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第34話 王の下僕

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 大粒の雪が降り続け、争いの跡を掻き消していく。しかし、荒れた木々は生々しく激しい戦いの傷痕を残していた。綺士が死んだ事で、静寂が再び訪れ、ジェイドとヘルレアの声だけが周囲の静けさを乱していた。


「以前の綺士の方が弱い気がしたが、あの時、王は結構傷を負っていたな。しかし、今回はあまり傷を負わずに済んだ」


「綺士との戦い方を学習しただけだ。死の王と言う呼び名も伊達じゃないだろう? 一度戦えば身体の構造が分かる。強さも性質も違えど、綺士は綺士だ。使徒は言わずもがな、だが」


「王は綺士の弱点を、今まで知らなかったのか?」


「私には綺士がいない分、構造が分かりづらい。と、いうか知らない」


 黒い染みだらけの綺士の死体は、既に(いわお)のように転がって雪を積もらせている。今まで生きて動いていたとは到底思えない頑強さでもって、その場に静止していた。


「ところでシャマシュは大丈夫なのか。あのネズミに何があった? 切られたみたいだが死んだのか、壊れたのか」


「シャマシュは生き物ではないから死なない。念の為に綺紋(きもん)の媒介にしていたが、こうも役に立つとは思わなかった」


 ヘルレアがシャムシエルと呼ばわると、綺士の死体から液体が収束するように、ヘルレアの元へ飛んできた。徐々にシャマシュの形を取り、完全に元の姿に戻ると、金属のようになった。光を反射しない黒鉛のような身体に、青く細い綺紋が見えている。ヘルレアが細かい文字の一つを指でなぞると芝が生えるように、細かい毛が生え揃い、いつものシャマシュの顔が出て来た。


「シャムシエルとやらは、とんでもないな。ただのペットだなどと嘘をつくな」


「人間にとっては異質でも、私には普通の玩具だからな」


 ヘルレアは綺士の死体へ近づくと、捨てた心臓を再び拾って表面を調べている。潰れた心臓の表面には、焼印のような文字が刻まれているのが、辛うじて分かる。ヘルレアはその文字を指でなぞった。


「〈黒い日輪〉――大層な名前を授けられたものだな。おそらく綺士の元になった人間は、こうして心臓に綺紋を刻まれて、綺士となるのだろう」


「と、言う事はヘルレアもこうして綺士を造るということか。それにしても、名前というより表題のようだ。人名にするには無機質さを感じる」


「……まあ、私の造り方にも、違いは無いだろうな」


「まるで他人事だな」


「私は綺士を持たないからな。どうするべきかは幼い頃に、本能で分かるらしいが、私は成長し過ぎた。既に思考が先に立って分からない」


「それは本当か」


「嘘をついてどうする。お前達猟犬には喜ばしい事じゃないのか」ヘルレアは綺士の心臓を投げ捨てた。


「それは、時と場合による」


 ヘルレアがステルスハウンドの主となるならば、たった一つの傷があっても困るのだ。本来なら、双生児の一方が劣るのはあり得ない。それでなくともヘルレアは育ちからして、弱い立場にある。これ以上の劣勢は許されない。


「どういう風の吹き回しだ。私は、あれ程忌み嫌っているヨルムンガンドだぞ。双生児のその一人に欠陥があるのは、歓迎こそすれ忌む事はないだろう」ヘルレアは()()と笑った。


 王自身の口から、ヨルムンガンドという言葉が出た時、ジェイドは震えが来た。何一つ事実と相違なく、彼の問題だった。ジェイドはこの子供をヘルレアや王と呼ぶ事で、恐怖から目を背けていた。そうして隠してしまうのに、慣れ過ぎてしまっていたのだ。


 ヘルレアは世界蛇、ヨルムンガンドだ。いくら形態が同じところがあっても人間ではない。種族も異なれば、出自もまったく違う。本来、雑談が出来るような存在ではない。


 なのに、それを組織に連れ込もうというのだ。今こうしてヘルレアと居るのが、既に奇跡のような状態だ。これ以上をステルスハウンド――カイムは望んでいる。


「……もう一度訊く。本当にカイムの、(つがい)になる気はないのか」


「くどい」


「今だからこそ言うのだ」


「あの頃と、何の変化があった?」


「全てが変わった」


「私には何が変わったのか分からない」


「何が不満なんだ。組織の大きさか。それともカイムが気に入らないのか。他に事情が――」


「このようなところで、する話ではないだろう。これだけ強靭な綺士が現れたと言うことは、王がいる可能性が高い。ここいらをうろついていれば、出会えるかもな」ヘルレアは、ジェイドから顔を逸らして手招きで急かした。


