第8話 一時の休息を〈前編 奇妙な恋人達〉
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カイムの私室、その居間の扉がノックされると、カイムは片手間に返事を返す。誰が入って来るのか分かるのだから、あまり意識を向けていない。マツダが入室して来ると、その手には市街戦用迷彩の軍用服を持っている。
「お洋服のご用意ができました」
「ご苦労、マツダ。ヘルレア、これをどうぞ」
「どこに戦闘行為をさせにいく気だよ。お前の犬ッコロにはならないぞ」
「当たり前です、違いますよ。館で潤沢にあるのは、この戦闘服だけなのです。サイズも豊富ですし、作業服ですから丈夫なので結構良いですよ」
「合理的だが納得いかない」
ヘルレアはしぶしぶといたように、マツダから戦闘服を受け取った。マツダは丁寧にお辞儀をしてから、直ぐに居間を去った。ヘルレアがいるので、あまり人を入れないようにしているのだ。カイムの私室には、ジェイド等のような主人に近い猟犬しか入ってこないが、それでも細心の注意を払っていた。
エマの時と同じ過ちを犯さない為に。
服については正直なところ、王へどのような服を当てがっていいのか、分からなかった。男でも女でもない王に、職員から借り受ける、どちらかの性に偏った服を用意するのは抵抗があった。それにヘルレアは小柄な成人女性くらいの体格があるので、どちらかと言うと、カイムなどが貸すよりも女性職員に借りた方がいい事になってしまう。
ヘルレアはカイムがいる前で、堂々と服を着替え始め、ジェイドのジャケットをはだき落とした。腹部にはもう傷はない。そのまま下へも手を掛けた。
カイムは反射で後ろを向いた。
「別に男でも女でもないのだからいいだろうに」
「マナーという事で」
「……お前はそのうち、この身体を抱くかもしれないんだぞ。今、味見してみるか」意地の悪い笑顔が溢れる。
「嬉しいお言葉ですが、からかわないでください」
「へいへい――、あまり嬉しくなさそうだがな。こちらを向いても構わないぞ」
ヘルレアは瞬く間に、灰色を基調とした市街戦用戦闘服に着替え終わっていた。王はやはり何を着ても似合い、現代の戦神を彷彿とさせる。未成熟な細身の体と、中性の幼い顔立ちが、驚く程戦闘服に馴染んでいる。
「本当にこの姿で街に行くのか。ミリオタみたいだな」
「本物ですからお気になさらずに」
「よけいにまずいじゃないか」
「麓の街に居る人々はステルスハウンドを民間軍事会社だと認識しているのです。ですから、迷彩服で兵士が街を歩いても誰も気にしていません。現に兵士は迷彩服で、日常的に街へ出歩いていますよ。元々、ノヴェクが猟犬を住まわせていた経緯があります。だから、街が先に作られて猟犬が流入したのでは無く、その逆なので、軍事会社としてのノヴェクは古くから有名なんですよ」
「それはまあ、〈天秤協会〉に居たら一々説明されなくても、お前達の名前は裏表よく聞くさ。と、いうか戦闘を生業にする組織だったら知ってて同然だろう、基礎知識だ。ねちっこくのさばるノヴェクの老害共と、バチバチに打つかって、消し炭になったと噂されている奴だらけだ」
「それについては言及を控えておきます」半分冗談で笑って濁す。ヘルレアがライブラなのは、今後、面倒どころか困難をもたらすだろうと、今更そんな考えが、ぽつりと浮かんだ。
ヘルレアは一つに括りあげていた髪を解くと、編み込み始めた。その手先は器用で、長い髪をするすると編んでいくその手は、糸を紡ぐ乙女のようだ。編み上げると残った部分を頭に巻き付け、丁度、冠のように仕上げた。最初に出会った時のヘルレアだ。あれ程髪が長いのに、毛量が絶妙な分量らしく、頭へ綺麗に収まっている。
「……それと、女性職員からストールを借りてきました。はい、あとはマスクとサングラス」
「おい、何だこの変質者的チョイスは。ストールとサングラスはまあ許せても、街で迷彩に不織布マスクは無いだろうが」
「王は目立つので変装を、と思いまして、色々と考えたんですよ」
「本気で言っているのか」
