第九話
「はい、綺麗に治ったよ。走る時は足元に気を付けること。大切な相棒にもう怪我はさせたくないでしょ?」
「ありがとうリュカ兄ちゃん! ほんとに綺麗になった! 町医者よりよっぽど腕が良いって母ちゃんが言ってた通りだ!」
「こら、俺は医者じゃないって何度も言ってるでしょ。俺は人形修繕師、壊れた人形を治すのが仕事。人間の病気や怪我を治す手助けをするのがお医者さん。ほら全然違う」
「似たようなもんだと思うけどなぁ」
「人形のお医者さんより人形修繕師って呼ぶ方がかっこいいんだよ。ほら、早く帰って修繕師が治してくれたってお母さんに報告しな」
「うん! じゃあね、人形のお医者さん!」
「だから俺は医者じゃなくて人形修繕師だって! もう!」
相棒の人形を抱いて店を飛び出して行った街の少年を見送る。今日も一人患者さんを治してあげられた。でも俺の気分はそれだけじゃ晴れなくて。
少年の背が見えなくなってからドアを閉める。診察室のデスクに戻って深く椅子に腰掛けた。急患用の白紙のカルテや師匠が作ってくれた修繕の為の資料をまとめて置いてあるデスク脇の棚から、一冊取り出す。今度はページが抜け落ちたりしない。俺が幼い頃読んだものとは絵の違う、古い絵本を開く。内容は聖書に描かれる伝説の人形師。この本の持ち主が子供の頃には鮮やかだったであろう絵も、随分と色褪せてしまっている。
「またお母さんのご本読んでる。そのお話そんなに面白い?」
「うわ。埃まみれじゃないか。今度は何処に潜り込んだの」
色褪せた絵本を眺める俺に声をかけてきたのはナポレオンだった。またこの家のどこかを探検していたのか埃まみれになっている。埃まみれの体でこのデスクをよじ登って来たのか。人と違う人形の体とは言え、かなりタフに出来た体だ。
「えへへ、内緒。それよりさっき来てた患者さんはまだ魔法石の無い子だったね」
「あの子はまだ八歳だからね。魔法石の洗礼はまだ先だよ」
「誰かの相棒になるってどんな感じなのかな」
「さあ。それはクロエちゃんやクラリスちゃんに聞いた方が早いと思うよ」
ナポレオンのお母さんを探し始めて二週間が経った。相変わらず彼女に直接繋がる情報は全く得られない。王都で活躍する若い人形師の話とか、今年の夏王都にサーカスが来るだとか、オートマタの技術がとうとう王様の目に触れることになったとか、そのオートマタを作る技術者が南東の国境沿いの森に住んでいるとか、いろんな情報が雑多に入ってくる。全部リオが仕入れてくるもので、これでも一応彼が選別しているらしい。
「二人とも、次は何時来るかな」
「どうだろうね。二人とも忙しく動き回ってくれてるから」
ナポレオンのウィッグにまとわりついた埃を櫛で落とす。ナポレオンがうちに来てからと言うものの、やんちゃな弟が出来たようだ。マリーも似たような事を言って手を焼いている。
「ねえナポレオン。ちょっと聞いてもいいかな」
「なーに?」
「君のお母さんのお弟子さんってどんな人だった?」
「お母さんのお弟子さん? んっとね……。……どうしよう、僕あの人の名前知らない……」
「え。それはまたどうして?」
「お母さん、お弟子さんの事名前で呼ばなかったの。クソガキとか、そういう酷い言葉で呼んでた。お弟子さんもお母さんにくそばばあって返事してそのまま喧嘩になったりしてた」
「随分変わったお弟子さんだったねそれは」
「そうだよ。僕はナポレオンだって何度言っても、ずっとちび助呼ばわりだったし。僕だけじゃなくて皆変なあだ名で呼ばれてたよ。モルガンなんてサイレーンって化け物の名前で呼ばれてたんだから。その事でお母さんと喧嘩もしてたよ」
「……人形師って変人しか居ないのかな。ナポレオンのお母さんを変人って言ってるわけじゃないのはわかってね」
「人形師は変人、じゃなくて変人が人形師になるんじゃないかな」
「じゃあ人形師を目指してた俺も変人?」
「多分ね。リュカのお師匠さんも変人だったし」
「変人が人形師になるって言うなら君のお母さんも変人だし、その変人のお母さんに作られたナポレオンも変人ってことになるけどいいの?」
「僕はドールだけど、子供は親の背を見て育つっていう言葉があるんでしょ?」
「確かにそうなんだけどさぁ」
人工毛の髪を梳き終えた俺の手にじゃれついてくる小さな友人。聖書に出てくる人形の名を与えられた彼は、小人の意味を持つその名に恥じぬ小さな体の可愛らしさを活かして人に甘えるのを得意とする。そのおかげで一躍街の人気者、診療所を訪ねてくる人達皆にナポレオンがいるかどうか聞かれるのだ。患者のドール達も彼を気にかけているようで早く人形師が見つかるようにと神に祈ってくれる。小さい子って可愛いなぁ。指の背で頬を撫でれば彼はうっとりと目を細める。マリーの許可が取れるならナポレオン型をお迎えするのもありかもしれない。診療所の受付とか、このデスクの上にちょこんと座ってたら可愛いだろうなぁ。
