Side:瀧野愛菜 黒い龍
Side:瀧野愛菜
うす暗い通路を、愛菜、立華、そして清水の三人は慎重に進んでいた。
頭上には無機質なコンクリートの天井が拡がり、足元には、元は点字プロックだったと思われる床材の破片が大量に散乱していた。
そのボロボロの床に、過去の探索者たちが残したであろう僅かな足跡が混ざり合っている。
渋谷ダンジョン。それは混淆ノ刻と共に現れた、国内最古にして最大級のダンジョンだった。
発生以来、幾多の異能者たちが、渋谷ダンジョンの奥深くへと挑み、そして多くの者が帰らぬ人となった。
それでも、地下世界を魔人たちから取り返したいと願う人類によって、ダンジョンは今もなお、異能者から探索者へ名を変えた者たちの挑戦を静かに受け入れている。
「瀧野、立華、ここから先は未踏地域だ。どこにトラップが仕掛けられてるか分からない。より一層、慎重に進むとしよう」
地図と周囲の地形を確認しながら、最後尾を歩いていた清水から注意が二人に飛ぶ。
前を進む二人は声に反応せず、ただ頷いて返した。
張り詰めた空気、重くのしかかるような静寂。
時折、遠くで何かが蠢く音が聞こえるが、それが何なのかは分からない。
未知領域へと足を踏み入れたことへの緊張が、三人の心を支配していた。
息を潜めるようにして、しばらく進むと、先頭を進む愛菜が、何かを発見したようで、止まるように手で制した。
「気をつけて、この先に何かいるかもしれない」
愛菜が低い声で呟いた。彼女の言葉に、二人は頷き、それぞれの武器に手をかけ、一層警戒を強める。
ゆっくりと進むと、清水が明かりとして飛ばしている魔法の光球が、徐々に先を照らし出していく。
通路の先は開けた場所になっていた。
周囲を警戒しつつ、三人は開けた場所に入っていく。
魔法の光球による明かりが届かない場所があることから、天井も高く、上を見上げても暗闇に吸い込まれそうな様子から、かなり広い空間が広がっていると思われる。
空間の中央には、巨大な岩が積み重なってできた祭壇のようなものがある。そして、その祭壇の上に、それはいた。
人間のような形をしていたが、明らかに人間ではなかった。体は黒い鱗に覆われ、背中からは巨大な翼が生えている。頭部には二本の角が生え、その目は赤く妖しく光っている。
「魔人!?」
立華が息を呑んだ。彼女の顔には、僅かな恐怖と同時に、興奮の色が浮かんでいる。
「魔人です」
「瀧野、立華、慎重にな。慎重に行こう」
清水は前に出て、杖を構えた。
彼の表情は険しく、全身から緊張が伝わってくる。
相手は魔物を生み出し、地下世界を牛耳っている強大な魔人であり、生半可な攻撃では、歯が立たないことを知っていた。
魔人は、祭壇の上で静かに佇んでいた。その赤い瞳は、三人をじっと見つめている。
威圧感。圧倒的な力の差を感じさせる存在感。それは、これまで三人が深層階で出会ってきたどの魔物とも違っていた。
「来るぞ!」
清水の叫びと同時に、魔人が動いた。
巨大な翼を広げ、祭壇から飛び降りる。その巨体からは想像もできないほどの速度で、杖を構える清水に向かって突進してきた。
「人間ごときが、この地にまで来るとはな。だが、お前らはここで死ぬ」
「そういうわけにはいかないのだよ」
清水は、迫りくる魔人に対し、氷の魔法を発動させた。氷の粒が魔人の翼を凍り付かせる。
激しい衝撃。鈍い音が響き、翼が凍り付いた魔人が地面に落ちた。
「ふん、この程度の魔法で――」
「今だ!」
清水の合図で、愛菜と立華が魔人に斬りかかる。
愛菜の淡い光を宿した蒼光剣が、剣の軌跡を残し、立華の巨大な大剣が魔人のいた地面に叩きつけられ、土煙があがる。
「やったか?」
「いえ、まだです」
「そうだね。意外と強い個体だ。けど、ダンジョンボスって感じではなさそう」
土煙が晴れると、片翼を失い、怒りの表情を浮かべた魔人の姿があった。
「よくも私の翼を斬り落としてくれたなぁ! 許さんぞ! 人間ども!」
怒りの表情を見せた魔人は、大きく口を開いたかと思うと、高熱の炎を周囲に撒き散らしていく。
立華が巨大な大剣で炎を受け止めている間に、清水は炎から距離を取って下がり、防御の障壁を張り、愛菜は蒼光剣を構え、魔人に斬りかかる。
声による指示もなく、全員がやるべきことを理解した動きを見せていた。
「遅い」
愛菜の鋭い一撃が、炎を吐く魔人の身体を捉え、黒い鱗を切り裂いた。
「ぐぅ!? お前ら! 私の身体にまで傷を! 許さん! 許さんぞ!」
