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第十二話

 俺には、ナタエナルと一緒に居た記憶があまり無い。魔法石を与えてから一年もせず砕け散ってしまったせいなのか。それでも一年近く一緒にいたのだ。十歳の俺が一年足らずとはいえ共に生きた相棒のほとんどを忘れるほど薄情な訳が無い。薄情な人間だったなら今こんなに苦しんでいない。ナタエナルが居なくなったショックから心を守ろうとしているのだと、師匠は言った。俺は薄情な人間なんかじゃないって、師匠は言ってくれた。ナタエナルを大切に想っているのがわかっているからこそ、師匠は俺に修繕師としての道を与えてくれた。修繕師としての修行を積んで五年、未だナタエナルと過ごした時の記憶は戻らない。俺の知らない、俺が知ってるはずのナタエナルとの思い出を、幼馴染達から知らない事として聞く寂しさは冬の雪の様に降り積もっていく。

 隣に座るモルガンの頬を指の背で撫でる。忘れ去られるって、どんな気分なのかな。大切な相棒に忘れられるって、どんな気分になるのかな。お前の相棒はお前の事覚えていてくれてるかな、意地の悪い問いをモルガンに投げつけた。けれど彼は穏やかな微笑みを浮かべるだけ。俺、何やってるんだろう。モルガン相手に、最低な事を言ってしまった。ごめんねって声をかけても彼は顔色一つ変えやしない。彼の魂はここにないのだから当たり前だ。

「おい、どうした」

「ううん、何でも無い」

 食べるのに夢中になっていたリオが俺に気付いて声をかけてくる。はぐらかす言葉を口にしても付き合いの長い幼馴染は俺の心がわかるようで。

「何でもねえ訳あるか。俺の前で眉なんぞ顰めやがって、それで俺の目を誤魔化そうたぁいい度胸してんじゃねえの」

「痛っ、痛いってリオ」

 肩に魔法使いのたくましい腕が回されたと思ったら、閉めた肘で頭を締められる。

「ああもう痛いってば! 自分がどれだけ力強いかわかってるの?」

「おう、わかってやってる。てめえがその辛気臭え面やめたら離してやるよ」

「わかった! やめるからもう離して!」

 女の子のルイーズと似たような背丈の癖に力がめちゃくちゃに強いんだから。ほんのちょっと締められただけで頭が痛くなる。解放されてもしばらくはずきずき痛む頭を抱えて俺より背の低い幼馴染の目を睨む。

「いいか、今は余計な事何も考えるな。今の俺達は人形師のばあさんに忘れ物を届けに行く最中だ。メッセンジャーが辛気臭い顔してちゃいけねえ。俺達がばあさんに持ってくのは相棒からの言葉なんだから、そんな顔はご法度だってのはお前もわかってんだろ。そんな顔する暇あるならナポ公と遊んでこい。暇だからそんな顔するような事考えんだよ。ナポ公!」

「呼ぶならレオン! 何!」

「人形の医者サマが退屈で退屈で死にそうだとよ! さっき買ったおはじきで遊んでやれ」

「ちょっと、リオ」

「いい加減お前はガス抜きの仕方を覚えろ。毎度毎度ケツ叩いて発散させるこっちの身にもなりやがれ。お前のナタエナルに対する一途な所や真面目な所は美徳だろうさ。それでうじうじ悩んでため息吐かなかったらな。お前は真面目過ぎんだよ、ナポ公を見習え。あそこまで人生を謳歌してる奴ぁそうそういねえぞ。あれくらいちゃらんぽらんに生きてもバチは当たんねえ。ナポ公がおっさんの作品だったら良かったのにな、そしたらお前もここまでこじらせなかっただろうよ」

