さらば朝倉FC
夏休み最終週地区の大会の予選リーグに挑もうとしていた。5チームの総当たり戦で上位2チームが来週の決勝トーナメントに進出できる。土日2試合ずつと結構体力的には厳しい。
FCでの最後の公式大会なので全力を出そうと決意する。今日は第1試合は10時開始で第2試合が15時からである。いつもどおり後半から出場となっているので準備運動のストレッチと柔軟だ。
第1試合はそんな強くない。勝てる相手だ。前半1対1で折り返し後半からの出陣である。奪い合いが続いた後で俺の足元に転がってきた。フォワードはまだ走り出してない。
フリーの選手もいなかったのでドリブル開始だ。真ん中寄りで保持していたためサイドに流れながら前方に進んでいく。敵をするりとかわしてえぐる手前で上がってきたフォワードの頭へクロスを上げる。
残念ながら競り負ける。ペナルティーエリアの手前で奪い合いが始まる。その間に上がって空いたスペースへゆっくり戻っていく。攻撃陣は手詰まりで後ろに下げてサイドの俺にボールが回ってくる。トラップはせずにフリーの右サイドハーフが上がり気味でフリーだったのでダイレクトでサイドチェンジだ。ワンバンウンドでボールが渡れば大チャンスだ。そのまま縦にサイドバックを抜くか手前からゴール前に上げてもいい。結局クロスの選択肢を選ばずゴール前に切れ込んでいった。シュートコースを防ごうとディフェンスが慌てて寄ってくるがフリーのフォワードにパスをして慌てずにゴールに流し込んで見事勝ち越した。結局その後は手堅く守って2-1で勝利した。
その後試合までの話したりふざけたりして時間を潰した。今日の2試合目はこのグループリーグ1番の強敵成瀬FCだ。地区大会上位の常連でベスト4や8にちょくちょく勝ち進む。引き分けで上等な相手だ。前半は責められまくって0-3と良い所がない。個人技もあるしパスワークも上手い強敵だ。
後半はいかに点差を縮めるか、得失点差でグループリーグで明暗が分かれることもあるから負け試合で諦めるつもりはない。後半も押され続けた。敵の右サイドハーフが押し込んできて自軍に下がる時間帯が多くなった。しかしチーム一丸となった守備でディフェンシブハーフがボールを奪って攻撃を止めた。チャンス!奪った瞬間に前線に猛ダッシュ。マークの付いてるトップ下を追い越してスペースに入り込んでパスをフリーで受け取る。すぐに敵のデフェンスも寄ってきたが1発エラシコで大人気なく躱しシュートモーションで敵が壁を作るもマークが浮いた横の味方にノールックでパスして味方FWが思い切りシュートして決めた。しかしその後も責められてサイドバックと手を組んでカウンターを狙うも自力でかなわず負け試合となった。1日目が終わり疲労を取るため保護者の車に分乗してまっすぐ家に帰り早々に寝た。
2日目は疲労も残らずストレッチと柔軟しながらサイドバックの先輩とどういう崩しをしたいか話し合った。予選突破には勝ちが必要なので攻撃的に行きたい。第1試合、めちゃくちゃ攻勢で1点を取ってもおかしくはずなのに前半がいつの間にか終わっていた。ここは思い切った打開策である。後半はサイドバックとの連携が効いたのか。俺がボールを保持してためを作ってる間にサイドバックが上がって行きそこにスルーパスでサイドバックがコーナフラッグの辺りまでえぐってクロス、長身の味方がヘディングで見事にゴールを割った。その後怒涛のごとく攻めたけど1点追加点上げるのは精一杯だった。守りを固めた相手ってやり辛い。
予選最終戦、2勝1敗同士の対決になった。勝てば予選突破だが引き分けると得失点差で予選敗退。田和FCは成瀬FCに0-1と守りを固めて接戦の勝負をしており油断ならない相手だった。実際前半戦はゴール前のパスはすべて跳ね返さえれ0-0に終わった。点数入れる決め手がない。空中戦は長身選手にはぴったりマークが付いておりドリブルするにはスペースが無さ過ぎた。ドン引きするくらいベタ引きである。遠目からのシュートも跳ね返される。グラウンダーで隙間を狙うもこれもギリギリ返される。結局ゴールをこじ開けられなかった。0-0である。敵の目論見通りだった。力不足を感じた。遠目からシュートを続けた時に余裕なさそうでドリブルでいけるスペースがあったが何度もドリブル失敗に怖気づいてチャレンジしなかったのが後悔として胸に残っている。2勝1分1敗。これが朝倉FCとしての初めてで最後の公式戦である。後悔はあるがまだ4年生だ。同学年では悠人だけでレギュラーはおろかサブチームにも入ってきていない。満足の行く経験だっただろう。
こうして10月の頭に引っ越す事になった。後で聞いたことだが父親がハードワークで体調を崩して休業している間の給料は減りローンを払え無い収入になって家を売って引っ越しする事になり転校することになったそうだ。前世では体調崩す前に会社辞めてるからここでも前世との違いがある。引っ越しまでFCで紅白戦をして休みの日は自主練を変わらず続けた。
前世と違って住む家は近所だが経済的な余裕があるので広めの広い庭がついた家だった。そして引っ越したら5年生で有志によるサッカークラブの立ち上げ、半年はチームに入れない。前世のように気軽にフットサルできる環境が羨ましかった。なにはともあれ朝倉団地から桃の木団地での生活へと環境は変わるのだった。