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第36話 王と王

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 いつの間にかヘルレアは、座ったまま空を仰ぎ、大きく口を開けている。その奇っ怪な行動もヘルレアの美しい姿なら様になる。多く生地を使った青い外套と、中性でありながらどこか処女性を感じさせる彫像のような容貌は、やはりどことなく宗教画を思わせる。


 神と言うなら双生児はそうなのかもしれない。門外漢のジェイドには、神の定義は分からない。しかし、ヨルムンガンドという荒神にすら等しい王の在り方は、今なら何者も寄せ付けないある種の神聖にすら感じる。それはジェイドがヘルレアを、少しだけ客観的に見られるようになったからなのだろう。


 その、あまりに静謐でまっさらな情景に、ジェイドは目を吸い寄せられていた。


「何をやっている」


「雪は美味いのかなって」


「お前は、子供か。そこいらに積もっているのでも食ったらどうだ」


「私はまだ子供だよ……」ヘルレアはしぶしぶ雪を掴むと口に含む。


「まさか本当に食べるとはな」


「何だこれ、じゃりじゃりするだけで砂と変わらないじゃないか」


「何を言って……そうか王は人と体温が違うから、雪も溶けずに固形物として身体に留まり続けるのか」


 ジェイドはヘルレアの間抜けな顔に笑い声を浴びせた。


 一通り笑っていると、少しだけ硬さのある雪玉がジェイドの顔に柔く打つかって来た。


「笑い過ぎだ!」ヘルレアは子供のように拗ねている。


 ジェイドは大きな手で雪玉を作ると、ヘルレアヘ投げ返した。雪玉くらいなら軽く避けられるだろうに、ヘルレアは真正面から雪を受けた。


「いい度胸だ、ジェイド」


 雪玉を払うと、手にした雪塊を大きく振りかぶった。風を切る音がジェイドの耳を横切り、外れた雪塊が幹に叩きつけられ、木が(きし)んだ。


「ヘルレア、わざと外したな」


「私の雪玉は痛いぞ」


「どこが雪玉だ。圧縮し過ぎて氷塊になってただろうが。本気で投げるなよ。痛いどころか死ぬ」


 ヘルレアは無邪気に笑い、雪に身を任せて身体を横たえた。ジェイドはため息をつくと立ち上がりヘルレアを見下ろす。


 ヘルレアは微かに笑んでいる。


「休めたか」


「まあ、今までのようにベッドでぐっすりとはいかないからな。でも、いい方だ」


「……人は本当に不自由だな」


「それは、お前と比べたら、どのような生き物でも不自由になるさ」


「お前達は皆……脆い。私が少し歩むだけで、後ろにはもう誰もいない」


「追い掛けたくても、王の生き方は早すぎる」


「追い掛けたいのか?」


 ジェイドは無言で肯いた。


「そうか、振り返ってやるのも悪く無いかもな。それに私とて万能ではない。こうして今生きている事自体に〈女達〉の影を感じざるおえない」


「〈向こう側の女達〉とはいったいなんだ」


「私も詳しくは知らないが、〈女達〉は双生児と血縁関係にあるらしい。だから、双生児は綺紋官能を具えているのだそうだ。でも、完全に眉唾だろう。この程度の情報なら既に知っているだろう」


「目的は? 何故、俺達人間に構う」


「一番の謎を訊いてくれるな。私も知りたいくらいだ」


 〈向こう側の女達〉については、王、本人ですらこの程度の情報しか持っていない。ヘルレアが真実しか語っていないという前提だが。


 ステルスハウンドでも〈女達〉の情報を常に求めて運営されている。数百年に及ぶ歴史がありながら、それでも、〈女達〉の影すら掴めていなかった。


 そもそも〈向こう側の女達〉いう存在が何故言葉として、対双生児の組織間で知られているのかすら謎なのだ。どこから生まれ、どこから流通していったのか、既に闇の中へ葬り去られている。


 ただ、災厄をもたらす双生児が居るから戦う。現実を単純化すればその様になってしまう。〈向こう側の女達〉は思慮外の存在、不可知だった。


「元を叩ければ一番良いのだが」


「到底無理な提案だな。双生児にすら手こずっている連中が、死の王を産む、更に数段格上の存在にどう抗うという……あいつらは万古(ばんこ)の神々だとも言うぞ。人間が目視出来るような、外界術の精神存在としての神や、物理的な実体を持つ天客(てんかく)とも、全く性質が違うとすら言われているんだ」


「それもそうだな。〈向こう側の女達〉は自然災害と同等の認識で取り扱われることもある――王も(しか)りだが、全ての自然災害を人間がどうこう出来ると思うのは(おご)りかもな……」