「君のお母さんは本当に天才人形師だったんだねぇ」
「なぁに、いきなり」
「なんでも。それよりマリー、遅いね。おばさん達の井戸端会議に捕まっちゃったかな」
「マリーと一緒の時捕まった事ある。おばさん達ってなんであんなに話が長いんだろう」
なんて話してたら診療所のドアベルが鳴った。噂をすればなんとやらだろうか、それとも患者さんかな。
「リュカ! 居るか?」
残念、患者さんでもマリーでもなかった。乱暴な幼馴染だ。
「はいはい居るよ。そんなに慌ててどうしたの」
ナポレオンを肩に載せて受付の方まで出れば、慌てて走ってきたのか肩で息をするリオと、その背中をさするマリーが居た。
「あっマリーおかえり」
「ただいま。遅くなっちゃってごめんなさい、ちょっと井戸端会議に捕まっちゃって」
「リオはどうしたの。そんなに息切らして」
「聞いて驚け……。王城から返事が来たぞ……。っはぁ……」
一体どれだけの距離を走ったのだろう。それほどまでに疲労困憊した幼馴染の二の句を待った。
「お母さん見つかったって?」
「まだ開けてねえ。司祭の計らいで俺に直接届くようになってた」
「粋なことするわね、司祭様も」
「早く開けよう」
王家の紋章が刻まれた封蝋は確かに王城からの返事だ。頑丈に封をされた書簡を解く。中身はとても丁寧な字と言葉で綴られていた。
「お母さん! お母さん見つかったって?」
「待て! 今読んでる最中だっつの!」
急かすナポレオンの声を耳にしながら読み進める。城の人達は司祭様で無く俺達市井の若人に向けてこの手紙を書いてくれたようだ。俺達の求める情報、ナポレオン型を生み出した人形師の行方は。あった。
「読み上げるよ、聞いて。人形修繕師殿の探している人形師、ブリジットが姿をくらました件について。司祭より受けた依頼に基づき捜索を行った結果、人形の国南東、国境沿いの森に居を構えているとの報告あり……」
「お母さん居た……。お母さん生きてた……!」
「良かった、良かったねナポレオン! お母さんの所に帰れるよ!」
「リュカ、ありがとう! リオも、マリーも、皆……!」
小さなガラスの瞳から大粒の涙が溢れ出す。良かった、本当に良かった。居場所もわかって、後は皆をお母さんと引き合わせてあげるだけ。
「ナポレオン。お母さんを迎えに行こう」
「うん!」
「よし、そうと決まりゃあ今日中に発つぞ。善は急げだ」
「でもどうやって行くのよ。ここから南東の国境沿いなんて馬車で一週間は確実にかかってしまうわ」
「馬車より早い物がある。この街から少し東に行ったとこの宿場街、あそこに汽車ってのが来るらしいんだが、それが早いのなんのって話だぜ。この国を横断するのに三日もかからねえらしい。線路ってのが敷かれた街にしか行けねえらしいが目的地は森だ。近くまで行けたら御の字ってやつだろ」
「汽車ってあの大きな鉄の乗り物だよね。俺、乗り方知らないけど大丈夫かな」
「なんとかなるだろ。俺、司祭と団長に報告に行ってくる。お前達は荷造りしとけよ。長旅になりそうだからな」
「うん。ありがとう」
「じゃあ俺もさっさと行ってくる。二時の鐘が鳴る頃にまた来るからよ」
そう言い残して、幼馴染は嵐のように店を出ていった。取り残される俺達三人。
「……本当に、お母さんに会えるのかな」
「何不安がってるのよ。ちゃんと王様があんたのお母さんを見つけてくれたんだから、そんな泣きそうな顔しないの。あんたはお母さんに笑ってて欲しいんでしょ? 多分あんたのお母さんも一緒だから、ほらしゃんと胸張って」
「う、うん」
「さて、いろいろ用意しなくちゃ。長旅になりそうってリオも言ってたし、一週間は家を開ける事になりそうだよ」
「臨時休業ね。お知らせのボード作っておくわ」
「後は誰を連れていくかなんだけど」
「僕! 行きたい! お願い僕も連れてって!」
「そう言ってくれると信じてたよ。会いに行こう、モルガンも一緒に」
「うん!」
ナポレオンの瞳に迷いはなかった。お母さんに会える、その喜びと希望にガラスの瞳を輝かせていた。
診察室奥の入院室、ナタエナルの隣で眠るモルガンに声をかける。
「モルガン、君の相棒が見つかったよ。声を聞くのはまだもうちょっとの辛抱だけど、俺達と一緒に行こう。君の相棒に、俺達と会いに行こう?」
返事は無い。でも彼の頬にほんの少しだけ血色が戻ったような気がした。
さて、モルガンをどう連れていこう。少し窮屈だろうけど肩掛けのトランクに入って貰うか、俺が抱っこしていくかだけれど、汽車というものがどう言った乗り物なのかわからない。何かあった時直ぐに修繕出来るような環境であるかもわからない。安全策を取ろう。ヒューゴ型の入る肩掛けトランクを出してこないと。