16 僕の天使 ショーンside
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ショーンは、レオパルドプランタシア子爵の次男として生まれた。
家族は両親と三歳年上の兄ローマン。
領地は王都から北東方向にある、辺境付近の土地。
貴族としての歴史は浅く、腕利の魔動具職人であった彼の祖父が、大昔にこの国を救った神々の遺産を修復したことにより爵位を賜ったのだった。
一族には分析の特異魔法を発現する者が多く、彼の父や兄、そして彼自身にもその特異魔法は発現していた。
先祖代々、職人気質な一族であった。
レオパルドプランタ子爵領を任されたのは、この地の開発と調査の為であったが、祖父の代では元々平民で魔動具職人でしかなかった為、貴族としての振る舞いと慣れない領地運営に奔走し、それだけで祖父の代は終わった。
父の代では祖父の培った物を元に、領地運営はうまく行っていた。途中までは。
だが、ショーンが十六歳の頃。領地は未曾有の災害に襲われた。
原因は、大雨による領地の中央にある湖の氾濫、と当時はされていた。
湖の水が溢れ、それが地下水を圧迫。領地の至る所で水が噴出した。
結果、農作物だけでなく、住宅に甚大な被害が出てしまった。死傷者が想定よりも少なかったことだけが幸いだった。
ただ、この時、彼の母親は亡くなった。
母の死を悲しむ間も無く、彼らは復興に向けて駆けずり回った。
自分たちの資産や国の支援や寄付ではだけでは到底足りず、支援をしてくれる相手と婚姻を結ぶしかなかった。
そして、兄のローマンはすでに結婚していた為、必然的にその役目はショーンということになる。
そうしてショーンが婿入りする事になったのは、ルビア伯爵家の一人娘ヘザーだった。
ヘザーとショーンの歳の差は七歳。
貴族であればそこまで珍しくはない歳の差ではある。しかし、過去のやらかしにより社交界でのヘザーの評価が著しく落ちた事と、ショーンの見た目が儚げな美少女、いや美少年であったため、色々と話題になった。
堕ちた才女が金で美少年を買ったと。
内容は、ヘザーへの蔑みと少しの嫉妬、そしてショーンへの憐れみが殆どだった。
ヘザーはそれまでいた婚約者を結婚半年前に裏切り、別の相手との子供を孕っていた。
そんな相手との結婚に絶望しかなかったが、実家の為には仕方がなかった。
当時はまだ学生だったショーンは、学園の中退もやむ無しと思っていたが、ヘザーが孕っていた事と、外聞を気にする性格だったこともあり、学園の卒業まで在籍を許された。
こうしてショーンとヘザーは、書類上だけの夫婦となった。
それからポーラが生まれ、ショーンが十七歳になった頃。伯爵家に慣れる為、ショーンはルビア伯爵家の所有するタウンハウスで長期休暇を過ごすことになった。
そして春の長期休暇の際、初めての滞在で、ショーンはヘザーに襲われた。
風呂上がりに無理やり彼女の寝室に連れ込まれ、心の準備も出来ぬまま、ショーンは無理やり初めてを終わらせたのだった。
それがトラウマとなり、その後のヘザーとの行為は苦痛でしかなくなってしまった。
そしてこの時の行為の結果、シンシアは生まれる事ととなる。
これもまた、ヘザーの醜聞となった。
近年では婚約相手が年若いのであれば、学園に通わせて余裕を見せ、その場合は、子供ができる行為は控える、もしくは避妊するというのが、常識となっていた。
そしてそれは男女の立場がが逆であっても適用される。この国では、女性でも条件はあるが、爵位が継げるからだ。
しかし、ヘザーはショーンが学園に通うのを許したというのに、行為に及びその上、妊娠してしまった。
これは、ヘザーが見栄を張ってショーンを学園に通わせ、それでいて自身の欲望を抑えることができない人間だと周りに知らしめた様なものだった。
もちろん、ヘザーは妊娠したことを周りに口止めしていたが、人の口に戸は立てられない。
たまたま、お腹の大きくなったヘザーを誰かに見られ、その噂は瞬く間に社交界へと広まった。
再び才女だったヘザーのやらかしとして、社交界を賑わせた。
そして、ヘザーは自分を被害者だと思い込むようになり、ますますショーンと、自分の胎に宿った彼との子供を憎むようになった。
ヘザーは出産が終わるまでショーンと会わなかった。
ヘザーはその年の冬にショーンの子を出産した。
それでようやくショーンは、ルビア伯爵家のタウンハウスに行くことが許された。