 ――何故、王は番の話題を避けるのか。


 初めは王がステルスハウンドへの接触を了解して、自ら館に訪れたというのに、何故、今はまるで禁句のように扱う。カイムとヘルレアの間に何があった。


「待て、王!」


「何ぼさっとしてる」


「お前、何かを恐れているのか……」


 ヘルレアは立ち止まるが、振り返ってジェイドを見ることがなかった。


「何を馬鹿な事を……恐れなど私には無益だ。恐れというものは、人間のような脆弱な存在が必要とする感情だ」


「本当にそうなのか――恐れというのは、自らが脅かされる時だけに、生まれるわけではない」


 話は止めだ、とはっきり示すように、ヘルレアは先をさっさと歩き出してしまった。


 ジェイドは次ぎたい言葉を飲み込んで、ヘルレアを追い掛けた。


「これ以上歩いても、無駄になるだけだ。王の体力は無尽蔵かもしれないが、人間である俺では消耗していくばかりだ。戦うべき時に戦えなくなってしまう」


「確かに一理あるな。ここに留まり続けるかはおいといて休むとしよう」


 二人は休める場所を探したが、結局、死んだ綺士が横たわる、出来合いのちょっとした広場に腰を下ろした。ヘルレアは相変わらず雪の上に平気で座っている。ジェイドは木の根に座っていたが、王が捨てた綺士の心臓が気になり拾いに行った。


 心臓はジェイドの拳くらいの大きさで、綺士の身体を考えるとかなり小さい方だ。これは(むし)ろ人間の心臓と表現した方が自然だ。王が言ったとおり、奇妙に流麗な文字らしきものが、焼印されていたであろう事が分かる。


「……これが綺紋か」


「どうした。物珍しいか」


「王が綺紋を使うところは見るが、まじまじと綺紋自体を見たことがないからな」


「なら、見せてやろうか」


 ヘルレアが雪の積もった地面に、木の枝で一文字だけ書いてみせた。その文字が青く灯り、雪が盛り上がって小さく飛び跳ねた。雪で出来たうさぎが本当に動いている。綺紋も青く灯り続けて文字がよく見えた。


「小さい綺士か?」


「まさか、ただの玩具だよ。感情も、欲も、生理もない。雪の固まりだ。贋物(にせもの)にしかすぎない。本物の生物の複雑さ、精緻さには遠く及ばない。所詮は文字の創り出す幻のようなものだ」


 何故か王が、寂しそうに見えた。ヘルレアは時折、酷く寂しげな顔をする。まるで哀惜にも似た何か――。


 ふと、ヘルレアの過去を訊いてみたいと思った。王は一体何を残して……棄ててきたのだろう。


 ジェイドが屈んで手を差し出すと、雪兎が寄って来て手の上に乗った。確かにただ冷たいだけの雪だ。それが綺紋で生き物のように動き、ジェイドの挙動にも応えた。


「贋物だろうが何だろうが、子供は喜ぶだろう。それで良いと思うけどな」


「溶けるぞ」ヘルレアは同じ文字を何個も書いて雪うさぎを量産している。そこまでしなくても、と言葉が漏れそうになったが沈黙を貫いた。


 うさぎが増えるに連れて、真っ白い雪に、青い光が下から差し込んでくるように見える。


 ジェイドは呆然とその景色を見ている。


 ――これは何なのだろう。


 これ程、虚しいと思った事はない。


お前(ヘルレア)に会って、今が一番後悔している」


「何故、と、問うてもいいのか?」


 ジェイドは何も答えられなかった。


 人の目線に立てる世界蛇(ヘルレア)を、心から優しいと思ってしまった。ただただ双生児への憎しみだけで生き続けていたかったはずなのに。傍にいて会話を重ねる度に、ヘルレアは心に寄り添って来た。知らないうちに、こんなにも傍近くに来てしまった。


 しかし、ヘルレアは紛れもなく王だ。多くを殺め、人を翻弄し、苦痛を撒き散らす。何も残さず、何も生み出さず、全てを混沌に沈めてしまう。


 まさしく、死の王。


 ――だが、それでも。


 思う、


 いや、祈る、


「……ヨルムンガンド・ヘルレア。

 王よ、どうかお前の半身を殺してくれ。

 この戦いは、人が永遠に背負う業なのだろう。もし、お前に人を思う心が少しでもあるならば――」


 ヘルレアが目を伏せて首を振り、ジェイドの言葉を遮る。それ以上は言ってはいけないと、ジェイドは止められたのだと解釈した。


 王は持っていた枝を落としていた。


「その呼び方をされるのは久し振りだ。でも、そういう時は、ヨルムンガンド・ヘルレイアと呼ぶべきだ――言われるまでもない。私は、()()()の為に半身を殺す」王は不敵に笑ってみせた。


 この王なら何かを変えられるかもしれない。


 世界に渦巻く強大な蛇、ヨルムンガンド。


 今は二尾で食い合っているが、いずれどちらかが食い尽くされる。


 その時は、そう遠くないだろう。



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