電車でゴットン(総武線ゴトゴト)
『通学路』
千葉の田舎街に住んではいるが、何かとあって東京に行かねばならない。
人混みがトコトン嫌いな私にとって、電車での往復は苦痛以外の何物でもない。
学生の頃は学校が都内だった事もあって、今ほど人混みに恐怖を感じていなかった。
実家から行く時は本郷駅から、居候していた湯島のマンションから登校する時にも、門の無い門から通っていた。
当時ロックバンドに夢中だった私は、湯島天神近くのマンションに事務所の有った【ジョーカー】という音響機器と証明のレンタル会社事務所に入り浸っていた。
イベントのある時は音響証明のスタッフとして手伝う約束で、家賃を勘弁してもらっていた。
衣食住の住は確保したが食費までは出してもらえない。
イベントがあればスタッフ弁当が出るし、ライブの後の打ち上げで食いだめすれば何日かは持った。
それ以外には、野球シーズンになると近くの野球場でビール売りのバイトがあった。
ビールをちょっとちょっといただけば、すぐに一杯の生ビールが作れた。
自分で飲んだりドサクサ紛れに売って現金化もした。
結構とわりのいいバイトだった。
あとは実家から送って来る野菜を湯島天神の参道で売った。
何とか食うには困らなかったが、イベント打ち上げの時しか酒が飲めないのがきびしくて、小さな出版会社で編集の手伝いをして酒代をひねり出していた。
つい数日前、面白そうなイベントが学校に近い所で有った。
朝早くに家を出たので、現地に着いた頃はまだ受付が始まっていなかった。
宿のチェックインにもまだ時間があったので、暫く会っていない先生の顔でも見てやろうと駅に戻った。
事件が有ってからは地下鉄に乗るのが怖くなってしまった今では、もっぱら御茶ノ水まで行って駅から学校まで歩いている。
昔は平気で歩き切った距離なのだが、年のせいか坂道が多くてほとほと疲れ、ようやくに通いなれた門までたどりついた。
入って直ぐのコンビニ前にある椅子に腰かけ冷たい牛乳を飲んでいると、懐かしい顔が声をかけて来た。
とっくに死んでいるものとばかり思っていたから幽霊を見たようで、驚いて口に含んでいた牛乳をそいつにふきかけてしまった。
色々と昔話をしてから、旧友の案内で世話になった先生に挨拶をして、目的の会場に向かった。
来る時は何とか歩き切れたのだが、どうにも帰りはつらいので仕方なしに、玄関横に並んでいるタクシーで一駅違いの会場へと向った。
それでも会場にはえらく早く着いた。
シャツが汗でべとついて気持ち悪い。
会場から歩いて5分ばかりの所に宿を予約していた。
一旦宿に行き風呂でサッパリとして、まだ日は高かったが小腹が減ったので早めに会場へと向かった。
開場が夕飯には早く昼食には遅い中途半端な時間だったので、会場近くにある立ち飲み屋で軽食でもつまみながら時間をつぶす事にした。
立ち飲み屋で生ビールを一杯の後に、チューハイを一二杯飲んで丁度良い時間を見計らい会場へ向かった。
『会場にて』
会場について直ぐに、使用料一覧を記した掲示物に興味を引かれた。
一人1000円の会費を受付で徴収しているが【この時間帯の使用量≒定員×会費】の数式が成り立つ。
何を考えているのか困った行事のようである。
イベント業界で言う所の【ペイライン無視】の暴挙。
受付で1000円出そうとしたが、生憎と10000円札の束しか持ち合わせがなかった。
どうせ釣り銭を出せる程の稼ぎはない。
細かいのがないからカード払いにしてくれと、輝くプラチナカードを提示したらば丁度9000円ありますときた。
何だよ、まだ9人しか入っていないのか。
「こんなんじゃ赤字でしょ」と聞いた私の問に受付嬢は「なんとかやってます」って、嘘をつくんじゃない。
いずれ流行らない催しであるのは察しを付けて来ていたから驚きはしなかったが、寂し過ぎる。
私がここに来たのは特別催し事に興味があったのではない。
面白そうだったのは、そこに集まる人間観察が目的だからだ。
一番後の席が良かったのだが、パソコンが置いて有る所から推察するに関係者の席であろうから、その前の客席最後部に座った。
この様な催しで人を観察するには、最後部の席が有利だ。
関係者が最後部に構えているような行事の場合は、後ろの席に座っている関係者が、客席の様子をパソコンを使って前で一席ぶっている演者に伝えている。
