第二話
からんころん。ドアに取り付けたベルが鳴る。来客だ。患者さんだろうか。
「ごきげんよう、リュカ。ブティックポレットからお届け物よ」
「わあ、ルイーズおはよう! クラリスちゃんも!」
俺を訪ねて来てくれたのは幼馴染のルイーズとその相棒ドールのクラリスちゃんだった。街一番のブティックの家の子で、ご両親は俺の師匠とも仕事の付き合いがある縁の深い子。俺では直せない患者さんの服の修繕を頼んだり、新しい服を注文したりと、俺達にも仕事の付き合いがある。今修繕している患者さん達用にと頼んでいた新しい服を届けに来てくれたのだ。
「これがナポレオン型のおちびちゃん用で、こっちがリゼット型のお嬢さん用、最後のこれがフェリシー型のマダム用ね」
「ありがとう。あれ、一つ包みが多い様な……」
「そっちはナタエナルのよ。いくらお寝坊さんでも新しい服は着たいでしょう?」
「そんな、いいのに」
「私がやりたいからやってるの。あんたはその辺気にしないから、私が気にしてやらないと」
「もー、ルイーズったら」
「お代はいつも通り要らないわ。ナタエナルが起きたらめいっぱいうちの店のモデルやってもらうから」
「そう言って今もマネキン代わりじゃないか。ポレットの新作が出来る度に持って来てナタエナルにって」
「あら、今回はマリーにもあるわよ」
「マリーにも?」
「あの子もいつも似たような服ばっかりじゃない。女の子はお洒落しなきゃ錆び付いちゃうの」
「私はビスクよ、錆び付くような素材じゃない。騒がしいと思ったら来てたのね、ルイーズ」
診療時間は俺の代わりに家事を片付けてくれるマリー、だからいつも動きやすい服を好んで着ているのだけれど、流行を生み出すブティックの家の子であるルイーズはそれが気になっているみたい。
「ごきげんよう、アン・マリー。今日もご機嫌ななめなようね」
「誰かさんが私を着せ替え人形にするものだから、それも当然でしょう?」
「誰の事かしらね」
「あんたの事よ、ルイーズ」
「まあまあそう言わずに、着てみなさいよ。今回のドレスはクラリスがデザインしたんだから」
「……クラリスが?」
「マリーお姉ちゃんに似合いそうなの作ったの。クラリス、がんばったの。……マリーお姉ちゃんは、可愛いドレス嫌い?」
「き、嫌いじゃないわよ」
「良かった……!」
男一人蚊帳の外。ドレス一枚で大はしゃぎの女の子達を横目にクラリスちゃんの動きを観察する。ウード型と呼ばれる四十センチ位の女の子のお人形さん、ブティックの娘の相棒だけあっていつも綺麗なドレスを着ている。広がったスカートの裾に隠れてはいるけれど、何だか左膝関節の動きがぎこちないような……。
「クラリスちゃん」
「なあに? リュカお兄ちゃん」
「最近何処かで転んだ?」
「うん、どうしてわかるの?」
「少し左足が動かしにくそうだから、怪我してないかなって」
「……実はちょっとだけ……」
「やっぱり。治してあげるよ、マリー」
「クラリス、こっちおいで。診察台にどうぞ」
「嘘、気付かなかった。何で隠してたの」
「……だって、クラリスがケガするとルイーズがいっつも怒るんだもん……」
「お馬鹿。隠す方が怒るに決まってるでしょ」
「ドールの怪我は人間みたいに放ったらかして治るものじゃないからね。動きにくくなる傷を放っておくと新しい怪我の原因にもなったりするから怪我は隠しちゃ駄目だよ」
「はぁい……」
マリーの案内で診察台に座ったクラリスちゃんの膝を診る。思った通り、左膝関節に小さなひびが入っている。この程度なら直ぐに治せるだろう。
「マリー、キャストドール用接着剤を」
「はい」
「ありがとう。それじゃちょっと関節を外すよ。怖かったら俺の服、掴んでいて良いからね」
クラリスちゃんの膝関節を外して接着剤をひびに擦り込む。接着剤とは言ってもこれ自体に接着能力は無い。患部に塗った接着剤に魔力を通して初めてその効果を持つ。さあ、ここからが俺の本領発揮。
「よし、それじゃあ始めるよ」
