第六十四話:いつか途切れた夢の跡
俺とユージーンはアンナたちと別れて、二人で森の中を進んだ。
ユージーンは俺の頭上で、木々の枝を飛び移りながらするすると先へ行っては、太い枝の上など見つけやすい場所で立ち止まって俺が追いつくのを待った。予想していたことではあるが、彼女は道中ほとんど一言も喋らなかった。
「城の跡ってのは……ハァ、もう見えるのか?」
小走りに進みながら、俺は木の上で遠くを見るユージーンに問いかける。ユージーンはこちらを見もせずに、小さく首を横に振ったかと思うと、さっさと次の木に飛び移っていった。それなりに親しくなった今でも、こいつのそっけないコミュニケーションには少し面食らう。悪気がないってことは、今ならわかってはいるが。
それにしても普段以上に口数少なく見えるのは、ユージーンなりに緊張しているのだろうか。
冬子は俺にとっては妹だが、彼女たちにとっては単に「未知の魔術師」だ。魔術師との戦いは、まだ相手の姿も見えないうちから始まっている。偵察だからといって、向こうが手加減してくれるわけじゃない……冬子にも、そのつもりはないはずだ。
やがて、俺の目にも森の風景に混じる石造りの廃墟が見え始めた。草の間に、土の下に。城下町にしてはまばらなので、宿場みたいなものがあったのだろうか。
先へ進むほどそれらの姿は目立つようになった。大樹と見まごう、大きな柱。民家か何かがあったのであろう、建物の土台。砂塵騎士団が来るまで立ち入る者がいなかったせいか、思ったよりも原型をとどめている。
まるでポンペイの廃墟みたいだ、と思った。違うのは、死体が一つも見当たらないこと。一国一城が滅んだのであれば、住民の骨なり服なり残っていてもいいはずだが、それらしい痕跡は何もない。
ヴィバリーが語ったところだと、魔導師アウラは国ごと「夢の中」に消えたという話だった。きっと本当に、街を残して人間だけが夢の中に消えてしまったってことなんだろう。そいつらは、今もあの夢の中の幻影城に住んでいるのかもしれない。
そんなことを考えていると、木の上でずっとぴょんぴょん進んでいたユージーンの姿が、じっと動かなくなった。また追いつくのを待っているのかと思ったが、すぐ近くまで来ても動かない。
「どうした? 何か見つけたか?」
声をかけると、その途端にひょいと俺のところまで降りてきた。
「……歩く」
「……なんで」
なんとなく、ユージーンに合わせてぽつりと尋ねる俺。このまま一緒に行動してると、そのうち二人とも単語で会話するようになりそうだ。
「この先……目立つ、から」
たどたどしくそう答えて、ユージーンはスタスタと先へ歩き出した。
後について歩くと、俺もすぐにその意味を理解した。二本の大きな木の間をくぐり抜けた瞬間、視界に大きな廃都市の姿が現れた。濃緑の中にぽっかりと空いた灰色の穴の中心には、ほとんど崩れながらもなおその半身を高く天へと伸ばす美しい城砦の姿。
ここから先の地面を満たすのは大樹の群れではなく、人の手が作った建物の残骸だ。苔むして蔦に覆われてはいるが、木の上のように枝葉で身を隠すわけにはいかない。冬子があの城砦のてっぺんにいるとしたら、見つからずに進むには地を這って、物陰に隠れながら進むしかないということだ。
「なるほどな……」
すでに視界から消えていたユージーンの姿を探しつつ、俺はぽつりと一人でつぶやいた。
無人の城下町に踏み込むと、一瞬ぞくっと背筋が冷えた。別に何かの予兆を感じ取ったわけじゃない。周囲の静けさの質が明らかに変わったので、驚いただけだ。
今までいた「眠りの森」の中も、コララディの魔術の影響だったのか、動物の声もせず妙に静かな空間ではあった。しかし、この街はそれと明らかに違う。葉擦れの音も、風に枝が軋む音もない。一つの巨大な都しに、自分以外の生命の気配すら感じない。