ルビア伯爵家のタウンハウスにいることすら嫌になっていたショーンだったが、我が子を見て衝撃を受けた。
自分に似た色の髪と瞳を持つ小さな存在。
母親であるヘザーには捨て置かれ、年老いた侍女に面倒を見られてはいるが他に庇護者はいない。
名前すらヘザーにつけてもらえなかったので、年老いた侍女が代わりに付けたらしい。
──シンシア、と。
ショーンは恐る恐る、シンシアに手を伸ばした。
ふくふくした頬に指先で軽く触ると、思っていた以上に柔らかく、その感触が面白かったのかシンシアはフニャリと笑った。
その笑顔を見た瞬間、ショーンの心臓が何かに撃ち抜かれた。
動悸が早くなる。
ショーンの指を掴んで、意外と強い力で握る小さな手。
ショーンを見てニコニコ浮べる笑み。
「抱っこしてみますか?」
「は、はい」
年老いた侍女の提案に、ショーンは思わず同意した。
「頭を片方の腕で支えて、もう片方の腕でお尻を支えるように──」
侍女に助言されながら、恐る恐るシンシアを抱っこする。
赤子特有の優しい優しい香り。
腕に伝わる命の重み。
シンシアは、泣く事もなく自分を抱き上げる自分の父親の顔を、不思議そうに見つめていた。
そして、目が合うと嬉しそうに笑ったのだ。
「──っ」
胸が締め付けられる。
違う。
胸がポカポカして、キューッとなるのだ。
決して悪い感情ではない。
──この子には、自分しかしない。この子を守らなければ!
そしてそんな思いが、強く湧いた。
ショーンは自身の境遇を嘆くことをやめ、シンシアのために生きる事を決めた。
それからショーンは、休日のたびにルビア伯爵家のタウンハウスへと帰るようになった。
嫌な行為にも、唇を噛みながら耐えた。
学園を卒業してからは、ショーンはルビア伯爵家のタウンハウスでの同居を開始した。
しかし、学園という逃げ場がなくなったショーンに待っていたのは、昼間は仕事でこき使われ、夜はヘザーに嫐られる日々。
ヘザーに嫌がられているからか、シンシアにすらまともに会えなかった。
それでも自分の時間を削り、シンシアの寝顔を見に行く毎日。
それだけがショーンの生き甲斐だった。
その様子がヘザーは気に入らなかったようで、ショーンの外出は制限されるようになった。
外に出られるのは仕事の用がある時だけ。領地の行き来だけ。それも監視がついた。
だからシンシアの誕生日プレゼントすら、まともに買う事ができなかったが、シンシアの面倒を見てくれていた年老いた侍女の協力で、なんとかなっていた。
三歳の誕生日には、ブランド物ではあるが無難なハンカチのセットになってしまったが、四歳の誕生日には彼女の名に似た花が描かれた懐中時計をプレゼントすることが出来た。
この国には年に二回、王宮主催の夜会があり、それには全ての貴族が出席することが義務付けられていた。
これにも出席することはなくなり、ショーンは外部との接触がだんだんと絶たれていった。
どうやらヘザーは、夜会などのパートナーが必要な場には、愛人であるポーラの父親を伴っているらしい。
夜会への出席はどうでも良かったが、父が病に倒れた際に見舞いにも行けず、手紙のやり取りすらできず、葬儀にも出られなかったことは流石に堪えた。
それでも、シンシアのために耐えた。
そのうちヘザーは仕事の大半をショーンに押し付けるようになり、ショーンの負担は増えていった。
シンシアの面倒を見ていた年老いた侍女は、体を壊したため仕事を辞めてしまった。
シンシアが四歳の誕生日を過ぎた頃だった。そこまで、彼女は頑張ってくれていたのでショーンは自分に当てられた予算から、特別に報奨金を出した。彼女は受け取りを断ったが、無理やり押しつけておいた。
その頃からショーンはヘザーに意見をする様になった。
仕事をなんとか回せる様になり、心に多少の余裕ができたというのもあるが、シンシアの庇護者が減った為、彼女を守るために彼自身も、もっと強くならなければという決意もあった。
シンシアの専属侍女は、彼女に対して冷たくてもちゃんと仕事をする者を新たに選んだ。
この屋敷の使用人は、女伯爵であるヘザーに従順だ。
だからといって、幼いシンシアを冷遇する事に躊躇がないわけではない。しかし、ヘザーの機嫌を損ねる事はしたくなかったので、表立って世話も味方もする者はいない。その為、影で助けようとした者は多く、結果、衣食住は最低限には保障されていた。
