第七話
「……人形師の弟子って大変なんだね。僕のお母さんにも弟子が居た事はあったけど、喧嘩ばかりしてたよ。お母さんとお弟子さんで人形作りへの考え方が全然違ってて、それでしょっちゅう喧嘩してた」
「師匠と喧嘩かぁ。思えば喧嘩したことないかも」
「喧嘩してたらどんな事になってたんでしょうね。リュカがお師匠さんと喧嘩するイメージなんて全く無いけれど」
「うーん、どうだろう。なんだかんだ俺に甘い師匠だったからなぁ。実はブリジットさんみたいな厳しい師匠が良かったなって思う時もあるんだ。あ、これ師匠には内緒にしといてね。厳しく扱いてくれる師匠の下で修行してたらもう少し上手く作ってあげられたかなって思うんだ。初めての作品とは言え、魂を入れて上げられなかったのはやっぱり今でも悔しいよ」
「お前まだ気にしてたのか、ジゼルの事。散々もう気にすんなっつっただろ。いい加減胸を張れ馬鹿野郎。ジゼルはお前の初めての作品で、魔法使いリオネル様の相棒だ。いいか、これは天地がひっくり返ろうが何が起きようが変わらねえ事実だ。お前の作ったドールはお前の思った通りにはならなかった。けど今こうして街の平和を守る為に役立ってる。それってすげえ事だと思うぜ? だって俺には出来ねえから、俺は作ることなんてさっぱり出来ねえ、こうしてお前が作ったジゼルを使ってるんだから。神勅人形師が誉だ? 俺はそうは思わないね、人の役に立つもんを作った奴の方がよっぽど誉だわ。そういう意味ではルイーズの事も尊敬してるんだぜ、俺」
「……リオから褒められると何だか気持ち悪いわね」
「んね、珍しい。明日は季節外れの雪かな」
「んだとてめえら! せっかく俺が褒めてやってんのに! 可愛げのねえ奴らだよちくしょう」
「はいはい。あんたが私達を大好きなのはちゃんとわかってるから」
師匠の話をしていたはずなのに何故だか俺がリオに褒められてしまった。なんだか気恥しいなぁ。そう笑っていると、俺達三人の話を聞いていたナポレオンが恐る恐る手を上げた。
「あの。神勅人形師って何? 僕、よく知らないの。普通の人形師と何が違うの?」
「俺も実際にどんな事をするのか詳しくは知らないんだけどね……」
神勅人形師とは。文字通り神の勅を受けた人形師の事。毎年国を挙げて行われる花祭り、春の訪れを祝うその祭りの中で、十年に一度この国はどうあるべきかを神に問う儀式が執り行われる。神は人形に宿るものである故に儀式で人形を使うのだが、その人形を神託人形と呼んでいる。その神託人形を作る人形師は前の儀式の際、人形を依代とする神よりお告げとして指名されるのだ。その指名が神勅であり、神勅を受けた人形師は神勅人形師として国中から讃えられる。そういう話なのだが、実際に神勅人形師に選ばれると周りからの期待は凄いし、他の人形師からの妬みは凄いしでろくな事がないと師匠がぼやいてたっけ。最後にぽつりと漏らした言葉をナポレオンに聞かせれば彼は。
「……そんなに大変なんだ……。お母さんが神勅人形師に選ばれた事がなくて良かったかも……。お母さんね、神勅人形師になりたがってたの。女に出来ない訳が無い、私に出来ない訳が無いって」
「時代が時代だものね。私達が生まれる頃くらいから女性の人形師が増え始めたけれど、昔は人形師は女の仕事じゃないって言われて女性人形師が居なくなった時代もあったみたいだし、ブリジットおばあさんが人形師に弟子入りした時も周りからの当たりがきつかったはずよ。でもそれを乗り越えて来たのよね。そんな強い女性、私も憧れるわ」
「お前もばあさんと同じくらい気が強そうだがな……」
「何か言ったかしら、リオ」
「いや別にぃ?」
「さっきはちょっと可愛らしい事言ったと思ったらこれだわ。可愛くないわねえ、可愛いのは身長だけ」
「身長は関係ねえだろ!」
「リュカと並んだらクロエちゃん位の差があるでしょ、ほら可愛い背丈」
「俺とそう変わらねえ癖に!」
「私と変わらないから可愛いんでしょう?」
