第十六話
「ブリジットさん。終わりましたよ」
「……ぬし、もしや……!」
「ええ、モルガンの魔法石があまりにも綺麗な色をしていたものですから」
「何故このような事を! モルガンに何が起きたかはぬしも聞いておるじゃろうて!」
昨日めちゃくちゃに散らかしたのを片付けたオートマタ工房。その中で磨き直した魔法石を与えたモルガンを前に、ブリジットさんは激怒する。
「ふざけるな! わしはこんなもの認めんぞ! 魔法石を使ったドールアイなぞ!」
モルガンの魔法石に触れて見えたもの。あれはきっとモルガンとその相棒の人形師が共に居た頃にモルガンが見ていたもの。モルガンはきっと。
「もう一度、もう一度自分の目で相棒の顔を見たい。それがモルガンの望みです」
「モルガン自身に聞いたのか。どうやって」
「まあまあ。そんなにかっかしてたらモルガンも起きるに起きれねえだろうし、一回落ち着いてリュカの説明聞こうぜ」
魔法石のドールアイ、魔法石の美しい色合いを生かすことの出来る技術の弱点は命の源とも言える魔法石がむき出しであると言うこと。俺はそんな危険なものに、モルガンの魔法石を加工した。
「モルガンの魔法石に触れた時、モルガンの視点から貴女を見る記憶が頭に流れ込んで来たんです。ビスクの焼き窯の前で、焼き上がりを楽しみに待つ貴女の隣に立つモルガンが見ていたものを、俺は見ました。モルガンの願いはもう一度己の目で貴女の顔を見ることだと俺は思います。俺が見た記憶のモルガンは、海よりも深い愛を湛えた目で貴女を見ていました。海の底の青を魔法石に持つモルガンらしくて、その海の色を透かした世界で、もう一度相棒に会えるとしたら」
声に力が籠る。昨日見たモルガンの世界は相棒への愛で満ちていて、モルガンは本当にブリジットさんを愛していたのだと強く胸を打たれた。俺に出来る最大限でモルガンの願いに応えたい。だから、モルガンの魔法石をアイに加工した。己の魂を通して再び見る世界が美しいものであるようにと願って。
「俺がもしモルガンだったとしたら、今度はガラスの瞳なんかじゃなくて自分の魂そのもので大好きな相棒を見たい、大好きな相棒と生きる世界を、自分の魂で見たいって思うんです」
目頭が熱くなる。モルガン、モルガン。起きて。君の見たがっていたものは君の目の前にある。君が会いたがっていた人は目の前にいる。だから、どうか。
「白目の土台にビスク用粘土を、虹彩にモルガンの魔法石、瞳孔は黒曜石のレンズ、仕上げに焼いたガラスで覆ってあります。強度の点では、そう心配はいらないかと」
人形師の手がモルガンの手に触れる。年老いた人間のしわくちゃな手と、青年ビスクドールの若々しい手の、かつての触れ合いが帰ってきた。後は、彼が目覚めるだけ。全員で、固唾を飲んで見守る。
どれくらい経っただろう。モルガンの手をずっと撫で続けていた人形師があっと小さな声を漏らす。
ゆっくり開けられるビスク肌の白いまぶた、その下から青い深海を覗き込む窓が二つ、姿を現した。
「……ああ、ああ。私が居ない間に少しくらいは泣き虫が収まっているかと思っていたけれど、人はそう簡単に変わらないものだな」
青い瞳のヒューゴ型が言う。彼の声は海の底で聞いた歌よりもずっと、暖かな優しさに満ち溢れたものだった。歌うように滑らかで耳に心地のいい声は正しく海の歌。
「……モルガン。モルガンじゃな?」
「そうだよ。……ただいま、私の相棒、偉大なる魔女よ」
「モルガン……モルガン……!」
魔法石の瞳と見つめ合う榛の瞳が大粒の雫を零す。声を上げ泣きじゃくる彼女の背を、優しく撫でる相棒の姿は、優しい兄と泣き虫の妹に見える。
「ずっと、ずっと会いたかった。私の相棒。魔法石が割れて眠るだけになってしまっても、私をそばに置いてくれた事、とても嬉しかった。魂だけでも、ブリジットのそばにいられた。それはこの上ない幸運だ」