加えて、一人一人の態度や興味の示し具合などもチェックしている。
要は観察しに来ている私自信も、主催者に観察されている状態である。
すべからく催し物というのは、何等かの企みが主催者にある。
学校の入学試験の面接待合室の様子を、学校関係者がモニターしているのと同じだ。
主催者はかかった費用以上の何等かの収穫を期待しているし、何かを得ている。
したがって、イベントそのものは表面赤字でも問題無い。
私にはその何かが何だろうと関係の無い話しで、あっちキョロキョロこっちキョロキョロ、たまに後の席にいる関係者の動きなども見させてもらう。
参加者が全員そろうとほぼ満席となった。
観察する身としては人が多いほどありがたい。
ほぼといったのは、一人だけとんでもなく遅れて来た奴がいたからで、肝心な話をしっかり総て聞き逃している。
殆どの参加者は演者がのたまっている最中、配布された印刷物に一生懸命書き込みカキコしていたのだが、やはり私と同じ考えの奴が一人いた。
最後部の席でメモも取らずにジッと前を見ている。
前を見ているのだが、演者の話には反応していない。
下手に動くと自分の存在が目立ってしまうのを恐れて、目だけ動かして参加者を観察しているのが見え見えだ。
動かない御前が一番怪しい、目立ち過ぎだよ。
自然に振る舞いながら観察する術を早く覚えなさい。
私はバレても気にしないから、やりたい放題やっている。
と、先ほどの酒が今頃になって効いて来たか、妙に眠い。
ここで思い切って居眠りこいてやったら、さぞ気持ちいいだろうなと思うものの、あまりにも失礼なので気付かれないように軽く船をこいでやった。
『男日照り』
一瞬だったのか一時間だったのか、グラっとゴツっと机に頭をぶつけて目が覚めた。
きまり悪くぐるり見渡したが、誰も私の居眠りには気付いていない。
それどころか、先程の怪しい奴まで演者の話に聞き入りノートに何やら書き込んでいる。
同類がいると喜んでみたが、ただ催し物目当ての人間だったようで、いささか興ざめだ。
一通り演者の話が終わると、個々人の提出書類に演者が答えるというコーナーがあった。
私は気まぐれに受付締切ギリギリの予約だったので、そんな物は出していない。
配布された印刷物に個々の内容が掲載されているとの事であったが、普段でもパソコンの文字を大きく設定して使っているような人間である。
見慣れない小さな文字を見る気など毛頭無く、ボーと暇な一時を過ごさせていただいた。
おかげで開場前に軽呑みした酒も抜けてきた。
すでに本格的に呑み始めなければならない時間ではあったが、これから演者が個人の質問に答えるとかで、私にも質問用紙が配られた。
質問用紙だけ配っておいて、筆記具を渡してくれない。
この様な催しに参加する者は筆記具を持ってくるのが当然とでも思っているのだろう。
世の中には当然の解釈で理解できない奴がいるものだ。
とても大事な事にスタッフは気付いていない。
司会者が先ほどから時間が押しているを連発している。
ここで難問を突き付けて気を煩わせたり時間を食っても迷惑だろう。
それよりも私が酒を呑む時間が削られてしまう。
自宅であれ旅先であれ、午前零時が睡眠の為のタイムリミットであるのは変わらない。
呑み始めが遅ければそれだけ呑める量も減って来る。
毎日同量の酒を決まった時間に呑むなどといった愚かしい行為には賛成できない。
肝臓のアルコール処理能力と相談しながら、胃腸が溶けださない程度に脳が満足するまで呑む。
それも午前零時までのシンデレラ飲酒は、美貌を維持する為に守らなければならない私の唯一の生活ルールである。
助平心丸出しで鼻の下を伸ばし、粗末な陰茎をだらしなくぶら下げている男共を手玉に取るには『たまんね~』と言わせるボディーと整った(ある程度は化粧でなんとかなる)目鼻立ちは必須である。
不規則な生活で失う訳にはいかない。
千葉に比べて東京の暑さは尋常ではない。
本来ならば水着に軽く上着をひっかけただけで歩きたいのだが、海水浴場かプールの近くでなければ、いささかかかなり危ない奴と思われかねないのが東京だ。
一般人が見て裸ではない程度に布きれをまとってはいるが、それでも会場にいる他の女より露出度は九割がた多い。