おそらく、ヘザーの愚かな言いつけを愚直に守っているのは、ルビア伯爵家に長く仕えている家令くらいだろう。
その裏にはショーンの働きもあるのだが、ヘザーにとってショーンもシンシアもとるに足らない存在だったので、気付かれることは無かった。
◆
そして、シンシアが五歳の頃、転機が訪れる。
始まりはポーラの六歳の誕生日パーティーの夜からだった。
その日の夜、シンシアはショーンの部屋を訪れた。
パーティーで遅れた仕事を片付けていたショーンは、シンシアから手乗りサイズのピンクと白のフワフワを紹介(?)された。あれよあれよという間にショーンの魔力が両方のフワフワに登録され、ピンクの方をショーンに押し付けてシンシアは嵐のように自室へ戻った。
分析で確認すると、それはゴーレムらしく、シンシアの言葉によればショーンを守ってくれるとの事なので、ショーンはそのピンクのフワフワのゴーレム、フワワを手元に置く事にした。
シンシアからの、初めてのプレゼントだったというのもある。──入手経路は気になったが。
もちろん、ヘザーや使用人には見つからないようにした。しかし、フワワも賢いらしく、ショーンとシンシア以外の気配がすると、すぐに隠れてしまうのでそこまで手間では無かった。
フワワを手元に置く生活は、意外にもショーンの癒しとなった。
その見た目と手触りもさることながら、フワワを手元に置く様になってからショーンは夜、ヘザーの相手をすることが無くなったのだ。
というのも、ヘザーは毎晩寝酒をするのが習慣だが、それを飲むと朝までぐっすりと眠ってしまうのだ。その為、そういった行為をする必要がなくなった。
初めは病を疑ったが、朝目覚めたヘザーはそれ以前よりも元気で、視ても病を患っている様子はなかった。
だから、その件は放置する事にした。
おかげでショーンもぐっすり眠れるので、体調が良いのだ。
しかし、それに比例する様にシンシアの行動が怪しく思えてくる。
いつものように自室で過ごし、たまに書庫で調べ物をしている。
少なくともこの屋敷からは出ていない筈なのに、何か違和感があった。
前よりもイキイキししていて、それでいてどこか必死で。
しかしヘザーの分まで仕事を押し付けられ、なかなかシンシアと話す機会も得られない。
ある時、シンシアの部屋から何かが割れるような音がした。
なんとか仕事がひと段落つき、シンシアと一緒にお茶でも飲みながら話を聞こうかと、彼女の部屋の前まで来た時の事だった。
どうやら、お皿を割ってしまったらしい。
急いで侍女を呼びに行き、部屋の掃除をさせる。
シンシアの破片を取っておいて欲しいという要望には眉を顰めたが、おそらく彼女が密かにやっている事なのだろうと了承した。
分析の魔法についての話になった。
ショーンの血筋には、分析の特異魔法を持つ者が多く現れる家系だ。
その得意な方向は様々だが、父は探知能力に秀でており、それで六年前の災害で亡くなった母を見つけた。
兄は透視能力に優れており、家を継ぐ前は港で輸出入する物品の違法な物や危険物、そして密入国者を探し出す仕事をしていた。そこで現在の妻と出会ったという。
そして、ショーンは検査能力に秀でていた。
これは対象の異常の有無が分かるのと、ある対象同士の組み合わせが適切かどうかなどが分かるというものだ。
異常の有る無しだけなら、生き物にも適応できる。これでヘザーが健康であることが分かった。
もしかしたら、シンシアにもこの能力が発現したのかもしれない。
特異魔法は修行しなくても買える場合もある。
それなら、正しく扱えるように講師を雇う必要もある。
しかし、シンシアの口からは発言したというようなことは出なかった。
これもしばらく様子を見る必要があると、ショーンは思った。
それからもショーンは忙しい日々を送った。
ヘザーは愛人の元へ毎日のように通い、そして散財していた。
この邸にヘザーを止められる者は、誰も居なかった。
気づけばポーラの誕生日から、一ヶ月近くが経とうとしていた。
ある日、ご機嫌で帰ってきたヘザーは初めて夕食の席にシンシアを呼んだ。
シンシアは普段の食事は全て自室で取らされている。これはヘザーの命令だ。
ショーンは名目上は父であり夫である為、食堂でヘザー、ポーラと共に食事はしているが、彼もポーラとの接触は禁じられていた。
夕食時に初めて家族が四人揃った。
しかし、ヘザーは新しい従者を迎え入れるという連絡事項だけを伝えると、ポーラとだけ話していた。
