第十話
マリーと二人で遠出の準備をしていると不意にドアベルが鳴った。今日はもう店仕舞いの看板を出したのに、誰だろう。
「ごめんなさい、今日の診療は終わっちゃったんです。俺達、急用が出来て出かけなくちゃいけなくなって」
「だから来たんでしょうが」
ドアベルを鳴らしたのはお転婆な方の幼馴染だった。
「ルイーズ!」
「リオから聞いたわ、人形師のおばあさん見つかったんですってね」
「そう、それで今荷造りしてたの。汽車で三日はかかるって話だから」
「あんた達が留守の間の事、考えてる? あんたの事だからモルガンとナポちゃんは連れていくんだろうけど、お留守番をお願いする子達のことは考えてるの?」
「……あ」
「やっぱり、何も考えてなかったわね」
「あう……どうしよう……。ドールだけ残して留守にする訳にもいかないし……」
「どうしようなんて悩んでる場合じゃ無いでしょ。行ってらっしゃい。留守番は私に任せて」
「え、でも」
「あんたが行かないでどうすんの。ナポちゃん達をおばあさんに会わせてあげたいって言い出したのはあんたでしょ、言い出しっぺが行かなきゃ。あのがさつなリオ一人にモルガンやナポちゃんを任せる気?」
「……ごめん、ありがとう」
「そうね、お土産は王都で流行りのレースのリボンを一反でいいわ」
「結構高くつくやつじゃないか、それ」
「冗談よ」
「半分本気で言ってる……」
「こらクラリス、そんな事言わなくていいの」
「あはは。わかった、あまり期待はしないでいてね」
「それくらい承知の上だわ。何年あんたのお姉ちゃんをやってると思ってるの」
「俺に兄弟は居ないはずなんだけどな」
「私もこんなに手のかかる弟を二人も持った覚えは無いわよ。でもいつの間にか出来てたのよねぇ。しょうがないからお姉ちゃんが手を貸してあげる。安心して行ってきなさい。ナポちゃん達の事、よろしくね」
「言われなくても。ありがとう、ルイーズ」
「リュカお兄ちゃん、クラリスからもお願いするの。モルガンを助けてあげて」
「もちろんそのつもりさ。だって俺は壊れた人形を治す人形修繕師なんだから」
ルイーズの抱っこするクラリスちゃんの頭を撫でる。この子も、ナポレオンやモルガンを心配してくれていた人形の一人。
「ねえ、クラリスちゃん」
「なぁに?」
「クラリスちゃんは幸せ? ルイーズの隣に居られて幸せ?」
「……うん。クラリス、幸せだよ。ルイーズと一緒にお洋服作るの、楽しいの。だから多分クラリスは幸せ。幸せが何なのかはよくわかんないけど、ルイーズの隣でお洋服作るの楽しい。ルイーズがクラリスと一緒で幸せなら、クラリスも幸せだよ」
「そっか、ありがとう」
「……リュカの馬鹿、うちのクラリスに何て事聞いてくれちゃってるのよ……」
「ごめんって、泣かないでよ」
「泣いてない!」
嘘つき、目頭に涙が滲んでるよ。でもその言葉は言わないでおこう。
「ルイーズは幸せ? クラリスと一緒は楽しい?」
「お馬鹿! 楽しくなきゃ、幸せじゃなきゃ一緒に居ないわよ! 相棒なんてやってないわ!」
「えへへ。リュカお兄ちゃん、クラリスは幸せだよ」
「やっぱり相棒は一緒に居てこそだよね。俺、行ってくる。モルガンと一緒にブリジットさんに会いに行ってくるよ。その間、申し訳ないけれど皆を頼んだよ」
窓の外から鐘の音が聞こえる。二時を告げる鐘の音、リオと約束した時間だ。マリー、ナポレオン、モルガン、見送りのルイーズ、クラリスちゃんと共にリオ達を待つ。
「あ、マリーが着替えてる」
ナポレオンが漏らした言葉通り、いつもシンプルなワンピースを好むマリーがフリルとリボンをふんだんにあしらったドレスに着替えている。
「……こういう時だから、頂き物をね」
「いつものお洋服のマリーも好きだけど、そのお洋服のマリーはもっと素敵だと思う」
「えへへ」
「何でクラリスが反応するのさ」
「だってこのドレスはクラリスが作ってくれたんだもの」
「えっ、クラリスが? 凄いすごーい!」
「えへへ。良く似合ってるよ、マリーお姉ちゃん」
「……リュカ」
ドール達の会話を俺の隣で聞いていたルイーズが目を真っ赤にして俺の肩を叩く。
「うちの子可愛過ぎない? うちの子可愛過ぎてこの国傾いたりしないわよね? 世界が滅んじゃったりしないわよね? 何あれクラリスは天使だったの、いや疑問に思うまでもなくクラリスは天使なのだけど。聞いてよリュカ、あの子ったらこの間もパパとママの喧嘩を仲裁してね」
