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魔術狂世界  作者: あば あばば
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第六十六話:たった一人の魔女 その2

 塔の崩れた壁からほんの少し身を乗り出して、俺は眼下の城壁を見た。

 ユージーンの言った通り、城まではかなり距離があった。城壁には確かに三つの穴があり、天井が崩れたらしい大きな穴は、城の中心かつ頂点……西洋の城でどう呼ぶかは知らないが、天守閣みたいな場所にあった。

 穴の底は薄暗かったが、俺は目を凝らして覗き込んだ。正直あいつの姿を見るのはまだ怖かったが、ここまで来たらもう見えないままの方が落ち着かない。見えない亡霊に怯えるよりも、早く正体を見てしまいたいような気持ち。

 そして――見つけた。

 不似合いに大きな玉座の上、黒い何かがうずくまっている。ぼさぼさの髪の色が制服の紺色と混じって、ころころした毛玉みたいだ。遠く米粒みたいな姿でも、はっきりとわかる。あれは妹の、冬子だ。


 俺はなんだか、吹き出してしまいそうだった。あまりにも見慣れた姿だったから。

 居眠りする時、床の上でもソファの上でも、子宮の中の赤ん坊みたいにうずくまる。それは小さい頃も、引きこもるようになってからも、たぶん唯一変わらなかったあいつの習性だ。無理な姿勢みたいなのになぜか妙に快適そうで、いつも真似しようとして俺は椅子から転げ落ちたものだ。


 そんな風に遠い記憶に引き戻されながら、あいつの姿を見るうちに……ようやく、じわじわと恐怖が湧いて出た。あいつがあまりにも、同じだったから。

 この異質な世界の中に、ぽつんと一人、あいつだけが「向こう」の世界のままだった。

 俺は服も変わり、剣を腰に差し、生き方も考え方もすっかりこっちに慣らされてきたというのに。

 あいつは何も変わっていない。セーラー服を着て、命の危険なんてどこにもないみたいに、無防備に眠っている。


 体を引いて後ろを見ると、ユージーンが弓に矢をつがえようとしていた。

「お前……っ!」

 思わず、口から声が出る。

 それからきょとんとするユージーンの顔を見て、冷静になる。こいつが冬子をいきなり殺しにかかるはずがない。そうする理由がない……俺たちの任務は冬子の魔術を調べることだ。

「…………」

 ユージーンは飼い主にいきなり理由もなく叱られた犬みたいに、困惑と自責を顔に浮かべて呆然としていた。何か間違ったことをした、と思っているんだろう。でも、何を間違ったのかはわからない。

 それも当たり前だ。こいつにとっては、魔術師は戦う相手……標的が俺の妹だってことも、そもそも兄妹って概念さえ理解してるかどうかわからない。

「……すまん、早とちりした。気にしなくていい。矢であいつの動きを牽制するってことか?」

 俺が早口でまくしたてると、ユージーンも気を取り直したのかコクンとうなづく。

「魔術師は……鈍い。獣と違う」

 ニブい、か。確かに冬子は運動音痴だが(俺もだが)、そういう意味じゃなさそうだ。

 たぶん危機察知能力が低いとか、そんなことだろう。超越した力を得たことで、よっぽどの危険じゃないと感じなくなってるとか……そういえばサヴラダルナやフードゥーディも、どこか常に浮世の外みたいな、周りを見えていない印象はあった。ローエングリンみたいなのは例外中の例外ってことか。

「どこを狙うんだ?」

「頭の横」

 あまりに平然と言うので、首のあたりがぞわっとする。

 ユージーンは信頼できる射手だ。それはわかってる。わかってるけど……嫌な気分だ。一度殺した人間が何を言うのかと自分でも思う。でも、そう思うとこまで含めて、どうにも嫌な気分なんだ。