「随分と消極的だな。ジェイドなら殴り込みに行って来る、とでも言うかと思った」


「俺を何だと思っている」


「猪突猛進の邁進(まいしん)野郎」


「否定はできないが、肯定するのも悔しい答えだな」


 ジェイドは横になったヘルレアへ手を差し出すと、王は素直に手を取って起きた。


「私は褒めたんだ。それがお前の長所だろう」


 ヘルレアは雪をはたき落とす。


「王に褒められる日が、来るとは思わなんだ」


「私もお前を褒める日が来るとは思わなかった」


 ヘルレアは乱れた外套のフードを被り直した。ジェイドは王が外套を脱いだところを一度も見たことがなかった。


「ところで王は、何故いつも外套を着ているんだ。見た目を気にして着ているのは分かるが、他にも理由があるのではないか。先程の雪を口に入れても溶けないことといい、外気温など王には関係ないだろうに」


「それは勿論、この目立つ姿をなるべく隠すためだが、世界蛇の性質もあるな。あまり肌を日に曝すのは好まない生き物なんだよ」


「それは初めて聞いたな」


「まあ、日光に当たっても何の影響もないし、只の日差し嫌いなだけだ」


「それは残念だ」


 ヘルレアは鼻で嗤う。


「おい、」ヘルレアが顎をしゃくった。


 綺士の死体がゆるゆると変化を始めていた。


 鱗が解けて外殻を失った綺士は、内包の肉を泥濘(でいねい)と化して溢れ落ちた。現れたのは筋を剥き出しにしたあまりにも小さい――綺士の外殻と比べると――人間の死体だった。


 ジェイドとヘルレアは細心の注意を払い、元綺士の死体へ近付く。


「……なんだこの臭いは」ジェイドはしかめっ面で鼻を覆った。


「酷い腐臭だな」ヘルレアは(うつぶ)せの死体を上向て屈む。


「これは間違いなく、人間の身体構造だ。綺士状体の時に引きずり出した臓器が、同じように無くなっている」


「綺士の構造はいったいどうなっている」


「人間の臓器はそのまま、外殻が綺士になっていると考えていいかもしれない」


「こいつを持ち帰って解剖してみたいところだが、そんなに悠長なことは言っていられないな。自分の身体を面倒みるので精一杯だ」


「私もこいつを背負うのはご免だ。臭いが染みつく」


 ヘルレアは唐突に死体を触っていた手を止めた。王の瞳は激しく燃えているが、何も見ていない。緊張で全身が固まっているのが、否が応でも伝わってくる。


「ヘルレア? どうした」


「ジェイド……逃げろ、(はや)く!」


 空気が張り詰めているなかで、ジェイドは手が痺れ、顔が痛んでいる事に気が付いた。まさに全てが氷付いているのだ。気温が下がっている。


 心臓が跳ねた――。


 視界の端、雪野に黒い百合が咲いている。ジェイドは真正面から、その可憐でありながら毒々しい花を見る事ができなかった。


 理解が追い付かない。心臓が握り潰されないように逃れようと、必死で抵抗しているかのようだ。


 ヘルレアはジェイドの足を強く肘で押した。そこでようやく視界が広く動いた。


 森の切れ間に、頭の上から白い大判の布を被り、黒い髪を膝にまで流した人が佇んでいた。着ている服は簡素で、ダボついた白いシャツとパンツを履いていてまるで入院患者のような出で立ちだ。それなのに、その姿は遠目に見ても鮮やかで美しかった。ヘルレアと同じ、着飾る事など必要ない。その存在に、周囲が捻じ曲がって醜く映る程だ。


 ヘルレアと同じ顔をしているというのに、直ぐに性別が分かった。


 確かにそれは少年だったのだ。


 体格はけして大柄ではない。それでも少女とは違う身体の引き締まり方が、大きな服を着ていても風が吹く度に顕著となった。


「ジェイド、見るな――速く行け!」


 目が逸らせない。


 音も無く近付いて来る。


 逃げなければ。だが、身体が動かない。


 片王(おう)の顔は歪み、青い眼が細められている。


 彼は、ヘルレアの半身は泣いていた。


 片王は屈み込むと膝を付き、赤黒い肉塊を拾った。それは投げ捨てた綺士の心臓だった。


 心臓を愛おしむように手で包み込み、耳に当てて涙を溢していた。あまりにも無垢で純粋な光景に、ジェイドは絶句するしかなかった。


 これが暴虐の限りを尽くしてきた双生児の王なのだ。ヘルレアに相対し、争い続けた死の王(ヨルムンガンド)。ジェイド達を長年苦しめ、全てを奪い取って葬り去って来た存在。


 彼は無言で、ジェイド達の存在をまったく意識していなかった。


 ジェイドは無意識に銃へと手を添えていた。


 耳の奥で脈拍が聞こえる。手が慄える。


 引き金が引けるのか、それに意味などあるのか――。


 それでも、


「――おい! ヨルムンガンド」ヘルレアは声を張り上げた。


 ジェイドは我に返った。



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