「はいはい、クラリスちゃんが可愛いのは百も承知だから落ち着いて」
「うちのクラリスが世界一……いえ、宇宙一可愛いのは当然で覆りようの無い事実だけど、ナポちゃんも可愛いわよね。このままここに留まってくれたりしないかしら」
「ナポレオンだって何処で生きるか選ぶ権利はあるよ。俺は一時的に預かってるだけだもん」
「私だってそれくらいわかってるわよ。……ナポちゃんがいなくなると思うと、ちょっと寂しくなるわね」
「静かになっていいよ。うちはただでさえ普段から騒がしいんだから、誰かさんのせいで」
「その誰かさん、遅いわねぇ」
「いやここにもひと……おっと、これ以上はやめとこうか。それにしても遅いね、リオ。喧嘩とか事故に巻き込まれてないといいけど」
「ほんとね。でも来ないでくれって言うのが本音よ。可愛らしいナポちゃんとお別れと思うと……」
「ちょっと、泣かないでってば」
「悪ぃ! 遅くなった!」
慌ただしく開けられたドア、ドアベルが上げる悲鳴をかき消すほどに大きな声に全員が振り返る。
「噂をすればなんとやら、かな?」
「あ? 何の話だよ」
「何でもない、こっちの話よ。それにしても遅かったわね、何してたのよ」
「教会に寄ってたんだ。リュカのとこ行く前に寄れって言われててさ。リュカ、実はここに良い報せと悪い報せがあってな、どっちから聞きたい?」
「教会に寄って良い報せと悪い報せ……?」
「悪い報せから聞かせてもらえるかしら」
「さっき汽車があるっつったろ。すまん、俺も正直足が早い乗り物ってだけ聞いたことがあるくらいでな。それで、えーと……」
「随分歯切れが悪いけど、どうしたの。リオがそこまで口ごもるなんて珍しいわね」
「……食堂で飯を食うのに金がいるのと同じく汽車にも金がかかるのはわかってたがよ……。司祭の話だと隣街から南東の国境までは片道の運賃が金貨一枚かかるらしいんだ……」
「金貨一枚って、うちの店賃一ヶ月分じゃないか」
「とてもじゃないけど汽車に乗るお金なんてうちには無いわ。馬車代なら何とかなるはずよ」
「待て。確かに片道で金貨一枚持ってかれるのは悪い報せだが、良い報せもあるって言ったろ。で、良い方の報せなんだがな、司祭からこれを使えって渡されたんだ」
リオのローブの中に隠れたクロエちゃんが差し出した麻袋を受け取る。手にしてみればやけに重い。それと中からじゃらじゃらと金属が擦れる音が聞こえる。開けてみろ、リオの視線に恐る恐る袋の口を開けた。中から飛び出してきたのは黄金の輝き、司祭様から賜ったという麻袋の中には金貨がいっぱいに詰め込まれていた。
「これを使えって、嘘でしょ?」
「やっぱそうなるよな」
「ちょっと、あんたこれ盗んできたんじゃないでしょうね?」
「誰がするかそんな事! これは正真正銘司祭から預かったんだよ。疑うなら司祭に直接聞いてくれ」
「そう言うのなら真実なんでしょうけど……」
「これだけあれば足りるだろうって、目の前で準備してくれたんだ。この街に居た人形師とその相棒をくれぐれも頼むってさ。司祭も気にはしてたみたいなんだよ、ばあさんがいなくなったこと。自分がしなくちゃいけないことを俺達に押し付けて申し訳ないって、だから出来る限りの援助はさせて欲しいってさ。ナポ公、感謝しとけよ。司祭のおかげでお前の母さんに会いに行けるんだからな」
「うん。リオ、何から何までありがとう。ルイーズ、僕達に綺麗なお洋服をありがとう。リュカ、僕達を見つけてくれてありがとう、お母さんを探してくれてありがとう。マリーも、クロエも、クラリスも、皆ありがとう」
「何勝手に一人湿っぽくなってんだよ。俺達にそんな硬いこと言いっこなしだぜ。まだ数日俺達に付き合ってもらうからな」
「うん……」
「ナポちゃん、私達はきっとここでお別れだけど、元気でね。お母さんやモルガン達と仲良くするのよ?」
「ルイーズ、ありがとう。ルイーズも、クラリスもどうか元気でね」
「リオ、ナポレオン、マリー、クロエちゃん、行こう。人形師ブリジットに会いに。モルガン、皆。もう少しの辛抱だよ。俺が皆をお母さんの所に連れて行ってあげるからね」
「皆、行ってらっしゃい」
モルガンの眠るトランクを肩にかける。ナポレオンは俺の肩に座らせて、店のドアを開ける。
「行ってきます!」
留守番のルイーズ、そして人形師の作り上げた人形達を振り返る。お母さんに会える、そんな希望で満ちた笑顔が俺達を見送ってくれた。