廃墟ってのは、どんな場所もこういう空虚さが漂うものではあろう。俺もガキの頃に、学校近くの廃ビルに肝試しで入ったことがある。ここは、その時感じた何とも言えない「空っぽ」を、何百倍にも広げたような場所だった。
俺は崩れた小さな民家の中を通っていきながら、この全ての風景と、夢で見た幻影城との落差に一抹の寂しさを感じた。
あの世界はめちゃくちゃではあったが、行き交う人々は妙なエネルギーに満ちていた。通りすがりのおっさんも、空を飛んだり別人になったりやりたい放題だった。コララディも確か言っていた……あの場所は、夢みるものの場所なのだと。
では、ここに残された廃墟は何なのか? 夢が遠く飛び去った後に、取り残された現実。この街を夢の世界に移設したアウラはもしかすると、この世界に見切りをつけたのかもしれない。ここでは、彼女のみる夢は永遠に叶うことはないのだと。
「……トーゴ」
「うわっ!?」
突然、耳元で名前をささやかれて、俺は思わず大声をあげて飛びすさった。
「…………」
声の主のユージーンは、天井にぶらんとぶら下がってこちらをじっと見ていた。よく見ると、天井の石材に左手の指をめりこませて、力づくで重力に逆らっているようだ。怖い。
「こっち。塔がある」
そう言うと、ユージーンはひょいと床に降りて、俺を先導して歩き出した。
民家の崩れた壁から外に出ると、ユージーンは遠くに見える尖塔を指差した。
「あそこからなら、城を上から見られそうだな」
俺の言葉に小さくうなづいて、ユージーンはまた歩き出す。今度は俺の視界から消えないように、ゆっくり進もうとしているのが見て取れる。……引率されてるみたいで情けないが、その通りなのだから仕方ない。
「……悪いな、さっき大声出しちまって。あれ、結構響いたよな? 冬子に見つかったと思うか?」
「大丈夫……多分」
ユージーンは前を向いたまま答える。
「声、街に吸われて消えた」
きっと建物が吸収してくれたとか、そういう意味なんだろうが……ユージーンの妙に詩的な言い回しのせいで、俺は自分の声がこの街の空虚に呑まれてしまったかのような、嫌な幻想を頭に浮かべてしまった。
――嫌な場所だ。こんなところで、冬子は本当に暮らしているのか。
ユージーンの後ろをとぼとぼ歩きながら、あいつの夢のことを考えた。子供の頃、あいつが話してた夢は「魔法使いになりたい」だった。中学に上がってからは、恥ずかしくなったのか言わなくなってしまったけれど。今、すでにその夢を叶えてしまった後に、あいつは何を夢みているのだろう。
子供の頃とは違う新しい夢を、篭っていた小さな部屋で見つけていたのだろうか。だとしても、それは――俺が一度、あのナイフで断ち切ってしまったのだが。
「ユージーン」
名前を呼ぶと、ユージーンは見慣れたきょとんとした顔でこちらを振り返った。
「お前は、夢を見たりするか?」
俺の問いかけに、ユージーンは珍しく少し考え込んだ。それから、言いにくそうに視線を逸らしながら、少しずつ言葉をこぼしていった。
「……ときどき。暗い場所……一人でいる」
「そうか……」
思ったより重い答えが返ってきて、俺は返す言葉を探した。
「そりゃ……やな夢だな」
いや、もっといいこと言えるだろ。とは思いつつ、とりあえず無難なことを言う。
「うん……」
ユージーンはうつむいて、地面をじっと見つめてから、もう一度俺を見て言った。
「一人は、いや」
彼女が俺を見るその目に、覚えがあった。すがるような目。何かを期待されているのに、俺はそれが何なのかわからない。
――いや、本当はわかってるんだ。言葉だけ聞いたってわかるじゃないか。こいつが怖がるものを、遠ざけてやると言えばいい。そうはさせないって。それだけでいいのに……俺はその重さを、背負うことが怖いのだ。今も、昔も。
「……アンナたちがいるだろ」
俺もいる、と言えなかったことをユージーンが気付いていたかは知らない。
彼女はただ、言わなくてもわかってるとでも言いたげに微笑んで、ひたひたと軽い足音を立てながら無人の路地裏を元気に駆けていった。