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第31話 想いの形

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 エマは自室に戻るとソファに寝転び、そのまま腕で目元を覆っていた。僅かな腕の重みが心を押さえ付ける、重しのように感じられていた。


 部屋はやけに静かで、エマが時折上げる嗚咽だけが部屋に響いていた。


 動く事が出来なかった。身体が熱っぽく気怠い。


 ――カイムに、なんて事を言ってしまったんだろう。


 あれだけ困らせたくなかったのに。心に留めて言うつもりなどはなかったのに。


 全ては警備兵コニエルの異常を、エマが耳に入れた事から始まった。


 そして、彼女がカイムの幼い頃に住んでいた屋敷へ派遣された。それもかなりの日数を割いての、館からの外出。


 それが重なった時、エマを排除した館の、異常事態を内包した空白が生まれる。


 考え過ぎなのだろうか。なら、何故カイムは拒絶したのか。エマは子供の頃からカイムを知っている。たとえ僅かな変化でも、見逃さない自信がある。


 ――私は、猟犬ではないし、猟犬になる事も出来ない。


 カイムは言った。自由になりなさい、と。


 カイムの気持ちはあれで確信した。彼はエマに猟犬にはなってほしくないのだ。だとしたら答えは簡単だ。エマが屋敷に行っている時に、知られたくない何かが、カイムのいる館で行われていた。猟犬ではないエマが傍に居てはならなかった何かが。


 エマは寝ていたソファから上体を起こし、両手で顔を覆った。


「自由に……なれるはずがない。私の居場所はここにしか無いもの。カイムは私が必要ないのね。どこへ行けというの。ひとりぼっちで何をしろっていうの。何もかも奪われて」


 涙が止まらなかった。カイムにさえ見棄てられてしまったような気がした。それと同時に双生児が憎くて堪らなかった。エマから全てを奪い取って、今も多くの人々から奪い続けている王が。


 できるなら、この手で王を殺してやりたい。両親が受けたように最大限の苦痛でもって、その命を奪ってやりたい。


 だが、エマにはその力がない。


 女性の猟犬は、勿論、居るのだが、全体の二割から三割に届くかどうかの割合にしか過ぎない。男性と比べて圧倒的に体力が劣るからだ。エマも戦闘員になれるだけの資質がなかった。だから自分が出来る事をステルスハウンドでしている。しかしそれは、直接王と渡り合えるような仕事ではない。それでも、殲滅の一助となれればと今まで働いてきた。


 けれど、その努力は無駄だと言われてしまった気がする。


 どうしようもなく、やるせなくて、止めどなく溢れる涙を静かに流し続ける。


 ――コニエルに何があったのか聞いてみよう。


 関係ないとしても、それでいい。自分が出来る範囲で最大の努力をしよう。


 エマにはそれしかない。


 エマは卓に置いていた電子端末で、エルヴィラに電話を掛けた。僅かな電子音をおいただけでエルヴィラは電話に出た。


「エルヴィラ、コニエルについて話があるのだけど」


『カイム様にコニエルの事、聞いてくれたの?』


「……違うの。ごめんなさい。私、カイムに嫌われたかもしれない。あれだけ想っていてくれたのに、裏切ってしまったのかも」


『エマ、何かあったのね。いいわ。どこか静かな場所で会いましょう。考えすぎたら駄目』


「エルヴィラが居てくれて良かった」


 彼女はくすぐったそうに涙声で笑った。


 エルヴィラと話したら、また涙が溢れて来た。エマは洗面所へ行って洗面台で冷たい水で顔を洗った。それから、寝室のクローゼットへ行き、薄手のコートを羽織った。


 部屋に鍵をすると、兵士や職員からあまり目に付かないように、小走りで正面玄関へ急いだ。


 正面玄関には兵士が居て、最低でも二人の常装警備兵が詰めている。彼等の濃灰色をした開襟制服は、ネクタイを締めるタイプの形状で、縁取り(パイピング)が館と同じ緑色をしている。館の警備兵は皆同じように、縁取りが緑色で、その色によって所属が分かるようになっているのだ。


 玄関先にも常装、迷彩服の猟犬が入り混じって複数いるが、屋内外双方に兵士がよく(たむろ)していて、さり気なく周囲を警戒をしていた。


 エマが玄関広場に行くと、小銃を持った兵士が数人お喋りをしていた。


「いってきます」


 兵士達が気付くと、彼等は気安く手を上げた。


「エマ、今から一人で出かけるのか。もう薄暗くなって来たぞ。誰かツレになる奴連れてこようか」


「かまわないの。友達と約束してるから」


「そうか……まあいい。おいっ」兵士が隣の男に顎をしゃくった。その男は頷くと腰に巻いた拳銃のホルスターベルトを外し、収納したままエマに渡した。ホルスターを受け取ったエマは、コートの内側の腰に取り付ける。


