第十五話
ナポレオンはどうなっただろうか。目線を人形師に向ければ彼らは。
「お母さん、お母さん……。会いたかった、会いたかったよぅ……」
「ああ……レオン、レオンよ。お前はわしをまだ母と呼んでくれるか……。お前達を捨てたこのわしを……」
「だって僕のお母さんはお母さんだけだもん。代わりなんて居ないよ。お母さんには僕ら以外にもドールがいるけれど、僕達にはお母さんしか居ないの」
ぽろぽろとその体には大きな涙を流しながら、記憶にあるよりも年老いたであろう母に縋る小さな友人。そして彼を皺だらけの手で優しく包み込む老婆も、目を潤ませていた。彼女らに近寄って、跪く。
「ブリジットさん、騙し討ちみたいな形で訪ねてきてごめんなさい。改めまして、リュカって言います。貴女がナポレオンやモルガンと暮らしていた街で人形修繕師をしているものです」
「人形修繕師……」
「リュカは人形専門のお医者さんなんだよ。僕もモルガンも、皆も、リュカに綺麗にしてもらったの」
「そうかそうか……。それは我が子が世話になった……」
「俺達、貴女を探してここに来たのは本当です。貴女が住んでいた家に残してきたドール達を、貴女に会わせたくて」
「わしは、この子らを自らの意思で捨てた。このばばあにそんな権利があるとお思いか、若いのよ」
「貴女に無くとも、ドール達にはその権利がある。少しきつい言い方でごめんなさい。どうしても、貴女に会ってあげて欲しい子がいるんです。リオ」
「おう」
リオが抱いて連れてきてくれたモルガンを受け取る。そしてそのまま、人形師に差し出した。
「モルガン……」
「貴女の相棒ですよね。ビスクドールヒューゴ型、モルガン。ずっと、貴女に会いたがっていました」
「そんなはずは。だってこやつは!」
「貴女の家のドール達から聞いています。魔法石が砕けたと」
「なら何故そのようなことを。老い先短いばばあをからかうのは楽しいか」
「からかってなどいません。ブリジットさん、俺は人形修繕師、壊れてしまったドールを治すのが俺の役目です」
「魔法石が壊れてしまっておるのに、治せるわけがなかろう。モルガンは死んだ、わしの目の前で」
「違う。モルガンはまだ生きている」
「我が相棒は死んだ! 死んだんじゃ! まだ生きていると言うのなら、何故目を覚まさん。何故わしに声の一つも聞かせんのじゃ!」
「もう一度、彼と話が出来るようにする為に、俺は今ここにいます。ブリジットさん、俺にモルガンの魔法石を見せてくれませんか?」
「モルガンは死んだ、手の施しようなどある訳が無い」
俺に何が出来る。この頑ななおばあさんに、どんな言葉をかければいい。ナタエナル、どうか教えて。俺に出来ること、俺が口に出来る言葉を。
さら……。砂が流れるような音を聞いた。腰に下げたポーチからだ。音を立てた物の正体はわかっている。
「ブリジットさん。相棒が死んだって言うのは、手の施しようがないって言うのは、こういう事を言うんですよ」
言い方がきついのは俺が一番わかっている。ナタエナルの砕け散った魔法石の瓶詰めを見せつけて、言葉を吐き捨てる。
「それは……魔法石……?」
「俺の相棒、ナタエナルのものです。ある日突然、俺の目の前で砕け散りました。これはその残骸です」
「ここまで砕けてしまっては……」
「俺はもう二度と相棒には会えないでしょう。可能性は限りなくゼロに近い。でも、真っ二つに割れたというモルガンなら、モルガンの魔法石なら! まだ可能性はある」
人形師の目をきつく見据えれば、涙に濡れた榛色の瞳が俺の目に止まる。
「お願いです。俺にモルガンを預けてくれませんか。絶対に、絶対に治してみせますから。お願いです、モルガンにもう一度貴女の隣を歩かせてあげてください」
「何故、何故ぬしはそこまでモルガンに執着する。もうこのまま永遠に眠らせてやればよかろうに……」
「俺は医者です! 俺は人形修繕師です! 救えるドールがいるのなら、助けてあげたい。出会ったからには、助けてあげたい。相棒を失くす悲しみは誰にも味わって欲しくない。これは俺のエゴです。ナタエナルを助けてあげられない俺の、最後の足掻きなんです。相棒は助けられなかったけど、代わりに多くの子を救ってあげられた。そう思いたいだけなんです」
「……モルガンは、助かるのか?」
「お母さん。リュカはね、すっごく腕がいいんだ! あの街で怪我しちゃったドールはみーんなリュカの所に来るの。リュカが絶対治してくれるってわかってるから。僕、見てたよ。リュカがたくさんのドールを治してるとこ。リュカならきっとモルガンを助けてくれるって、僕が保証する」
「助かる見込みが無いのなら俺はここまで言いません。助かるから、モルガンを貴女ともう一度歩めるようにしてあげられるから俺はここにいる。貴女は、相棒と会いたくはないですか? もう一度、モルガンの声を聞きたいと思いませんか?」
「モルガンの……声……」
あと一押し!
