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第11話 惑いの森〈後編 き、き、き、き、〉

15



 ローザ村へと続く森は、深く暗かった。


 根を下ろす木々の樹高は皆一様に高く、そのどれもが枝の張りが広くて、互いに重なり合い密に茂っている。森から空を見上げる事は出来ず、鬱蒼と天幕を張っているかのようだ。風が吹くこともなく(そよ)ぎすらまともに感じられない。まるで吹き溜まりのように空気は淀み生ぬるい。


 そこは妖族が支配する人外の土地だった。


 人が足を踏み入れる事は殆どなく、入れば命の危険に曝された。


 しかし、その中でも人の切り開いた道がある。ローザ村へ通ずる、ただ一本の道だった。そこだけが人の土地であり、妖も近寄れなかった。


 舗装はしていないのだが――。


 年季の入ったワゴン車は酷い悪路に揺さぶられていた。


 チェスカルは助手席で溜息をつくと、車の窓を全開にする。窓を開けて外を眺めれば、煩わしいものから逃れられる気がしたのだ。


「副隊長、これ、揺れ過ぎじゃないですか」ルークが口を押さえながら、車の窓を全開にする。


 聞きたくもない、音が聞こえる。


 何も変わらない。むしろ、余計にうるさい。


 ハルヒコは黙って運転している。と、いうか無視している。


 チェスカル達三人は車でローザ村に向かっていた。それもおんぼろ車で。目立つことは避け、民間人に紛れられる態勢を整えた。ヘリなどで直接村へ向かいたいところだが、土地柄と使徒の種類でそうせざる負えなかった。


「うわ、やば。頭がガンガンする!」


 チェスカルはまた溜息をつく。そして、ハルヒコも。


「ルーク、少しは静かにしろ。副隊長の溜息が聞こえないのか」


「すいません、だって俺こういうの苦手なんですもん。感覚が繊細なんです。少し休憩しませんか? 俺もう……、」


「そんなこと出来るわけが……」


 ルークが胸の悪くなるような音を、車外へ連発する。


「ハルヒコ、仕方が無い」チェスカルはこめかみを揉んだ。


 ハルヒコが車をなるべく森に寄せて停める。その途端、ルークが車から雪崩れるように飛び出した。


 チェスカルは車のドアを押すと、枝葉が庇となった影に下り立つ。枝の張りが広く、道路にまで深い影を落としている。


「暗い……、」チェスカルは眉根を寄せる。


 車道沿いだというのに、森の(かげ)りが忍び寄っていた。


 長らく木の枝を払っていないように見える。それはこの地において、かなり緊急性の高い事態だと分かる。道路まで枝を茂らせつつあるこの樹木は、普通の木ではない。妖樹と呼称される種族で、放っておけば命がけで切り開いた人界の道を、失う事になるのだ。


「街の人間は何をしていた」


 カエルのように縮こまっているルークが、チェスカルを見上げる。


「仕方がないです。こんな場所に誰も関わりたくありませんよ。村人の行き来が絶えれば、自然、道は荒れていきます。行こうとする俺達の方が異常なんです」


 ハルヒコが運転席から顔を出した。


「生意気言っても格好はつかないぞ」


「俺はハルヒコのようなゴリラじゃないからしかたないんだよ」


「うるさい、野良犬」


「ゴリラ」


 チェスカルが車体を叩く。


「いいかげんにしろ。お前達は子供か。ルーク、そこまで喋る元気があるなら、もう行くぞ」


「待ってくさださいよ。目が回って動けません」ルークはぐったりとしている。


「ハルヒコ、トランクから飲み物を出してやれ」


 ハルヒコは頷くとトランクをあさり、箱で買ったペットボトルの水を出した。それをルークへ渡してやっている。ルークはうがいをするとちびちびと飲み始めた。


「それを飲んだらもう行くぞ」


「ういーす」


 チェスカルはため息をつく。やはりまるで、子供の面倒でもみているような気分になってしまう。


 そうしているうちに、ふ、と空が(かげ)った。車道から見上げる狭い空は、いつの間にか雲に覆われていた。


 車道もまた、射陽を遮られ(くら)い。


 雨の兆しがある。


 どこかよくない始まりを感じた。が、自分らしくないと、チェスカルは考えを振り払う。雨はある程度、任務の邪魔になるだけで、それ以上でもそれ以下でもないのだから。


 背中を何かが撫でたような感触に、チェスカルは周囲へ意識を広げる。なんとはなしに車の進行方向を見ると、少女が道路と森の翳り、その境目近くに立っているのが視界に紛れてきた。チェスカルは息を呑み、後退る。ホルスターに収められた銃、その蛇用と汎用のうち、汎用の方へと手を添える。


