65 死線 ルイスside
◆◆◆
時は少し遡る。
シンシアとアンディが図書館に向かう予定を立てていた頃、ルイスは北東区のとある場所に来ていた。
北東区は北の大通り沿いには、神殿や治医療総合院、植物園などがあり、東の大通り沿いには冒険者向けの店や施設が立ち並んでいる。一方で、それを奥に行くと魔法・魔術横丁や、いかがわしい店が立ち並ぶ場所に出る。
そしてそのまた奥に入ると、非合法なことも横行する、貧困層向けの宿や店がある。所謂、ドヤ街だ。
そこに目的の人物はいた。
「あんたが、ドルフ?」
「は?」
朝からやっているその安酒場で、その男は酒を飲んでいた。
赤い逆立った髪と、目つきの悪い三白眼。
その見た目の特徴から、レスターが見つけ出した相手だと分かった。
「ちょっと、話を聞かせて貰いたいんだけど?」
「……誰だ? おれには話す事は何もないが?」
意外にも酩酊はしていない。
これなら、話は十分通じるだろう。
「十六年前の──」
ルイスが最後まで言い終わる前に、男はテーブルをひっ繰り返す。
「うわ!? ああ、ちょっと!?」
ルイスは男を追おうとするが、店主に呼び止められる。
「お題は?」
「は? オレが飲んだわけじゃ……」
有無を言わせないスキンヘッド筋肉ムキムキの店主の威圧。
「〜〜釣りはいらねーぜ!」
ルイスはなけなしの銀貨を叩きつけると、男を追った。
決して、ルイスが折れたわけではない。
説得している時間が惜しかっただけである。
ちなみに、この銀貨はルイスの今月の食費だ。
「おい、待てって!」
「──っ!?」
ルイスが追いかけてきたので、男は走るスピードを上げる。
「おーい!」
「〜〜うぐっ!?」
しかし、逃走劇は男の不調で、呆気なく幕を閉じる。
安い酒は飲みやすく、アルコール度数が高いので、気軽に酔える。
それを飲んですぐに走りれば、まあ、お察しの通りである。
「あ〜らら……」
男は胃の内容物(ほぼ酒)を、某魚の下半身を持ったライオンの噴水像の様に噴射し、気を失った。
「うへぇ〜。これオレが介抱しないとまずいよねぇ……」
ルイスは仕方なく男に肩を貸し、近くの医療院へと運んだ。
その様子を毛並みの良い黒猫が、じっと見ていた。
◇
「はぁ〜、アンッタラ朝っぱらから、酒臭いよっ!!」
その医療院の女性医療師は、絶妙な巻き舌でルイスたちに文句を言う。
ただ、診療の腕前は確かで二人に清潔の魔法をかけつつ、男の酒精も抜いた。
「いや、オレは酒飲んでないんだけど……」
(つーかこの医療師、めちゃくちゃ腕がいい。清潔の魔法は使えるし、酒を抜いた魔法は解毒魔法の応用だ。それが何で治療師ではなく、医療師なんかやってんだ? これおそらく、治癒魔法も使えるだろう?)
思わず医療師の当たりを引いたルイスだが、それよりも今は男の安否だ。
「目が覚めれば、大丈夫だ。さっさと出てってくれんかね!!」
医療師はプンスコ起こりながら、病室を後にした。
まだ診察時間が始まって間もないのに、すでに多くの患者が来院しているので、本当に腕は良いらしい。
ルイスは男が寝ているベッドの横で、椅子に座っている。
(さて、困ったな)
ルイスはため息を吐く。
(診察料、足りるかしら?)
