第十九話
「何持ってるの、それ」
「助けてぇ……」
「えっ、ナポレオン?」
幼馴染がつまんでいるもの、それは少し前までこの家に居た小さな友人の首根っこだった。
「ドアが開けられなくてはね回ってたから、そこで拾った」
「首! 首外れちゃう! 苦しくはないけど首外れちゃうから助けて!」
慌てて幼馴染の手から救い出す。手のひらに座らせてやれば突然訪ねてきた友人はほっと安心した顔をした。
「リュカ、リオが来てるの?」
「おう、マリー。俺だけじゃねえぞ」
台所に居た三人も、騒ぎを聞きつけて診察室に顔を出す。
「えっ、ナポちゃん!?」
「ナポレオンお兄ちゃんだ!」
何故ここに。六人の目を向けられたナポレオンはたじたじになりながらも、理由を語る。
「あのね、お母さんが、お前はリュカの所に行けって言って、伝書鳩のドールに連れて来られたの」
「お前は小さいからな。一人旅させるよりはそっちの方が安全だろう」
「あの時が最後なんて言ってたのに。またナポちゃんに会えるなんて」
「リオはどうしたのさ」
「ばあさんから司祭宛に手紙が届いてな。別でお前宛もあるって言うから預かってきたんだ」
ほれ、と渡された封筒には人形師ブリジットのマークの封蝋が貼り付けられていた。皆の目線が俺に向けられる。視線に急かされながら、封を切った。
「親愛なる人形修繕師、リュカ。魔法使い、リオネル。並びに彼らの友人達へ」
そんな書き出しで始まった手紙。まずは家に捨ててきた人形達を救い、人形師に届けた事へのお礼の言葉が綴られている。モルガンや子供達と共に日々を楽しく暮らしているらしい。街の人達ともドールを介して上手くやれているようだ、近くの街から人形師を慕って訪ねて来る人も増えたとか。幸せそうで良かった。
「長い事作っていなかった魔法石のドールを再び作ることになった。街の者からの依頼で作るので頻度こそ少ないが、良いぼけ防止になりそうだ。私は聖書にある人形師にはなれなんだが、私にはオートマタという技術がある。魔法石が無くとも動くドールは作れていると、人形師の才には恵まれなかった私だが、そんな私でも全ての人形師の夢を叶えることが出来たと、貴殿が気付かせてくれた。ありがとう」
偏屈で頑固な変わり者と呼ばれていた人形師の素直な言葉は、彼女が心穏やかに過ごせている証。文字からも平穏な日常の温もりが滲み出ている。
「最後に。これは司祭にも伝えてある事だが、私の家の処分について。あの家には私が使っていた焼き窯や資料が残っている。それら全てを人形修繕師リュカと魔法使いリオネルに譲ろうと思う。人形作りに関する資料や魔導書など、古いものではあるがきっと貴殿らの役に立つものであろう。リュカへ。あの家にある焼き窯は私の師匠が人形作りの才が無い私にと、魔力を高める術式を組み込んで作ってくださったものである。魔力を高めたその火でビスクを焼くことで貴殿にも魔法石で動く人形が、あるいは聖書にある奇跡の人形を作れるやもしれん。ジゼルは実に素晴らしい出来であった。貴殿の腕を高めれば必ずやこの国の歴史に名を残す事が出来るだろう」
俺なんかより、貴女の方がずっと先に名を残しているよ。だって貴女はナポレオンを、ナポレオン型の原型を作ったのだから。
人形師の手紙は、俺と俺の大切な人たちの幸せを願う言葉で締められていた。その中にはナタエナル、ナポレオンも含まれている。
「こっちは誰からかしら」
人形師からの手紙を読み終えてなお余る便箋。筆跡が人形師の物とは見るからに違う。この手紙は、きっと。
「親愛なる命の恩人、リュカへ」
予想通り、モルガンからだ。彼にとっての新天地での生活や、新しく出来た魔法石の無い妹達の事がモルガンらしい、果ても無く底も見えない程の深い愛情によって綴られている。
「私達はこのまま我が相棒とこの森で暮らそうと思っている。一人を除いて。この手紙が修繕師殿の元へ届く頃には彼もそちらへ着いている頃だろう」
ええ、着いていますよ。もう少し早く来るって知りたかったけどな。
「彼は魔女の作り上げた人形達の中でも一番心根の優しい子、きっと修繕師殿の心の支えになってくれるであろう。第三の相棒として、家族として、どうか彼を迎え入れてあげて欲しい。修繕師殿の隣が自分の居場所だと、彼自身が気付いたのだから。どうか、私達の末弟をよろしくお願い申し上げる」
義理堅いモルガンの几帳面な字は、自分達の元を離れる小さな小さな家族への心配と慈愛を綴っている。
「最後になるが、修繕師殿に救われた恩義は絶対に忘れない。ささやかではあるが、修繕師殿の相棒が目覚める事を、君が相棒と共にある幸せを再び得られる事を、祈っている。才能溢れる若き友人達よ、どうかお元気で」
便箋から顔をあげる。ありがとう、モルガン。
「モルガン、素敵な人ね。私も実際におしゃべりしてみたかったわ」
「お話したらお兄ちゃんになってくれたかな」
「モルガンならきっとなってくれるよ。ルイーズとクラリスも一緒にお母さんにお返事出そうよ」
「ねえ、ナポレオン」
モルガンの手紙の一部分を抜き出してナポレオンに見せる。
「ナポレオンはうちに来て良かったの? お母さんと一緒に暮らしたいって、あんなに言ってたじゃないか」