「リオったらまた僕の事馬鹿にして! 誰がちゃらんぽらんだ! リオも大概の癖に!」

 俺のズボンをよじ登ってくるナポレオンとリオが睨み合う。

「事実だろ」

「僕は違うもん!」

「ああもう! 喧嘩しないでってば! 俺が悪かったから二人ともやめて!」

 膝の上のナポレオンをつまみ上げてマリーの所に逃げる。リオとナポレオンを物理的に引き離せば一触即発の空気は落ち着いた。でも。

「リュカ、俺が悪かったってどういう事?」

 おはじきで遊ぶ最中、ナポレオンに痛い所を突かれた。俺は嘘が得意じゃない、それはここにいる皆がわかっている。隠してもどうせ暴かれてしまうなら。

「……ナタエナルの事を考えちゃうだけだよ。俺、ナタエナルと一緒に居た時の事あんまり覚えてなくてさ。それが寂しくてついモルガンに八つ当たりみたいな事言っちゃったんだ。君の相棒は君の事覚えてるかなって。最低な事言った自覚はあるよ、相棒に置いて行かれてしまったモルガンにそんな事。俺だったらきっと泣いて喚いて否定する様な事を、何も言えないモルガンに言ったんだよ」

「ごめんなさいした? お母さんが酷いこと言っちゃった時は直ぐにごめんなさいしろって」

「ああもちろんしたよ。でもモルガンはずっとあの顔のまま、穏やかに寝てるだけ。俺の声が届いているのかもわからない。ナタエナルと一緒なんだから」

「クロエは、モルガンに届いてると思う。リュカの言った酷いことも、ごめんなさいも、どっちも」

「そうね、寝てる時って案外周りの音が聞こえてたりするのよね。リュカだって寝てる時にリオが来たらうるさくて目が覚めるじゃない? それって寝てる間も音が聞こえてるからだと思うの」

「……うるさくてごめんなさい」

「クロエが悪いんじゃないんだから謝らなくて良いのよ。いつも騒がしいのはあの馬鹿なんだから。そういう事で聞こえてるからね、ナポレオン」

「ばれてた……」

「どういう事?」

「夜中にこっそり家の中探検してたのよ」

「気付かなかった。そんな事してたんだ」

「だって昼と夜じゃ見える景色違うんだもん」

「わかる。街の匂いも昼と夜は全然違う。同じ街なのに別の街みたい」

「怪我だけしないでいてくれたら俺はそれでいいかな」

「もう、リュカは甘いんだから。じゃなくて、モルガンもあんたが何を言ったか、しっかり聞き取れてるとは思うわよ。あんたが今まで彼にかけてきた言葉は全部、ね」

「僕知ってるよ、リュカがずっとモルガンに優しい言葉かけてくれてたの。皆知ってるよ、あの街で一番僕達の幸せを願ってくれてたの。相棒と話せなくなっちゃったのはモルガンもリュカも一緒だから、リュカが寂しく思う気持ちはモルガンもわかってくれると思うな。モルガンね、いつもお母さんに言ってたの。辛いこと悲しいことは言葉にした方がいいって、そばにいる僕達が全部受け止めるからって」

「リュカが悲しい顔してるの、クロエも嫌。リュカが寂しいならクロエもいるから、会いに来て。騒がしいのもくっついて来るけど」

「おい、全部聞こえてるぞ」

「リュカにはクロエもいるよ。ナタエナルだけじゃないよ、マリーも、ルイーズも、クラリスも、街の人もいるよ」

 リゼット型の小さな体が膝に座る重みを感じながら、彼女の声を聞く。普段口数の少ない方であるクロエちゃんが俺の為にと言葉を紡いでくれるのが申し訳なくて、眉尻が下がってしまう。

「リュカがナタエナルの事を好きなのは知ってる。でもそれと同じくらいリュカを好きな人もいる。ルイーズとか、リオもリュカの事好きだよ。マリーもリュカの事好きだよね」

「残念だけど、リュカがナタエナルを想うほど、では無いわね」

「そこは嘘でも好きって言うとこ……」

「リュカは私にとって弟みたいなものだから。朝起きても髪は結わないし、私が用意しなきゃご飯も平気で抜くし、リュカの部屋は気を抜くと直ぐに散らかるしで、私がいなくなったらどうなる事やら……」

「……お母さんそっくり……」

「お師匠様が居た頃は手のかかる弟が二人……いえ子供ね、子供が二人もうちに居たのよ。ほんとにもう、この師弟は!」

「人形師って変人ばかり揃っちゃうんだね……。リュカは人形師の卵だったけど」

「……リュカが好きで心配してくれる人がいるんだからもっと頼ってってクロエは言いたかったの。リュカが失くし物をした時にクロエを頼ってくれた事、嬉しかった。リュカはリュカのお師匠様や街の人達に頼られて嬉しくない?」