「何がですか?」
「お前……やはり天然だな。ストールは良いだろう借りていく、サングラスは今ウザいし、マスクは以ての外で却下だ」
「それは残念です。結構頭を悩ませたので」
これまた慣れた手つきでストールを頭に被り、口元まで布を引き上げたヘルレアは、本当に紛争地帯にいる子供兵士の状態だ。それが、余計に美しさを際立てた。
何故かこのヘルレアを人々に晒すのは気が引けてしまう。
「どうした、カイム。行くのではないのか」
カイムとヘルレアは、麓の街へ買い物に行く事になっている。ヘルレアの服がボロボロになってしまったので、先頃行われた戦闘行為の代償として、カイムの私財で服を買う事になった。と、いう口実のデートである。王は案外簡単に同道を受け入れてくれたのだ。少し考えれば、無理くりでっち上げた外出なのは明らかだが、王はどうでもよさそうだった。
カイムとヘルレアは件の任務で長い事、離れ離れになっていた。これでは番の話も何も、進展のしようがない。今後なるべくカイムは、ヘルレアと行動する事にすると、ジェイドと決めたのだ。その実践一度目というわけだ。
カイム達は私室から、専用エレベーターで直接玄関ホールへ続く区域へ出る。二人で、兵士が多く行き交う玄関ホールを歩くと、猟犬の視線が刺さって来た。どう思ってるのかは詳しく分からないが、自分達と同じ戦闘服を着ていても、異質な存在だと確実に認識しているようだった。だが、傍にカイムが居る為に、一切猟犬は干渉してこなかった。
「ヘルレア、目を光らせないでくださいね。確実に大騒ぎになりますから」
「それは呑めない要求だな。生理現象なのだから仕方がないだろう」
玄関前に来ると、マツダが中折れ帽を携え待っていた。カイムは帽子を受け取ると被る。
「三つ揃えに中折れ帽とは、随分とクラシックだな。完全にアウトローの様だ」
「あの……僕、そもそもアウトローですし」
「そういえば、猟犬の首領だったな。お前の風貌ですっかり忘れていた」
外に出ると、既に車が用意されていた。黒い艷やかな車体の横に運転手が待っている。
「金持ちの典型だな」
「そうですか?」
「嫌味なやつ」
「ヘルレアも結構な資産家なのでは?」
「こういう暮らしを選んだことはない」
二人は車に乗って麓の街まで下り、新興の商店が建ち並ぶ区画へ行くと、車を降り徒歩で街を回る事にした。
休日でもないというのに、商店が並ぶ街路は人で溢れていた。親子連れや若者が多く、楽しげな声が喧騒となって満ちていた。
歩いていると視線を感じる。
「やはり、私は目立ち過ぎだ。どこの戦闘民族だよ」
「ヘルレアはどのような姿でも素敵ですよ」
「お、おう」
「服屋を見に行きましょう。僕は既成品のお店などは慣れていないので、案内が出来ませんが、とりあえず、一つずつ見ていきましょうか」
「はい、はい。分かりましたよ」
女性の服屋が多くヘルレアも何だか流し見だ。
「ヘルレアは女性と男性、どちらの洋服が好みですか」
「男の服が動き易くていいが、サイズがな。広過ぎて身体に合わない。でも、女ものでもボーイッシュな服を選べばいいからな。まあ、とにかく動き易い服をいつも選んでいるよ。だからあまり、男女関係ないかもしれない」
確かにヘルレアが以前着ていた服は、装飾感が一切無く動き易さを優先させていた。王のように人間とはまた違う、機敏な動作を行う身体では、窮屈過ぎるのだろう。
「気に入った物はありませんか?」
ヘルレアは急に立ち止まると、黙り込んでしまった。
「……仕事とはいえ、人外をデートへ誘うのは骨が折れるだろうに」
ヘルレアは勿論、カイムが外出へ誘った理由を、分かっているだろう。だが、こう真正面から言われると、何とも渋いものがある。
「それは――ヘルレアのおっしゃる通り、やはり仕事ですから」
「幾らでも受け入れられる?」
「はい、勿論」
「お前みたいなのでさえ、本当に解っているようには思えない」
ヘルレアは鼻で嘲笑うと、カイムへ背を向けて反対の方向へ一人で行ってしまう。王が何か言いたげなのは気になったが、それ以上問うことが出来なかった。




