第六十話:第七夜/赤い希望
それから、四度の夜が過ぎた。つまり次は……七回目か?
フィクションのループものだと百回だの千回だのループするのがお決まりな気がするが、俺はもうこの数回だけで精神的に限界だった。起きることは毎回、ほとんど変わらない。仲間の誰かが死んで、カナリヤが死んで、砂塵騎士団も死ぬ。
一度はブチ切れて、ヴィバリーたちもカナリヤも無視して元来た方向にダッシュで逃げたりもしてみた。だが、結局夜明けまでに森は抜けられなかった。魔術の力で外に抜けられないようになっているのか、それとも術の範囲が広すぎるのかわからないが、いずれにしても俺の足では無理らしかった。
――それに。森から逃げても魔術が解けるわけじゃない。コララディの魔術を破って森を抜けない限り、俺は永遠に冬子のもとにたどり着けないままだ。
そうやって冬子の存在を忘れてどこかで生きていけるのなら、もしかしたら最善なのかもしれないけど……できっこないのもわかっていた。それはまた別の終わらない呪いに囚われるのと同じだ。自分の罪の象徴が、そこにいるのがわかっていながら、見ないふりをしてずっと生きていけるのなら。そんなに割り切れる人間なら俺は最初からあいつを刺さなかった。
地獄でしかないとわかっているのに、こうしていつも暗い方へ進もうとしてしまう。悩むのを終わりにしたくて。血まみれでも解決が欲しくて。そして、暗闇に輝く鈍い光に手を伸ばす――ここに囚われた他の連中と同じように。それが俺だ。それが、騎士だ。
「……あなたの話は理解したわ。で、探索はどの程度進んでいるの?」
毎度ながら冷静に言うヴィバリー。
「ああ、うん……今描くよ」
俺は使い慣れてきた羽ペンとインクで、さらさらと周辺の地図を描く。ダッシュで逃げた夜を抜かすとまともに探索できたのは実質三回程度なのだが、ヴィバリーのおかげかそれなりに森の全容は明らかになっていた。
五回めの夜にようやく砂塵騎士団の地図を奪い取れたのがラッキーだった。あの夜は砂塵騎士団が仲間割れで殺し合ってくれたおかげで、こっちは比較的安全に動けたんだ……まあ、最後はユージーンの誤射で俺たちも仲間割れして悲惨な夜明けになったんだが。いや、忘れよう。
「へぇ。結構絵上手いじゃん、トーゴ」
「……何度も描いてるからな」
のんきに褒めるアンナに、照れるでもなく肩をすくめる俺。三度目の夜に下手くそだと言われて笑われたので、今さら褒められても嬉しくも何ともない。
「なるほど、森全体を網羅するよりも地形の把握を優先したのね。的確で私らしい指示だわ」
自画自賛するヴィバリーは二度目だ。
「うにゃむ……ふぇ……あんぐむむぃ……」
意味不明なつぶやきで話の腰を折るユージーンも二度目。
「……でも、魔術師探しは成果なしだ。手がかりもない。どうする? ……どうすればいい?」
鬱々とした口調で言う俺を少し哀れっぽく眺めて、ヴィバリーはふむと小さく唸った。
「感傷的になるよりも、目の前の現実を考えましょう。今までの私たちは足を使ったようだから、今度は頭を使うことにしましょうか」
ヴィバリーは言葉を続けながら、俺の描いた地図を地面に広げて眺める。
「一晩のうちに出来ることは限られているわ。目標を絞ってルートを決めた方がいい。トーゴ、人が隠れられそうな場所で私たちが未探索のものはある?」
似たような会話を前の晩にしたばかりで、少しうんざりしつつ地図を指差していく俺。
「えっと……ここの大樹のウロはもう見た。ここの横穴も一度入った。南の小さい遺跡みたいなのも調べたな……見つけた中で俺たちが行ってないのは、砂塵騎士団の地図に描いてあった西の方だけだ。そっちに色々遺跡みたいなのがあるらしい」
ヴィバリーは一瞬ぴくりと眉を動かして、それから静かに言う。
「西は調べなくていいわ。砂塵騎士団が調査目的で来たというなら、彼らの地図にあった場所はすでに調査済みということよ。つまり、そこに魔術師はいない」
――言われてみればそうだ。そもそも百年ここに閉じ込められてまだ魔術が解けていないってことは、あいつらの行動圏内にコララディはいないってことだ。苦労して地図を調べたのはなんだったんだ。
「となると、やはり北か南で未探索の範囲を調べるべきかしら。もっと効率を上げたいところだけど……」
「……ちょい待ち。さっき、横穴って言ったよな。どれくらいの深さ?」
