71 オイルランタン ルイスside
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時は少し遡る。
ルイスとドルフはある人物に会いに行くことになった。
相手はハドリー・クレープミルトル。
ヴェネッサの執事であり、彼女が幼い頃から仕えており、彼女が嫁いでからは実家の領地に引っ込んだきり、消息は不明。
ヴェネッサの所業を告発したと言われている人でもあるが、詳しい事は不明となっている。
ちなみに、情報の提供主は以前、二人を助けた銀髪褐色の異国の青年、マルシアルだ。
「身分はクレープミルトル侯爵家の三男で、結婚はしていないらしい。死亡届も出してはいないから、多分まだ生きてはいる筈だ。年齢は四十代だな」
「なるほどな。おれ以上の生き証人だ。……おれが同行する意味あるか?」
「お前、あの人外と貴族しかいない空間で、一人でいれるの?」
「は?」
「あの魔女っぽい人はマジの魔女だし、その夫の剣士の男も半分いや七割人間をやめている。子供二人は貴族だし、滞在してる異国の男は魔族だ」
「マジか……」
「あとは、お前を一人にしておいて、隙を突かれて殺されたりするわけにもいかない。この後、俺の知り合いに保護させる」
「保護って……」
「自由はないが、寝食には困らないから良いだろう?」
「まあ、それなら……」
そうなると、ドルフに拒否権は無かった。
二人は、西南区の奥の住宅街に向かう。
南西区は北西区よりもリーズナブルなタウンハウスが立ち並ぶ区画であり、裕福な平民や少々財政が厳しい貴族の邸宅となっている。
しかしそれも、西の大通りに近ければ近いほど上等なものとなり、奥に行けばその価値が低くなる。
ちなみに、南の大通り沿いには貴族向けの高級店が並んでおり、そういった店のお抱えの工場などもあったりする。
その南西区の奥には、行き場を無くした者達が住まう、集合住宅がある。
平民向けというよりは、処遇に困った貴族・元貴族などが、家族親族の支援の元暮らしている場所だ。
一応、コンシェルジュや必要な時に生活を助けてくれるハウスメイドなども在中しているので、生活には困らないという。
なので治安はとても良いという。
その筈なのに灰色の石造りだからか、どことなく陰鬱な雰囲気が漂っている建物がそこに聳え立っていた。
「ここにそのハドリーがいるのか? 領地でなく?」
「領地は代替わりしてな。穀潰しな上、厄ネタ抱えてる家族は近くにいて欲しくないのさ。彼自身は何もしていないが、仕えた主人が悪すぎた」
「へぇ……」
ドルフは微妙な顔をした。何か思う事がある様だ。
二人はアパートメント内に進む。
建物は五階建てで、部屋数が多い上、似たような建物が三棟並んでいる。
その真ん中の棟の三階に、目的の人物は住んでいるらしい。
なお、昇降機もついているので、高齢者も安心して生活ができる。
建物の構造は中央にエレベーターが設置されており、その左右に部屋があるというデザインだ。
階段はエレベーターから少し離れた隣に設置されている。
エレベーターに乗り慣れていない二人は、階段で三階まで上がった。
目的の部屋の前で、二人は立ち止まる。
ルイスがチャイムを鳴らすが、返事はない。
「あれ?」
「出掛けてるんじゃないか?」
「そんなはずはない。アポはちゃんと取ってある。ハドリーさーん。いませんかー? お約束していた、ルイス・タンジーで〜す!」
ルイスは少し強めにドアをノックして声をかける。
しかし、応答はない。
「──何かあったのか?」
ルイスがドアノブを捻ると──開いた。
「えー、不用心〜」
「いや、絶対に何かあっただろう!?」
「だろうな! ハドリーさん!!」
ルイスは達は、玄関を開け、中に押入る。
部屋は寝室とリビング。それに水回りと生活には困らないだろうが、貴族が住むには少々手狭な広さだった。
「!?」
そして、そのリビングにハドリーは居た。
だが、状況が異常だった。
ダイニングテーブル用らしき椅子に座らされ、椅子と一緒に黒い縄で拘束されていた。
そしてらその傍らには、目も口も鼻もない人の形をした黒い何か。
「うっ……」
どうやらハドリーの息はあるらしい。
「闇の精霊、か?」
「精霊!?」
