第29話 収奪の魔王カイ
「頼む、命は……命だけは……。我の命だけは……。死にたくない」
魔人ヴィネの目は虚ろになり、焦点が合っていない。
俺はそんな状態の魔人ヴィネを、闘技場の壁に捕らえられているヴィヴィの前に引きずっていった。
「お前の主人はこうなったぞ」
ヴィヴィの前に、四肢を失い命乞いをするだけの生物に成り果てたヴィネをゴミのように投げ捨てる。
「ひぃ!? ヴィネ様!? あぁああぁあぁあ……殺さないで……殺さないでください。何でもします。何でもしますからぁ! お願いします!」
芋虫のようになったヴィネを見たヴィヴィの表情は、恐怖と混乱でぐちゃぐちゃになっていた。
これまで彼女を生み出した存在であり、絶対的な力を持つ上位存在だった魔人ヴィネが、今や見るも無残な姿で地に伏している。
彼女にとって、これは想像すらしてなかった光景だろう。
「黙れ」
ヴィネの使っていた黒い刀身の魔剣をヴィヴィの首筋に当てる。
肌に軽く触れたことで、傷がつき、少し血が垂れた。
「ひぐぅう……ぅん」
彼女の身体は恐怖のため小刻みに震え、呼吸も浅くなっている。
同時に地面に水たまりが生み出されていた。
「あぁああぁああぁああぁああぁ……許してください。許して、申し訳ありません! 違うんです! これは……」
「魔人でも恐怖で漏らすのか?」
漏らした羞恥と、俺への恐怖でパニックになったヴィヴィが、顔を真っ赤にして唇を噛んだ。
「俺は魔人すらビビる正真正銘のバケモノになったということだな。いや、まだ魔人ヴィネを喰ってないからなりかけているが正解か」
地面に転がっている魔人ヴィネを足蹴にすると、その身体の上に座り込む。
「助けてくれ……! 命だけは……! 我を……我を配下とすれば……世界の……破壊は……たやすい……こと……だ……!」
その声は掠れ、最早かつての威厳など微塵も感じられない哀れさを誘う弱々しさだ。
言葉の途中で何度も咳き込み、口から血を何度も吐き出している。
俺はヴィネの命乞いの言葉を聞きながら、ヴィヴィに視線を向けた。
彼女の顔は蒼白く、恐怖で完全に硬直している。
彼女の瞳には、絶望の色が深く刻み込まれていた。
俺は静かに、しかし威圧感のある声で双方に問いかける。
「助かりたいか?」
ヴィヴィは、恐怖の表情を貼り付けたまま、コクコクと機械的に頷くことしかできない。
言葉を発することすらできないほど、恐怖に支配されているのだ。
一方、助かりたい一心で必死の魔人ヴィネは、最後の力を振り絞って言葉を紡ぎ出した。
「我の力を……力を貸そう……! だから……! 命……だけ――」
魔人ヴィネの言葉が終わる前に、俺の手にした剣が閃いた。
金色のオーラを纏った魔剣は、まるで光の奔流のように、ヴィネの首を刎ねた。
首が宙を舞い、噴出したどす黒い血が、惚けていたヴィヴィの身体に降り注いだ。
彼女は悲鳴を上げることもできず、ただ血に濡れた自分の手を見つめている。その瞳からは、一筋の涙が零れ落ちた。
魔人ヴィネの首は地面に転がり、その目は大きく見開いたまま、虚空を見つめている。
かつて強大な力を持っていた魔人の、哀れな最期だった。
絶命したことを告げるように、収奪スキルが発動し、魔人ヴィネの身体からいくつもの光の球が飛び出し、俺の身体に取り込まれた。
俺は奪ったスキルの確認よりも先にヴィヴィに近づいた。
彼女の目は恐怖で大きく見開かれ、俺を睨みつけている。しかし、その瞳には憎しみではなく、圧倒的な恐怖の色が宿っていた。
「ヴィヴィ、お前は能力の高い魔人でありながら、素質ランクも高い。だから、俺のモルモットとして生かしてやる。せいぜい、俺のためにその命を使え。逆らえば、そこで首だけになったやつと同じ道をたどる。返事は?」
「しょ、承知しま……ひた……。だから、殺さないで……」
「隷属スキルを受け入れろ」
ヴィヴィの首に触れると、隷属スキルを発動させる。
淡い光がヴィヴィの首筋に隷属を示す文様を刻んでいく。
ヴィヴィは痛みに耐えながら、隷属スキルによって、俺の物になることを受け入れていった。
生殺与奪の権を握り、完全に隷属させたことで、彼女の運命は、今この瞬間から、俺の物になった。
俺の隷属スキルを受け入れたヴィヴィの身体は小刻みに震えている。
賢い彼女は全てを理解したのだろう。
自分がこれからどのような立場に置かれるのかを。
俺の所有物となり、俺の意のままに扱われる。拒否権など、彼女には存在しない生活が待っていることを察したのだ。
「なんと……お呼びすれば……」
「神々戎斗は、今日、ここで死んだ。俺は人間でも魔人でもないバケモノだ。だから、これよりは収奪の魔王カイと名乗るつもりだ」
「ではカイ様と呼ばせてもらいます」
「それでいい」
この闘技場での出来事は、彼女にとって永遠のトラウマとなるだろう。
自らを生み出した上位存在を失い、代わりに俺という絶対的な支配者を得たのだから。
「地上に出る。荷物をまとめろ。ここに置いていくのは魔人ヴィネの首だけだ」
「は、はい。すぐに支度します」
ヴィヴィはよろよろと起き上がると、自らの持つ力を使って、辺りに散乱している武具や道具を収納し始めた。
神々戎斗はここで死んだ。俺は今から収奪の魔王カイとして生きる。
いつか、俺を探しに愛菜がこの場所に来るかもしれないが、俺の墓標代わりに例の合図を書いとくとするか。
俺が孤児院を逃げ出す前に、あいつにだけ教えた秘密の合図。
それを愛菜が見れば、俺が魔人ヴィネに殺されたと思ってくれるだろう。
それでいい。俺は俺を裏切った瀧野も殺すつもりだしな。
最後に殺す人間は瀧野愛菜と決めている。
しばらくして、作業を終えた俺はヴィヴィを連れて、闘技場を後にした。
背後には、ヴィネの首と、俺と愛菜だけが知る別れの合図、そして血に濡れた地面が残されていた。
この闘技場は、魔人ヴィネの終焉の地として、永遠に記憶されるだろう。
そして、ヴィヴィにとっては、新たな悪夢の始まりの場所であり、俺にとっては世界を破壊するための出発点となった記念すべき場所だ。