不意にアンナから初めての質問を投げかけられて、俺は一瞬戸惑う。俺が言った横穴というのは、カナリヤに連れて行かれた小さな洞窟のことだ。
「あー……えっと、どうだったかな。人が二人寝転べるぐらい?」
「ふーん、なるほど……」
珍しく腕を組んで考えるアンナを見て、ヴィバリーが不安げに目を細める。
「何を考えてるの? 妙なことを思いついたんじゃないでしょうね」
「ま、ちょっとした賭け」
そう言って、ニヤリとするアンナ。不吉だ。
「古今東西、騎士団の『青』が頭を使っていいことがあった試しはないわよ」
「それ、あたしがアホだから『青』にしたってこと? フッ、吠え面かくがいいさ」
鼻で笑って、アンナは地図を取り上げてバッと左右に広げる。力みすぎて、地図の上部が少し裂けたのが見えた。
「広い森があって、そのどこかに魔術師がいる。となれば、手っ取り早い方法は一つっきゃないだろ。火だよ、火。森を焼いちまえばいい。あたしたちはその横穴に避難してのんびり待ってれば、そのうち魔術師も火に巻かれて死ぬって寸法よ」
……豪快というか、アホっぽいというか。つい数日前のローエングリン戦で火を使ったばかりの俺が言うのもなんだが。
「そんなこと、可能なのか?」
半信半疑にヴィバリーを見ると、思いの外彼女は真面目に考えているようだった。
「……まぁね。月光騎士団から余った油を少し分けてもらったし、風もあるからある程度の火事は起こせるでしょう。私も選択肢として考えなかったわけじゃないわ」
「負け惜しみだね。ま、そういうことにしてもいいけど」
勝ち誇るアンナに、肩をすくめるヴィバリー。いつも通りの二人を見ていると、今回はこのまま平穏に夜が終わって欲しいなんてことを思う。期待はしていないが……。
「問題が多すぎるのよ。何よりも不確実だわ。ボヤで終われば時間の無駄だし、火勢が強くなり過ぎれば私たちの身も危ない。よしんばそれで魔術師を焼き殺せたとして、その後私たちは山火事の中でフユコを探すの?」
問題点をつらつらと挙げつつ、責めるようにアンナを指差すヴィバリー。アンナは「はいはい」と手をぱたぱた振って彼女を黙らせる。
「あたしもそれぐらいわかってるよ。でも、運試しに一回ぐらいやってみてもいいんじゃない? ま、あたしらにとっちゃ一回こっきりだけど……歩き回ってばっかじゃ気が滅入るだろ。こいつの顔、見てみなよ」
と、急に俺を指差すアンナ。きょとんとする俺を見て、ヴィバリーは「ん……」と悩ましげな顔で唸る。
「……そんなにひどい顔してるか、俺?」
「してる」
答えたのは、いつのまにか俺の足元で転がっていたユージーンだった。今のこいつにまで心配されるほどなのか。
「だからまぁ、ほれ。ちょっとした気晴らし? みたいな」
「気晴らしで森ひとつ焼かれちゃ、アウラも夢の中で迷惑がるでしょうね」
そう言って、くすっと笑うヴィバリー。
「あんたが一度でも選択肢に入れたってことは、それなりに勝算はあるんだろ?」
「確かに、炎さえ広がれば効率はいいわ。魔術師を直接殺せなくとも、焼けた場所にはいないと断定できるわけだから」
だんだん話が現実的になるのを聞いて、俺は慌てて話に割って入る。
「ま、待てよ。でもどこまで火が広がったかなんてわからないだろ? 結果を確かめられなくないか?」
「風向きでおおよその予想は立てられるわ。確実性はないけれど、贅沢も言っていられない……そうね、やりましょう。他の連中と鉢合わせないよう、迂回しながらその横穴へ向かう。アンナは乾いた木を集めながらついてきて」
そう言って、ヴィバリーはさっさと歩き出した。
「何してるの、トーゴ。あなたが先導して。時間が惜しいわ」
「あ、ああ……」
慌てて走り出しながら、俺は奇妙にも今までの夜より気持ちが軽くなるのを感じていた。
誰もはっきり口にはしなかったが、本当に森じゅうに火が広がれば、砂塵騎士団は間違いなく死ぬ。おそらくカナリヤも死ぬだろう。だけど彼らの死よりも、今はヴィバリーたちと騎士団として前向きに動けていることが心地よかった。
もしかすると、今度こそ切り抜けられるかもしれない。分の悪い賭けだとしても、そう思えることが今の俺には必要だったのだ。そして、仲間がそれに気づいてくれた。血にまみれ、火を放ち、そうまでして生きようとしていることが……決して悲しいばかりではないのだと、ようやく少しだけ思えたのだった。