軽口叩きあって喧嘩腰になるリオとルイーズ。いつもの事だけど家主そっちのけでおっぱじめるんだから、困ったものだ。診療台の前で暴れられては敵わない。どうして俺の幼馴染ってこうなのかな。
「二人とも。喧嘩するなら出てって。ここで喧嘩するの、今月で何回目だと思う?」
「だってこいつが!」
「リオ、かっこ悪いよ。天才魔法使いだって言うなら相手の挑発に乗っちゃ駄目じゃないか。感情は魔法の制御にも影響するって言うくらいなんだし。天才を自称するのなら自分の感情を手懐けないと。ルイーズも毎度毎度リオを煽らないで。喧嘩になる度仲裁する俺の身にもなってよ。本当にもう、面倒臭い幼馴染だな」
その面倒臭い幼馴染二人を玄関ドアの向こうに押しやってドアを閉める。
「おい!」
「何すんのよ!」
「喧嘩の続きは家でどうぞ。俺ん家でやられると患者さんの迷惑にしかならないから。クロエちゃん、クラリスちゃん、後はよろしくね。それじゃまた明日」
ドアの向こうで騒ぎ続ける幼馴染の声から耳を塞いで診察室に戻る。ぽかんとした顔で俺を見つめるナポレオンはぽつりと呟いた。
「強い……」
「もう十年以上幼馴染やってるとね、色々慣れるんだよ。良い意味でも、悪い意味でも」
「あの二人には困ったものねぇ。顔を合わせれば喧嘩ばかり」
「……お母さんがいた頃は僕達喧嘩なんてした事無い。喧嘩するとお母さんが怒るっていうのもあったけど、皆仲が良かったから。リオとルイーズは喧嘩ばかりって言ってたけど、あの二人って仲が悪いの?」
「仲が悪い訳じゃない……とは思うよ。情けない話だけど、師匠に弟子入りする前の俺は孤児院の中でいじめられっ子でね。しょっちゅう倉庫でいじめられてたんだけど、ある日リオとルイーズが助けに来てくれたんだ。確か五人くらい居たいじめっ子を二人で負かしたんだったかな? それを考えると仲が悪いって言うよりは喧嘩するほど仲が良い、じゃないかな」
「うーん、喧嘩するほど……かぁ。僕にはよくわかんないや。お母さんとモルガンも全然喧嘩しなかったから」
診療台の上に座るモルガンの膝の上でくつろぐナポレオン。魔法石を失くして眠っているはずのモルガンの顔は非常に穏やかで、膝の上に寝転ぶ小さな末弟への慈愛に満ちているようにすら見える。
「お母さんのお弟子さん、元気にしてるかなぁ。お母さんには怒られてばかりで、お弟子さんも口の強い人だったから言い返してはよく喧嘩になってた。リオとルイーズの喧嘩が可愛く見えるくらい激しくて、それがあったから僕達は喧嘩しなかったのかも」
「ナポレオン、あなたのお母さんの話もっと聞かせてちょうだい。きっと何かの手がかりになるはずだから」
「本当? それじゃ皆からも聞いた方がいいよ。僕よりもずっと長くお母さんと一緒に居るから。僕も知らないお母さんの話が聞けるかも」
「それじゃあお手入れしながら聞こうか。皆のお肌を綺麗に磨いていくよ」
「優しくお願いね! 僕達ビスクだから!」
「俺を誰だと思ってんの。人形のお手入れなんて朝飯前の御茶の子さいさいな人形修繕師なんだから。君達が生まれた時みたいに綺麗にしてあげる。俺に任せて」
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ぱらぱらとページをめくって内容にざっと目を通す。これもこの国における人形の歴史書だ。師匠から習って、俺だって既に知っている事。俺が知りたいのはこんな事じゃない。
ナポレオン達のお母さんを探し始めて一週間が経った。人形師の家に取り残されていたドール達はみんな綺麗に手入れした。ルイーズのブティックに発注した新しい服もほとんどが出来上がっている。後は人形師ブリジットの居場所を突き止めるだけ。それだけがなかなかどうして、上手くいかない。
「何読んでるの?」
「人形史だよ。君のお母さんに繋がりそうな本はここには無いねぇ」
この家に居た人形達は皆俺の診療所、本当の無人になってしまった人形師の家で俺はただひたすらに本を漁っていた。
「お母さん、日記を書いてたとか覚えてない?」