「僕もモルガンの声が聞きたい。お母さんと一緒にモルガンとお話したいよ」
「……モルガン、会いたい……。モルガンに会いたい……。わしをまだ相棒と呼んでくれるじゃろうか、相棒を捨てた私を、許してくれるだろうか……」
「それを、本人の口から聞いてみませんか? 遅いなんて事は無い。だってモルガンはまだ生きている、今はちょっと眠っているだけ」
「若いの、リュカとやら。随分と手荒な歓迎をしてしまった後で厚かましい願いをする。モルガンを、我が相棒を救ってくださらぬか。このばばあ、一度は全てを捨てた身。財らしき財は何も残ってはおらんが、必ずや何がしかの礼はさせてもらおうぞ」
人形師が首から下げた小さな巾着、それを手渡された。中身は深い深い青の魔法石、海の歌という意味の名に相応しい色だ。
「貴女の相棒、お預かりします。損傷部分は魔法石だけなので今夜一晩もあれば」
「モルガンを、モルガンをどうぞよろしく頼む」
ぼろぼろと涙を零す老婆の目には失った相棒に再び会える、そんな希望が微かながら輝いていた。
「ばあさん、モルガンが起きるまではリュカに任せよう。俺、ちょっとばあさんに色々聞きたいことがあってよ、俺に教えてくんねえか?」
「このばばあの持てる知識で良ければな。リュカよ、必要な物があればなんなりと申せ。魔法石は捨てたがわしも人形師の端くれ、ついぞ人形作りまでは捨てることが出来なんだ。ビスクドールを作るための材料や設備ならこの工房に揃っておる。好きに使っておくれ」
「ありがとうございます」
「リュカ、モルガンの事頼んだぜ」
「言われなくとも」
リオやナポレオンに促され、先程のダイニングに戻っていく人形師。広い工房に残るは俺とマリーとモルガンの三人。
「まさかあんな形の歓迎をされるなんて」
「何とか信用して貰えて良かったよ。半分脅したようなものだけど」
「そうね。その信用に応えられるように頑張らなくちゃ」
「モルガンの魔法石、どう加工しようか」
巾着袋から魔法石を取り出す。海の色に染まる二つの宝石に触れた途端、頭の中に何か景色が流れ込んできた。
深い深い海の底、やっと光が差し込む位の青い海底に漂っている。海底に響く誰かの歌がとても心地良くて、誰が歌っているのか辺りを見回せば新しい友人の顔が見えた。彼の目を捉えた途端、世界が変わる。今度の俺の目はとある女性と共に火の入った窯を見つめている。俺達は今、この窯でビスクドールを焼いているのだと、直感が囁く。
「上手く焼けるといいな」
そう俺に声をかける女性の声は優しかった。彼女の声にそっと頷いて、二人で微笑み合う、幸せの記憶。
今見えたものはきっと、この記憶はきっと。
「リュカ、リュカ?」
マリーに揺さぶられて意識が森の中のオートマタ工房に帰ってくる。
「ああ、ごめんごめん」
「いきなり固まるからどうしたのかと思ったわよ」
「魔法石をどう加工するか考えてたんだ。イメージは固まったから早速取り掛かろう。明日の朝には起こしてあげるから、そろそろ水から上がる準備をしておいてね」
使う道具や材料を揃えながらモルガンに声をかける。なるべく早く起こしてあげたい。さあ、やるぞ。人形修繕師リュカの腕の魅せどころだ。