「ありがとう。直ぐに戻って来ると思うから、出掛けた事、他の人には内緒にしといて」


 兵士達がどこかニヤついてエマを送り出す。明らかに何か勘違いしているが、別に彼らに悪意が無いことを知っているので、笑顔で手を振った。


 玄関先の兵士にも挨拶してから、エマは自身の軽自動車に走り寄り、エンジンを掛けた。


 山を下りて一番近い街の公園が、エルヴィラとの待ち合わせの場所だった。


 薄暗かった空は既に暗く、公園の外灯が灯っていた。エマは入り口から一番に目の付くベンチに腰掛けて、エルヴィラが来るのを待った。


 夜気は徐々に冷たくなっ来ていたが、まだ息が白くなる程ではない。感傷的になって泣いていたエマには、頭を冷やす丁度いい気候だった。


 アメリアの秋は長い。あるかないかの短い夏を終えると、ゆっくり秋の気配が忍び寄って来て、寒さも日に日に厳しくなって行く。そして、ある日突然冬へと替わり、雪がチラついて、これもまた長い冬を迎えるのだ。


 人口も多く賑やかで広大な街を、館は見下ろして佇んでいる。そもそもこの街が広がる土地自体が、ノヴェクの持ち物らしいとエマは聞いた事があった。


 ――カイムは遠い人だ。


 あの若さで強大なノヴェク一族を当主として束ね、泰西民間軍事保障(ステルスハウンド)を動かす――猟犬の主人だけではすまない、本物の主だ。


 エマはカイムと十四才も違う。なので当たり前だが、エマが生まれた時、カイムはもう既に十四才という少年だったのだ。赤子と十四才の少年という子供の頃の年齢で比べてしまうと、今のエマとカイムから年齢差を考えるよりも、かなりの年の差を実感させられてしまう。当時彼は、もう館に居住しつつ学びながら、仕事を負っていたのだという。



 ……館へ来た時、もう僕は大人だった。大人でいなくては、ならなかったのだよ。



 カイム本人から聞いたその言葉。


 彼は何でもない事のように、エマへ語ってくれた。


 しかし、十二才から背負ったという責任は――。


 エマはいつもそれを思う。


 まだ幼かった彼は、もうその時既に家族を失くし、館に独りで居なくてはならなかった。たとえ猟犬が居たとしても、孤独ではなかったのかと、辛くはなかったのかと、エマは思ってしまう。


 だから、エマはいつだってカイムの傍にいて力に為りたかった。かつての幼いエマですら、カイムが背負ったものの重さを理解出来ていて、支えていければと願って止まなかった。


 今もそれは、変わらない。


 だがむしろ、それは今……一人の男性を思う愛へと変わっていた。 


 ――無理だ。


 エマは俯き深く眼を瞑る。


 エマなどがカイムの何になれるというのだ。支えたいと願っていても、結局はカイムに守られ続けているだけ。


 カイムがエマへ、彼自身の悲しみや苦しみの感情を、見せてくれた事など一度もないのだ。


 これでは、気持ちを伝えるなど一生出来るはずなどない。


 ――エマの思いなど、負担をまた一つ増やすだけになる。


 そして、彼には大きな秘密がある。


 カイムがエマへ、主人(自分)が特別に生まれて来たのを、気付いているだろう、と問い掛けていた。


 勿論、それにはエマも気付いていた。


 カイムは何か人と違う気配がする。特に猟犬と居る時、それは更に顕著となって感じられた。今のエマでは、カイムと猟犬の特別な関係の中へは、絶対に入っていけない。 


 ――猟犬になるってどういう事なんだろう。


 実のところエマは、どうすれば猟犬だと認められるのかを知らなかった。普通に考えれば、猟犬の主人であるカイムが許しを与えてなるもの、そのように思えるのだ……が、


 でも、異質な何かを感じる。


 カイムと猟犬の間にある距離感の不思議。異性同性年齢関係なく、更に既婚未婚の猟犬も含めて、その対人距離が、家族以上の近さに感じる時が偶にある。また主人である彼は猟犬を、幼い子供を相手にしているような表現や、態度を取っている時もある。


 ――あの子。


 一度、年上のジェイドへすら、カイムはそう表していたのを聞いた事がある。


 カイムや猟犬はエマの前では、隠しているようだが、長年一緒に暮らしていれば、否が応でも分かって来てしまう。


 ――猟犬ってなんだろう?


