なんにも知らなかった子爵令息の13時15分。
サクサクかき揚げタイプのざまぁです。
「トロバイリッツ伯爵令嬢ローズマリア、お前との婚約を破棄する。速やかにこの同意書にサインしろ」
「……まぁ、突然なんですの? デズデモニー様」
貴族の子女が通うクリスタラント王立学院の昼休み。
下位貴族でも使える大食堂にて、学友たちと座っている一人の女子生徒を、一人の男子生徒が見下ろすように立つ。
男子生徒が一枚の紙を女子生徒に突きつける。
同時に声に出した内容に、食堂は一瞬ザワめき――すぐ静かになる。
突如始まったこの面白い場面の顛末を、次のお茶会に、実家への報告に、なんとしても持ち帰りたい。
一言たりとも聞き逃さないよう、速やかに暗黙の了解が出来上がったのだ。
「突然ではない。一ヶ月も前から話し合いを持とうとしていたのに、呼び出しでも指定の場所に来ない、一人で来いと言っても教師を連れてくる。挙げ句の果てに、廊下で待ち構えていた俺を『授業があるから』と無視したのはお前ではないか」
「確かに、都合が悪くてお時間が取れませんでしたわね」
「そちらに話し合う意思がないのなら、こちらも最初から相応の態度を取るまでだ」
「さようでございましたか」
いや、授業が始まるならそちらを優先するのは当然では……? といった声が聞こえた方向を睨む男子生徒――名を、アコニトゥム子爵令息デズデモニーという。
アコニトゥム家はクリスタラント王国成立当初からの功臣であるが、800年の歴史のなかで政争に敗れ、今は本家筋が子爵位に甘んじている家でもある。
なんとか上位貴族あるいは現王家の姻族か、王太子の側近に滑り込んで復権を果たしたい――そんなことを考えている、いわゆる『普通の貴族』である。
デズデモニーは本家当主の次男であり、親が大臣職にある伯爵令嬢を婚約者に貰ったのも、上位貴族へ復帰する足掛かりとしてだ。
なのに、その婚約者が自分を軽視する。
到底デズデモニーには許せなかった。
学院内外を問わず、パートナーを必要とする場ではデズデモニーを引っ張り出し、やれ挨拶だなんだと連れ回す。
ドレスだけは豪華な年増の前に連れていっては相手に合わせた挨拶の仕方を耳打ちするものだから、小馬鹿にされているとしか思えないのだ。
どうせ紹介するならローズマリアの父親と近い閣僚なり上位官僚なりに紹介して、卒業後の役職を斡旋して貰えばまだ役に立つものを。
年増女に紹介してどうするというのだ、お盛んなヤツの愛人に潜り込んで、話を聞き出す道具になれとでも言いたいのか? と毎度気分が悪い。
婚約者として一曲目を踊ったあと、三曲目までのダンスの相手を勝手に用意して押し付けるのにも辟易していた。
元々デズデモニーは派手なパーティーなど好きではないのに、入場時だけでもエスコートがいるからと欠席を許さない。
そのくせ三曲目まで踊らせたら後は放り出し、『続けて踊って疲れてしまったようなので』と壁や別室に下がらせるのだから、本当に気にくわなかった。
どうせ自分の見てないところで男と身体をくっつけて踊っているか、はしたない真似をバルコニーで繰り返しているに違いない。
婚約者を早々に追い出すなんてそのくらいの理由だろう。
そう思ってデズデモニーが情報源に使っている男爵令息などに聞くも、誰に聞こうが「そんなことありませんでしたよ」と口を揃える。
どうやら相当な範囲を買収しているようだ――それすらも、没落子爵家と現役伯爵家の財力の差を見せつけるようでやり方が厭らしい女だ。
それでいて学院内の日常生活ではやれテラスだの食堂だの礼法の授業室だので、女子生徒とお茶会をするばかり。
とっくに乙女ではないに違いないのに見た目だけご令嬢ぶってご苦労なことだ。
ピーチクパーチクさえずるばかりで生産性のない馬鹿女どもに混じってはいるが、内心馬鹿にしているに違いない。
何しろ成績を鼻にかけるくらいだから、性格は悪くても頭はいいのだ。
上位者の掲示板に毎回これでもかと名前を見せびらかし、載れないデズデモニーに恥をかかせる。
まったく、婚約者としての気遣いがない女だ。
なのに、可愛げのない女を少しでも可愛くしてやろうとデズデモニーが婚前交渉を求めても、決して応じない。
裏では悪辣なくせに貞淑ぶりやがって――そのようにしか感じられないデズデモニーは、ずっと憤っていた。
一方、アコニトゥム子爵家としては、トロバイリッツ伯爵家の縁を利用して、現行の上位勢力の子女に息子を顔繋ぎさせてほしいと思っていた。
ご縁を繋いでもらって気に入られるように、と息子にも重々言い聞かせていた。
