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魔術狂世界  作者: あば あばば
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第六十七話:たった一人の魔女 その3

「ハァ、ハァ……ッ、くそっ、くそ……」

 二段飛ばしで、転げるように塔を降りていく。

 冬子からは俺の姿が見えなくなったはずなのに、妙な焦りが心に生まれていた。なんらかの魔術であいつがまだ俺を見ているんじゃないか。さっきだって、きっと狸寝入りだったにせよ、あいつはずっと目を閉じていた。なのに、俺たちは――

「あッ」

 苔に足を取られて、危うく転びそうになる。崩れた壁の穴に手をかけてどうにか体を支えたが、このまま勢い任せに駆け下りれば、今度こそコケて頭をぶち砕いてしまうかもしれない。

 逸る心をおさえて、慎重に足を下ろそうとした俺は――手をかけていた石壁の裂け目から、滅びた城下町をちらりと見た。

 その風景には、どこか違和感があった。登ってきた時の静けさとは何かが違う。うっすらと……白い。

「霧……?」

 確かめるように呟いて、もう一度目を凝らす。不吉なざわめきが、胸に広がる。

 深い霧がはっきりと廃墟を覆っていた。徐々に濃く、徐々に近く。まるで生き物のように。

「やめろよ、畜生……」

 霧――この世界に来て、霧を見たのはたった一度きりだ。

 まさか……いや、あり得ないはず。あいつは、俺たちで殺したはずだ。息の根までは止められなくても、二度と元には戻らないとウィーゼルも言った。

 だが、同時にどこか確信めいたものもあった。さっきからまるで悪夢の中みたいに、起きること全てが俺たちを悪い状況に追い込もうとしている。最悪のことが起きるのは、むしろ必然なんじゃないかと。

 そんな結論に至った俺は、ペースを落とそうなんて考えをかなぐり捨て今まで以上に足を早めた。早く皆と合流しないと。せめて、ユージーンとは合流したい。一人ではあいつと向き合うどころか、逃げ切ることさえ無理だ。


 必死で駆け下り、最後には十段近い数をすっ飛ばして、俺はどさりと地面に倒れ込んだ。

「トーゴ! 遅い。こっちよ」

 そこに待っていたのはユージーンではなく、ヴィバリーだった。

「なんで……」

「話している暇はないわ。早く!」

 ヴィバリーは素早くこちらに駆け寄ると、差し伸べた片手でぐいと俺を引き起こした。

 階段から飛び降りた衝撃で転げ落ちた弓を慌てて拾い上げ、手を引かれるままに走り出す。すると、すぐに視界がさあっと白く染まり始めた。覚えのある恐怖が、足元から心臓まで昇ってくるのを感じる。そして総毛立つのと同時に、頭に血が回り出す。戦いの予感に、体が準備を始めている感覚だ。こっちに来たばかりの時は怯えるだけしかできなかったことを思うと、大した変化だ。

「この霧、やっぱり……?」

「わからない。わからないことだらけよ、今は」

 悔しげに言いながら、ヴィバリーは走り続ける。その余裕のない姿は、コララディの夜の中で見せた焦燥を思い出させる。しかし、少なくとも今のところ冷静さを失ってはいないようだ。

「あなたは? フユコの魔術はわかったの?」

 足を止めぬまま、ちらりとこちらを見て言う。

「わ……からない」

 俺は口ごもる。一言でうまく説明できる気がしなかった。俺とユージーンの身に起きたこと、今起きていることが、一体どんな魔術の結果なのか。

「でも、何かは見たのね」

 ヴィバリーは俺の煮え切らない反応を見て、鋭く核心を突く。

「……ああ」

「後で聞かせて。今はアンナのところまで戻るわ。火を焚いてるから」

「ユージーンは?」

「もう向こうにいる。うずくまって震えてるわ。あんな姿、初めて見る……」

 ヴィバリーの言い方は心配というよりは冷静に観察するような、どこか突き放した声だった。ユージーンやアンナのことはこいつなりに家族や仲間として見ているのだと思っていたが、俺が思っているよりはドライな感情なのかもしれない……何年も一緒にいる彼女たちの関係を、新参の俺がそうすぐに理解できるわけでもないのだろうが。

「もうすぐよ」

 ヴィバリーの声に前を見ると、霧の向こうに赤いものが見えた。火だ。

 そして、火に照らされて動く大柄な影が一つ。きっとアンナだろう。

「アンナ! ユージーンッ!」

 俺は声を張って二人を呼んだ。迷子の子供が親を見つけたような必死な感じが混じってしまったが、霧の中ではそれだけ心細くもなるものだ。アンナはぶんぶんと力強く手を振って合図し、その足下でユージーンらしき影もむくりと身を起こすのが見えた。

 だが、その時急に目の前がわっと白く染まった。頭の中で強烈な危険信号が鳴る。

(来る!)

