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魔術狂世界  作者: あば あばば
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第七十六話 魔術狂会議 その2

「客観的な生死の境を定義づける議論は必要ではない。それは本質に一切関わらない、表層的な言葉遊びでしかない。重要なのは因果術師であるフユコの主観である。彼女が『生』と定義づけるものが『生』であり、トランカラーシは粛々とそれに従う」

 こいつの頭の中がどうなっているのかは理解不能だが、とにかく冬子の言いなりということらしい。

 老婆ポトキッテが彼の話の通じない様子に「おやおや」という感じで微笑みながら、再び挙手して言う。

「では、少し議論以外のことをしましょう。興味本位で訊くのだけれど、あなたは実際どういう手法で壺中の人々のほとんど全てに転移術をかけるつもりなのかしら? いくら空間術の第一人者とはいえ無理があるように思えるわ」

「ああ、それは私も気になるね」

 知識の魔導師(ウィザード)らしい好奇心の旺盛さで、間髪入れず食いつくイクシビエド。

「トランカラーシの管理下にある星々に術式を投影する。壺中の天に輝く星は大小含め36億と210万あり、壺中の総人口よりわずかに多い」

「ああ……なるほど、魔術が意識ごと図式化されてしまった君にはそれが可能なのだな。肉体を捨てた者ならではの大魔術だ。ふむ、ふむ。しかし、本当にその規模の魔術が実行可能だろうか? 計算外のことが無数に起きるはずだ」

「計算上は実行可能である。事実、トランカラーシは長毛熊座銀河の2万余の星々を使って、同数の羽虫を妖精界へと放逐する実験に成功した」

 無表情、無感情、なんならすでに死んでいると言われるトランカラーシだが、俺にはどうも図形の奥に自慢気な顔が見えるような気がする。同じ死んだ人間だからか? いや、絶対にこの口ぶりのせいだ。

「あら、いつ?」

「この場に召集される五秒前である」

 尋ねるポトキッテに、やはり自慢げに答えるトランカラーシ。

 その瞬間、なぜかネリマルノンの体が山嵐のように、無数の棘をわっと生えさせた。

「そうか、紅紐黄羽蝶を絶滅させたのは貴様か……妾の美しい蝶を」

「最大限に生態系の相互関係を調査した上で、影響の最も少ない生物を選んだ。生息地はトランカラーシの領地である高高度の上空であり、批判を受ける理由は存在しない」

「種を断つことの重みもわからぬ痴れ者めが。代償は高くつくぞ」

 怒りを露わにするネリマルノンを見て、老婆ポトキッテがくすっと笑う。

「あら。ドウォフ族を滅ぼさせたのは誰だったかしら」

 その笑いには、どこか嘲るような攻撃的な響きがあった。温厚な老婆に見えていたが、ネリマルノンとは折り合いが悪いようだ。彼女が特に嫌われ者なのかもしれないが。

「……妾が作ったものを妾以外に消されるのが我慢ならぬのよ」

「作った、という表現は誤りである」

 追い打ちをかけるように、トランカラーシが冷たく言った。

「この場にいる魔術師の誰一人として、真に何かを創造したことはない。それは現存する魔術の範疇の外だからである。我々は原初の魔術たちが(くう)より生み出した無限無辺の美に触れ、理解した振りをしているだけの稚児に過ぎない。ネリマルノンは種を生み出したのではなく、既存の種に手を加えたに過ぎないように」

 何を言っているのかはわからないが、場の冷え切った空気で、こいつが魔導師(ウィザード)たちに批判めいたことを言ったのは伝わった。

「トランカラーシはこの世界の美しさを理解している。それは綿密に編まれた基本物理法則であり、多くの矛盾を内包しながらも、淀みなく流転し続ける強靭な規則である。その全ては因果という名の大いなる魔術によって生み出された。あらゆる魔術師は、その模倣を試みては失敗を繰り返してきた。あらゆる魔術は、その観点において、失敗作であると言える」

「左様。それはこの場の誰もが承知している。何が言いたい?」

 イクシビエドに促され、トランカラーシはうなづいた。つまり、顔である図形を縦に傾けた。

「再び行われる因果の魔術を、この目にしたい」

 主語のないその言葉には、切実な感情がこもっているように俺には聞こえた。

「そして、その結果として行われる変革を。二度目の因果術によって再び新たに生まれる世界が、いかなる法則を持ち、いかなる美しさを持ち得るのか。トランカラーシはそれを観測したい。予測不可能の未来を。完全なる魔術が生み出す次の世界を」

