番外編:ゆめみるもの・2
*白い壁の殺風景な部屋に、机を挟んで二人の人間が座っている。一人は白衣を着た女性。カウンセラー。一人は若い少女。名前は冬子。
冬子「…………」
カウンセラー「今日の体調はどう?」
冬子「悪くはない……です」
カウンセラー「そう。良かったわ。悪いよりはずっといい。多分ね」
冬子「…………」
*冬子、ため息をつく。
カウンセラー「息苦しい?」
冬子「少し」
カウンセラー「無理しなくてもいいのよ。と言っても、ここに座っているだけでもきっと無理はしているのよね」
冬子「…………はい」
カウンセラー「時計の音を聞いてみて。チク、タク、チク、タク。心地いい音。私の声は聞かなくていい。もちろん聞いてもいいし。もし気が向いたら返事をしてくれてもいい。ただのBGMと思って無視してもいい。あなたの自由よ」
*冬子、少し笑う。
カウンセラー「……最近何か本を読んだ?」
冬子「…………」
カウンセラー「…………。私は、最近SFに凝っているの。『竜の卵』って読んだことある? 全く違う二つの世界が、ほんの一瞬重なり合うっていうロマンがね……センス・オブ・ワンダーよね」
冬子「…………」
カウンセラー「ちょっと興味ある?」
冬子「……SF、嫌いじゃないです。その本は読んだことないですけど」
カウンセラー「ファンタジー好きって言ってたものね。隣り合わせのジャンルよね。ラノベとかも読むの? 異世界ものとか」
冬子「……少し」
カウンセラー「そう。やっぱり人気あるわよね。私は楽しいのが好き……みんなが笑っているような。だって、現実はそうじゃないでしょう? まあ、エグいのも嫌いじゃないけど。私、人間の心から出るものはみんな好きだから……あなたはどう? 転生するならどんな世界がいい?」
冬子「…………」
カウンセラー「……辛い質問してしまった? それとも、喋りすぎ?」
冬子「…………どこでも。ここじゃなければ」
*冬子、うつむいて体をぎゅっと縮こませる。
カウンセラー「……そう。わかるわ。よくわかる……でも、よく考えて、もう一度答えてみて」
冬子「…………」
カウンセラー「責めているわけじゃないのよ。ただ、あなたの本心が聞きたいの。投げやりな、自暴自棄の言葉ではなくて。あなたは、どんな世界に生まれたい? もしも私があなたを転生させてあげる女神様だったら、『どこでもいい』なんて言われたら、本当に肥溜めみたいな世界に放り込むかもしれないわよ」
*冬子、眉をひそめてカウンセラーを睨む。カウンセラーが肩をすくめるのを見て、笑おうとするように口を歪める。可笑しいと思いながらも、ストレスでうまく唇が動かない。
冬子「……これ、本当にカウンセリング? 何かの調査?」
カウンセラー「興味があるの。個人的に。あなたの望みを聞いてみたいのよ」
冬子「私は……」
冬子「…………」
*冬子、深く息を吸い、一息に話し始める。
冬子「……森の中で。私は魔法使いで。寂れたお城で。私だけの騎士に守られて。終わりのない夜をずっと過ごすの。きっと、龍を飼ってると思う」
*顔は紅潮し、両腕は身を守るように突っ張って、自分の膝に押しつけられ、目からは涙がにじみ出る。
カウンセラー「何に怯えているの」
冬子「……笑われるから」
カウンセラー「私は笑わないわ」
冬子「ふっ」
*冬子、不自然な声で笑い出す。
冬子「く、っふ……私が笑ってる。馬鹿げてるから。恥ずかしいから。絶対、一生、叶わないから。こんなこと。こんな夢……こんなの、夢でもなんでもない。子供のおとぎ話。私が一番馬鹿にしてるの。腐ってる。私の頭は腐ってるの……子供のままで、止まってる。生まれ損なったの。人間になり損なった……」
*冬子の声は小さくなり、ぶつぶつと聞き取れない不明瞭な言葉に変わる。
カウンセラー「人間である必要がある?」
*冬子の声が止まる。
カウンセラー「『人間』も、『夢』も、ただの言葉でしかないわ。言葉はものごとの本質を矮小化してしまう……あなたの心がちっぽけな言葉の枠に収まらないからって、わざわざそれを削り落としてしまうことはないのよ。心は、何よりも大事なものなんだから」
冬子「……慰めてるつもり?」
カウンセラー「いいえ。それはカウンセラーの仕事じゃないわ」
*冬子はしばらく自分の膝を見て、それから鋭い目で相手をじっと見る。
冬子「……やっぱり、あなたはカウンセラーじゃない」
カウンセラー「うーっ、ふふふ……どうかしら? さっきの話に準ずるなら、私もまた『カウンセラー』なんて名前に縛られる必要はないのかもしれないわね。本質を心で感じてごらんなさい。私は誰だと思う?」
*冬子、苛立たしげに指で自分の腿をつつく。心臓の音に合わせて。それから、時々つっかえながら早口でまくしたてる。
冬子「お金をお母さんに返して。私を家に帰らせて。だ、騙された。カウンセリングに来たのに。誰だか知らない女に、こんなこと話して。最低。家から出なきゃよかった……くっ……やっぱり」
カウンセラー「私は、あなたの友達よ」
冬子「私に友達はいない!」
*自分でそう言ってから、冬子は傷ついたように顔を歪めてぐったりと体を降り、膝小僧に額を乗せる。
冬子「……ただの言葉なんでしょ」
カウンセラー「言葉は道具よ。私が伝えたい心をほんの欠片でも伝えるための」
冬子「…………」
カウンセラー「私は、あなたが好き」
*ノックの音。
冬子「……はい」
*扉の向こうから、声がする。
声「昭島さん、昭島冬子さん。カウンセリングのお時間なので、こちらにどうぞ」
*冬子、はっとして部屋を見回す。そこには誰もいない。チクタク、チクタクと時計の音だけが響く。
冬子「…………はい」
*空っぽの待合室の中で、しばらく瞼をしばたいた後、冬子は垣間見た白昼夢のことをすっかり忘れて、ソファから立ち上がる。彼女が診察室に入り扉を閉じると、後には何も残らない。