第三十八話:夜霧にひそむ その1
「冬…………」
目を開くと、まだ夢の続きのように、まぶたに残った冬子の背中と、黒い空とが重なって見えた。
夢の中では言葉にならなかった思いが、話せなくなった今になって、ぼんやりと形をとっていく。それは、こんな単純なひと言だったのに。どうして、顔を合わせただけで、何も言えなくなっちまうのか。
「あ、起きた? この状況でグーグー寝れるの、うらやましいね」
近くで、カナリヤの声。
「……ごめん」
「謝られても困るけど。何かいい夢でも見れた?」
「どうかな……」
俺は曖昧な返事をしながら、体を起こす。鼻腔に入ってくる冷たい空気が、頭を冷静にしていく。たった今、夢の中で見てきたものをどう消化すればいいのか。とりあえず、誰かに伝えた方がいいか。
「ヴィバリー、いるか? 話が……」
見回して、名前を呼ぶ。彼女は天幕の中で、すぐにこちらを振り向いた。
「どうしたの?」
ヴィバリーは怪訝な顔をしていた。まあ、寝起きのやつにいきなり名前を呼ばれて、面白い話が聞けるとも思うまい。だが、俺が一言発した途端、彼女の顔色は変わった。
「今、冬子に会った。夢の中で」
「……説明して」
その声には、疑惑と驚きが半々。信じさせるために何を言えばいいのか。
「えっと……魔導師の夢なんだ。ほら、お前が昨日言ってただろ。幻影城の……そこに、ローエングリンと一緒にいたんだ。あいつが……」
「! 幻影城主? ……ふぅん。それで、何か聞けたの?」
ヴィバリーはまだ少し疑いながらも、一応聞く価値があると判断したようだった。
「……いや……具体的には何も。ただ、あいつは……」
イクシビエドとも戦う気だ、と。言葉に出しそうになって、俺は慌てて口をつぐむ。
それを声に出して言えば、イクシビエドに聞かれるかもしれない。あいつは、どこでも人の話を聞いてるはずだ。いや、領地の中だけだったか? ……どちらにせよ、言わないに越したことはない。冬子が徹底的に戦う気だと知られたら、イクシビエドも危険視してさっさと「殺す」って決めちまうだろう。
「あいつは?」俺の言葉を繰り返すヴィバリー。
「えっと、あいつは……夢を通じて、ローエングリンに会ってたんだ。そんな話をしてた。直接会ったことはないとか……」
「なるほど……寝ぼけてるにしては、面白い発想ね。確かに、それなら短期間でローエングリンを引き抜けた理由も説明がつく。イクシビエドがフユコの動向をつかめない理由も……まさか、ここでまた別の魔導師が話に絡んでくるとはね」
ようやく俺の話を信じたらしく、ヴィバリーはぶつぶつと考え深げにつぶやく。
と、その背後からムッとした顔のウィーゼルが近づいてきた。
「おい、待て。ローエングリンがいたって? 夢だと……?」
「アウラの夢よ。聞いたことぐらいあるでしょう。夢の中の城……」
ウィーゼルは舌打ちして、苦い顔で頭をかいた。
「……くそっ。そういやあいつ、夢がどうこうって言ってたな……聞き流しちまってたが、あれが前兆だったわけか……」
国で一緒に暮らしていた頃のことを思い出してか、悔しげな様子のウィーゼル。確かに、自分の隣で寝てる奥さんが夢の中で他の誰かに会ってたってのは、なんだか寝取られ感がある。まあ、会ってた相手は俺の妹なんだが。
「ねえ。それじゃ、ローエングリンは今眠っているの?」
ヴィバリーが何か思いついたのか、鋭い目つきで言った。
「あ、いや……どうかな。時間の流れは現実と違うって言ってた気が……でも、ちょっとはリンクしてるとかって……?」