 少女は全く身動きをしない。(くら)く輪郭線すらはっきりとしなかった。


 細く高い口笛が鳴る。異様に通るのに、こもったような耳閉(じへい)感がある不思議な音だ。チェスカルが自然に音を追いかけると、ルークが頷いた。


「副隊長、そのまま。絶対にあれヘ焦点を合わせないでください」


「あれは……」


「妖族ですね、妖人。でも、魔獣類に近い。あいつはよくないです。人界すれすれまで来られるのは、強い証ですけど、本来こちらまで来るようなヤツではありません」


「なら、一体なぜ」


「気が荒れているんだと思います。考えていたより状況は悪いかもしれません」


 ハルヒコが緊張した面持ちでルークを見る。


「気?」


「血気で(けが)れているのかも……生き物が沢山死んでる――この場合は、血気といっても、血気族という意味ではありません。本来の意味である血の穢れを表しています。簡単に言うと、気は一種の力です。気で物事は大きく左右される」


「ルーク、アレは倒すべきか?」


「無視しましょう。無闇に血を流せば更に魑魅魍魎共が騒ぎ立つ。人界を明確に確保しているので、あいつは来られません」


 チェスカルは静かに後退する。


 こういう時ルークは別人のようになる。その生まれが石海という特異な場所ゆえと、彼の質ゆえだろうとみるに間違いはないだろう。石海というのは人界ではない。妖魔が跋扈し、神獣すら住まう土地と言われている。妖獣や魔獣というのは人の世界へも重なるように分布しているが、妖魔というのはほぼ隔離されるように生息している。一般的な人間が一生のうち妖魔と遭遇することはない。それをルークは日常的に接する世界にいたのだ。


「うわ、ヤバ。妖人と目が合った!」ルークが車へ突進する。


 一瞬、ルークが何を言ったのか判らなかったが、意味を理解して、チェスカルは倒れそうになる。が、自失している暇など無く、妖人へ銃を構えると、焦点が完全に合った。


 子供はボロ布を被ったように身に着けている。顔は影になっていて見えない。髪は整っていて胸のあたりまで長さがあり、まるで誰かに整髪されているかのようだ。


 何かぶつぶつ喋っている声が聞こえる。チェスカルは耳を澄ませる。


「……大丈夫、気にしないで。気にしないで。気にしないで。気にしないでででき、き、き、き、き」


「副隊長、駄目だ、駄目。声を聞いては駄目です」ルークが開いた窓から車体を叩く。


 チェスカルの横にハルヒコが立つ。


「撃ち殺しましょう」ハルヒコが狙いを定める。


 ルークがハルヒコへ、ティッシュボックスを投げる。


「そいつは殺すな、血で穢れるだけだ――ここを早く離れましょう。騒ぎ過ぎたから、おそらく次が来る」


「誰のせいだと思っているんだ!」ハルヒコが運転席へ周る。


 しかし、チェスカルは妖人の目を見たまま、その場に留まった。


 額に脂汗が浮いている。呼吸も忘れてしまう程、妖人へ視線を釘付けにする。


 何か途轍もない圧迫感がある。チェスカルは妖獣、魔獣、妖魔等からなる血気類と争った事は何度となくあった。しかし、これだけ相手の力というものを、手に取るように感じた事はなかったのだ。それを何故かチェスカルは一体の妖人を前にして味わっていた。


 輪郭さえ精神で再現出来るような。


 人間の内に閉じた、鉛のような肉体には酷く耐え難い。


 心を(まさぐ)られているかのような、行場のなさ。


 ――これは、駄目だ。


 チェスカルは吐き気を催す。銃の狙いが定まらず、どうしようもなく振れていく。


 ――何かがおかしい。


「副隊長、どうしました?」


「……目を離したらまずい、おそらく何かある。普通の妖かしではない」


「どういうことですか? あれは確かに妖人のはず」


 チェスカルは口を(つぐ)む。話し続ける余裕はなかった。


「副隊長、すみません……俺、ミスしました」ルークが珍しく緊張している。


 周囲から視線を感じる。


「何が起こっているんだ」ハルヒコが叫んだ。


 チェスカルの視界だけでも、森の中を遠くまで埋め尽くす程の、妖人が佇んでいた。皆、様相は違うが人間でないのは明らかだった。


「これ程までだとしたら、妖魔がいるのかもしれません――こいつら本体じゃない」


 妖人はゆっくりとした動きで、車道へ押し寄せて来る。


「逃げ場を失う、車を出すぞ」チェスカルが無理矢理に視線を断ち切ろうとする、と。


 白く濃い霧がどこからか立ち上って来る。ハルヒコが運転席から周囲を見回している。


「進行方向が完全に没しています」


 チェスカルが助手席のドアノブへ手をかけた瞬間――。


 視界は濃霧に沈んだ。



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