であるにも関わらず、ここに居る男達は人を見る目が無いのか女を必要としない性癖の者ばかりなのか。
めったに見られない私が服を着た姿。
見えそうで見えない超セクシーファッションに見向きもしない。
見向きをするも何もなく、席に予め置かれていた印刷物と演者ばかりを見るのみで、誰も私の存在に気付かないのは少々残念でプライドが傷ついている。
スタッフの中に一人、私をチラ見している奴がいるが、仕事上の観察なのかスケベなのかの見分けが付かない。
強いて私に気付いた者を挙げるならば、開場しても直ぐ会場に入らず後から入って来た怪しい観察女で、せっかく気付いてくれたのは有難いが、私にその方の趣味は無い。
わざわざ東京まで出て来たというのに、収穫なしで帰るのは心残りだが、肝心の男共がフニャばかりではどうにもならない。
夏だというのに日照り続きで精神エネルギーが欠乏気味だ。何とかならないだろうか。
『立ち飲み屋』
つつがなく申し訳なく一通りの儀式が終わった所で、私はそそくさ会場を後に立ち飲み屋に向かった。
19時。
外はすっかり暗く、石ばかりの高いビル壁に囲まれてピザ焼石窯状態だった街が、少しだけ冷え始めている。
身が焼け薄化粧がとろけるチーズになる程暑苦しかったのが、少しは動きやすくなっていた。
会場の使用料を値切っていたのだろう、あまり冷房の効いていない館内だったおかげで、いきなり外に出ても温度差を強く感じる事は無かった。
とはいうものの、会場では軽い酔いに夢心地でいられたものを、酔いが醒めて外に出て見れば何とも都会は過ごし辛い。
千葉に居たならばこの時間、海風山風が街中を吹き抜けている頃である。
厚手の上着無しには風邪をひいてしまうまで涼しくなる。
居眠りから起きて閉会まで頭の中でウゴウゴしていたのは、先ほどの立ち飲み屋でハイボールをまだ飲んでいなかった事ばかり。
このまま帰るのは心残りでならない。
田舎とちがって都会には色々な酒がある。
都会に出ると宿のラウンジでは何とかフィズだのレインボーだのと言って、いろとりどりのカクテルをついつい呑み過ぎてしまう。
口当たりがいいのでいい気分になっていると、悪酔いして後から辛くなるばかりだから、私は極力この手の酒は呑まないでいる。
それでもあの酒この酒と目移りしてならないもので、たまに小奇麗な店を見つけるとちょいと一杯飲む事もある。
嫌いな酒を無理に呑む事はしない。
それこそ酒に失礼だから、気に入った酒だけを呑んでいる。
根が貧乏性な者で高い酒は好まない。
安くて量があるハイボールなどは夏に嬉しいのだが、家にいたのでは毎日とはいかない酒である。
騒がしいのは嫌いだが立ち飲み屋ではそれが当然で、静かすぎるのも何かと危なっかしい気がして入る気になれないのが居酒屋である。
普段の感情とは裏腹に、都会に出ると少しばかりの賑わいならば有って当然と思えるから不思議だ。
早速に立ち飲み屋でハイボールを一杯頼んだ。
喉が渇いていたから一気に飲み干して、二杯目でじっくりと構える。
喉が乾いて居る所に酒を呑んだからと言って、暑さがまだまだ残っているこの街では、飲んで汗となって蒸発してしまう水分は酒で補給できないのは知っている。
外出先でなく家で呑む酒でも脱水状態をつくってくれるのは同じだから、所詮は焼石に水といった処なのだが。
このまま干からびてしまうよりはよかろうと、気持ちを誤魔化し、家では一杯の酒を注いでは呑みを繰り返している。
そんな事を何年やったろうか、数える気にもなれない。
客の入れ替わりが激しく、どんな人達が客でいたのかなどといちいち気にもとめていないが、催し物会場で後ろから見ていたものだから、知った何人かがやってきては楽しそうに飲んで話して騒いで。
まったく会場では気付かれなかったが、ブリブリブリッコばかりのこの街では珍しく、私のように危険な香りのする美女が一人で呑んでいるのだ。
酔った助平ならば少しはこちらに目が向くものだろ………。
見ろよ!
ほれ、放漫な乳房が谷をつくってチラチラと君達の視線を待っているぞ。
反応無しかよ。
辛い。
この街に来る奴等は、可愛い娘ぶりっこブリブリのガキにしか興味が持てないらしい。
てめえら酒なんか呑んでないで、一生かあちゃんのおっぱいしゃぶってろ!