ルイスは懐がさらに寒くなる予感に震えた。
◇
「う……」
それから一時間ほどで男は目を覚ました。
「おはようさん。って、もう昼だがな」
「──!」
起きあがろうとする男をルイスが静止する。
「慌てんなって。水でも飲むか?」
ルイスはベッドサイドに置かれているカラフェのグラスを取り、水を注ぐ。
「……お前、何が目的だ?」
男は、ルイスを睨みつける。
「別にアンタをどうにかするつもりはない。ただ、証拠が欲しい」
「証拠?」
「ああ、アンタらの組織に無茶を依頼したのが、この国のお姫様だっていう、確固たる証拠がな」
「……」
「今までは、前国王陛下の力が強くって、まともな調査すらままならなかったが、最近それも緩和されてきたんだ」
ルイスの言葉に男は最近、前国王が体調不良を理由に、地方の離宮に移ったという話を思い出した。
そしてルイスの瞳に宿る青い炎を見て、ため息をついた。
それは、復讐を誓う男の目だった。
そして、男──、ドルフはルイスの手からグラスを受け取とると、一気に飲み干した。
「飯を奢れ」
「え゛?」
「なんだ? 文句があるのか?」
「い、いや、今月ピンチなんだよな〜。ここの診察台払ったら、オレすっからかんだぜ?」
「お前……」
「コリャッ!! 治ったんなら、さっさとでてけや!!」
そして、医療師に追い出された。
診察代はしっかり取られた。
何とか持ち合わせで間に合ったが、ルイスはすっからかんになった。
その後、二人はとある飯屋に入る。
「まさか、おれの方が奢る事になるとは……」
「酒代もこっちが払ったんだから、いいじゃねーか! 診察代もオレが払ったぞ!!」
低所得者向けの飯屋だが、モツのトマト煮が絶品らしく、たまにお忍びで貴族が来る事があるらしい。
その店の半個室に案内され、注文を済ませる。
メニューは一番人気のモツのトマト煮とバケット。それにエール。
まだお昼時間には早いからか、注文した品はすぐに来た。
まずは腹を満たし、心にも余裕を持たせる事にする。
モツ煮も絶品だった。
そうして、腹が満たされると本題。
「それで? 何が聞きたい?」
「知っていることを全部」
ルイスはクラバットにつけているピンに手を翳した。
「言っとくが、当時おれは孤児院からいきなり連れ出されて、無理矢理ブラックビークに入らされた。そして誰もやらねぇ書類整理ばかりしていた。文字の読み書きができて、多少計算ができたからな。だから、事件自体には関わっていない」
「わかってるって。実家は商家だったんだろ? 爺さんの頃までは栄えていたが、親父さんが壊滅的に商売が下手で結局、破産した。その結果、あんたは孤児院行き。文字の読み書きや計算ができたのは、そのお陰だな」
「……お見通しか。それならついて来い」
ドルフはエールを飲み干すと、二人分の代金をテーブルの置いて席を立つ。
ルイスもそれに続く。
◇
二人が向かったのは、魔法・魔術横丁の奥まった場所にある廃墟──。
「ここは?」
「おれの店」
ではなく、ドルフの経営する店だった。
「酒場だよな? なのに何で、別の酒場で酒飲んでたんだ?」
「つまみが無いならな。おれの店は先月締めた。家賃は支払い済みだから、あと一ヶ月は住んでいられる」
「な、なるほど……」
元ドルフの店だった。
店内に案内され、カウンター席に案内される。
中は意外とちゃんとしていた。
「……『ブラックビーク』は、クソみたいな組織でな。金のたに、非合法な事ばかりやってやがった。
おれは奉公先が決まってたのに、孤児院から無理矢理連れてこられて、帳簿なんて付けさせられた。何処かに提出する訳でもねーのに。
リーダーが、金にうるさくて、ケチくさいヤツだったんだ」
ドルフはカウンター内に入っていくと、何かをゴソゴソしだした。
「これを」
そしてルイスに手渡してきたのは、古びた大きな封筒。閉じ紐がついている。
丁度、書類を折らずに入れられるサイズだ。
「これは?」
「当時の依頼書と帳簿。王宮から入金の記録がある」
「な!?」
ルイスは急いで封筒の中身を確認する。
中身は帳簿に王宮の印のある依頼書、それに請求書など。