患部に触れた指先に力を込める、全身に流れる魔力を指先に集める様に。ぱぁ、と指先が光を放つ。魔力の籠った魔法石と同じ虹色の光が俺の指から漏れてクラリスちゃんの膝に塗った接着剤へと移る。これで固まってくれるはずだ。
「これくらいなら入院もしなくて大丈夫。ただし今日一日はおうちのお手伝いはしないで安静にしておく事、いいね?」
「ありがとう、リュカお兄ちゃん」
「リュカ、気付いてくれてありがとう。本来なら私がクラリスをしっかり見てないといけないのに」
「ドールに隠されるとなかなか気付けないよね。傷が小さい内に気付けてほんと良かったよ。ルイーズの家、大きなはさみとかあるもんね」
「裁ち鋏を持った状態で転けでもしたら……! 本当に気付いてくれてありがとう!」
その時。がらんがらん。乱暴に開けられたドアのベルが悲鳴を上げる。
「おいリュカ! 居るか!」
「表のプレート見たら居るってわかるでしょ! ドアを乱暴に開けないでっていつも言ってるじゃない! ドアが壊れたらどうしてくれんのよ!」
ドアを乱暴に開けたのは俺のもう一人の幼馴染、リオネルだった。
「悪ぃ悪ぃ、リュカに話があってよ」
「もう、いつも急なんだから」
「しょうがねえだろ。急遽お前に依頼したいって団長が言うんだから」
人形の国の外れにある小さな俺達の街。この街には国王直属の憲兵が居ない、代わりに街の平和を守っているのが教会に所属する自警団。リオネルはその自警団のメンバーの一人だ。彼の言う団長とはその自警団のトップ、ジェラルドの事。自警団団長が俺に依頼って、どういうことだろう。
「話って何?」
「ほら、この街の南側。ちょうど森との境目にでっかい家あるだろ」
「昔リオに連れてかれたあそこ? 入る前に師匠に見つかって殴られたの覚えてる」
「おう、そこそこ」
「あんた達そんな事してたの……?」
「昔の話だよ」
「何時の話?」
「ええと、俺が師匠に弟子入りする前の話だから十一年前?」
「南の外れの大きな家って、あそこは空き家じゃなかった?」
「空き家だから忍び込もうとしたんだよ。リュカの言った通り忍び込む前にばれてげんこつくらったけど。で、その家なんだけど。あそこ、空き家になる前は人形師が住んでたらしいんだ」
「師匠以外にもこの街に人形師は居るって聞いたことあったけど、あの家がそうだったんだ」
「それでな、空き家になってもう十五年以上経つもんだから、自警団がこの間手入れに入ったんだよ。そしたら動かねえ人形がいっぱいだったらしくて、その手入れをお前に頼みたい、って訳だ」
「人形師の家の人形か……。わかった、引き受けるよ。何時行く? なるべく早い内に綺麗にしてあげたいな」
「そう言うと思って鍵は借りて来てる。今すぐにでも行けるぜ」
「ありがとう。マリー、午後は臨時休診にするよ。向こうで簡単に処置出来るよう往診セットの準備をお願い出来るかな」
「了解」
「それじゃ私達はお暇しようかしら。クラリス、帰るわよ」
「うん……。ばいばい、リュカお兄ちゃん、マリーお姉ちゃん。リオネルも」
「俺だけ呼び捨てかよ!」
「あんたはそれで十分よ。じゃあね、リュカ。頑張って」
「うん。またね」
ドアベルを鳴らして、街一番のお洒落さんな幼馴染は相棒と共に帰って行った。
「そうだ、そろそろジゼルちゃんの検診時期だよね。ついでに見ておこうか?」
「お、悪ぃ。頼むわ」
リオネルからジゼルちゃんを預かる。ジゼルちゃんはレジンキャスト製の、フェリシー型と呼ばれる六十センチ位の女の子。
「この間ちょっと団長のを借りたけど、ジゼルに慣れてっと扱いづらいな」
「ソフトビニールとレジンキャストを比べちゃ駄目だよ。あれはマジックドール用の新素材だもん」
「軽すぎてちょっと動かそうと力込めたらひょっと飛んでっちまう。軽いのは結構だが、人間時には重いの動かさねえと筋肉鈍っちまうぜ」
「ソフトビニールの方が耐久性高いし、軽くて扱いやすいのに、何でジゼルちゃんに拘るのさ」
「お前が作ったから。それ以外にあるか?」
「魔法石を与えても動かなかった失敗作なのに」
「ジゼルは失敗作なんかじゃねえ。人形師リュカの初めての作品であり、最高傑作だよ。俺が天才魔法使いってんなら、お前は天才人形師だ」