それが思うように進んでいない、パーティーでは自分をほっといて男を籠絡してるようだと息子から聞かされ、当主の額に冷や汗がにじむ。
やっと縁付いた足掛かりなのに、どうしてうまく行かないのか……――
学院生活も残り半分を切り、もはや無視できる事態ではなかった。
早いところなんとかしろ、と次男に発破をかけたのが先週の末。
そうしてデズデモニーは行動に出た――それが今である。
「分かったら今すぐこの婚約破棄同意書にサインしろ。当然、お前の有責だ。この出来事だけを取っても、お前には他人を尊重し適切に協調する意思が見られないからな。貴族として余計なトラブルを招きかねない女を側にはおけない」
他にも、己の胸に手を当てて考えれば心当たりなどいくらでもあるだろう――そんなことを滔々と述べて、書類を机に叩きつけるデズデモニー。
恫喝するかのようなそれを、ローズマリアは正論でかわす。
「あら。わたくしの有責とまで明記されている書類でしたら、ここですぐにはサインできませんわ」
「何故だ! 婚約を破棄されるのが惜しくて、話を引き伸ばそうというのか?」
「惜しくて、とは何を仰っているのか理解に苦しみますが……」
婚約というのは家同士の契約ですから、片方の有責を認めての破棄でしたら、そちらは賠償をしなければなりませんの。
それはお分かりですわよね? と前提の共有を丁寧に行うローズマリアだが、デズデモニーには馬鹿にされているようにしか感じない。
良いから早く説明しろ、とアゴで促す。
到底、子爵令息が伯爵令嬢にしてよい態度ではなかった。
「二家の契約破棄に伴う賠償ということは、家から家に、何らかの財産が動くということです。けれど女で未成年のわたくしが、家の財産の持ち出しに関わる書類に勝手にサインは出来ません。財産の移動には父の許可が必要となりますので、この同意書は持ち帰らせていただきます」
「なっ……!?」
「今から早退いたしまして、外出許可を頂き、タウンハウスか王城のどちらかにいる父にサインを頂いてきます。すんなり貰えましたら、明日にはお持ちするつもりですわ」
そう長く待たせるつもりは『わたくしには』ございませんからご安心くださいませ、と笑って席を立つローズマリア。
「煙に巻こうとしてもムダだぞローズマリア! お前がこの場でサインすれば良いだけだ、家に持ち帰る必要などない。まずは婚約破棄に同意すると書け、細かいことはそれから詰めれば良いだろう!」
「そうは参りませんと、今説明いたしましたでしょう? 契約とはそういうものではないと、ご理解くださいませ婚約者様」
「俺を婚約者と呼ぶな、貴様はもう婚約者でもなんでもなくなるのだ! 立場を弁えろ、この悪女めが!」
「それで申し上げますと、弁えるのは貴方ですわ。婚約者でもないと仰るなら、婚約者でも家族でもない女性の名前を呼ぶものではありません。それとも、わたくしとは婚約者にはなりたくなくても、不貞の関係を結びたいと仰せで? そういえば何度となく私を呼び出しては、婚前交渉を求めていらっしゃいましたわよね。あの時、先生が一緒に来てくださらなかったらと思うと怖くてたまりませんわ」
ローズマリアの正当な反論と妥当な推察に、周囲からクスクスと笑い声が満ちる。このスキャンダルを見逃してなるものかと、食い付くように眺めている聴衆である。
婚前交渉を求めるのは我慢の出来ない男の証。人前でそれをバラされるのは恥さらしもいいところであるが、教会法をおかして要求した方が悪いので仕方ない。
ローズマリアの一言ごとに嘲笑が広がっていく。
もっとも彼ら彼女らは、聴衆として『押し掛けた』わけではないから、この茶番劇を楽しむ権利は充分にある。
最初から、聴衆が多い食堂という場所を使って婚約破棄を宣言したのは、デズデモニーなのだから。
デズデモニーは舌打ちを隠せず、対峙するローズマリアを睨み付けた。
嘲笑されるのは、自分ではなくローズマリアのつもりだったのに、どうしてこうなる、と奥歯を噛みしめる。
婚約破棄したいと双方の当主に言っても納得してもらえないと面倒なことになる。
それなら貴族子女の集まる学園内で破棄を宣言して風聞を流させ、既成事実化してしまえと思ったところまでは、悪い手ではないはずだ。
婚約破棄の宣言に当たって、具体的な罪をあげつらう必要はない。
ましてや罪を捏造したり、偽の証言者を用意するなんて愚かなことはしない。
男子生徒数人がかりで女子生徒一名を囲むなんて暴力的な光景も論外だ。事情を知らない人間が条件反射で女子生徒に味方してしまいかねない。