それとも何か、ロリポップキャンディーが欲しいんかい。
次にこの街に来る時は、私、ちょっとイメチェンして来ようかな。
悔しいけど、メイド服かわゆい。
『道連れ』
二杯目をチビチビやりながら人間観察をしていると、店前の交差点でスマホをいじりながらキョロキョロしている奴がいる。
いかにもこの辺の地理に不案内で、田舎から出てきたばかりですから私をダマしてやっちゃってくださいと言わんばかりの挙動である。
その事を気取られまいと、身成はしっかり都会している。
先程会場にいた不審な観察女だ。
あいつ、あんな歩き方してたら本当にヤバイ兄ちゃんに何されて外国に売り飛ばされちゃう。
【袖擦りあうも喧嘩の種】ってことわざも有る事だし、ここは何者なのかチョイと探りをいれてやろうと声をかけてみた。
「あんた、イベント会場にいたよね」
彼女は私に突然後ろから声を掛けられて驚いたようだったが、流石に観察女、人の本質を一瞬で見抜いたか、私の溢れ出る博愛の精神を察したか、直ぐに恐怖から立ち直った。
とりあえず呑みながら話さないかと誘ってみた。
快諾してもらったのはいいが、初対面で立ち飲み屋というのも洒落っ気が無い。
何処ぞに手頃な呑み屋は無いかと、2人で交差点を渡って駅近くに店を探した。
生憎私も彼女もこの街には馴染んでいないのが傍から見て明白で、危なそうな御兄さんたちに声かけられながら居酒屋のキャッチに捕まった。
少々呑んでいた私がキャッチ兄ちゃんに話を付けて、全品二割引の契約成立で店に案内された。
なるほど簡単に二割引交渉に調印したわけが判る。
今にも倒壊しそうなビルで、シヤッターが草臥れて半分開かない状態のまま放置されている。
さらにその奥から、震度2でも急停止してしまいそうなエレベーターで何階かに昇って行く。
エレベーターの文字盤がボコられて、ぶら下ったままなので何階か判らない。
ついでにエレベターから降りたら壁中に【ダラダラー参上】【ブルースクワット死ね】などとカラースプレーによる落書だらけ。
キャッチの兄ちゃんは「内装ですから、なかなかニューヨークしてますよね」ってオマエな!
今時デトロイトでもここまで荒れてないぞ。
疑いようの無い怪しさだったが、店の中に入ると若い人ばかりで賑やかにしているので少し安心した。
半個室のようになっている席で、本来ならばゆったり静かに出来るのだろうが、隣の奴らが暴れるものだから壁に突き当たっているのだろう。
ドンドンと絶え間なく五月蠅い。
喧嘩にしては大人しい。
はしゃぎ過ぎているようだ。
イラッとしながら呑んで話をしていたが、五月蠅くて観察女の声が聞き取れない。
生ビールを二杯か三杯飲んだところで、他の店に行こうで意見が一致した。
………までは何とか思い出せた。
何の催し物だったのか、どうやって宿に帰ったのかが思い出せない。
判っているのは酷い二日酔いと、軽く曲がった超合金の杖。
それにしても頭が痛い。
あの観察女、何者だったんだ?
久しぶりに深酒をしたらしい、参った。
私はあまり反省をしない人間だ。
反省をするとついついずっと昔の事まで遡って反省して、どよーんと落ち込んでしまうから。
何時ものように落ち込んでいると、もう何十年も前の出来事を思い出した。
事件というほど大それたものではないが、チョットした事で私の人生が真反対に向いたのだから個人的には一大事だ。
『総武線ゴトゴト』
隣にそれなりの相手が居るならば話は別だが、シングルルームの朝は酷い二日酔いの時がほとんどだ。
今回も例外では無かったようだが、一部の記憶が飛んでしまっているのは久しぶりだ。
腕に手錠の痕があるでもないし、拘置所で朝を迎えたのでもないから、それほど心配するヤンチャもしていないだろう。
東京に用事があって宿泊した朝、無料サービスのバイキングなどの場合でも、ホテルで朝食をとる事は殆ど無い。
夏場などは特に薄着慣れしているので、うっかりラウンジなどに朝から出て行くと、美女慣れしていない野郎共にジロジロとやられるのが嫌でたまらない。
そんな事が無いにしても、基本的に私の性格は引籠り傾向にある。
朝食は何時も駅のホームで済ませている。
駅には私より数段も上を行っている薄着の御姉さんが、わんさか居るので過剰に見られている気がしない。
海辺に引っ越す前は柏駅から常磐製か千代田線で東京通いをしていたが、今は総武線の御世話になっている。
特に私は総武線の特急が好きで、時間のある時は東京駅まで行って特急待ちをしている。
この特急は何故か成東駅から先は各駅になる時があるらしい。
