体が知れないのだ。いっそ、共謀している方がカイムには分かり易くて対処もし易い。


 カイムはヘルレアへ耳打ちする。


「あの者はヨルムンガンド信奉者です。元は〈世界蛇の輪〉だったものが、レグザイアが没した事で分派しました。レグザの恐慌が、あの者達を生み育てた故に、過激派として知られています」


「お前、無茶苦茶組織関係覚えていそうだよな」


「勿論、仕事ですから」カイムはへらっと笑う。


 女が手を顔の横で叩く。まるで騒がしい教室で、授業をする為に注目を集めようとする教師だ。


「この子、気に入ってくださいましたかしら。我家で一番の、美姫を連れて来ましたの。名前はジゼル。さあ、王にご挨拶を」


 ジゼルはワンピースの裾を軽く摘み、(うやうや)しく腰を落として、古式ゆかしい挨拶を優雅に演じた。


 しかし、その瞳は泥のように混濁していて、死者のようだ。


「王、どうかジゼルを伴侶としてお迎え下さいませ。番となった暁には〈レグザの光〉の主として、子等をお導き下さい」


「そんな馬鹿げた事が出来るわけがない。それに、番に推すにはそいつは、小さ過ぎるだろう」


「馬鹿げた事などと。我らは由緒正しい王の血筋を戴く身です。正当なレグザイアの血統ですの。それにジゼルはもう番うに問題ありません。大人の女性ですわ」


「吐き気がするな。狂信者が」


「残念です。ならば、もうジゼルは必要ありませんね」女があまりにもあっさりと言葉を引いた。


 カイムが危険を感じて、ヘルレアへ対処を願おうとすると、女が飛び出しナイフを差し上げた。刃を弾き出し、そのままジゼルに渡す。ジゼルは、あろう事か自分自身で切先を首に充てがった。


 一体、どのような方法で子供を操っているのか。なすがままのジゼルは、既に白く細い首に、血の筋を作っている。刺し貫く寸前だった。


 見せかけではない、本気の所作。


 そこに心はないようだった。


 方々の扉から武装した人々が掛け行ってくる。中年女と同じような喪服地味た装束で揃えている。女達の周りに集まり、銃口をカイム等に向けた。


 女は変わらず満面の笑みを貼り付けて、ヘルレアしか見ていない。


 王を脅している。


 この女は知っているのだ。


 ――王が蝕まれていることを。


「これは不遜、(はなは)だしいぞ」


 カイムは傍に居るだけで、肌が冷たさで焼けるような感覚に襲われた。ヘルレアの視界にいるわけではないので、その瞳は見えないが、燐光すら生じているのではないかと思った。


 ヘルレアは本当に不快感を覚えているようだ。それは短い時間だがヘルレアと接して来たので分る。


 本来なら、王には脅しなど通用しない。子供が死のうとも感知せず、女と話す行為すらしないだろう。


 道を塞ぐのなら殺してしまうだけ。


 しかし、ヘルレアは人間に寛容だ――あるいは、寛容であろうとしている。それも破格と言っていい程に。


 カイムはその事実を肌で感じていた。


 それを利用しようという愚かさ。


 この女は間違いを犯している。


 カイムは眉を潜めた。


 ヨルムンガンドの恐ろしさを知らない。


「……助けて、教師様」消え入るように呟かれる。


 女児の頬に涙が伝うと、身体中に薄墨のようなものが散った。それは徐々に濃くなって、輪郭線が鮮明になり、何かの紋様型に黒く灯る。


 紋様から湧き立つ、黒い微光が揺らぐ。


「黒い綺紋?」


 カイムが身動(みじろ)ぐ、その一瞬。


 息が白く視界を曇らせた。


 吸い込む空気の凍えるさまに、まるで喉が焼けるようで、息を詰める。王を中心に冷気が波紋となって、全てが静止し色を失った。


 世界が死んでいく――。


 

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