ルイスは右手の手袋を取り、右腕の義手を起動させる。
『……』
黒い人形はルイス達の姿を認めると、両手を鎌のように変形させて襲いかかってきた。
ルイスは義手の爪部分に設置されている魔力石を発動させ、光の刃を作り出して応戦する。
しかし、このままではもう片方の鎌を防ぎぎる事はできない。
「──チィッ!」
魔力を操作し、右手義手の前腕部の内側を開ける。そこから義手と同素材の筒のようなものが現れる。
ルイスはそれを引き抜き、もう片方の鎌に応戦。
筒からは青白い光の刃が発せられ、鎌ごと人形を切り裂いた。
『──っ』
それに慄いたのか、その闇の精霊はその場から溶けるようにして消えた。
「……はあっ」
ルイスは息を吐いて、右腕の義手に筒を戻した。
「お前、本当はつえーんだな」
「……いや、そこまで強くない。戦闘は苦手だ」
その時、ドサっという音がした。
顔を上げると、ハドリーが椅子から落ちていた。彼を拘束していた黒い縄も消えている。
「ハドリーさん、大丈夫ですか!?」
「は、はい。大丈夫、です……」
二人はハドリーを助け起こして、ソファーに座らせる。そして、話を聞いた。
「何があったんです?」
「いえ、それが、あなた方を迎える準備をしておりましたら、インターホンが鳴りまして、出てみたらあの黒いヤツが……」
ハドリーは四十代前半だが、どこか疲れ切っており実年齢よりも老けて見える。
「アレは。ヴェネ──」
「その名を言わない方がいいでしょう」
「え?」
「闇の精霊はおとなしくて臆病で争いは好みませんが、主人には忠実です。それに闇や影のある場所に潜むことができますし移動することができます。この会話もおそらく聞かれているでしょう……」
「……そこまで、ですか?」
「ええ。あの方が契約している精霊は、王でこそありませんがそれに匹敵するほどの精霊です。本気を出せば、ただの人間など簡単に亡き者にできるでしょう」
「貴方は、とても良く事情を知っているみたいですね。それならますます、生きていてもらわなければ困ります」
「──いいえ。これらの知識は引退した後に得たものです。もし、もっと早く知っていれば……」
「……そうでしたか」
その時、『ピピピ』と機械音が響いた。
「ちょっと失礼。──あ、マルシアルか? 目的の人物、確保したんですけど……」
音は魔術道具の通信機だったようだ。
ルイスはその場で左手首につけたブレスレット型の通信魔道具で、連絡してきた相手と話している。
これはドルフにもつけられていた。
「え? 建物の外に? しかし、闇の精霊に襲われていまして……。え? 外に出ないと転送できない? 仕方ないですね……」
ルイスは通信を切ると、ハドリーに向き直る。
「これから貴方を保護します。ですが、そのためには一度外に出る必要があります。 その後、安全な場所に転送しますので、これをつけてください。転送するときの目印になります」
ルイスとドルフがつけているブレスレット型通信機をと同じ物を、ハドリーにも渡す。
チェーンとプレートで構成された、男性向けのアクセサリーの様な見た目だ。
「わかりました」
ハドリーはそれを腕につけ、部屋を出る準備をする。
と言っても外出用のコートを着ただけだが。
それから用心しながら慎重に玄関のドアを開ける。
「これは、いるな……」
「や、やべぇ、魔力の少ないおれにも分かる……!」
「それなら、気休めにしかならないと思いますが……」
玄関を閉め、ハドリーはあるものを持ってくる。
「これ、ランタンですよね?」
「この国では珍しくなった、火を使うオイルランタンですね」
「これで闇の精霊を?」
「火の光と熱は、闇の精霊の核である光の吸収と暗闇の維持を妨げ、存在を不安定にさせます。闇は冷たく静的なエネルギーであり、火の熱は闇の精霊の体の構造を歪ませ、保てなくするのです」
「それで、オイルランタン、ですか……」
目の前には、オイルランタンが三つある。
「あくまで気休めですがね。幸い、この建物は石造り。たとえオイルランタンを叩きつけたとしても、火事になることはないでしょう。防災設備もしっかりしていますし」
ハドリーは手際良くオイルランタンの準備をして、それぞれに火をつける。
オイルが燃焼される独特の匂いがし、本物の火が温かな明かりを灯す。