「もう。またそんな事言って」
「事実なんだから何度だって言ってやるさ。お前は天才だ、才能のある人形師だ。作らねえなんて勿体ねぇ。お前だって夢だったんだろ? 人形師になるの。医者の真似事ばっかしてねえでさ、もう一人作ってみりゃ……」
「うるさいな! 修繕師は俺がやりたくてやってるの! 俺に人形師の才能なんて無いんだから横からごちゃごちゃ言わないで!」
「ああはいはい、悪かったな」
またそうやって俺の心をぐちゃぐちゃに掻き乱していくんだ、このリオネルって名前の幼馴染は。これの言う通り、ジゼルちゃんは元々人形師を目指していた俺が初めて作った子だった。結果は見ての通りの失敗作。神の与えたもうた魔法石も、彼女には命を吹き込んではくれなかった。初めて作るんだから上手くいかなくたってしょうがない。そう思えなくて落ち込む俺にこの幼馴染が言ったんだ。『俺のマジックドールにする』って。魔法使い達は魔法の発動に操り人形を必要とする。その操り人形をマジックドールと呼んでいるのだ。自身の魔力をもって人形を操り、更には魔法を発動させるのだから、本来であれば軽くて修理のしやすいソフトビニールドールを使うのが一般的。でもこの馬鹿は重いはずのレジンキャストドールを選んだ。よりによって、俺の作った失敗作を。キャストドールはビスクより衝撃に強い素材を使ってはいるけれど、やはり耐久性ではソフビドールに敵わない。修理のしやすさだって全然違う。それでもリオネルはジゼルちゃんを使うのだ。魔法に失敗して何度ジゼルちゃんが壊れても俺の所に持ってきて修理して、定期的にどこか壊れていないかの点検まで俺にさせるのだ。見るのを諦めた夢の残骸を俺に見せつけて来るのだ、この男は。
ため息を吐きながらジゼルちゃんの検診を終わらせる。俺にもっと才能があったならこの子だって今頃喋っていただろうに。俺に人形師としての才能があったならあるいは、ナタエナルだって。……やめよう。たらればを考えたってナタエナルは帰って来ない。砕けてしまった魔法石は戻らない。いい加減諦めた方がきっと。でも、人形師になる夢は諦められてもこれだけは諦めきれない。この国のどこかにナタエナルを取り戻す方法を知っている人形師がいるかもしれない。街の外れに住んでいた人形師に、その力があれば。リオネルの持ち込んだ仕事を受けたのもそんな不純な動機から。俺に、形振り構っている余裕は無い。
「リオ、終わったよ」
「お、早いな」
「どこも悪くなってなかったし」
「当たり前だろ? なんせジゼルはこの天才魔法使いリオネル様のマジックドールで、俺様に匹敵する天才人形師リュカの作品と来たもんだ。滅多な事じゃ欠けもしねえし、欠けさせもしねえよ」
「ああはいはい」
「んだよその反応」
「リオ、ジゼル終わった?」
リオの服の胸元から小さな女の子が。リオネルの相棒ドール、クロエちゃんだ。
「おう、今回もばっちりだぜ」
「こんにちは、クロエちゃん。ご機嫌はいかが?」
「クロエも元気。リオはいつも通り馬鹿だけど」
「んだとコノヤロウ」
「リュカは元気?」
「俺? 元気だよ」
「……嘘つき。どこか痛い?」
「痛くはないよ。ちょっと疲れてるだけかな? 心配ありがとう」
クロエちゃんの頭に生えたねずみの耳がぱたぱたと揺れる。三歳くらいの子供の姿を模した全長三十センチのリゼット型ドール。この大きさのドール達は皆何故か嘘を見破るのが得意。元気だなんて嘯いた俺の精神状態なんていとも簡単に見破られてしまう。クロエちゃんに隠し事は出来ない。嘘を見破るのも得意だし、見られたくなくて隠したものも探し出されてしまう。クロエちゃんはリオネルの相棒ドールにと師匠が作った子だから、なんらかの術式を組み込まれていてもおかしくない。嘘を見抜く力と、失せ物探しの力。失せ物探しの方は俺も何度か世話になったことがある。
「リュカ、こっちは準備出来たわ」
「ありがとうマリー。それじゃ行こうか」
店の鍵を閉める。ドアに臨時休診のプレートをかけることも忘れずに。