もちろん上級生の卒業記念パーティーだの、留学にきたという隣国王女の誕生日パーティーだのを汚してドラマチックにやる必要もない。
そんなことをすれば場を乱された側が不愉快に思い、ローズマリアに味方する可能性があるからだ。
ただの日常の一ページにすぎない食堂で、たくさんの証人に、ローズマリアの印象を悪く持たせればいい。
単に「彼女ならいかにも婚約破棄されるだけの瑕疵がありそうだ」と思わせ、既定路線として噂になればいいのだから。
理由の詳細も、「自分の胸に手を当てて考えてみれば分かるだろう!」と言いさえすればいい。
まるで伯爵令嬢が不貞を行っていたか、婚約者に不当な扱いをしていたかであろうと周りは勝手に推測してくれる――デズデモニーも、その程度の頭は回る男であった。
なのに何故こんなことに、と思う。
この場で全て済ませるつもりであったのに。
意地でも書類を父親に持ち帰るとだだをこねる伯爵令嬢――これだから甘やかされてそだった高位貴族の娘は困るのだ。
なにもかもうまく行かないデズデモニーの苛立ちは限界に達した。
「いいから、とやかく言わずにサインしろ! どうしてもペンを持たないと言うなら、飾り紐に血判で構わないんだぞ!」
制服につけている、学院生徒の証――身分証代わりの飾り紐。
男女ともに着いているそのデザインに、一部の生徒は先端に家紋をあしらったボタンが付いている。
有事の際、当主の安否が不明な場合や、寸断された遠隔地で当主が来れない場合などに使う代理印章――とりあえず決裁を動かす必要があるときのため、後継者順位第二位までが持てるものだ。
その印章でサインの代わりにしろと迫ったのだ。
デズデモニーは、ローズマリアの肩と手首を掴み、それに――他家の実質当主印に――手を出そうとした。
なお、有事に捺すものなので、当然血判である。
それを使わせるということはつまり、今から貴族令嬢の指に出血を伴う怪我をさせると宣言したに等しい。
「――そこまでです、アコニトゥム子爵令息」
同じ席で昼食を取っていたため、間近で全て見ていたローズマリアのテーブルメイトたち。
その一人が立ち上がる。
ローズマリアが助けを求めない限りは手出しするべきでないと見守っていたが、危害を加える宣言が出たので、公職にある『彼女』はこれで堂々と口を出せる。
「わたくしに挨拶もなく話していたところを見るに、わたくしの顔をご存じないようですので、改めましてご挨拶いたしますわ。
クリスタラント王国今上陛下の姪に当たります、隣国ハーバルヴィッツの第三王女、ユリアンヌです」
「――――!?」
で、殿下がなぜここに、と呟くデズデモニーのおののきを無視し、ユリアンヌ王女は続ける。
「聞けばトロバイリッツ家のご当主が不在でもないのに、他家の者が印章を勝手に捺させようとなさっている模様。これは貴国でも不法行為ですわね?」
かつん、と制靴のカカトを鳴らし、威嚇するように近寄る。
気圧されたデズデモニーの力が抜け、肩と手首を掴まれていたローズマリアがサッと逃げ出し、ユリアンヌの横に並ぶ。
「しかも令嬢に血判を強要なさるなど、明確な害意がおありですわ。不法行為の意思をこんな場所で明確に宣言なさる、法を法とも思わぬような野蛮な方が、令嬢の血を求めてすぐそばで暴力的に叫んでいらっしゃるなんて……」
わたくし、怖くてたまらず……とわざとらしくしなを作る王女に、周りが好意的なクスクス笑いを洩らす。
「ハーバルヴィッツの王族は未成年でも外交官ですので、わたくし、これでも在学公職者ですの。ですので、貴方を現行犯逮捕させていただきますわね?」
サッと手を上げるユリアンヌの、後ろから急に気配を現して登場した黒スーツ姿の女性三名がデズデモニーを拘束する。
「ローズマリア貴様っ、王女殿下を利用するなんて卑怯だぞ! 不敬だ!」
「婚約者でもなんでもないのなら名前でお呼びにならないでと申しておりますのに」
「大体、不敬なのは貴方でしてよ。わたくしが楽しみにしていたローズマリアたちとの昼食の時間を一方的に邪魔なさったんですもの、許しませんわ」
一国の王女、にして、自国の王の姪でもある女性からの『許さない』発言に、観客は「あいつ終わったな」と囁きあう。
「そんな……っ、親しい付き合いがあるなんて聞いてないぞローズマリア!」
「そもそも、殿下とのお茶会に毎度お呼ばれしている話は、何度もしましたわ」
「そんなの、見栄を張りたいだけのウソだと思うに決まってるだろうが!」
「貴方が人の話を聞いていないだけでしてよ。それでは成年貴族になってもロクな仕事はできませんわよ?
