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魔術狂世界  作者: あば あばば
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第七十三話 世界はあなたのもの その5

 しばらくの沈黙の後、冬子はふと思い出したように目をぱちくりさせた。

「あー、ごめん。なんかリアクション期待してたよね」

 困ったな、という風に眉根を寄せて、冬子はため息をついた。

「……別に謝らなくてもいいのにな。兄貴が謝っても謝らなくても、何も変わらないから。私は兄貴を二度と善人だなんて思わないし、永遠に許すこともない。かといって、もう怒ってるわけでもないし。どうでもいいんだよ、実際」

 予想できていた反応ではあった。塔の上からあいつと目が合った時から――いや、夢の中で最初に会った時から。こんな一言で何が変わるわけでもないとは知っていた。それを承知でここまで来たんだ。

 だけど、それでも面と向かって冬子の冷たい反応を見るのは堪えるものがあった。

「どうでもいい、は言い方キツかったかな。まぁ、兄貴が言ってスッキリできたなら、よかったね?」

 ふっと笑う冬子の目には、哀れみさえあった。


 一方の俺は、少しもスッキリなどしていなかった。

 ――気づいてしまったのだ。うっすらとあった甘えが消えて、ようやく本当に実感が湧いたのだ。

 謝っても、何をしても、もしも万が一、冬子が俺を許したとしても。どんな罰を受けたとしても。

 俺はおそらくもう一生気持ちが軽くなることなどないのだろうと。

 この重荷はもう永遠に下ろすことはできない――それが、「人を殺す」ということなのだ。


「兄貴だけじゃなくて、過去のことは大体、もうどうでもいいんだよ。私には未来がある。この世界での未来が。だから、止まることも振り返ることもしない。ねえ、月を見てよ、兄貴」

 月――まだ日も沈みきっていないのに?

 そう思いながらも、冬子の視線を追って天井の穴に目を向ける。

 垣間見えた空は確かに完全な闇に包まれ、綺麗な下弦の三日月が浮かんでいた。

「この世界の月は天体じゃないんだって。空に浮かぶ大きな球で、だから、見える大きさが場所とか時間帯によって全然違うらしいよ。面白いよね……あ、やっぱ今は満月がいいな」

 冬子がそう言った瞬間、月の姿が変わった。

 何の前触れもなく、三日月は満月になっていた。一瞬遅れてその事実が意味することの大きさに気づき、寒気がした。キスティニーはまだ冬子の魔術が万能じゃないと言ってたが、これを万能と呼ばずにどう呼べばいい?

「うん、これこれ。明るい話をするんだから、明るい方がいいよね。でも、太陽は無粋だ。あれはなくていい」

 まさか、その一言で太陽まで消してしまったんじゃないかと少し怖くなる。

 ヴィバリーがなぜ冬子を危険視するのか、俺にもじわじわとわかってきた。世界が変わる。知っていたものが、知らないものへと変貌していく。こうも簡単に――

「……明るい話、って言ったか? 俺と?」

 俺はなるべく平静を装いながら、冬子に話を合わせた。

「ん。せっかく兄貴が来たから、聞いときたいことがあるんだ。今、ちょっと考えてることがあって。でも、まだ迷ってる。必要なことだと思うんだけど、結構大きい変更だからさ。ユーザーアンケート? みたいな。ふむ……」

 顎に手を当て口を斜めにひねらせて、考え込む表情を作る冬子。

 何を言ってるのか俺にはさっぱりわからない。冬子の感情にもついていけてない。拒絶されてなお、どうして俺はまだここにいるのか……困惑する俺に、冬子は突然、暴力的なほどまっすぐな問いを投げかけた。


「兄貴はさ、どうして私を殺したの?」


 あ、と喉の奥で詰まった音が立つ。

「よく考えたら、結局わかんないままなんだよね。私、なんかしたっけ。嫌われてるとは思ってたけど。ゲーム借りパクしてた? いや、全部部屋の前に返しといたよね。あと何だろ。夜中に音楽かけてた時はヘッドホンしてたし。泣いてる声がうるさかった?」

「そんな理由のはずないだろ! そんなわけ……」

「じゃあ、どうして?」

 冬子の目は、俺を苦しめようなんて気持ちはさらさらないように見えた。ただの興味と好奇心。

「俺は……!」


 邪魔だったから。重荷だったから。

 羨ましかったから。憎かったから。怖かったから。

 その全てであり、どれも間違っている気がした。

 行動に移す直前まではあんなに明晰な答えを手に入れた気がしていたのに、今はもう溶けて混ざったようにぐちゃぐちゃだった。混じり合って、黒く濁ったあの時の心は、奥底に沈澱した汚泥でしかなかった。


「わかんねえよ! わからない……ちくしょう。俺には、わかんないんだ……もう……」

 答えのない答えを絞り出し、俺はその場に伏せた。石床に額をこすって、歯が折れそうなほどに噛み締める。

 うずくまり、声にならないうめきを上げる。床の冷たさは感じなくなっていた。痛みのない体はもう、同じ温度になったのだ。

「……そうか。やっぱりね」

 冬子はそう言って、深いため息をついた。


「……え?」

「うーん、つまりさ。私は前から思ってたんだよ。あの世界にも、この世界にも、私には理解のできない人たちがいるんだ。共感できないだけじゃなくて。さっき言ったみたいに、言葉の通じない人。つまり、兄貴みたいに」