魔人の身体が大きく膨らんでいったかと思うと、人の形からドラゴンに変化していった。
「竜化する魔人か……。身体構造が動物とかに変化する魔人の話は、いくつか聞いたことがあったが……。ドラゴンとはな」
「感心してる場合じゃないよ。向こうは、おかんむりだからね! 来るよ!」
「私が引き付けます! 清水さんと立華さんは自由にやってください」
「はいはい、りょーかい。清水、援護、援護、援護ヨロ!」
「分かってる」
再び杖を光らせた清水が、氷の魔法を発動させ、巨大な黒い龍になった魔人の足を氷付かせた。
動きが鈍った黒い龍に立華の剣が振り下ろされる。
「おらぁ! あたしの剣をくらいやがれ!」
「ぐぅ! 人間の分際で……」
立華の怪力は魔人に打撃こそ与えたものの、黒い鱗を切り裂くことはできずにいた。
「かったっ! これだから魔人ってやつは!」
「立華さん、横!」
「分かってるよ」
意思を持つように襲い掛かってきた尻尾を立華が大剣で逸らすと、入れ替わるように愛菜が蒼い白い光をまとった蒼光剣で、首の下を一閃する。
黒い鱗が断ち切られ、どす黒い血が噴き出した。
「調子に乗るな!」
傷を負いながらも、黒い龍になった魔人は反撃に出る。
巨大な爪が愛菜を襲い、辛うじてかわすものの、軽装の鎧の一部が切り裂かれた。
「立華、瀧野、離れろ」
清水の声に反応し、すぐに二人は黒い龍から距離を取る。
清水の杖が光ったかと思うと、岩の地面から鋭く尖った岩の槍が幾重にも突き上げられた。
「効かぬ! 効かぬ!」
岩の槍は黒い鱗を貫くことができず、粉々に砕け散った。
「だったら、効くまでやるだけ」
清水の杖が次々に光を放ち、地面から何十もの岩の槍が突き上げられた。
黒い鱗が一枚、また一枚と剥げ落ちていく。
「隙間ができたっぽいね。もらったよっ!」
「私も行きます」
隙を突いて近寄った立華の大剣を黒い龍の胸元に突き刺すと、同時に愛菜の剣が首の付け根にバツの字を刻んでいた。
「がぁああああああっ! 人間ごときがぁあああ!」
どす黒い血をさらに噴出させた黒い竜は、怒り狂ったように三人に向かって攻撃を繰り出す。
三人はそれぞれの武器と魔法を駆使し、黒い龍に立ち向かった。
何度も斬りつけ、黒い血を流させるが、魔人の力は衰えることを知らず、徐々に疲労の色を浮かべた三人が追い詰められていく。
「強い……。さすが、魔人」
「いい加減、死んでって感じだね」
「立華、瀧野、私はもう魔力が尽きた。援護はないと思ってくれ」
「はいよ。愛菜、あとはあたしらで――」
「立華さん、様子が――」
「私が……人間ごときに……負けて……たまる……か」
竜の姿に変化していた魔人の身体が、微かに震え始めた。そして、その身体から、黒い靄のようなものが立ち上り始める。
巨大な黒い龍だった魔人の身体は、靄の量と比例するように次第に小さくなっていく。
身体を覆っていた黒い鱗がバラバラと崩れ落ち、地面に落ちて轟音をあげた。
「私が……消える……だと」
靄の噴出が終わると、魔人が床に倒れていた。
身体を覆っていた黒い鱗は失われ、片翼は切断されている。
ダンジョンの深層階に潜んでいた強大な力を持つ魔人は、三人の力の前に屈服し、その命を失った。
「勝ったの?」
「勝ったらしいな」
「勝てましたね」
精魂尽き果てた三人が、武器を下ろして、地面に腰を下ろす。
絶命した魔人は、やがて完全に消滅した。後に残ったのは、僅かな黒い塵と巨竜の黒い鱗だけだった。
「戦い方が拙かったから、歴戦の魔人って感じじゃなかったね。生まれたてだったのかも。おかげでこっちは助かったけど」
「そうですね。圧倒的な強さを示した魔人ヴィネと比べたら、同じ魔人でも赤子のような感じでした」
「名も名乗らなかったし、この渋谷ダンジョンの主である魔人から生まれて落ちてすぐだったんだろう。でも、あの強さだ。未だ発見されてない渋谷ダンジョンの主の強さが思いやられる」
「そうみたいだね。とりあえず、鱗を持って帰るとしようか。アトラス技研じゃないや、武具製造部のやつらが喜ぶだろうし」
立華が周囲に散らばった黒い鱗を見ながら静かに言った。彼女の言葉に、二人は頷く。
「帰還のポータルを開けるまでは少しかかる。ゆっくり集めてくれていいぞ」
「でも、その前に少し休憩しましょう。へとへとです」
「賛成」
それから三人は少し休息をとると、倒した魔人の鱗を集め、清水が作り出した帰還のポータルに飛び込んで地上へと帰っていった。