ショーンとシンシアは無視だ。
ショーンには、今度迎え入れる従者が、ヘザーの最も愛する人なのだと、なんとなく理解した。
そうなれば恐らく、シンシアの立場は悪くなるだろう。
ショーンはどう立ち回るべきか考えるのだった。
◆
そしてある日、魔女からの手紙が来た。
内容はシンシアを弟子にしたいというものだった。
そこで今までシンシアに抱いていた、違和感の様なものが理解できた。
ヘザーによって執務室に呼ばれたシンシアは、知らない風を装っていたが、ショーンには確信めいたものがあった。
だからその後、シンシアに話を聞く事にした。
ヘザーが苛ついてどこかへ行ってしまったので、その隙に。
シンシアが語った内容は、驚くべきものだった。
彼女は秘密裏に魔女と接触し、自ら弟子として売り込んだらしい。
全てはショーンを救うために。
ショーンの実家の問題も全て解決してくれた上、今後の庇護者も得ているという。
そして、彼女が転生者だということ。
彼女が前世でこの世界を元にした物語を読んでおり、ショーンがこのままだとヘザーとその愛人に殺されるということを。そんな運命であるショーンを救いたかったということも。
にわかには信じがたい話だったが、それでもショーンはシンシアの話を信じる事にした。
理由は自分の最愛の娘だったから。
それにその目に、偽りを感じなかったからだ。
その後、シンシアの師匠であるアゲートの魔女とも話をし、ショーンはヘザーとの離縁を決意した。
その後、荷造りはアゲートの魔女に借りたお手伝いゴーレムに頼み、ショーンは引き継ぎを急いで作成した。
一日で仕上げたので、多少不親切な部分はあるが、領地運営が出来る者なら問題はないだろう。
まとめた荷物は、フワワが新しい住居に送ってくれた。
そして、運命の日──。
◆
アゲートの魔女が、ルビア伯爵家のタウンハウスに訪れた。
それと対峙するヘザー。
その隣には、なぜかポーラがいた。
シンシアが応接室にやってくると、ヘザーは事もあろうにポーラを売り込み始めた。
ポーラの魔力診断はすでに行われており、光属性の適性とヘザー由来の治癒の特異魔法を持っていた。そして聖女としての適性も。
それであれば、聖女や治療師を目指すのが通常だ。
それなのに魔女が推しているシンシアを下げた発言をした上、魔女にポーラの弟子入りを勧めるなど、正気の沙汰ではない。
案の定、魔女に叱責され、青くなるヘザー。
シンシアは弟子入りを了承したが、その条件にルビア伯爵家からシンシアとショーンの離縁を要求した。
その理由を問われ、シンシアはヘザーによって、ショーンが蔑まれ、冷遇されていること。ヘザーには本当に愛する人がいることなどを暴露した。
ヘザーが激昂し、シンシアを平手で打つ。
ショーンは事前に何が起きても、動かないで欲しいと伝えられていたので、シンシアの言うとおりにした。
だが、できなかった。
ショーンはシンシアを抱き抱え、滴る血をハンカチで抑えた。
そして、ヘザーを強い口調で非難する。
自分より格下認定をし、弱々しかったショーンに非難された事でヘザーは頭に更に血が上り、魔女の前で更に失態を犯した。
おかげで、シンシアの希望はすんなりと通され、シンシアとショーンは無事に離縁に成功した。
ヘザーとの生活は嫌な事の方が多かったが、それでもシンシアを産んでくれた事には感謝をしていた。
だから最後にその気持ちを伝えた。
こうして、ショーンの結婚生活は六年ほどで終わった。
新居では新たな雇い主である、アゲートの魔女が出迎えてくれた。
ほっとしたのも束の間。
シンシアが泣き出してしまった。
どうやら、安心して張り詰めていたものが切れたらしい。
その姿は前世の記憶があったとしても、五歳の子供であることに、──ショーンの娘であることに変わりがなかった。
そう思い至ると、ショーンの間からも涙が溢れた。
ショーンもシンシアと同じだった。
だから、二人で抱き合って泣いてしまった。
最後に泣いたのは、ヘザーに無理やり初めてを奪われた時だった。
あの夜は、事が済んだ後に一人で朝まで泣いた。ショックで、恐ろしくてたまらなかったのだ。
でもあの時とは涙の理由が違った。
その晩は、初めて父娘で一緒に眠る事になった。
初めてシンシアを抱っこした時と変わらない、愛しい体温を感じて眠った。
グッナイ☆
この国の貴族は、百年以上存続していないといつまでも新興貴族扱いされます。