「……そうか」

 絶対に当てるなよ、なんて念押しするのもユージーンに悪い気がして、言えなかった。妹の頭の横に矢を射るぞと言われて、そんな遠慮をしてしまう時点で兄失格なんだろうな。

 一人でそんなことを考えているうちに、ユージーンはその力強い細腕でぐんっと弦を引いた。剛弓がきしっと音を立ててたわみ、張り詰めたミスリルの糸が綺麗な直角を描く。

 無駄のないその姿勢に美しささえ感じながら、俺はその矢の先端と冬子の居場所を交互に見る。

 心臓の鼓動が早くなる。


 ――ほんの一瞬、よぎる思考。

(もし、今、あの矢で冬子が死んだら)

 考えてはいけないことだと思いながらも、そう感じてしまうことは自分でもどうにもできなかった。

(俺を責めるやつはもう誰もいなくなるのにな)

 あいつを殺せば俺の苦しみは終わる。最初に冬子を殺した時も、俺はそんなことを思っていたような気がする。今も同じ俺はこの頭の中にいて、どれだけそれを否定しようとしても、こうしてふっと心ない発想が浮かぶたびに思い知らされる。

 たとえ時間が経って、たとえ誰かに受け入れられて、たとえ誰かを助けて、たとえいつか聖人のように振舞えたとしても。俺という人間の根っこが、自分の身勝手のために妹を殺せる生き物であることは、一生拭い去れない事実なのだと。


 そして、矢が放たれる――そう思った瞬間。

 ばつん! と間近で花火のはじけるような音がした。

「つっ……」

 痛みがくるような予感がして、一瞬思わず声が出る。しかし、当然何も感じない。

 反射的に閉じたまぶたをゆっくり開くと、ユージーンがさっきとほとんど変わらぬ姿勢で弓を構えていた。ただし、そこには欠けているものがあった。

 弦だ。弓の弦がない。強く引きすぎて切れちまったのか?

「…………」

 ユージーンはどこか呆然とした顔で、手にした弓の上下を見た。丈夫なはずのミスリル銀糸は、上から三分の一くらいでぷつりと切れて弓の端にぶら下がっていた。……ちょっと間抜けな光景だ。

「大丈夫か?」

 怪我がありそうにも見えなかったが、社交辞令として一応聞いておく俺。ユージーンは足元の石床に落ちた矢を拾い上げて、無言でうなづいた。思わぬ失敗が自分でも気に入らないのか、不服そうに口を尖らせながら替えの弦糸を懐からするすると伸ばす。

 ユージーンが弓を張り直す間、俺は今の音で冬子が起きなかったかどうかをちらりと確かめる。見たところ、動きはない。また夢の中で幻影城にでもいるのだろうか。俺にはもう二度と確かめられないが。

「……もう一度」

 独り言のようにぽつりと言って、ユージーンはまた矢をつがえてきりりと引いた。見ている俺は二度目となるとさっきのような緊張感はなくなっていたが、ユージーンはさっきと全く同じように筋肉に緊張をめぐらせて、石像のように微動だにせず狙いをつける。

(これで……冬子の魔術がわかるのか?)

 あいつが使いそうな魔術を思い浮かべてみる。絶対無敵の引きこもりバリアとか? 昔、魔法使いになりたいとか言っていた頃、あいつはどんな魔法を思い浮かべていたんだっけか……炎とか氷とか、時間を止めるとか、欲しがりそうな魔法はいくらでも思いつくが、キスティニーの話じゃそのどれでもないということだった。この世界のバランスを壊すかもしれないとか……話がファンタジーすぎて、まるで実感がなかったが。冬子がそんな力を持っているのかどうかなんて、矢一本でわかるものだろうか。


 そんなことを考えていると――また、同じ音がした。


 ばつん!


 切れた弦がゆらりと揺れる。

 俺は起きたことの意味がわからず、その様子を見ながらぽかんとしていた。何かがおかしいと……得体の知れない胸騒ぎだけを感じながら。

「またかよ」

 ごまかすようにヘラヘラと笑って言う俺。

「……もう一度」

 ユージーンは固く強張った顔をしていた。こいつも同じ違和感を抱いている。でも、俺たちの誰もその答えを持っていない。ただ無言でもう一度、素早く弦を張り直し、矢をつがえる。

 結果は――


 ばつん!