自分でもちゃんと理解できていないことを聞かれて、しどろもどろになる俺。俺たちの会話を聞いて、ウィーゼルが眉根を上げる。
「寝込みを襲う気か? 確かに、あいつの寝起きは良くないが……本当に寝てるかどうかもわからんのだろ。分の悪い賭けだぜ」
「このまま座して待つよりは勝算があると思うけど。いずれにせよ、あなたたちの協力なしでは仕掛けられない。決断は任せるわ」
ヴィバリーの提案に、ウィーゼルは腕を組んで唸った。
「……まあ、そうだな。俺とあいつじゃ、お互い手の内がわかりきってる。あんたの策の方が案外、虚をつけるかも知れん。動くぞ、カナリヤ」
いつの間にか、音もなくウィーゼルの背後に立っていたカナリヤが、武器を片手に無言でうなづく。同時に、天幕の上に登って周囲を見ていたユージーンも、弓を片手にすとんと地面に降りてヴィバリーを見る。
「行く?」
「ええ」
手短な問いに、手短に答えて。ヴィバリーは自分もすらりと剣を抜いた。
「赤の二人は東西に分かれて、先行して霧の中を探って。標的を見つけたら、私とウィーゼルが追随する」
いつの間にか、すっかり主導権を握っているヴィバリー。ウィーゼルは苦笑いしつつも不服はないらしく、肩をすくめて同意を示す。不満ありげなのは、カナリヤだけだった。
「それじゃ私ひとりで、あの化け物の寝床を探れって? 名誉な役目をゆずってもらってどうも」
皮肉たっぷりに言って、鼻を鳴らすカナリヤ。反抗的な十代だ。どうもヴィバリーと彼女は、反りが合わないのかもしれない。タイプは違えど、同じクール系だから衝突するんだろうか。
「そっちは何か隠し球があるんでしょう。死にたくなければ、出し惜しみしないことね」
「……いいけど」
カナリヤはヴィバリーの挑発にムッとしつつも、指示には従うようだった。片手にぶらさげていた例の回転ノコギリチャクラムを、キュルルッと一瞬回転させて止め、深呼吸をして霧を睨む。
「残りの三人は、天幕に待機して。ジェミノクイス、あなたも――」
と、話しかけようとしたヴィバリーの口が止まる。ジェミノクイスは昼間と変わらず、布をかけられたガートルードの体に向かって膝をつき、うつむいたままぶつぶつとつぶやいている。目は虚ろで、半開き。ヴィバリーの声どころか、周りで起きている全てのことが意識の外にあるようだった。
「話しかけても無駄だよ。蘇生の時はずっとああだ。なんだか知らんが、集中してるんだろう」
ウィーゼルはそう言うと、不意に俺の方に目を向けた。
「おい、ガキんちょ。期待はしてないが、いざという時はこいつらを守っといてくれると助かる。まあ、放って逃げても責めんがな」
「…………」
俺は迷いつつも、一応剣を抜いた。自分が本当にローエングリンと戦えるとはこれっぽっちも考えなかったが。冬子に言われた「臆病者」という言葉が、まだ後を引いていたのだ。
いずれにせよ俺は、ローエングリンからは逃げられない。夢の中での忠誠っぷりを見るに、こいつは地の果てまで追いかけても俺を殺しにくるだろう。今度こそ本当に死ぬのなら、せめて格好つけておきたかった。どうせ、死ぬ時だって痛くもないのだし。死に様を聞いた冬子に、また臆病者呼ばわりされるのは癪だ。
そんな俺を見て、ウィーゼルは特に見直した風でもなく、口を傾けた。
「若いってのはいいもんだな。んじゃ行こうぜ、カナリヤ」
その言葉を合図にして。冬寂騎士団、そして月光騎士団の赤と白は、深い霧の前で左右二手に分かれた。白は篝火のそばで立ち止まり、赤の二人がそれぞれ反対方向に、すっと身を屈めて踏み込んでいった。俺は天幕の入り口にじっと立って、その姿を見送るしかなかった。