広域鉄道ではあるが、何となく雰囲気がローカル線ぽくて好きだ。
総武特急は白地に黄色のラインが鮮やかでその姿も好きだが、どちらかというと同じホームに入って来る成田エクスプレス見たさでわざわざ東京駅まで戻っている。
今回は具合がよろしくないので錦糸町から特急に乗る。
錦糸町で総武線の各駅を降りると、ホームに立ち食いそば屋がある。
入口で食券を買う慣わしで、何時もながら面倒臭い。
何を食べようかなどと考えたりはしない。
必ず月見そばに天ぷらをトッピングしてもらうのだが、今日は胸焼けがするので天かすで勘弁してやった。
ここの月見の月が見事に小さくて、本当に鶏の卵か? と思えるスリーSサイズ。
実際には割高になるから有り得ないのだが、近所をうろつく鳩の卵でも入れているのではないかと思えるほどだ。
蕎麦麺は【そば】というより小麦粉にそば粉を少々混ぜただけの【そば風細打うどん】で、ネチッとした歯ごたえが特徴だ。
薬味ネギは好きなだけ入れられない。
カウンターには唐辛子しか置かれていない。
きっとネギだけで腹いっぱいにして帰ってしまう客がいたのだろう。
ちなみに水はどれだけ飲んでも料金を請求されない店であるから、その辺は安心していていいようだ。
このそば屋で軽く前菜を済ませてから反対側のホームに向かう。
各駅と特急の停車ホームが違うのはちょいと不便だが、御蔭で違った雰囲気の店が特急のホームにはある。
各駅ホームのように次々と電車が停発車して、乗客の流れが忙しない所には、立ち食いそば屋がいい感じにマッチしている。
特急のホームは一時間に一本か二本の電車が入って来るだけで、乗客も心なしかゆったりと構えているように見える。
特急のホームからはスカイツリーがよく見える。
特急待ちの一時間近く、何時もホームの中ほどにあるコーヒースタンドで過ごす。
ホットドックかトーストのセットを頼み、パンはとっととやっつけて、不味いコーヒーをゆっくり呑みながら行き交う人を観察するのだ。
あまりゆっくり飲んでいると冷めて泥水味になってしまうので、程々にゆっくり飲むのが難しく、何時になっても習得できないでいる。
何気なくぼんやり眺めているだけで、この駅は十分に楽しめる。
朝からホームに落ちる酔っ払い。
これから闇市にでも行くのか程の大荷物を背負ったおばあちゃん。
巡業に連れて行ってもらえなかったアブレ組の御相撲さん。
間違ってもブレイクしないだろう派手な衣装のまま移動する芸人さん。
江戸から明治・大正・昭和・平成・令和がゴッチャになった景色は見ていて飽きない。
特急に乗って90分もあれば家まで帰れる。
特に帰ってから何かをやらなければならないでも無く、帰り道ついでに御爺ちゃんの顔でも見に行こうと思い立った。
卒業してから生れ故郷に帰って就職した。
都会と違って仕事があまり無いので、一般的な職種で仕事に就くのは困難な地域だ。
東京でこのまま就職しようかどうしようかと悩んでいた時、御爺ちゃんが仕事を世話してくれた。
どんなに優秀だって、卒業して直ぐに自分の事務所を持てる人はいない。
昔は先輩を頼って事務所に居候しながら勉強して、少しずつ顧客を増やし独立するパターンが多かった。
嫌な言い方だが【イソベン】というのが新人弁護士の御決りコースだった。
それがここの処の不景気で、先輩弁護士でさえその日の仕事にあぶれる日がある。
即戦力にならない新人弁護士は事務所から敬遠され、イソベンにもなれずにコンビニでアルバイトに励んでいる。
私的には正義の味方みたいな弁護士に憧れがあったのだが、如何せん育ちが育ちなもので、真逆の立場の依頼の方が圧倒的に多い。
簡単に就職出来た地元の弁護士事務所は、御爺ちゃんの紹介だったから薄々ヤバゲな事務所なんだろうなとは思っていたが、弁護士事務所というには程遠い雰囲気を醸し出している。
それでも一緒に仕事をしていると、先輩達には彼らなり其れなりに正義の尺度が有るのだと、この頃認識してきた。
現行法と自分達の定規の数字とを、無理矢理一致させてしまう。
私の頭脳では理解不可能な法則が有って、宇宙物理学みたいな真理を彼等は理解しているらしい。
絶対懲役を無罪にするなんて離れ業を、何度も見せつけられてきた。
業界で【神の法を振りかざす悪魔】と呼ばれている所長は、若い頃に御爺ちゃんからの資金援助で弁護士になった人で、何度も堅気の人に刺されて病院送りにされている。
それでもヤクザな弁護士稼業から足を洗わないでいるというのは、どの様な信念が有っての事かと一度聞いた事がある。
