第八話:鴉の街、オーランド
オーランドの街へ着く頃には、すっかり日が落ちていた。空にはカラスの声が聞こえ、なんとなくノスタルジックな雰囲気の街だった。道中アンナが語ったところによると、この街はカラスが多いことで知られているらしい。そう聞いたときは陰気臭そうだと思ったが、実際は意外に活気があるようだった。
「宿を取るか、酒を取るか……それが問題だ」
道ゆく人々を眺めて、深刻げな顔でぼそりとつぶやくアンナ。この世界にはシェイクスピアはいないと思うが、似たような言い回しはあるらしい。そういえば、ことわざとかも通じるもんな。
「飲むなら二人で飲んで。私は、ちょっと挨拶してくるから。いつもの宿で落ち合いましょう」
ヴィバリーはそう言うと、集団を抜けてするりと人混みに消えていった。
「……どこに行ったんだ?」
俺の質問に、アンナは頭を左右に揺らしながら気のない調子で答えた。
「仕事の根回しだよ。あの子、ここの市長さんと知り合いなんだって。そのコネで、はぐれ魔術師の情報を、優先的に回してもらってる。普通は、最初に護法騎士団のとこに話が行くからね」
「へえ、市長とかいるんだな……」
この世界の社会構造がいまいちわかってない俺は、首をかしげる。それを見て、アンナもまた首をかしげる。
「あー、もしかしてあんた、市長って言葉の意味がわからない?」
上から目線の言い方にムッとして、俺はフンと鼻を鳴らした。まあ、背丈に少々差があるので、アンナからすれば子供みたいに見えてるのかもしれないが。
「言葉の意味はわかってる。ただ、前に魔術師が世界の支配者って言ってたから、フツーの人間の政治家なんかはいないのかと思ってたんだ」
アンナはんーっと虚空を見上げて、俺の言葉の意味を反芻しているようだった。
「政治家ね……まあ、そういうのもいるよ。魔導師が管理する大領地の中に、さらに人間の領地があって、その中に街があって、それぞれにそれぞれの長がいる。魔術師の連中は人間なんかどうなろうと知ったこっちゃないって感じだし、人間の面倒見るのは結局、人間だけさ。ほら、ユージーン、行くよ」
道端につながれた犬とじっと見つめあっていたユージーンに声をかけ、歩き出すアンナ。ユージーンは少し名残惜しそうに犬を振り返りながらも、アンナに従った。
「……で、宿に行くのか、飲みに行くのか?」
そう聞くと、アンナは満面の笑みを浮かべた。
「飲みに行く!」
もともと朗らかな性格だけれど、そんな風に笑うと、素朴というか、娘っぽい感じがして一瞬どきっとする。実際、歳はいくつなんだろう? こういうのは、女性に直接聞いちゃいけないらしいが……
「アンナって、歳いくつなんだ」
思わず聞いてしまった。こういう空気の読めなさが、友達いない理由なんだよな。だがアンナは動じずに、にやにやと笑いを崩さない。よっぽど酒を飲むのが楽しみらしい。
「いくつに見える?」
いやな返しだ。聞かなきゃよかった。前も言ったが、そもそもこの世界の寿命がいくつなのかも知らない。
「……19」
無難に行こう。これより下はないはずだ、って数字を言っておけばいいんだ。
「ふっ」
アンナは意味ありげに笑って、大鎚のビリーを右から左へ持ち直し、それきり何も言わなかった。……どうやら、数字の正誤はともかく、地雷は踏まずに済んだようだ。
酒場に入ると、アンナは店の主人にさっと手を振って、奥のテーブルについた。髭面かつ強面の主人は、無言で肩をすくめる。どうやら、顔なじみらしい。
店の中を見回した俺は、なんとなくそわそわしだす。何しろ、飲み屋なんて入ったことがない。そもそも未成年だ。別世界に来たからには、現実世界の法律は忘れていいとは思うが……
「あんたも飲む? もう二杯頼んじゃったけど」
椅子につくなり、気が早すぎる。
「……いやー、俺、17歳で……この世界って、酒飲める年齢とかってのは……」
もごもごと口ごもる俺に、アンナは舌打ちする。
「まどろっこしいなあ。飲むか、飲まないか。この世界にあるのはその二つだけだよ。少なくとも、あたしの世界にはね。まあ、飲みたくなきゃあたしが二杯飲むから、ジョッキをよこしてくれりゃいいよ」
気を使ってるのか、ただ飲みたいだけなのか。こっちの飲み屋は、壁にずらっとメニューが貼ってあったりしないんだろうか。焼き鳥があれば、焼き鳥を食いたい気分だった。
「……お待ち」
メイド服のウェイトレスなんかは出て来ず、仏頂面の主人が、琥珀色のビールがなみなみ注がれたジョッキを二つ、無造作に置いていった。
俺は、ビールと向き合って、しばし考えた。飲むや、飲まざるや。
それから――深呼吸して、ジョッキを向かいのアンナに押しやった。酒は、たぶん、嫌いな方じゃない。ただ、最後に酒を飲んだ理由を思い出すと、今はまだうまく飲めそうな気がしなかった。
「では、ありがたく、いただこう……」
荘厳な口調で言いながら、アンナはジョッキを我が子のように大事そうに抱え込んだ。大丈夫なのか、この女。アル中とか酒乱だったら、なるべく一緒に旅はしたくない。
ユージーンは、いつのまに注文していたのか、皿に乗ったネズミ? カエル? の丸焼き? ……みたいなものを突っついていた。この子はよくわからん。
「……食べる?」
物欲しそうに見えたのか、ユージーンは俺の顔を見て言った。断るのも悪いし、一応、仲間(?)になったのだから、彼/彼女とも多少は仲良くしておきたい。
「じゃあ、一口もらおうかな」
ちょうど、腹も減っていた。俺が手を伸ばすと、ユージーンはぴっと指でネズミを弾いて、食べやすく細切れにされた肉を俺の手の中に飛ばしてきた。ナイフもなしでどうやって切断したのかは考えないようにしよう。
「……いただきます」
その丁寧にカットされた肉を口に入れると、じわっと肉汁が口に広がった。
……変な味だった。街道の宿でパンを食った時も思ったんだが。この世界の食い物は、味がしないというか、ゴムみたいで、なんか変な感じだ。
「…………」
と、微妙な顔で咀嚼している俺の顔を、アンナがじっと見ていた。なんだ?
「あんた、もしかして、クソ不味いなーとか思ってる?」
図星を突かれて、思わずごくりと肉を飲み込む。なんで、それをわざわざ聞くんだ。ここでうなづいたら、肉くれたユージーンに悪いだろうが。アンナが一大事みたいな顔で言うせいで、なんか不安な顔してるぞ、この子。
「いや、美味いよ。好みはあるだろうけど、俺は好きだなー、この味」
褒めすぎず貶しすぎず、我ながら的確なフォローだと思ったが、アンナとユージーンは何か目配せして、ぼそぼそと小声で話す。
それからややあって、アンナが頭をかきつつ口を開いた。
「……あー、まあ、あたしヴィバリーみたいに気使えないから、サクッと言っちゃうけど。あんた、たぶん味覚も死んでるよ。ここのモリネズミ焼きは絶品だからね」
……そういうことか。どうりで、味がしないわけだ。
「ビールの味もわかんないなんてねえ。あたしは死んだ方がマシだと思うけど。まあ、あんたは強く生きなよ。あ、もう死んでるか……」
ハハハと笑って、アンナは最初のジョッキを空けた。本当に、気を使う能力がないらしい。まあ、かえって悲壮にならずに済んだから、よしとするか……