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第9話 普通という尊さ〈後編 命をかけられずとも〉

12



 二人は改めてベンチに座ると、ペットボトルのキャップをひねる。二人は何となく無言で喉を潤していた。


 王と居ると沈黙を長く引きずる事が多い。共通の話題がないからか、それとも悲しいかな年齢差か、どうにも超え難いものがある。しかし実のところ、その壁が種族差だと言ってしまえば結構楽なのだ。種族を盾に取れば、全ての困難が容認されてしまう。それはある種の怠惰であり拒絶である。


「今更な質問ですが、王はあの様に声を掛けられる事が多いのですか」


「目立たない様にしてはいるが、見ためだけではなく、気配に惹かれて来る連中もいる。おそらく番を効率的に得る為だろう。いわば、そういう体質だな。あの様な奴等は普通の人間だ。今までも多くいたが何の益体(やくたい)もない」


「正直に言いますが、僕は王の気配が今でも恐ろしいのです。王を知らないとはいえ、先程の若者がしたようには踏み込めません」


「それはカイムがまともな人間だからだろう。褒めてはいないぞ。常に命で博打しているという意味だから。他人のであれ、自分のであれな」


「それはまともだと言いますか?」


「益体もないのでは価値がない。命を賭けられないのならそいつはゴミだ」


「辛辣ですね」


「本当にそう思うか?」


「思います。いいのですよ、命をかけられず、益体がなくても。それが普通です」


「これがお前達(ステルスハウンド)が戦って守ったものか?」ヘルレアは明らかにからかいの表情だ。


「無論です。こうして街へ下り喧騒を感じると、戦った意義を感じます。万事が安らかとは言えませんが、それでもこうして日常を滞りなく過ごす人々は尊い。僕に束の間、紛争を忘れさせてくれる」


「本気で答えられるとは思わなかった――先程の馬鹿のような奴でも、命を賭けてまで守ってよかったと思うのか」


 カイムは小さく微笑む。


「是と答えるに、(いささ)かの迷いも覚えません」


「カイムらしいな。お前も普通になりたかったのではないか? 猟犬(イヌ)の首領」


「そうですね、普通か……。僕は多分、今の自分が普通なんです。他の生き方は知らず、別の何かを垣間見る事も出来ない。始まりから終わりまで一本道、引き返せず進むしかない。色々な道があると思った事がありました。でも結局、どれだけ足掻(あが)いても行き着く先は同じだったのです」


「辛気臭いな」


「他に言いようはありませんか。落ち込みます」


 ヘルレアは肩を振るわせ笑う。


「安心しろ。月並みな言葉だが、どのような道を歩く人間も、最後は死ぬんだ。死の王に任せておけ。苦労した分あの世で一番いい席を取ってやる」


「それはまだ数百年後まで置いておきましょう。僕と王にはまだ仕事がありますから」


「図々しい事だな。私はそんなに生きる気はない。それにしても若者とかいう言い方は止めとけ、余計におっさん臭いぞ」


「いいんです。おっさんですから」


「お前二十才頃から自称おっさんだったんじゃないのか」


「バレましたか」


「お前じゃまだ青いよ。悟った振りをして、すかしているみたいだ」


 ヘルレアが向かい側のベンチに座る青年を見ている。彼は無線イヤフォンを着けて電子端末で何かを見ていた。


「何か見えますか」


「イヤフォンから漏れ聞こえるんだよ。またライブラが話題に上がっている。病死だと。カイム、知っているか? 本当はノイマンのおっさん自殺だったらしい」


 王は唐突に吹き出して、涙を浮かべて笑いだした。その涙は別段悲しいわけではないようで、本当に笑いに誘われた涙のようだった。


 その不謹慎な笑顔は無邪気で幼い。


「世間では病死といわれていましたが。表向きでしょうかね」


「そうだろうな。ああ、馬鹿馬鹿しい。あのおっさんが自殺する程繊細なわけがない。どうせ殺されたんだろう。会長室で拳銃自殺していたとか」


「つまり、世間的には病死、協会内では自殺、けれど王としては他殺を疑っているわけですね」


「そうだ。他殺だとしても相当な手練だろう。あのおっさん人間にしてはよくやるから」


「王はノイマン会長と親しいのですか」


「親しいも何も、あのおっさんが私を捕らえたんだよ。捕まってからも、よく会いに来てた。菓子ばかり持って来て、自分の子供かなにかと勘違いしていたのではないか、というくらいだった」


 カイムは穏やかに笑む。ヘルレアの一面だけ見ると確かに土産を持参する気持ちも分からなくはない。尋常では無く愛らしい、誰もが心惹かれる子供なのだから。


 ただし、それは今の王へだが。


 当時のヘルレアがどれ程の驚異だったのかは想像を絶する。現在よりも更に本能へと忠実だった無垢な幼蛇(ようだ)。生まれて数年にしかならないその世界蛇は、既に人を殺める悦びと術を(そな)えているのだという。あのライブラでさえ精鋭が十数人がかりで死傷者を出して、ようやく拘束出来たのだと聞く。


 おそらくそれも、人だけの力ではない。


「僕にも王へお菓子を持って行く気持ちが分かりますよ。小さな王は、さぞかし愛らしかったでしょうね」


「それはそうだ。この世でたった二人しか持ち得ない美貌は、傾国どころの騒ぎではないからな。その幼蛇とくれば言わずとも知れている」


「王が言うと全く自画自賛の驕りでないところが恐ろしい」


「カイムだったら幼蛇の私に、直ぐ惚れているところだ」


「僕にそういう趣味はありません」


「本当か? ならばどのような女が好みなんだ」


「いきなり言われましても。元気な子ですかね?」


「エマか」ヘルレアは小さく吹いた。


「何を仰るんですか。エマは関係ありません。でしたら王はどのような方がお好みですか」


「ノイマンのおっさん」


「ノイマン会長は確か五十代くらいでいらっしゃったのでは。もしかして、王は世に言う年上好きという方ですか」


「ああ、昔から傍におっさん、おばさん、ばかり居たからな。枯れ専って言ってくれてもいいぞ」悪戯っぽく笑った。



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