Side:魔人ヴィヴィ 人の皮を被ったバケモノ
Side:ヴィヴィ
ヴィヴィは、目の前の巨大水晶の映像の中で繰り広げられた光景を、未だに理解することができずにいた。
幾多の人間の探索者たちを共に倒し、その実力を誰よりも知る腹心のシャドウストーカーですら、戒斗の前に屈した。
いや、屈したという表現すら生ぬるい。
文字通り、その存在を糧として吸収され、戒斗の力の一部と化してしまったのを見せられたのだ。
「ありえない……ありえない……。そんなことが起きるわけが……。あのシャドウストーカーが、負けるなんて……」
ヴィヴィの脳裏には、シャドウストーカーが黒い霧となって、跡形もなく消滅していく映像が焼き付いていた。
上位の存在である魔人ヴィネの怒りに触れる覚悟で、負けるはずのない完璧な布陣を組んで臨んだ神々戎斗との一戦。
何が起きても負けるはずがない戦力差を、映像に映る男は跳ね返して倒してしまい、自らの糧として取り込んでしまったのだ。
ヴィヴィの心には、あの男に対する恐怖心が膨れ上がっていた。
戒斗の持つ倒した者のスキルを奪う力と、奪った力をすぐに使いこなす戦闘センス、そして生き残ろうとする生存本能に対して畏怖を抱いた。
「やはり、アレはこのダンジョンに凶事を招く、悪しき存在。生かしておくわけには」
恐怖心が膨れ上がったヴィヴィは、普段の冷静沈着さからは考えられないほど取り乱した様子をみせている。
巨大な水晶に映る戒斗は、シャドウストーカーを倒したところで気絶したままだった。
「今なら……」
ヴィヴィは震える手で奥の手を行使しようとしていた。
残された手段は、更なる増援を転移させること。
気絶している戒斗なら、赤子を捻るようなもので、大げさな戦力はいらない。
そう考えたヴィヴィが、増援に送り込む者を呼び出そうとした瞬間――。
「待て、ヴィヴィ。我の楽しみを奪うなと最初に申し付けたはずだ。何をしようとしておるのだ」
背後から響いた、重く、威圧感のある声。それは、ヴィヴィが抗えない存在である、魔人ヴィネの声だった。
振り返ったヴィヴィはすぐに跪いて頭を垂れる。
「ヴィネ様、神々戎斗はこのまま処分することを再度、具申いたします。見ての通り、シャドウストーカーすらも奴に喰われました。このまま成長を続ければ……」
顔を上げたヴィヴィの眼に、不気味な笑みを浮かべるヴィネの姿が飛び込んできた。
ヴィヴィは、その笑みに意味を察し、全身の血が凍り付くような感覚に襲われる。
「ヴィネ様! なにとぞ、ご自重くださいませ! アレは、アレだけはダメです! アレはバケモノです!」
「バケモノか、我ら魔人にそこまで言わせる人間は興味深い」
ヴィネは、楽しげな口調で問いかけた。その目は、獲物を定める肉食獣のように、映像に映る戒斗を射抜いていた。
「おやめください。我々はこのダンジョンを守護せねばなりません。ダンジョン主の本分を忘れ、遊びに興じるなど――」
ヴィヴィは、震える声で必死にヴィネの暴走を止めようと言葉を重ねる。しかし、ヴィネはそれを遮るように、手で制した。
「我は、我のやりたいことを為す。それが、ここを守護する時に創造主と交わした契約だ」
「ですが!」
「くどい! 我はあの人間の成長ぶり、そして戦いぶり、実に興味深いと思っておる。特に、倒した者の力を自らの力として吸収し、成長していく様は、見ていて飽きん」
ヴィヴィは、息を呑んだ。
ヴィネが戒斗にかなりの興味を持っていることは、分かっていた。喜んでいるヴィネの姿に、ヴィヴィは戒斗を抹殺することへの諦めを悟る。
ヴィネは、戒斗を単なる敵ではなく、自身が楽しむための娯楽として見ているのだ。
「そこでだ。ヴィヴィ。あの人間をダンジョンにある闘技場に連れてこい。そこで、もっと戦わせてさらなる成長をさせてやるつもりだ。そうすれば、我の暇な日々も慰められるというものよ」
ヴィネの言葉に、ヴィヴィは愕然とした。
闘技場。それは、ヴィネが部下同士を競わせるために設けた、血と暴力の坩堝。そこで行われるのは、容赦のない殺し合いだった。
ありえない成長速度を持つ戒斗を、そんな場所に連れて行くなど、自殺行為に等しい。
闘技場で魔物たちを喰いつくした戒斗を想像したら、寒くもないのにヴィヴィの身体は震えだした。
「し、しかし、それはあまりにも危険です! あの人間は、尋常ではありません! 下手をすれば、部下たちが……」
「危険? ふん、面白いではないか。危険だからこそ、やる価値があるのだ」
ヴィネは、怯えた様子を見せたヴィヴィを嘲笑うように言った。
「それに、我の部下たちは、それほど弱くはない。あの程度の人間、容易く捻り潰せるだろう?」
ヴィネの部下たちは、確かに強力な魔物たちだ。しかし、今の戒斗は、それらを遥かに凌駕する力を秘めている。
ヴィヴィの脳裏には、戒斗がヴィネの配下の強力な魔物を一人倒すたびに、加速度的に力を増していく予感しかない。
「ご再考を……」
「ならん! これは命令だ。お前には、我の命令に逆らうという選択肢はない」
ヴィネは、有無を言わせぬ口調で言った。その言葉には、絶対的な権威が宿っていた。
ヴィネの命令に逆らうこと――それは、ヴィヴィの死を意味する。抵抗を諦めた彼女は、頭を下げる。
「……承知いたしました」
「では、早速、あの人間を闘技場へ連れて行くのだ」
上機嫌になったヴィネを見送ったヴィヴィは、深いため息を吐きながら、巨大水晶に映る戒斗を見つめた。
そして、戒斗を回収するために送り込む部下を呼び出すため、指を鳴らす。
「ヴィヴィ様、お呼びですか?」
呼び出されたのは、闘技場の管理を任されている睡眠や鎮静といった魔法を上手く操る魔人だった。
「ええ、ヴィネ様が戯れに作られ異空間の洞窟から、回収をしてほしいものがあります」
「回収ですか?」
「ええ、早急に回収して闘技場に移してください。その際は拘束具を必ず使うこと。目覚めさせないことの2点を徹底するように」
「新たな魔物でも生み出されましたか?」
「魔物? いえ、貴方が回収に行くのは人間の皮を被ったバケモノです。絶対に油断しないように」
「人間の皮を被ったバケモノ……ですか」
「いいからすぐに回収をして闘技場の地下牢に入れておくように」
「はっ! 承知しました。すぐにまいります」
魔人との通話が切れ、しばらくすると巨大水晶の映像に、魔人によって回収される戒斗の姿が映し出される。
そして、次の瞬間、戒斗と魔人の姿は洞窟内から消え去っていた。
映像が切り替わり、血と砂、そして絶叫が渦巻く、地獄のような場所を映し出す。魔物たちが強さを競い合い、殺し合う闘技場。
それが戒斗に与えられた新たなステージだった。
ヴィヴィは、ダンジョンの未来を案じながら、再び深い溜息をついた。
彼女には、戒斗の存在が、不気味で不吉なものに思えて仕方なかった。