 俺に背を向けて、玉座へと歩き出す冬子。

 かさかさと夜風の音が鳴り始める。あるいはこれも、冬子が吹かせている風なのか。

「いつも誰かと戦って。剣や言葉で人を傷つけて、吹き出た血を浴びても平気で笑ってる。兄貴はここが別世界に感じてるだろうけど、東京だって同じだったでしょう。無数の敗者と勝者がいて。潰し合うことが生きることだと思ってる……私を殺しに来るのはそういう人たちなんだ。魔術の世界でさえ変わらない」

 冬子は玉座の前に立って、床にうずくまる俺を見下ろした。

 冬子にとって、俺は自分の世界を壊しにくる者の象徴なのだ。反論の余地はない。

「彼らの奥にあるのはなんだろうって、ずっと考えてた。考えてもわからなかったから、本を読んで、ネットで調べて、こっちの世界に来てからも色んな話を聞いてた。兄貴の動向もね。わかりやすい、人殺しのサンプルだったから」

「…………」

「明確な理由があるのなら、いつか理性でわかり合えるのかもしれないと思ったんだよ。排除されたって、殺されたって、まだほんの少しだけ希望を持っていた。だけど……だけど、やっぱりそこには何もなかった。兄貴が今言った通り、わからないんだ。ただ、そう生まれついただけ。そういう生き物なんだよ、『人間』は」


 何か――

 何か、不吉な感じがした。

 冬子が何を言わんとしているのか。理解できないのか、したくないのか。

 漠然と察することができたのは……こいつが拒絶しているのは、俺だけじゃないということ。


「つまり、さ。私たちは別の世界の生き物なんだ。私たちは『魔術師』。兄貴たちは『人間』」

 冬子はほんの少しだけ、ためらうような目をした。

 一瞬の迷いをかき消すように、まぶたを閉じて、開く。

「はなから同じ世界に住むべきじゃなかったんだよ」

 そしてその後はもう、揺れることはなかった。


「トランカラーシ!」

 冬子が虚空へ呼びかけた瞬間、だだっ広い玉座の間に光の『円』が現れた。

 おかしな言い方だが、他にどう言い表せばいいかわからない。空中に浮かぶ、青い幾何学模様。内側には無数の記号や直線、曲線が蠢いている。まるで生きた魔法陣だ。

 しかしその異様な存在は、明確な意思を持っていた。冬子の呼んだ名前に呼応して、記号によって構成された目と口がにやりと笑う。

 これは――こいつは、ただの模様じゃない。この『円』こそが『魔術師』なのだ。

「準備を進めていいよ」

<aS YoU wISh>

 円の中に浮かび上がる不揃いの言葉。

 あっけにとられる俺の前に、冬子が歩み出る。


「この間まではね……ただ自分の領土を守るつもりだったんだ。静かに、満たされて生きられれば私はそれでいいと思ってた。邪魔する者さえ排除すればいいって」


 その顔は、逆光で見えなかった。ただ決意に満ちた瞳だけがぎらぎら輝いている。


「だけど、ずっと止まない雑音があるんだ。この世界の出来事を見聞きするたび、元の世界と変わらない、憎しみや妬み、冷たい心で満ちているのを感じる。この世界は私が夢みた幻想そのものなのに。こんなに美しくて、望みうる全てが望んだままに現れるのに。そんな汚い心があるせいで、この世界もまた必ず血で汚れ続けるんだ。毎日、毎日。兄貴の手みたいに」


 瞬時にして、周りが霧に包まれた。

 俺の手指の先をチッと剣の切先がかすめて消える。

 顔を上げると、冬子の隣には甲冑姿のローエングリンがかばうように立っていた。


「仕方がないって思ってた。人間はそういうもの。平和よりも争いを。夢よりも現実を。永遠よりも刹那を。生よりも死を求めてる。それが世界の大半なら、私はまた耳を塞いで、口を閉じて、ここに籠っていればいいってさ……」


 そして、もう一人――冬子の後ろで、空中に横たわってくすくすと笑う女。

 ……キスティニー。とっくに冬子の側についていたわけだ。


「でも、それじゃ昔と何も変わらない。今の私はあの頃とは違う。私はもう、人間じゃないから。人間はそういう生き物だなんて、大人じみた理屈に納得して、泣き寝入りする必要はもうないんだ」


 月明かりに照らされたその表情からは、かつて冬子の象徴だった陰や孤独は鳴りをひそめ、堂々とした力が満ち始めていた。彼女の言葉通り、冬子はもう別のものになったのだ。俺の知らない、強く揺るがぬものに。


「心の望むままに、私は夢をみる。制約は何もない。私を縛るのは私の心だけ」


 頭上から、咆哮が聞こえた。

 何度も聞いた、懐かしささえ感じるその轟音。心の奥で小さな失望を感じる。

 一頭の小竜は暗闇からするりと滑り出て、月光に向かって伸びをした。


 居並んだ異質な者たちを前にして、俺は息を整えながら問いかけた。


「冬子、お前……何をする気なんだ?」


 冬子は呼吸で上下するカナリヤの鱗に手のひらを当てて、面白そうに笑った。

 そして、笑顔のまま俺を冷たく見下ろした。


「私は、人間をこの世界から放逐する。殺し合いがしたいのなら、手前の世界で好きなだけやればいい。ここは魔術の世界。ここは私の夢。あなたたちの居場所はもう、ここじゃない」


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