「どうだろう……。お母さん、人に努力を知られるのが嫌いな人だったから、書いてたとしても何処かに隠してると思う……」
「そっかぁ……」
突然出ていったのだ、準備に準備を重ねて出ていった訳では無い。だから手がかりなんて残されているはずがないのだ。人形達の手入れが終わった今、俺に出来る事なんてもう何も無い。でも待ってるだけなんて嫌だ。人形師探しをリオとルイーズに任せるだけなんて嫌だ。だからこの家で手がかり探しを……とした訳なのだが、その成果は見ての通り。溜息の一つも出てしまうってものだ。とは言えルイーズの方で得られた情報はブリジットさんの人となりくらいだったし。リオの方は国の外でオートマタなる技術が流行っているだとか、王侯貴族の間でまたヒューゴ型よりも大きな人形が流行り始めただとか、関係の無い話ばかり。司祭様が王城に送った手紙の返事も無い。手詰まりだ。もう返事を待つくらいしか俺達には出来ない。そんな状況はナポレオンを始めブリジットさんのドール達にも伝わってる訳で。
「このままお母さんに会えないのかな……」
「大丈夫だって。三人よればなんとやら、だよ」
半分自分にそう言い聞かせて手にした本を戻す。埃を払った本達も随分と傷んでいる。大切に扱わないとページがばらばらになってしまいそう。そう思いながら手に取った本。本棚から引き抜いた瞬間、分厚い表紙と裏表紙に挟まれた中のページがばらばらと落ちてしまった。
「うわっ!」
「あー! お母さんのご本!」
「ごめん! ちゃんと元通り治すから!」
落ちたページを拾い集める。内容を見てみればなんてことは無い子供向けの絵本だ。俺も孤児院でシスターに読み聞かせて貰った事がある。聖書の一節、魔法石が無くとも人形に魂を与えられる人形師の話だ。彼は神の子と称され、彼の作った人形達もまた、奇跡と呼ばれ祀られた。魔法石無しにドールが動けば神に匹敵する力を持ったも同然。国の誉である神勅人形師と肩を並べて、全ての人形師が目指す所であると言われている。
懐かしい。俺も弟子入りしたばかりの頃は、ジゼルちゃんを作った頃は、俺もこの絵本の人形師みたいになりたいって思っていたっけ。でも魔法石が無いんじゃ意味が無い。ナタエナルには魔法石が必要なんだから。腰から提げたポーチ、簡単な修繕道具を詰めたその中から小瓶を取り出す。黄色の輝きを放つ透明な砂、これは砕けてしまったナタエナルの魔法石。この瓶の中にはナタエナルの魂の欠片が眠っている。俺は未練がましく砕け散ってしまった相棒の魔法石を持ち歩いて、彼の魂を呼び戻そうとしている。聖書の人形師では駄目なんだ、神勅人形師でも駄目なんだ。それを超えるような人形修繕師にならなければ、きっとナタエナルは帰って来ない。
「ねえ、リュカ」
「何?」
「その魔法石は誰の? 粉々になっちゃってるけど魔法石だよね」
「これ? これは俺の相棒のだよ。ほら、俺ん家のヒューゴ型のナタエナル。あの子の魔法石なんだ」
「ナタエナルがリュカの相棒なんだよね。僕、マリーがリュカの相棒だと思ってたよ」
「マリーも俺にとっては大切な相棒だよ。一緒にいる時間はナタエナルの方が当然長いけど、交わした言葉はマリーの方が多いかもしれないね」
「マリーとはどうやって出会ったの?」
「マリーは魔法石を失くして捨てられてたのを師匠が連れ帰ってきたんだ。ナタエナルの魔法石が砕けて一月も経たない位だったかな。師匠にこのドールを治してやれって渡されて、修繕の仕方を教わった。半ば無理やりだったけどね。壊れた部分を治して、新しい魔法石を与えたそのドールが今のマリーだよ。ドールの魂は人形の体じゃなくて魔法石に宿るものだから、前のマリーがどんな子だったのか、俺は知らない」
「人形を捨てるなんて、酷いことするなぁ。マリーを捨てたやつはきっと今頃バチが当たってるよ」
「師匠の見立てだと貴族に可愛がられてたドールじゃないかなって。アンティークって呼ばれてもおかしくない位古い子だけど、もしかしたらリゼット型やナポレオン型の人気に押されて飽きられちゃったのかもしれないって」