 主人は猟犬をどういうふうに思っているのだろうか。


 ――カイムには好きな猟犬(ひと)がいるのだろうか。


 もし、そうだとしたら、そのような深い繋がりのある主人と猟犬の間に、エマなどが入れる余地などない。


 ――カイムはエマと、深い関係には別段なりたくないのだろうから。


 ――猟犬にはなれない。


 ――そして、男女として愛される事もないのだ。


 座っていると腰に帯びた銃の感触が伝わってくる。


 ステルスハウンドの人間である以上、エマもそれなりに銃の扱いは慣れている。館の者は戦闘員以外の事務職員などですら、皆武器類の使用には馴染めるだけ訓練をさせられるのだ。


 だが、さすがに銃武器類の管理は厳しく、戦闘員が所持して自己管理する銃器以外は、管理倉庫で決められた人員しか出入り出来ないように保管されている。事務職員も武器の携行が許可されている者と、そうでない者とが、役職で分けられていた。


 そして、エマといえば、カイムから直接言い渡されて、武器の携帯を許可されていなかった。



 ……暴発したら危ないから、エマは銃器を持たなくてもいいよ。僕が銃器を携行しているから、何かがあったら守ってあげるね。



 こう、のほほんとカイムに言われてしまったのだ。エマとカイムの立場上、何か納得し辛い論理だが、彼女は異議を唱える程我を通せなかった。


 けれども、エマが玄関口で猟犬から気軽に銃を受け取れるだけの、自由さと緩さは館内に満ちていて、ペンを貸して並に、銃武器類が横行しているという現実。


 一人のすらりとした女性が、公園に入って来る。館の関係者は皆背が高く、兵士故に体格が良い方が多かった。彼女も百七十五センチ近くはあるのが、遠くからでも分かる。


「……エルヴィラ」


「エマ、遅れてごめん」


 エマは立ち上がり、エルヴィラに抱き付いた。エマは彼女と身長が十分センチ以上違う。エマは百六十五センチあるか無いかしかないので、年の離れた姉妹のようになってしまうのだ。


「私、カイムが望むエマになれなかった。今までの何もかも駄目にしてしまったのかもしれない」


「何をそんなに怯えているの? カイム様はエマの何。あれ程大切に思っていたのに、すれ違いが起きただけで、終わってしまうものなの」


「私は、カイムを大切に思って来た。でも、エルヴィラに言われて初めて気付いた。きっと常に怯えがあったのよ。嫌われたら見捨てられるんじゃないかって」


「そんな、どうして。あんなに仲がよかったのに」


「自分でも分からない。でも、私にとってカイムは遠い人だって分かったの」


「エマ、あなたは今ひどく混乱している。その想いだってきっと事実じゃない。カイム様はエマに対して、それ程一線を引く人だった? よく思い出してみなさい。喧嘩しても赦し合う事が、出来ない二人なの?」


「多分、喧嘩じゃない。私が一方的に感情をぶつけただけ」


「それでもいいのよ。喧嘩は喧嘩。それに、たまには言いたい事言わないと、こうやって爆発しちゃうわよ」


 エマは涙を拭ってくすりと笑った。


「ありがとう。少しすっきりした」


「いつでも胸を貸してあげるから、どんどん泣きついて来なさい」


「それじゃあエルヴィラに頭が上がらなくなっちゃう」


 エマが落ち着くと、二人はベンチに座った。


「カイムが、私に自由になりなさいって言ったの」


「それって……」


「分かってる。カイムは私が猟犬になってほしくないってこと」


 エルヴィラは無言で、そっと夜空を見上げると、しばらくそうして眺め続けた。何か決心したように頷くとエマへ優しく笑ってみせる。そうして、エマの手を取ってポンポンと柔く叩く。


「……カイム様はそれだけエマを大事に思ってるという事よ。猟犬になるって言う事は――そうね、何て言っていいのか……、ステルスハウンドに命を差し出すってことなんだから。大切な人なら尚更、そんなものにはなってほしくないのよ」エルヴィラは薄闇の中、何故か涙ぐんでいるように見えた。


「でも、私は双生児を殺す為なら命だって捧げられる。ステルスハウンドで生まれたんだから、それは皆と同じ。違いなんてないはず。それなのにカイムは分かっていてそれを……」


「違う生き方もあるって、仰っしゃりたかったんじゃないのかな。エマが言うように生粋のステルスハウンド生まれだから。当たり前のように猟犬になるって考え方をしてほしくなかったのよ」


「それでも一緒に生きようって言ってほしかった。カイムには死ぬ時は猟犬として死ぬのだと、微笑んでほしかった」


「そんな悲しいこと言わないで。エマにそんな事を言ってほしいだなんて、皆は一度も思ったことない。たとえエマが猟犬じゃないとしても仲間は仲間よ」


「本当に仲間でいられるのかしら……お願い、コニエルに会わせて。彼は何かを知っているはず。あの日、私が居ない間に、館で何が起こったのか」


「分かった、彼に会いに行きましょう。くだらない事だったら、笑ってすませましょうね」


 エマが泣き笑いをすると、エルヴィラも吹き出してしまった。それでもエルヴィラの瞳が、何故か寂しそうに、夜空の星を追い掛けていることに、エマは気付いていた。



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