 一旦言葉を切って、照れ隠しのように静かな言葉で付け加える。

「……それが、卑俗的かつ感情的な概念に置き換えた場合の、トランカラーシの行動理由である」

「くっくっ……ああ、成る程、成る程。理解できたよ。初めて私は、君を愛らしいと思った、トランカラーシ」

 気色の悪いことを言いながら、イクシビエドはゆっくりと拍手した。知的好奇心のために行動する――それはこいつこそ専門なのだから、きっと共感があるのだろう。

 通じ合う二人の魔術師に、アドバンチェリが眉をひそめつつ人差し指を立てた。

「しかし、その『変化』は君の魔術が起こすのだろう? あの娘の因果術は糸を引くだけ。君は結果を知っている」

 糸を回すように、くるくると人差し指の先を回して、唇に当てるアドバンチェリ。

「トランカラーシの存在は、フユコの実行している巨大な術式の一部であると解釈している。すなわち、因果術によって引き起こされる事象はトランカラーシの魔術のみに留まらず、それ以上の変化を引き起こすと予想される。そして、それは予測不可能である」

「要するに、魔術師ならぬ人々を放逐してそれで(しま)いとはならぬわけだね」

「予測が不可能であるということは、回答も不可能であるということである」

 トランカラーシの返事は、どこか逃げるようだった。

 はっきりと告げるべき言葉を避けているような。


「つまり……その娘が生きている限り、壺中の因果は揺らぎ続ける」

 ぼかされた言葉を言い当てたのは、ネリマルノンだった。

 そう。結局、そういうことだ。

 冬子は因果の魔術師として、今も世界の法則や運命を歪めている。起こるはずのなかったことが起き、ここにいる各地の支配者たちさえ逆らえない、いや「自らの意思で従ってしまう」という絶対的な強制力を持っている。

 それが無意識のものであるのなら、冬子が生きている限り、この世界はあいつの手の平の上から逃れられない。


「……そろそろ、議論は終わりにしようか。トランカラーシが感情らしきものを表に出したということは、つまり論理における衝突はすでに尽くされたということだ」

 イクシビエドがそう言って、椅子から立ち上がった。

「各自の決断を聞かせてもらうとしよう。まずは私から、いいかね?」

「あらあら、興が乗ってきたのねえ。聞かせてもらいましょう、先生」

 アウラが椅子の上で両脚を組み替えて、ぺろりと舌なめずりするのが見えた。

 こいつはさっきから、傍観してばかりでほとんど口を挟まない。

「私はフユコの行いを、ひいてはトランカラーシの魔術を止めるつもりだ。どんな手段を尽くしても」

「その理由は?」と、ポトキッテ。

「私は今の、この世界の全ての在りようを愛しているからだ」

「……愛?」

 意外な言葉に、思わず俺の口から声が漏れる。

 イクシビエドは優しくも冷たい、爬虫類のような微笑みを浮かべてこちらを見た。

「そうでなくて、なぜ全てを知りたがるだろうか」

 それから円卓に向き直り、両手を卓に並べて手触りを楽しむように指を走らせる。

「私は世界で起きる全ての事象を愛している。酒場に転がる酔っ払いの身じろぎの音を愛している。その下の床の軋みを、木板の歪みを愛している。喧騒を遠くに聞きながら、うたた寝する老婆のまばたきにある一定の周期を愛している。その瞼にとまる蠅の足の角度を愛している。男の足、女の手、砂漠で野垂れ死んだ家族なき子供の爪の垢を愛している。恋人たちのささやきを愛すのと同じように、冷めた家族の罵り合いを愛している。荒地に満ちる砂のひと粒ひと粒。吹きすぎる風が揺らがす枯葉の軌道。石の中にみっしりと詰まった鉱物の誰も見えぬ輝き。不完全で完全な無数の生物、無生物、そして現象。それら全てが奏でる巨大な交響曲に、一音たりとて不要なものはないのだ」

 顔を上げ、正面を見るイクシビエド。

 その瞳には確かに情熱があった。理解できない、しかしとてつもなく大きく果てのない情熱。

「しかし、彼女は違う。彼女は我々の世界のものではない。私は彼女を愛さない」

 俺は今、こいつの言葉に共感しなかったか? 俺は、冬子を愛しているか? そんな問いを自分に向けたことはなかった。そんなこと、普通の兄妹はいちいち聞いたり考えたりしない。

 でも、もし問われたら俺はどう答えていたのか。

 答えは明白だ。そうでなければ、俺はこの世界にいない。

「もし……彼女こそが交響曲の指揮者であるとしたら?」

 アウラが目を細めて言う。こいつもトランカラーシと同じ冬子側なんだろうか?

 イクシビエドは動じることなく答える。

「もしも、彼女がそうならば。すでに奏でられたこの巨大な壺の中に反響する音楽に、不協和音を生み出すことはない。少なくとも、私はそう信じる」

「そう、つまり、信仰の話なのね……ああ、面白い」

 心底おもしろそうにニコニコと笑みを浮かべて、アウラは首を横に振った。

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