第1話 絶望の日々
ああ……また今日もこれか。薄汚れた壁に背を預け、荒い息をつく。
鉄の匂いと、魔物の腐臭が鼻をつく。
目の前では、パーティーの連中が倒れた魔物の素材を回収している。
俺の役目は、ただ壁になること。魔物の攻撃を受け、仲間を守る。それだけだ。
「おい、壁ミワ。ぼーっとしてないで、次の部屋行くぞ」
パーティーリーダーを務める岩田の甲高い声が耳に届く。
『壁ミワ』それが今の俺の通り名だ。
本名の神々戎斗なんて、もう誰も覚えていない。
いや、覚えていたとしても、誰も呼ばないだろう。
パーティーのメンバーは、俺のことなんて消耗品としか思ってないわけだし。
「もう少しだけ休ませ――」
「ああっ! てめえ、舐めてんのか! お前がこのパーティーに置かせてもらってる意味を忘れてんのかっ! とっとと立てや!」
パーティーリーダーでゴツい大男の岩田が、俺の襟首を掴み、無理やり立ち上がらせた。
これ以上の抗弁を諦めると、唯一の身を守る防具である盾を構え直し、パーティーの先頭を歩き出す。
こんなクソみたいな生活がいつまで続くんだよ……。クソがよ……。
俺の人生は、生まれた時から呪われていた。
今時の言葉で言うと、親ガチャで盛大な外れを引いたというやつだ。
父親は俺が生まれてすぐに、不倫相手に刺されて死んだ。
母親は、そのショックで精神を病み、よちよち歩きだった俺を置いて自殺した。
物心つく前に、両親を失った俺は、2歳で孤児院に預けられた。
だから両親の顔は写真でしか知らないし、愛情をかけてもらった記憶など欠片もない。
親という保護者がいてぬくぬくとした生活をしてるのを見せられると、無性に腹立たしさを感じる自分がいるのは、親からの愛情を受けたことがないせいだと思っている。
両親がいないだけなら、まだ俺もいろいろと耐えられたかもしれないが、預けられた孤児院は、地獄だった。
両親がいない、名字が変わってる。たったそれだけで、俺はいじめの標的になった。
ガキ大将みたいな奴らに、毎日殴られたり、蹴られたり、物を隠されたり、名前を呼ばれる代わりに、「孤児」「捨て子」と罵られた。
それでも何とか耐えてたと思う。
でも、孤児院が地獄だった理由はそれだけじゃない。
10歳くらいから女性職員から受けた性的虐待。今思い出しても、吐き気がする。
男としての尊厳なんて、そこで完全に失われた。身体だけじゃなく、心まであの女性職員によってズタズタにされた。
そんな暗い地獄のような日々の中で、唯一の光だったのが、幼馴染の愛菜だった。
瀧野愛菜。
彼女もまた、両親を亡くし、俺と同じ孤児院で育った。
境遇が似ていたせいか、俺たちはすぐに打ち解けた。
他の連中とは違い、愛菜は俺を「戎斗」と名前で呼んでくれた。
彼女といる時だけは、ほんの少しだけ、心が安らいだ。
愛菜は、地獄の日々を送る俺にとってかけがえのない存在だった。
いや、今でもそうだ。彼女は、俺のクソみたいな人生の中で、唯一の希望の光を灯してくれる存在。
でも、俺は中学を卒業した時、地獄の日々に耐えられなくなり孤児院を飛び出した。
その時、愛菜も一緒に行こうと誘ったが、彼女は首を横に振ったんだ。
彼女は「私は、ここでできることを探す」と、静かに言った。
その言葉の中に強い愛菜の意志を感じた俺は説得を諦めるしかなかった。
それが、愛菜と交わした最後の言葉だ。
愛菜と別れ、孤児院を飛び出した俺は生きるために必死になった。
中卒の俺にできる仕事なんて、限られていた。
日雇いの肉体労働、コンビニのバイト。どれも長続きしなかった。
世の中は、俺のような弱い立場の人間を食い物にする連中で溢れていると知った。
給料を払わずに逃げる奴、騙して金を巻き上げる奴。何度も裏切られ、何度も絶望した。
そんな絶望の日々を送る中、食うに困った俺は、藁にも縋る思いで、探索者になることを決めた。
危険な仕事だが、その分、報酬も高いと聞いていたからだ。
探索者として成功し、大金を手に入れたら愛菜に会えるかもしれない、というかすかな期待もあった。
探索者ギルドに登録し、自身に宿っているスキルを確認した時、俺は自分のクソみたいな運命を呪った。
スキルは『収穫』。ダンジョン内で手に入るアイテムが、ランダムで1つ増えるだけの、役立たずのスキル。
こんなものが、何の役に立つ?
案の定、探索者としての生活は、苦難の連続だった。
ゴミスキルのおかげで、まともなパーティーに所属することすらできなかった。
ようやく拾ってくれたパーティーでも、俺の役目は壁役。
魔物の攻撃を受け、仲間を守るだけの、文字通りの壁。
危険な割に収入は少なく、毎日を食いつなぐのがやっとだった。
「おい、壁ミワ! 聞いてんのか! その大きな扉を早く開けろって」
岩田の声で、現実に引き戻される。
ため息をつき、傷が痛む身体を動かしながら、重い部屋の扉を押し開けた。
「ここは……なんだ? やたらと広いが……」
今までの部屋とは違い高い天井を支えるように両脇に柱が立ち並び、その柱にある松明が室内を照らしていた。
「お宝部屋だ。やったぜ! 今日はいい稼ぎになるぞ!」
岩田が指差した先には、大きな金属製の箱がかがり火の灯す光で照らし出されていた。
今日のダンジョンが、いつもより魔物の数が多かったのは、このお宝部屋のせいか。
「おい! 壁ミワ。お前があの宝箱を調べろ。取り分は増やしてやるからよ」
リーダーの岩田もメンバーも誰も宝箱を開けたがらないのは、トラップの危険性があるからだった。
俺もそれくらいのことは知ってるが、断ればパーティーから外されるのは分かりきっているので、拒否はできない。
「開けますよ」
俺の声にメンバーたちが後ずさる音がした。
お宝、お宝、お宝出ろっ!
金属製の箱の蓋を開けると、箱から溢れた眩い光が俺の視界を奪っていく。
罠だっ! 罠だっ! ちっくしょう! ここで俺は――っ!
「テレポートだっ! クソ、巻き込まれるぞ!」
リーダーの岩田の声が聞こえたかと思うと、何かに勢いよく引っ張られるような感覚とともに俺の意識は完全に飛んだ。