「……ううん。嬉しくない訳が無いよ」

「それと一緒。リュカが寂しい時にクロエは頼られたい。クロエも、リュカを弟みたいに思ってるから」

「……はは。俺、捨て子で兄弟とかいなかったはずなんだけどなぁ。気付いたら兄さんや姉さんが俺の知らない所でいっぱい出来てたや。唯一の妹がクラリスちゃんかな? 俺の事お兄ちゃんって呼んでくれるし」

「そうね、あんたの事を年上扱いするのはクラリスくらいよね」

「でも、クラリスもリュカに頼られたら嬉しいと思う。きっと喜んでくれるよ」

「……ごめんね、クロエちゃん」

「違う。クロエが聞きたいのはそれじゃない」

「ありがとう」

 真向かいのソファでじっと俺達を睨みつけていたリオがすっくと立ち上がる。そのままのゆったりとした動作で俺達に近付いて来たと思うと、俺の膝に座るクロエちゃんを抱き上げ、そのままどっかりと俺の隣に座り込んだ。

「ちょっとは元気出たか」

「なんだ、心配してくれてたの」

「当たり前だろうが。弟分が泣きそうな顔して心配しねえ兄貴がどこにいる。お前はもうちっと自分が愛されてる事を自覚しやがれ」

「愛されてるって自惚れていいのかい?」

「自惚れていいんだよ」

「じゃなきゃ自分の事天才って言わない」

「それもそっか」

「変な納得の仕方だなおい。ああいや、この馬鹿弟にはそれくらいでちょうどいいのか。ほんとにお前の頑固と言うかわからず屋は誰に似たんだか」

「少なくともお師匠からの影響は確実ね。あの人も扱いにくくて仕方なかったんだから」

「……人形師の相棒って大変なんだね」

「人形師の子供もそれなりに大変でしょうに」

「俺からも言わせて。偏屈な人形師の弟子もなかなか大変だよ」

「大体の人形師が変わり者で偏屈だからなぁ。今から会いに行くばあさんは更に強烈らしいから、お前今のうちにモルガンに謝っておけよ。ばあさんに告げ口されて酷い目に合わされそうだぜ」

「お母さんもモルガンもそんな事しないもん! ……多分」

「多分って何」

「モルガンは怒ったりしないけど、お母さんはどうだろう……」

「ナポレオンを外に連れ回したって言ったらクロエも怒られるかな……」

「怒られる前にごめんなさいって謝ったら怒るに怒れなくなるでしょ、多分。本当に多分としか言えないけれど」

「きっと、何とかなるよね」

 そう、何とかなる。俺が何とかしてみせる。

「モルガン、さっきは酷い事言ってごめんね」

 揺れる馬車の中、静かに眠る古い相棒人形に声をかける。跪いて、目線を合わせて、彼の目が開かれずとも、彼にこの声は届くと信じて。

「確かに俺はナタエナルと過ごした記憶をほとんど持ち合わせていないけれど、大切な相棒の存在を忘れた事は一秒足りとも無い。相棒と一緒に過ごした記憶は無くとも、隣で生きていた相棒の存在ははっきりと覚えてる。それはきっと君の相棒も一緒だと思う。思う位で、約束は出来ないけれど、今俺達はそれを確かめに行く最中なんだ」

 黒煙流れる空を望む窓の外、進行方向を見据える。未だ見えないこの線路の先に、人形師がいる。人形師ブリジット、モルガンの相棒で、ナポレオン型を生み出したその人が待つ森へ、俺達は向かっている。

「明日、明日が今日になれば全部わかるんだ。君の相棒が何故君を置いて行ってしまったのか、相棒が君を覚えているかどうか、全部。さっきの言葉が許せなくても、もう少しだけ、俺と一緒に居て。絶対、絶対に相棒と一緒に生きていけるよう治してあげるから!」

 俺の言葉は聞こえているだろうか。閉じられたこの瞳で俺達の行く道は見えているだろうか。モルガンのビスクの体を抱き上げる。人形師の住む森まであと一日。明日が今日に変われば、モルガンの相棒に会える、ナポレオンのお母さんに会える。

 いつの間にか俺の隣に立っていたリオやマリー達と全員で窓の外を眺める。人形師の所まで続く春の霞んだ空を、黒煙が汚していくのを眺めていた。


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