答えは極めて単純で「堅気に恨まれても刺されるくらいで済むから安心して寝られるけど、親父さん(所長は御爺ちゃんを親父さんと呼んでいる)に嫌われたら地獄に逃げた方が楽だものな~」と思っているらしい。
早くに両親を亡くした私には親も同然の優しい御爺ちゃんなのだが、やはり世間様からはそれなりに恐れられているようだ。
昼を少し過ぎた頃、駅に着いたので少し歩いて海鮮丼の美味しい店に入った。
幼馴染がやっている店で、一般の客には出さないレアな生が食べられる。
事務所に近いのも有ってチョクチョク顔を出している。
何度か船で海釣りにと誘われたが、魂胆が見え見え過ぎてどうにも。
何時も適当に断っている。
給料日前になると「釣りに行きたいな~」なんて言ってみたりする時もあるが、最近では彼も私の魂胆を見透かしているようだ。
御爺ちゃんの家に行ったら電話番の若い衆が二人ばかりで、他には誰もいなかった。
盆暮れ正月だってここまで手薄な事務所は見た事が無かった。
何処かで出入でもあって総員出払ったのかと慌てたが、留守の者の話では皆で慰安旅行らしい。
旅行といっても温泉街の真ん中の事、何時も近場で済ませている。
残っていた若い衆も夕方には宿で合流するとかで、御爺ちゃんに連絡を取ってくれた。
何でも世話に成った人が近くの温泉に遊びに来ているので、ついでに組の者がみんな集まって宴会を開くらしい。
子供の頃から御爺ちゃんと一緒に何度も遊びに行っている宿屋で、色々思い出のある所だ。
帰って来てからまだ一度も行っていないから、私も参加させてもらう事にした。
どうせ組の者から先生先生とおだてられるのが大好きな所長も居るに違いない。
怨み辛みはないけれど、酔っ払った所長をからかって遊ぶのは好きだ。
『あんちゃん』
法律事務所に見習いで入って直ぐの頃、名前だけでいいからと近くの病院から肩書をもらった。
人様に見せる事もないだろうと、名刺の裏に【銚房医院理事長】と載せてある。
内部のゴタゴタが噂になっている病院で、弁護士が理事長ならば病院でチグハグ好き勝手やっているな連中も少しは大人しくなるだろうとの策略だと聞いた。
実のところは、近在の者なら誰でも知っている。
私と御爺ちゃんの関係をひけらかして、反乱分子を黙らせたかっただけだ。
そんな事をしたって、今まで表立ってやっていた事を裏に回って続けるに決まっていた。
御爺ちゃんが病院の改修工事を請け負った時、院長に内部事情の詳細を説明された。
聴く前から粗方察しはついていた。
外科と内科の相性の悪さ、医師と看護士の対立、医事科と出入業者の癒着等々。
そんなのは利権絡み、就労形態の違いや治療方針の違いから、どこの病院でも大なり小なり有る事だ。
加えて言うならば、関係業者からの贈り物なんてのは、業界では当たり前にまかり通っている現実で、それを良いだの悪いだのという事自体がナンセンスな世界。
病院は日々の人出入が多く、ちょっとした物でもそんじょそこらのコンビニよりよく売れる。
自販機一つとっても、道路や煙草屋の店先にある物の十倍近い売り上げを期待できるのが、病院という閉鎖された特殊な空間だ。
医薬品は、製薬会社が医師にマメな営業をして回っている。
医療機器担当者への接待は日常で、接待されたからと悪びれる様子など無い。
この当たり前のバックマージンが、結果として病院への請求上乗せとなり、積もり積もって病院経営の悪化に関わる程の出費増になっている。
名前だけの理事長の筈だったのに、何時の間にやら病院の顧問弁護士にされていた。
顧問弁護士になったところで顧問料はもらえない。
経営難の病院である上に、私は理事長の椅子に座っている。
欲しくも無い名誉職で肩書の為に実利を放棄した形だが、まだまだ見習中だからしかたない。
それでも事有るごとに病院に呼び出されると、御爺ちゃんと院長と所長の三人に、上手い事騙されているのではと思う事がある。
院長からこの先について相談されたって、人生経験が私の倍以上もある人達が三人寄っても解決しないのに、今更あんなこんな言える事など何も無い。
宿に向かう途中で院長から電話が有った。
院長の旧友から紹介で、一人の医師がやって来ているらしい。
話ではその医師はこれから向かう宿に宿泊予定が有るとかで、辞令を届けてほしいとの事だった。
辞令は理事長の私が書くべき物だが、何時も院長が代筆してくれている。
院長室に立ち寄って、辞令に書かれた名前を見て驚いた。
子供の頃に何時も「あんちゃーーん」とくっ付いて回っていた人の名が書かれてある。
私が柏に越してすっかり疎遠になっていた。
たまの噂話に医者になったらしいとは聞いていたが、まさかこの病院勤務とは。
