66 崩壊の始まり ヴェネッサside
時系列は、街でシンシアにちょっかいかけた後です。
直接の描写はないですが、女性が酷い目に遭う話が出てきます。お気をつけて。
◆◆◆
時は少し遡る。
市井でやらかした後、ヴェネッサは最愛の兄王に呼び出された。
叱られる事はわかっていたが、兄に会えるのでその心は踊っていた。
「ヴェネッサ、君に客が来ている」
久しぶりに聴いた兄王の声は、何の感情も込められておらず、表情も真顔のままだった。
場所は謁見の間。
兄妹が、穏やかに語り合う様な部屋では無い。
その場には、通常よりも多くの騎士が置かれているが、見たいものしか見ないヴェネッサは気付かない。
「お客様、ですか?」
それでもヴェネッサは、兄に少しでも可愛く思われるよう、愛してもらえるように振る舞う。
首の角度、少し潤んだ瞳は計算付くだ。ヴェネッサは見た目も可愛らしいので、何も知らない人間なら騙される人間もいるかもしれない。
その年齢が、あと十歳ほど若ければ。
身支度も、ドレス選びもいつも以上に時間をかけた。
執事のデックスには文句を言われたが、彼がイライラしているのはいつものことだ。
「お久しぶりですね、ヴェネッサ第十七妃殿下。いえ、ついさっきぶりですかね?」
「あ……、貴方は……」
銀の髪に青い瞳、褐色の肌を持つ美しい男性。
異国の正装をしている彼は、カッライス王国の第六王子、マルシアル・コマドレッハ・カッライスだった。
「いつまで経っても戻って来ないので、心配して迎えに来ましたよ」
顔はにこやかに笑ってはいるが、形だけだ。
これは、ヴェネッサのカッライス王国での所業が、バレたに違いない。
「エメリナ妃は、貴方の策略の通り、死罪となりました。国王陛下は泣く泣く、刑を執行したそうです。全く酷い事をしますよね。何の咎もない女性を複数の男性に襲わせるなんて……」
「……」
ヴェネッサは、震えて言い訳すらできない。
「ふむ。マルシアル殿下。情けない話ですが、我々はカッライス王国で何があったのか聞いていないのです、
妹はある日いきなり帰ってきて、離縁が成立したのでこちらに戻ってきたの一点張りで、詳しい説明はしてくれませんでした。
カッライス王国に謝罪と説明を求める直接手紙を送ろうとしましても、何故か邪魔が入ってなかなか送ることができませんでした。
恥を忍んでお聞きします。何があったのかお教えいただきたい」
そう言って兄王は頭を下げる。
「お、お兄様──!?」
「フィランダー陛下、頭をあげてください。
もちろん、そのつもりでこちらも参りました。こちらも分かってはいたのですが、これまでは前国王陛下と闇の精霊の力が強く、なかなか手が出さなかったのです。
しかしこの度、その力が弱まり、ご協力できるようになったので、伺った次第です」
「闇の精霊、ですか?」
「クリムソン王国はカッライス王国とは正反対の国。精霊と契約できるんて、想像もできないでしょう……」
◇
カッライス王国には今どき珍しいく、ハーレムを持つ国だ。
尤も、ハーレムを持つことができるのは国王だけであり、持たない選択もできる。
そして現国王は過去の内乱によって弱まった国内外の繋がりを強固にし、まとめる為にハーレムを持つ選択をした。
ハーレムの人数は三十人ほど。
ヴェネッサはその中で十七番目の妃となった。
しかし嫁いだ当時、国王には最愛の正妃がおり、その間には既に六人の子供がいた。
初夜も、月に一〜二回のお渡りもあったが、ヴェネッサが子供を身籠ることは無かった。
そういった妃は他にもいたので気にはならなかったが、何も得るものもない十年間をヴェネッサは過ごした。
その間、彼女が自国で傷つけた相手を思い出す事も、詫びることもなかった。
そして嫁いで十一年目。
正妃が病で亡くなった。
同時期にハーレムに入ったのが、エメリナという若くて美しい女性だった。
下級貴族の出身で家計を助ける為に侍女としてハーレムに入ったが、国王の目に止まり側妃となった。
そしてどことなく亡き正妃に似た雰囲気のエメリナに、王は寵愛を注ぐようになった。
すでに王太子も決まっており、王位争いもない事と、正妃が亡くなった頃に比べると国王が気力を取り戻した為、特に咎められる事はなかった。
しかしそこで、ヴェネッサは昔のように『愛の試練』を試したくなった。
契約している闇の精霊を使って、この国の裏ギルドに接触。
自国でしていたように男を手配してもらい、エメリナ妃が一人になった瞬間、闇の精霊を使って誘拐し男達への生贄とした。
今回は薬を準備できなかったのと、カッライス王国が精霊と親和性の高い国だったので数日で帰したが、妊娠初期だったエメリナは無理矢理の行為とストレスで、流産。
カッライス王国には、どういった理由があっても、王の妻が他の男と不貞を行った場合は死罪という法律があったため、エメリナは死罪が決定してしまった。