あぁ、これまで貴方を紹介した方々にも、万が一にも卒業後のお声かけを頂くことがないよう、謝って回らなければ……」
成年貴族になる前の学修機関としての、王立学院。
ここでなら大抵のことは大目に見て貰えるのは、未成年だから――ではない。
お互いがトラブルの証拠を集めたり、それを元に権力やコネに訴えたり、弱みとして握って使い倒す力がまだ育っていないから。
そのメリットを全て手放す、考えられる限り最悪の形で自爆したデズデモニーに、もはや未来などあろう筈がなかった。
「そうそう、こちらの書類。ひどくお望みのようですので、持ち帰るのは止めにいたしますわね? 改めまして当家の方から、アコニトゥム子爵令息様有責での書面を作って参りますから、近日中にそちらのご当主様にお持ちいたします」
いずれにしても本日は今から外出届を出して早退いたしますわ、中座して申し訳ありません、とテーブルメイトたちに謝るローズマリアと、了承する令嬢たち。
「先生にはわたくしからもお伝えしておきますわ。がんばってくださいまし、ローズマリア様」
「ありがとう存じます、ユリアンヌ様」
それを見送るしかない、拘束されたデズデモニーの悲鳴が大食堂に響く。
「知らなかったんだ……なんで言ってくれなかったんだ……――!」
ネタばらし。
呼び出したけど来なかったのは、呼び出しなんかに応じてしまうと、また婚前交渉を求められるのではと思ったから。
積極的にパーティーに連れていくのは「婚家の当主の要望を汲み取って、顔繋ぎに出してあげたから」。
年上女性ばかりに紹介していたのは、そもそもローズマリアから在職閣僚への直接のコネがあるわけないから。
紹介した女性も「妻の人を見る目は信頼できるのでね」と女性同士の繋がりから若手を発掘する気がある、在職当主達の奥方。
勝手に用意した2曲目と3曲目のダンスの相手は、失礼してとんでもない相手を誘ってしまわないように先手を打っていた。
ローズマリアのツテで紹介された女性に興味がないデズデモニーが、誰がどこの令嬢かなんて覚えていないとふんでのこと。
3曲で下げさせたのは、本来はパーティーなんて好きじゃないことを知っているから。
義務の3曲だけ終われば、あとは逃がしてあげようという気使い。
人酔いする体質みたいで……と言い訳しながらパートナーの分まで挨拶に回っているから、
男とバルコニーにしけこむヒマなんてあるわけもなく。
いつ見ても誰かとフロアで話しているのだから、情報源の男爵令息たちも「そんなことありませんよ」しか言うわけない。
女子生徒のお茶会は情報交換会。
特に今は隣国の王女が留学に来ているのだから、そこを中心にサロンが出来上がっている。
中心に近いところで参加できているだけでとても優秀。
アコニトゥム子爵家当主は
「早くちゃんとローズマリアに気に入られて、たくさん顔を売ってもらえ、婚約者と早く仲良くなれ、なんとかしろ、時間ないぞ!?」
のつもりで発破をかけたけど、息子には
「結婚が無理そうなら早めにコネを乗り換える必要があるから、まだ時間のあるうちに早くなんとかして婚約解消に持ち込め」
にしか聞こえていなかった不幸。
近視眼的に思考が歪んでいると、自分の聞きたいように内容を歪めてしまうから仕方ないね!
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