「……僕ね。お母さんと一緒にいるのも楽しいけど、リュカ達と一緒にいた時の方がずっと楽しかったなって、お母さんの所に帰ってわかったの。お母さんって凄いね、僕が考えてることお見通しなんだもの。僕が思ってること全部言い当てて、行っておいでって」
「それでこの街まで?」
「うん。モルガンがお母さんには自分がいるから安心してって。自分がここに居たいって思える場所を見つけたんだから、それに従えって。お母さんと離れちゃうのは少し寂しいけど、それでも僕はここに居たい。僕、リュカと一緒に居たい。僕、リュカの家族になりたい!」
人形師はこの子をどんな思いで見送ったのだろう。人形師の相棒はこの子をどんな思いで見送ったのだろう。この子はどんな思いで暖かな古巣を飛び出したのだろう。
「……うん、いいよ。君がいたいって言うなら、ここが良いって言うなら、俺達と家族になろう。ナポレオン、うちに来てくれてありがとう、俺を選んでくれてありがとう」
新たな家族、ナポレオン。小さな小さな俺の家族、ナポレオン。これから、ずっと彼と一緒に居られるんだ。
「受け入れてくれてありがとう、リュカ。これからよろしくね」
「こちらこそ、よろしくね」
小さな彼の小さな拳と俺の拳でグータッチ。これでこの診療所も以前彼がいた頃の賑やかさが帰ってくるだろう。
「ナポちゃんが居ないとこの街全体が寂しいものだったのよ。ああ良かった! これでここにも活気が戻って来るわね!」
「うちが活気づいてたらいけないのよ。うちは繁盛しない方がいいの」
「それもそうだな。ナポ公、これからもよろしく頼むぜ?」
「ナポ公って呼ぶなってば! ナポちゃんもかっこ悪い! 呼ぶならレオンって呼んでよ、もう!」
「そうだ、リオ、クロエちゃん、レオンも。これからピクニックでもどうかってルイーズと話してたの。リオは今日非番でしょ? 一緒に行かない? レオンがうちに来てくれたお祝い!」
「ピクニック! 僕行きたい!」
「マリーの飯が食えるならいいぜ」
「リオが来るならもうちょっと追加で作ってくるわ。ルイーズが作って持ってきてくれた分を合わせても足りない気がするもの」
「マリーお姉ちゃん、クラリスもやる」
「クロエも。いつもリオがごめんなさい」
「言われてるわよ、リオ」
「マリーの作る飯が美味いんだよ」
「そんなこと言って、褒めたってうちで漬けたピクルスくらいしか出ないわよ」
「出しちゃうんだ。マリーは優しいね」
以前の活気が帰ってきた診察室に笑顔が満ちる。ここが俺の居場所。人形の国の隅っこにあるこの街が俺の居たい場所。俺が生まれて、師匠の弟子になって、ナタエナルと別れて、マリーと出会って、幼馴染達と一緒に笑って、新しい家族に出会ったこの街が、俺の生きる場所。
「……そうだ、お前も一緒に行こう。ナタエナル。お前がいたらきっともっと楽しくなるよね」
もしナタエナルが起きていたら、どんなに楽しいだろうか。どんなに楽しかっただろうか。いつか、いつか絶対助けてあげるから、治してあげるから、それまで待っていて。俺の第一の相棒ナタエナル。入院室で眠る彼の体をそっと抱き上げて診察室に戻る。
ナタエナルを抱っこして診察室に戻ったその時、からんとドアベルが軽快な音を立てる。
「あの、リュカ先生いますか?」
「はい、いますけど。怪我でもしちゃったのかな」
石畳に足を取られて転んだリゼット型の男の子が運び込まれてきた。見れば膝に怪我をしてしまっている。見た目は結構痛手な傷だが、よく診て見れば直ぐに治せそうな傷だ。マリー達が台所に居る間に終わらせられるだろう。
「ありゃりゃ、これは結構派手に転んだね。でも大丈夫。俺が綺麗にぱぱっと治してあげる。安心して」
だって俺は人形修繕師。魔法石が壊れてしまった子を治せた程の腕なんだから。
今日も俺は傷付いた人形達の傷を治す。それが俺に出来る唯一の事だから。いつかはもっと、もっと腕を上げて、魔法石が壊れた子達を救うのが俺の夢。いつになったら叶うのかはわからないけれど、大切な仲間達と一緒ならいつか必ず叶えられる。
「リュカ先生、ありがとう!」
「ありがとうございました」
「あのあたりは石畳が傷んで不安定だからね、歩く時は足元に気をつけて。それじゃお大事に」
治療を終えた患者さんをドアの外まで見送って、診療所の中を振り返る。皆外に出る用意は出来ているから、後は俺とナタエナルだけ。
「さすがは街一番の医者だな」
「リュカは凄腕の人形のお医者さんだもんね!」
「だから俺は人形のお医者さんじゃないってば! 人形修繕師! 俺は人形修繕師なの!」
「はいはい。わかったから早く行きましょ。ナタエナルも待ちくたびれてるわ」
「ああ、そうだね。おまたせ、ナタエナル」
診察台の上で眠るナタエナルを抱き上げて、晩春の暖かな日差し降り注ぐ外へ出る。
「さ、行こうか!」
俺は人形修繕師としてこの街で生きていく。相棒ナタエナルと共に再び肩を並べ歩く日を夢見て。
君のいない街に、今年ももうすぐ夏が来る。新しい家族の増えた新しい夏は、どんな夏になるだろうか。どうか、皆幸せに笑っていられる夏でありますように。