「さて行きましょう。いざとなったら、迷わずランタンを叩きつけてください」
「わかりました。ドルフはハドリーさんを気に掛けててくれ。俺は周りを警戒する」
「お、おう」
三人はハドリーの部屋を出る。
共有通路や階段は、二人が来た時よりも闇が濃くなっている様な気がする。
三人は警戒しつつ、歩き出す。
先に進むたびに、周りの影や闇がゆらゆらと揺れる。
明らかに、自然に出来た影の動きではない。
三人が持っているオイルランタンの影響か、まだ手は出しては来ない。
階段に差し掛かる。
階段下はさらに暗い。
「えーと、昇降機もありますけど……」
と、ドルフ。
「いや、それだと逃げ場がない。階段の方がいいだろう」
「まあ、そうだな」
「あと、俺が苦手だからな!」
「お前の好みかよ!!」
そんなことを言い合いつつ、階段を下る。
時折闇が手を伸ばしてくるが、オイルランタンを向けるとその手を引っ込める。
そしてなんとか二階に降りることができた。
しかし、ここで闇の獣が三人に襲いかかってくる。
以前、北東区でルイスとドルフを襲った、異形の着ぐるみのような化け物だ。
鉤爪が三人に迫る。
「クソッ!」
ルイスはオイルランタンを振り回すが、それだけでは追い払う事はできない。
「ランタンを叩きつけてください!!」
ハドリーが叫ぶ。
「仕方ない!」
ルイスはオイルランタンを、闇の化物に叩きつけた。
『ゴッ!?』
オイルランタンは壊れ、化物にまとわりつく様に炎が上がる。
「今のうちに!」
三人は階段を降りようとするが、その下はさらに深い闇。
オイルランタンくらいでは、対処できないだろう。
そして、反対方向からも同じ様な化け物が迫る。
階段を降りている暇はない。
「エレベーターへ!」
ハドリーの声で、一同はエレベーターに乗り込んだ。
エレベーター内は明るく、闇の精霊の気配もない。
「おそらく、一階に着くと、また闇の精霊に襲われるでしょう。その時は俺が囮になるので、二人はなんとしても外に出てください。マルシアルが我々を捕捉できれば、転送してくれます」
「しかし、貴方は……」
「この中で、闇の精霊相手に戦えそうな人!」
それに手を挙げるのは、ルイスだけ。
ドルフは平民の一般人。喧嘩も強くはない。
ハドリーは貴族の出だが魔法も剣術も適性はなかった。王族の従者であったため、暗器術は極めたが、十年以上も訓練を怠っており、体力も衰えた。そもそも暗器がない。
「というわけです。まあ、俺も戦いが得意ってわけではないですが、この腕でどうにかします」
ルイスは自分の右腕を見せる。
青味がかった銀色の義手。手の平や爪にあたる部分には、青銅色の特殊な魔力石が嵌められている。
素人目にも、普通の義手ではないことがわかる。
いつもしている手袋は、どこかに行ってしまった。
「君、それはまさか、古代の──」
その時『チンッ』と音が鳴って、エレベーターが一階に着いた。
「ランプを一つ貰います。さあ、二人とも扉が空いたら、外に向かって一目散に走ってください」
扉が開く。
目の前にあの化け物がいたので、二個目のオイルランプをぶつけて怯んだ隙にその脇を抜ける。
残ったランプで辺りを照らしつつ、三人は走る。
闇がハドリーの腕を掴む。
ルイスは右腕の義手を発動させ、ハドリーを掴んでいる闇を殴る。
手応えがある。
魔力で殴ると、闇にもダメージを与えられるらしい。
化け物が、後ろに迫る。
走りながら最後のランプを投げ付けるが躱され、火が燃え広がる事なく、近くの闇に飲み込まれた。
なんとか外に出る。
陽の光が、目に染みる。
太陽は頂点にある。まだ昼時だった事を三人は思い出す。
背後から闇の化け物が迫る。
体力の落ちたハドリーでは、追いつかれそうだ。
ルイスは立ち止まり、振り返る。
ドルフの目の前に、転移の魔法陣が展開される。
なんとかその中に入り、そこでドルフは振り返る。
「ルイス!」
ルイスは離れた場所で、化け物と対峙していた。
「ドルフ、ハドリーさんを頼んだ!」
ハドリーも転送の魔法陣の中に入る。
「マルシアル、そのまま二人を転送してくれ!」
『……わかった』
腕の通信機越しに、マルシアルが答える。
転移の法人が発動した瞬間、ルイスは化物に殴りかかった。
それが二人が最後に見た、彼の姿だった。