ほとほと運に見放されて、つきの無い人だと笑える。
御爺ちゃんの知人の家で世話に成っていると聞いていたから、当然ながらに極道だとばかり思っていた。
それが医者になったと知った時は天地逆転ほど驚いた。
子供の頃、私がいじめっ子に馬鹿にされているのに怒って喧嘩でボコられたり、溺れている私を助けようとして自分も溺れて漁師に助けられたりと、私に関わったばかりに酷い目にあっている。
それでも、何時も宿前の海岸で遊んでくれた人だ。
私が理事長だと知ったらどんな反応をするだろう。
病院の嫌な噂くらいは聴いているのに、それでもやって来るのは義理有っての事だから断れないのだろう。
それに、私絡みで災難に巻き込まれるのは慣れているだろうから、きっと引き受けてくれる。
新しくできたERの部長職。
病院史上最年少の部長。
私、よく危機感の無い性格だって人から言われるけど、この辞令は今にも発火しそうで危険だ。
医者になっていても基は気性の荒いヤクザな人だ。
病院が、怪我した病院関係者で満杯にならなければいいのだけれど。
ちょっとだけ不安、たくさん期待。
『幼馴染』
通いなれた道で、駅前の事務所から宴会めがけて宿に向かった。
売れないミュージシャンで、何時もツアーと言っては地方公演で留守がちだった両親に代わって、御爺ちゃんが私のめんどうを見てくれた。
殆どは組の若い衆に任せておいて、俺が育てたみたいに言っているだけなんだけど。
それでも温泉にはよく連れて行ってくれた。
近所の子達とは仲良くしていなかったから、遊び相手は組の者や宿の人。
大人ばかりで、子供らしい遊びというものをした記憶があまりない。
御爺ちゃんと宿に行くと、いつも人と話があるからと私は宿の女将に預けられていた。
女将の部屋には古い日本人形が何体か飾ってあって、それで遊んでいたのが女の子らしい遊びの唯一だったかもしれない。
一番好きな遊びは花札博打で、御金ではなくて菓子なんかを賭けていたのだけれど、私が勝った時の大人の悔しがる仕草が可笑しくてやみつきになった。
宿は今、西の老舗旅館の三女だかが嫁に来て、宿の一切を仕切っている。
若女将が嫁に来たのは、私の両親が柏でライブハウスを開店するのにくっついて越した後の事で、今の宿を仕切っているのが若女将だと知ったのは最近の事だ。
昔遊んでもらった大女将だが、今はすっかり記憶や行動が幼稚になってしまい、客相手にもめごとも何度か起こしてしまったとかで、近くの養護施設に入ったきりでいる。
たまに面会に行く事も有ったのだが、私が子供の頃の事は覚えているのに、大人になった私と子供の頃の私が同一人物だとはどうしても理解できないようだ。
ただの優しいアバズレ姉ちゃんくらいにしか思ってもらえないので、最近は会っていない。
女将に預けられるといっても忙しい宿屋の事、実際はほったらかしなのだが、御爺ちゃんにしてみれば宿の中で私が遊んでいる分には仲居や板前の目がとどくから、外で悪ガキに虐められるより安心して居られたようだ。
宿では何時も、少しばかりの期待を抱いて海岸を散歩していた。
週一で家出して来る兄ちゃんが、海岸にうろうろしている時は遊んでもらえたからだ。
一人でいる時とたいして変わった事をするでもなく、ただ海岸で砂遊びをしたり、潮だまりの魚や蟹を捕まえたり。
同じ事をやっているのだし、兄ちゃんと何かを話すというのでもないのだが、兄ちゃんが近くに居てくれるだけで安心していられた。
兄ちゃんとは、子供の頃引っ越してからは一度も会っていない。
兄ちゃんが私の事を覚えているとも思えないが、私的には愛だの恋だのを差し引いて思い焦がれていた人だ。
何かにつけて話題の多い人で、顔を出さなくても宿には兄ちゃんの情報が流れて来ていた。
御爺ちゃんの知り合いで、山城の爺ちゃんがえらく気に入った人だから、御爺ちゃんの処に来る度に写真等も見せてもらっていた。
一度兄ちゃんと見合いの話が持ち上がったけど、そればかりは勘弁してくださいと断った。
今更、幼馴染と見合いも無いものだ。
そんなこんなより、私が兄ちゃんと一緒になるというのが妙にくすぐったい。
宿に着いて少しばかり女将と話をしてから、ロビーでとりあえずのビールをもらって呑んでいた。
どうせ宴会は何時終わるでもない馬鹿騒ぎがダラダラと一日中続く。
正直に付き合っていたのでは体か持たない。
しかしながら困った物を託されてしまったと辞令を眺めていると、目の前を無駄に大人らしく育った兄ちゃんが、見目麗しき乙女を無視して大浴場へと素通りしていった。
おい、私を忘れたか!