 同じだった。

 ユージーンの顔が青ざめ、俺は口の中が乾いてくるのを感じた。

「おい……」

 俺の呼びかけに、ユージーンは体をすぼめて、ただ首を横に振った。

 ――怯えている。コララディの時とも違う。あの時でさえ、こいつは魔術の気配を感じ取っていた。今は何も感じていない。ただ、目の前で起きた事実だけがある。

「糸がボロくなってたのか?」

 再び、首を横に振るユージーン。

 冬子が、魔術で……弓の弦を切った? 眠ったままで?

 俺はだんだん恐ろしくなりながら、城の中の冬子の姿を確かめる。同じだ。うずくまって寝ている。狸寝入りなのか。いずれにしても、あいつはこっちを見ていない。

「……もう一度」

 そう呟くユージーンは、すでに弓を手放して注意深く身を低くかがめていた。冷静な狙撃者から、追い詰められた獣のような体勢に切り替えたようだ。

「何を……」

 質問を全部言い終える前に、ユージーンの手に握られた石が目に入った。弓がダメなら、人力でということか。アンナといい、この世界の騎士は投石が当たり前なんだろうか。

「……当てないでくれよ」

 ユージーンの好戦的な目つきを見て、今度は我慢できずに言った。ユージーンは当たり前のようにコクンとうなづき、かがめた姿勢から少しずつ体を前後に伸ばし、砲丸投げの選手のような体勢になる。

 きゅっと空気が圧縮されるような音とともに、石が放たれた。

 放たれた――はずだ。俺には目で追えなかったが。

 しかし、石は眼下の冬子のもとには届かなかった。代わりに、空中で血と羽がばっと飛び散るのが見えた。鳥か何かが運悪く横切ったらしい。

 ……「運悪く」? こんな的確なタイミングで? それを、ユージーンが気付かなかった?

 違う。それはない。ありえない。ありえないことが、さっきから立て続けに起きている。

「……!」

 ユージーンは喉に詰まったようなうめき声を出しながら、その異常さを確かめるように、素早くもう一度石を拾いあげる。だが、投げようとした瞬間、彼女の足元で石がわずかに崩れ、石は見当違いの方向へと飛んでいった。

「待て、やめろ。やめろ!」

 俺は声を張り上げた。このまま続けたら、何が起きる? どんな失敗が起きる? それで俺たちのどちらかが死なないと言い切れるのか。

「あ……ウ……」

 ユージーンは震える足で後ずさると、飛ぶようにして塔を駆け下りていった。もはや完全に、恐怖にとらわれた獣だ。無理もない。何が起きているのか……いや、何が起きているのかはわかる。わかるが、理解ができないのだ。

 相方が取り乱したおかげで少し冷静さを取り戻した俺は、ひとまず彼女が置いて行った弓を拾い上げた。俺も、戻らなくちゃいけない。説明できるかどうかはともかく、見るべきものは見た。

 崩れかけた階段を降りようとする直前、何気なく振り向いて――俺は冬子が、目を覚ましていることに気づいた。

 はるか遠い眼下、玉座にうずくまっていた黒い影はすでになく。冬子はたった一人、ぽつんと広間に立っていた。遠く、小さい姿のはずなのに、俺にはあいつの顔や表情までがありありと見えた。

 じっと両目を見開いて。眠りを邪魔されたことに怒るでもなく。ただ、無感情にこちらを見上げている。

 そこにあるのは、小さな失望だ。夢の中でもそうだった。俺に何か期待していたようなことを言って。何を期待していたかなんて言いもせずに。ただ、がっかりした顔で俺を見る。詰られて、責められる方がどれだけマシだったか。

(……俺に、どうして欲しい?)

 そんな言葉も、頭の中で問うだけだ。答えはわかっている。もう、あいつは俺に何も望んではいない。

 償いも、何もできやしない。全ては過去なんだ。失望ってのはそういうことだ。

 俺はその目から逃げるように、階段を駆け下りた。ユージーンとは違う理由で、俺は冬子が怖かった。

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