「私も……会いたかった……。ああ、モルガン、モルガン。私の相棒よ。どうかこの非情なる相棒を恨んでおくれ、憎んでおくれ。私はお前が死んだものとあの家に捨てたのだから、お前と共に作り上げた子供達でさえも捨ててきたのだから」
「全て知っているさ、人形師よ。魂の抜けたこの体なれど、幾ばくかの私の欠片が残っていた。君が居なくなったあの家はとても寒かった。焼き窯の火は途絶え、館の主たる太陽が居ないのだから。太陽とは、こんなに暖かなものだっただろうか。最後の記憶から君は随分と歳を重ねた。そのせいだろうか、あの時よりも手が熱いんだ」
「そこの若い魔法使いのおかげであろうな。昨日久々に魔法使いとしての力を使った。体は衰えど魔法の力は衰えなんだ。あの者らがお前を連れて来なければそれすらも知らずにお前を置いて逝っただろう。こうしてお前と言葉を交わさぬまま、別れも言わぬまま」
俺の隣のマリーを見る。目線をマリーに向ければ、彼女はそれに気付いて俺の顔を見上げた。
「マリー、あのね」
「リュカ、お疲れ様」
「……うん……」
良かった。本当に良かった。また一人、治してあげられた。離れ離れになっていた相棒に会わせる事が出来た。
「マリー、俺、俺っ……」
「あの二人ならもう大丈夫。良く頑張ったわね」
マリーの体を抱きしめる。冷たいのにほんのりと温かみを感じるビスクの体。俺の今の相棒。
「マリー、ありがとう……ありがとう……」
「やだちょっと、抱きついたまま泣かないで。クラリスが作ってくれたドレスが汚れちゃう」
「マリーのおかげだよ。マリーが俺の相棒としていてくれるから、俺は……」
俺の相棒では無いけれど、大切な相棒。モルガン達の為に沢山の人の手を借りたけれど、一番はマリーがいてくれたから。マリーが俺の相棒でいてくれるから。
「ねえマリー」
「なあに、泣き虫さん」
「俺がおじいちゃんになっても、ナタエナルが帰ってきたとしても、俺のそばにいてくれる? 俺の相棒として、隣にいてくれる?」
「何をいきなり。当たり前じゃない。あんたの世話が出来る相棒なんて、私以外にいると思う? 安心して、墓の下まで、地獄の底まで付き合ってあげる。こちらこそ、よろしくね。リュカ、私を相棒に選んでくれてありがとう」
「大好きだよ、マリー」
二人固く抱き合う。俺にとっての、第二の相棒。マリーがいるから、寂しくない。マリーがいてくれるから、俺は幸せ。俺は本当に幸せ者だ。
「お熱いこって、お二人さん」
「ほんとに、良かった。クロエも……ちょっと泣きそう」
「おいおい。……ま、今日くらいは受け止めてやるさ。おいで、相棒」
「ありがと。……クロエも、リオネルの事大好きだよ」
「知ってる。……愛してるぞ、クロエ」
「熱いのはどっちなんだか」
「ねえ、マリー、クロエちゃん。二人は、今幸せ? 俺達、二人に迷惑かけてばかりだけど、二人は俺達と一緒にいて楽しい?」
「随分見くびられたものね、私達も。幸せじゃなきゃ、こんな所までついてこないわよ。あんたといて楽しくないならさっさと修道女の仲間入りしてるわよ」
「クロエも、リオが嫌になったら家出してルイーズのとこ行く。クラリスもオスカーもいるもん」
「あら、クロエの家出先はうちじゃないのね。ちょっと残念だわ」
「リュカのとこはリオが入り浸るから。クロエが家出したらマリーも一緒に家出しよ、マリーもいたらクラリスが喜ぶから」
「それは素敵ね。リュカに愛想尽かしたら私もルイーズ達のところにお邪魔しようかしら。そんな日は絶対に来ないでしょうけど」
「マリーったらほんとにリュカの事が好き……」
「当たり前でしょ。捨てられていた私を拾って、相棒にしてくれたんだから。リュカは私の命の恩人よ」
「命の恩人って大袈裟な」