これは大昔、托卵で国を乗っ取ろうとした邪悪な正妃がいた為に定められた法律であり、それがたとえ無理矢理であっても適応されてしまう、忌むべき法律だ。
正妃を亡くした傷をエメリナ妃で癒していた国王は、あまりの事態に今度こそ心を壊した。
そして急遽、王太子が王位を継ぎ、事態を引き継いだ。
前国王のハーレムは解体され、実行犯は拷問の後、処刑が決定した。
しかし、彼らだけでは反抗は不可能なので、調査は続けられる事になる。
焦ったヴェネッサはその混乱に乗じ、離縁を申し出て帰国した。
そして、現在に至る──。
◇
「今回の事件はヴェネッサ第十七妃の関与が確認されましたので、お迎えにあがった次第です。手紙のやり取りが出来なかったのも、闇の精霊の妨害ですね」
マルシアルとフィランダーはあえて、闇の精霊のせいということにして会話している。
カッライス王国とのやり取りに邪魔が入ったのは、前国王の影響もあったのだが、それは今回はあえて話題には挙げていない。
前国王の権力が弱まったとはいえ、今この時も前国王の手の者が聞き耳を立てている可能性があるからだ。
今、邪魔をされると色々と面倒な事になる。
「なんという事を……」
兄王は頭を抱えた。
「お、お兄様、違うのです……。私は、何も……」
「お前は、十六年前と同じ事をしたのか?」
ヴェネッサの喉がヒュッっと嫌な音を立てる。
最愛の兄は、ヴェネッサの所業を知っている。
「だからあの時、私は父に正当な罰を課すように提言したのだ……」
「──っ」
「フィランダー陛下。ヴェネッサ様をお連れしても?」
「もちろんです。相応しい罰をお与えください」
「ええ。もしよろしければ、希望者を募って我が国に旅行のツアーを──」
ヴェネッサには既に二人の会話は耳に入らない。
(どうすればいいの? ワタクシは悪くないのに! でも、あいつの言葉を信じているお兄様を今すぐ説得するのは不可能。何とか撤退して体勢を立て直さなければ!!)
その時、微かな鈴の音が聞こえた。
足元を見れば、黒猫ヴェネッサを見上げていた。
赤い首輪をつけた、黒猫の姿をしている彼女の闇の精霊だ。
(……ああ、そうだ)
ヴェネッサは黒猫を抱き上げ、そして叫ぶ。
「ワタクシを逃しなさい、タッカ!!」
「ヴェネッサ!?」
「精霊除けを掻い潜ってきたのですか!?」
そんな声を背に、ヴェネッサの姿は闇に包まれて消えた。
◇
「ああ、なんて忌々しい! いずれあの男の事も殺してやるわ!!」
亜空間に広がる彼女だけの箱庭で、ヴェネッサはマルシアルに対しての悪態をつく。
「しかしどうしたら……。ああ、こんな時こそスターアイズに頼るべきね! 今までも助けてあげていたのだから!」
ヴェネッサは出口をスターアイズ公爵家のタウンハウスに庭に設定した。
「ヴェネッサ殿下だ! 捕えろ!!」
「な!?」
外に出た瞬間、待ち構えていた騎士達に囲まれた。
スターアイズ公爵の姿は、無かった。
ヴェネッサは再び亜空間に逃げ込んだ。
「スターアイズ、どうして……」
スターアイズ公爵は、既にヴェネッサを見限っていたらしい。
既にこの国にヴェネッサの味方はいないようだ。
「ヴェネッサ殿下? どうしたのです?」
そこへ声が掛かる。
「デックス!? いたのね!!」
「貴女がここで待機するように言ったのでしょうが! 一応、食材やら日用品やら魔力石やらも数日分は用意してありますよ? ちまちま使えば一ヶ月は保つかもしれないですね!」
「あ、ああ。そう、よくやったわ……」
ヴェネッサは表向きには、王宮の敷地内から出ることは禁じられている。
だが、密かに抜け出し、散財をする事が、ここ最近の趣味だった。
自身に当てられた予算はすぐに使い切ってしまうので、主にスターアイズ公爵の金を使って。
しかし今回の事でそれが今後、難しくなると考えたヴェネッサは、箱庭で外出気分を味わう為、適当に一ヶ月ほどの食料や日用品の準備をデックスに任せていたのだ。
亜空間の中では、物の時間は止まる。つまり腐敗も発酵もしないので、どんな物でも置いておける。
まさか、それが籠城する為の準備になるとは、思ってもみなかったが。
「そうだわ! どうせなら、これからは好きな物に囲まれて暮らしたいわ!! あと邪魔な人たちは殺してしまいましょう!! もう我慢なんてしない!! きっとこれからもっと楽しくなるわぁ!! それでほとぼりが冷めた頃にお兄様を説得すればいいのよ〜!!」
そう宣言して、ヴェネッサはキャハハと笑い出した。
約一ヶ月分の兵糧などでは、ほとぼりが覚めることはないが、都合の良い夢の中で生きているヴェネッサには、そんな考えは浮かばなかった。
ここから、シンシアとルイスのエピソードに繋がります。




