サッカーを愛する第2の人生
投稿再開に向けて設定の若干の変更のため加筆、変更しました。
PC環境が変わり読みづらすぎるので修正しました。
当方の環境だけ読めるレベルという可能性もあるので意見があったら幸いです。
三月悠人は50歳を過ぎた。
仕事にやりがいもなく20代からの趣味のサッカー観戦も
サイクリングもジョギングも飽きてきてしまった。
理由は突然の燃え尽き症候群。何をやるのも無気力で楽しくない。
その罰か余命1年も持たない病気にかかってしまった。
健康診断に行っていればこんなに手遅れになる病気ではなかった。
正直先に亡くなった父はしょうがないが母と姉を
置いて亡くなるのは心配であった。
だが決められた命、しょうがないのだ。
残りの時間はテレビを見て命を消費していった。
ある時世界のスゴ技特集というのを
サッカー番組のコーナーでやっていた。
世界のトップ選手の技に惚れ惚れするのと同時に
もし自分が中学時代にやめたサッカーを続けていたら
ここまでとは言わないがそこそこのテクニックを
身に着けていたんじゃないかと思ってしまう。
小学校時代低学年はサッカーと無縁。
小5になって小学校のサッカークラブが
できたのだがサッカーに興味なかったが
友人たちが入部していたので途中入部したが
初出場だった試合で運動量の多さを褒められて
次の試合からレギュラーとなった。
全力でボールを追う姿が好感を得たのかもしれない。
ポジションは4-3-3のCMF。
運痴と言われてたクラスメイトがレギュラーだった時点で
このチームの層の薄さがわかるものだろう。
優秀な選手は体格に恵まれてセンスもあったGK,
2人のCB、長身の経験者、身体能力の高い物怖じしないキャプテン、
くらいだろう。
創設1年目で最高学年が5年のチームでは仕方ないのだ。
練習も基礎練習を少しだけして試合形式の練習を週1するだけで
物足りないものだった。
結局地区大会に出れば初戦負けがせいぜいのチームである。
5年のときは大量失点をたくさん経験して
6年のときは普通な点差で負けてた。
唯一の思い出といえばたった1回ハットトリックをして
3点目はDF3人抜きしてから
GKも交わしてゴールネットに突っ込んだ3点目である。
もちろんその試合は勝利した。
中学に上がる時隣の小学校の生徒も入ってくる。
練習試合では隣の小学校とやった時は0-6で負けている。
格上の選手が入ってくるのだ。
噂でリフティング200回できる選手が入ってくるのにビビった。
なぜなら自分は20回がせいぜいだったから。
後にプロでも10回もできない選手もいると聞いて
あの時ビビった自分が馬鹿だと思う。
他にもでかくて隣の学校でキャプテンやってた選手、
小学校のチームメートでGKからコンバートして
センスも体格大きい選手、
同じくチームメイトだったけど肉体的成長した選手。
当時はビビってMFから逃げてFWのほうが層が薄くて
レギュラー取れると思ってしまったのである。
同じFCから他の部活に入る仲間もいたし
レギュラーを取るのが難しいと思ったのかもしれない。
そして運命のレギュラーのテスト2人1組で
一緒にテストを受けたがもう1人が最初にドリブルで
抜いてデフェンスの番でも先に奪ったので
自分の出番はまったくなかった。
結局FWのレギュラーすら取れなかった。
一緒に組んだ相手は自分より明らかな
格下となめていたがいいとこどりされてしまった。
そこでこんな上手い俺よりあんな下手くそをレギュラーに選ぶとか
見る目ないなと不信感が湧いた。
せめて試合形式で選んでほしかった。
自分より格下がレギュラーを取るという事態に
次第にチームに失望していくのだった。
決定的だったのは1年生の練習試合である。
試合当日になって補欠も試合に出れるということで
自分の能力を見せるチャンスということで力が入っていた。
しかしその試合は自分の無知で試合に出れなかった。
レガースを持ってなかったからである。
当時は小学生の段階でレガースの着用義務も無かったし
チームメイトもつけていなかった。
チームメイトに頼んだがシューズなら貸すが
ソックスは無理と言われてしまった。
ソックスがなければレガースを借りてもつけられない。
試合に出れないモヤモヤ、あとなんで補欠も試合に出れると
教えてくれなかったのか。
試合に出るための準備しておくように一言でも
言ってくれれば絶対活躍したのに。
小学校の時必要なかったからレガースという
用具の存在を知らなかった。
気にもしなかったのだ。
それまでの自分は試合をすることしか考えていなかったから
必要な道具、基礎的なテクニック、戦術、有名選手、何一つ知識として興味を示さなかった。
自分はサッカーという得意な1スポーツが好きなだけでサッカーを愛してなかった。
しっぺ返しを受けた自分はサッカーのことを考えたくなかった。
練習に行かずゲーム三昧だった。
ただ体育のサッカーではサッカー部の中心選手と違うチームになった時、
ゴールも決めたし中盤で自分のほうが機能した気がする。
あんなに恐れていた隣の小学校出身のサッカー部員が凡庸な選手に感じた。
もちろん授業と違ってフルタイムで役割が与えられたら
違う感触なんだけど脅威に思っていたのがバカバカしく思えた。
だからといって学年も上がっている。今更サッカー部に戻れない。
結局3年のときの最後の大会に全校応援で
サッカー部を見ることになったが
とても退屈なものだった。
あそこに自分がいればもっと仕掛けて
あんな退屈なサッカーなんてしないチームにできたのに。
それから後戻りできず高校卒業するまで
ゲームで時間をつぶすのであった。
今の知識のまま小学校に戻れたら
後悔しない人生を送れたのだろうか?
そんな後悔を持ちながら50年の人生を
終えたのだった。
気がついたら朝起きた。
見下ろしているのは母親。
どうやら自分は赤ん坊のようだ。
夢にしては意識がはっきりしている。
両親の顔を見て見る。若い。
姉はいたが家庭内暴力で家族を不幸にしていた
兄の存在はなかった。
これはタイムリープして子供の頃に戻ったのではないか?
しかも兄の存在しない事から平行世界の可能性が高い。
不可解だがそうとしか思えなかった。
しかし兄がいないという事は30過ぎまで奴隷のように
扱われた前世と違って肉体的にも精神的にも開放され
大量の自分の時間が持てる。
ということはそれだけサッカーを早く始められ未来知識も少しはある。
今度は後悔しないサッカー人生を送れるのではないか?
やり直しのサッカー人生をもう一度チャレンジしたい、強くそう思った、