気付いた時には、兄ちゃんに飛び蹴りをかまして馬乗りになっていた。
組の若い衆に見られてしまい、つい恥ずかしさのあまりハイタッチをして誤魔化したまではいいとしても。
さて、これからどうしたものか。
『進むべき道』
ハイタッチの手をプラプラしていると、尻の下からいきなり失礼な言葉が響いて来た。
「あんた、誰?」
他の言い方があっても良さそうなものだが、乙女心をグッサリ深く傷つけても平然としていられるあたり、やはりこの人はヤクザだ。 泣き出しそうな気持ちを抑え、ソファーまで走って兄ちゃんを呼んだ。
酔っているのか疲れているのか、ドッカとソファーに座った兄ちゃんに名刺を出して見せる。
子供の頃に遊んだきりだから、私は兄ちゃんを知っていても彼は私に気が付かない様子で、しっかりマッタリ私の顔に見とれている。
名刺を裏返し「病院から」と辞令を出しても上の空で、ボ~として辞令をゴミ箱に投げてしまったので拾ってあげた。
明日にでも病院のスタッフに紹介するからと言っても訳が判らないといった様子なので、昔話をしてどうにかこうにか事の次第を理解してもらった。
子供の頃から喧嘩は強いけれども、会話が時々チグハグになる事がよくあった。
兄ちゃんの頭の中は異次元で、こことは別の宇宙が広がっている特殊相対性理論の世界なんだと思っていた。
大人になってヤクザの世界に入ったと聞いたので、進むべき道はまちがっていないんだなと安心していたものだから、後から医者になったと聞いた時は驚いた。
今こうして会話していると、やはり兄ちゃんは道を踏み外したんじゃないかなってちょっとだけ思う。
病院の案内はどうでもよかったのだけど、今日は御祭りで神輿も出ているから、久しぶりに兄ちゃんと行って見たくなった。
宴会の途中だったけど、無理に御願いして病院に付き合ってもらった。
病院では今一番暇している精神科の末成先生と、地下室のエイリアン鬼太郎さんに挨拶して周った。
兄ちゃんには会わせたくなかった泌尿器科の、舘田椿子先生に庭で捕まってしまった。
外科の拝一刀先生と兄ちゃんは、人を切る共通点があるからか気が合いそうだった。
内科の臼井陶鉢先生は根っからのチャラ野郎で、私もあまり好きになれないのだが、硬派の兄ちゃんにしてみたらぶち殺してやりたいと思う種族らしい。
ヒマそうな先生達に軽く挨拶周りして、帰り際鬼太郎さんに庭で会った。
何時もの様にペットの大芋虫に毛虫を食べさせている。
鬼太郎さんは病院の施設管理部長だから、今後の事は二人でよく相談してくれるように重ねてお願いした。
宿に帰る途中、廃校になって今は民宿になった学校に行って見た。 超が付く学校嫌いだったらしく、兄ちゃんが学校に来ているのを見た事が無かった。
それでも久しぶりの学校に何か思ったとみえて、足元の石を拾って職員室めがけて投げつけたら、見事に窓ガラスが割れた。
一枚で良かった。
即効逃げた。
毎年御祭りが近くなると、兄ちゃんが宿の厨房で余ったイカのゲソをもらって来て、海岸でゲソ焼きを作って食べさせてくれた。
家出してきている者だから、衣食住は宿に居候して何とかなっても御小遣いが無くて、御祭りに行くのが嫌だったらしい。
夏祭りの夜、無理矢理引っ張って御祭りに行ったのを思い出した。 あの頃は私も御小遣いは持っていなかったけど、的屋はみんな御爺ちゃんを知っていたから、私は無一文でも御祭りで飲み食い遊びができた。
あの時兄ちゃんは「おめえすげえな、この島任せてもらってんのか」と的外れな話に夢中に成っていた。
何時も浜で焼いてくれるゲソ焼きが好きだったのだけど、兄ちゃんは夜店のイカ焼きが恐ろしく気に入ったみたいで、三つも食べて缶ビールまで飲んで、そのまま漁船盗んで海に出た。
そのままコマセ撒き器になった。
海岸を少し歩いてから宿に帰ったら、女将に外へ押し出された。
だいぶ前に鬼太郎さんが宿に来て、兄ちゃんの部屋で待っているとかで、直ぐに部屋に行ってくれと言われた。
兄ちゃんの部屋を覗いて見たかったけど、鬼太郎さんが居たのではつまらない病院施設の話になるだろうから、私は御爺ちゃんの宴会に参加すると言って其の場から逃げた。
今日は勘吉さんの祥月命日で、毎年この宿で組の人が集まって宴会をしている。
今回は兄ちゃんの赴任挨拶の宴会も重なって、御客さんが何時もより多い。
組だけの宴会ならば酒も肴も組の若い衆が運んだり片したりを手伝うから、宿は忙しい思いをしないのだけど、今回は明日の病院関係の宴会が控えているから随分と忙しそうにしている。
宴会場に行く途中、大女将の部屋を覗いてみた。
子供の頃遊んだ日本人形がそのまま。
ドンチャン騒がしい宿の中で、ここだけ静まり返っている。
ここだけ暑いのかな。
涙ポロポロって。
やだー!
化粧が落ちちゃうよ。