そのどれもがヴェネッサの関与を示す物だった。
「ギルドの連中が捕まった時に、処分する様にリーダーに言われたが……。取っておいて正解だったな」
裏ギルドに依頼をするのに、全く隠す気がない。
いや、逆に偽装っぽくなるのか? とルイスは思った。
ヴェネッサの頭の出来については、よく分からない。
学園での成績は上位ではあったが。
「おれが直接やり取りをしたわけじゃないが、あのお姫さん、自ら裏ギルドの事務所に来たらしいぜ? そんで前金積んで、依頼してその場で消えたってんで、少し騒ぎになった。まあ、その後はお姫さんが対象者を攫ってきて、事件の通りって訳だ。後金は受け取る前に、全員捕まったが」
「ありがとう、これでなんとかなるかもしれない」
ルイスは書類を封筒に戻し、クラバットピンの中に仕舞う。
「それ、魔術道具か?」
「ああ。十六年前の事件が原因で死んだ、オレの婚約者が最後にくれたものだ」
深緑色の石の付いたクラバットピンは、録画録音ができる上、ある程度の物を収納できる亜空間収納の機能まで有している、高性能な魔術動具だ。
結果的に、婚約者の形見となってしまった。
「そう、か……。まあ、飲めよ」
店は閉めたらしいが、店内には酒がまだ残っている。
その中の一つの封を開け、グラスに注いでルイスの目の前に置いた。
「おう。ありが──」
ルイスは、グラスの酒が不自然に揺れていることに気づく。
それは次第に大きな揺れとなり、次第に建物全体が揺れ始める。
「──ドルフ、伏せろ!!」
「なっ!?」
ルイスの言葉と同時に、何かが店に突っ込んできた。
「な、なんだ!?」
「こいつは──」
それは、巨大な何かの頭だった。
第一印象は、猫を奇妙にデフォルメしたような巨大な着ぐるみ。
しかしの表面はドロドロと溶け続け、床に落ちる闇の中に落ちてゆく。
嫌悪感が湧く様なデザインをしていた。
『ギャ……、ギャギャ……』
そしてそれは、軋んだドアのような鳴き声を上げながら、ルイス達に襲いかかってきた。
「クッソ!」
ルイスは右手の手袋を外すと、手の平を化け物に向ける。
手袋の下の手は人の物ではなかった。
手の平や甲、爪部分には煌めく緑青色の魔力石が埋められており、本体部分は薄水色で金属的。
「〝雷霆〟!」
ルイスの手の平の魔力石から、光の一閃が射撃され、化け物を貫く。
化け物の体が一部蒸発し、残った部分はドロドロと溶けて、闇の中に落ち込んでいく。
だが、すぐに再生が始まった。
「お、おい、逃げるぞ!」
「あ、ああ」
ルイスは呆然とするドルフを、カウンター内から引っ張り出すと、裏口から店の外に出る。
時刻は昼過ぎ。
まだ明るいというのに、バケモノは構わずルイス達を追いかける。
ルイスとドルフはそれを人々を避けつつ、逃げる。
「さっきのなんだ!?」
「知らない化け物だ!!」
「違う! お前、の右手!!」
「そっち!? オレの右手は特殊な義手なの!!」
「なら、何とかできるだろ!?」
「無理。最大出力でさっき撃っちゃったから、魔力回復するまでは無理!!」
「はあ!?」
「いや、オレが戦闘向きに見える?」
「……ちくしょう! 全く見えねぇ!!」
そんな風に走りながら喋っていると、いつの間にか袋小路に迷い込んでいた。
完全に会話に気を取られていたせいだ。
「はぁ〜? 有り得なくねぇ〜?」
「くそ、ここまでか……」
化け物は、いつの間にかすぐ背後にいた。
その牙と爪が二人に届くといったところで、二人は光に包まれて、その姿が消える。
『!?』
化け物の爪は宙を切る。
辺りを見回すが、彼らの姿はない。
『……』
そして獲物を見失ったバケモノは、闇に溶けて消えた。
◇
「は?」
「え?」
二人はいつの間にか、異国情緒溢れる部屋にいた。
「ようこそ、お二人さん」
「!」
「!?」
目の前には異国の服を着た、褐色銀髪の美しい青年。
「私はマルシアル。カッライス王国から来ました。お二人に少々お願いしたいことがあるのですが……、よろしいですか?」
「へえ?」
「はあ?」
ニッコリと含みアリアリの笑顔でそう言われた。
断る勇気と気力と体力は、二人には残されてはいなかった。