 がなりたてる本能の声に押されて、俺は駆け出そうとする足を止め、腰の剣に手を伸ばす。

 だが剣を抜ききる前に、俺は背後から肩を掴まれ、ぐいっと地面に引っぱられていた。

「どけ!」

 ヴィバリーの声だ。乱暴な言い草だったが、抵抗せず引かれるまま倒れこむ。この状況で彼女がそう言うのなら、どいた方が生き残れるってことだ。

 俺の予感は正しかった。頭が地面にへばりつくや否や、頭上にごうっと突風が吹き抜けた。アンナの大鎚だ。

 白い壁のように厚くなっていた霧は、その風圧で綺麗に二つに分かれた。その瞬間を見逃さず、ヴィバリーは俺の腕をひっつかんで立ち上がった。彼女の足を引っ張らないように、俺も身を起こして必死で地面を蹴る。

 あと少し。駆けるヴィバリーの背中が遠のく。あと、ほんの数歩。

 俺の腕から手が離れ、ヴィバリーが先に霧を抜けて焚き火のそばへ滑り込むのが見える。


 俺も、あと一歩だけ大きく跳べば――そう思った瞬間に。

 ふっ……と眼前から霧が消えた。はっきりと見えた三人の顔は、俺の背後に向けて目を見開いていた。同時に、がくんと俺の足が止まる。つまづいたわけじゃない。何かが、俺の足首をがっしりと掴んだのだ。

 振り向くと、そこに手があった。空気にミルクでも溶かしたような真白い霧から、ぬっと生え出た同じ色の手。土に汚れた指先が、幹となるべき体もないのに、へし折れそうなほどの力で俺の足を掴んで引き止めている。

「……うあああぁッ!」

 思わず叫び声をあげ、振り払おうと体をよじるが、霧から生えた手は万力のように固定され微動だにしない。逆に俺の方がバランスを崩して、顔面から地面に倒れこむ羽目になった。土の味が口に入ってくるのを感じながら、必死に顔を上げ、前へ進もうともがく。

「トーゴッ!」

 体勢を整えたヴィバリーが、俺の名を呼びながら、こちらに突進するのが見えた。次いで、冷たい感触が足の中を通る。この女、俺の足ごとローエングリンの手を貫こうとしたのだ。

 しかし、鋼の感触が通り抜ける頃には、足首を握る手の感触はかき消えていた。ローエングリンは俺の手を離し、次の動きに移ろうとしている。となれば、狙われるのは俺じゃない。

「危な――」

 とっさにヴィバリーへ注意喚起しようと声を上げる俺。だが、言葉の途中で突然に喉がぐっと詰まって、声が出なくなった。


(ヴィバリーッ!!)


 声のない声を心で叫びながら、包み込むような霧の中に、俺は女の姿を見た。空中から溶けでるように、ぬるりと具象化されていくローエングリンの半身を。彼女の体はウィーゼルが両断した瞬間のまま、胴の半ばで断ち切られ、白い霧に赤い雫を散らしていた。

 その動きはまるで――いや、文字通りのスローモーションで、ゆっくりと落ちていく。時間の流れが遅いのは、俺がそれだけ集中しているからなのか。白い世界に散らされた無数の血の雫は、遅い時間の中で焚き火の光を反射して、万華鏡のようにきらきらと輝いていた。それは、無残でありながら美しい光景だった。


 それから、徐々に……何かがおかしいと気づいた。

 時間が止まっていく。頭の中が、少しずつ淀んでいく。息ができない。

 息をする方法がわからない。体が動かない。いや、違う……。


 意識が遠くなって、一瞬、戻る。その瞬間に、何が起きているかを理解した。

 俺は、間違っていた。ローエングリンはすでに、行動を終えている。

 ウィーゼルが言った通り、すでに肉体を殺された彼女は、霧から体を戻した瞬間にその死を受け入れざるを得なくなる。彼女は死と引き換えに、重力に任せるまま、剣を振った。その切っ先が触れたのは、ヴィバリーではなかったのだ。


 ゆっくりと進む時間。暗くなっていく視界。その奥に、かすんでいく二つの影が見えた。

 呆然とするヴィバリーの姿。そして、首のない自分の体。


 ここが、終着点なのか――

 そう悟った瞬間、俺はどこか安堵していた。



 ……それから長い、静寂のあとに。


「ああ……ときどきこうして浮世に顔を出してみれば」


 暗闇のなかで。


「血、また血……終わらない、終わらない」


 少女の声が聞こえた。


「生かしましょうや」


 一瞬、光が見えて、


「死なしましょうや」


 そしてまたふっと暗闇に戻る。


「いずれが君らの望みなのか……命なるもの。美しい、醜い、卑しくて、尊い……」


 遠くからまた、唄うような声。

 キスティニーのように不可思議で、得体が知れず……しかし、もっと哀しい。


「私は君らが好きだよ。君らのひとりびとりのうちに燃えるちっぽけな蝋燭のゆらぎが。だから、せめて私の目の届くところでは死なないでおくれよ」


 突然に、俺は目を見開いた。死なずに、まだ生きていた。

 呼吸は相変わらずできない。できることは、見ることだけ。

 そしてぼやけた視界がはっきりとしてくると、俺はすぐそばに声の主が、目尻に朱の差した少女がいるのを知った。彼女は、俺を――俺の首を両手に載せて、細い唇で微笑んでいた。


「……私がそうしろと言うまではね」

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