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魔術狂世界  作者: あば あばば
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第三十七話:幻影城主 その3

 話すべきことがあるはずなのに。伝えるべきことがあるはずなのに。聞かなきゃいけないことが、あったはずなのに。俺は何も言えなかった。

 俺と冬子の間にある、大きすぎる断絶が恐ろしかった。地球からこっちの世界に来て、俺が思い出すのは子供の頃の冬子ばかりだった。ただの夢見がちな、可愛い妹だった頃のあいつ。そんな記憶に上書きされて、顔を合わせればまともに話せるんじゃないかなんて、甘い考えを持っていた。

 でも、違うんだ。俺と冬子は、もう子供じゃない。この数年、同じ家の中で過ごしてきた、冷たい時間が今もそのまま続いているのだ。俺があいつを邪魔に思う気持ちも。あいつが俺を見下す気持ちも。お互い、本当は嫌になるほど伝わっていた。

 俺が背中を刺した瞬間から、俺と冬子の関係は、何も変わっていないんだ。


 変わったのは一つだけ。今は、あいつが俺を殺す側に回ったこと。

「お前は……俺に、復讐、したいのか……?」

 俺が絞り出すように訊くと、冬子は興味なさげに鼻で笑った。

「それはもう、一回やったからいいよ」

「やった……って……?」

 困惑する俺に、冬子はきょとんとする。

「覚えてないの? ……こっちに来てすぐの時。私、一回兄貴を殺したの。刺されたばっかりで、ついつい感情的になっちゃってさ。ごめんねー」

 そう聞いて、フラッシュバックのように記憶が蘇る。うっすらと覚えている光景。夢うつつの状態で、冬子に「死ね」と言われた記憶。ただの夢だと思っていた。罪悪感が見せた悪夢だと。現実に起きたことだったのか――

「でもまあ、誰かが生き返らせちゃったみたいだから、ノーカンだよね。お互い、しぶとい兄妹だな……ほんと」

 感慨深いような、無関心のような、ぼんやりとした目で遠くを見る冬子。その目からは本当に、憎しみも恨みも感じられなかった。

「でも……なら、なんで俺たちを……」

「白々しいな。冬寂騎士団は私を狙って来たんでしょ。兄貴でも誰でも同じだよ。降りかかる火の粉は払わなきゃ。あはは……これ、一度言ってみたかったんだ。降りかかる火の粉は払ってみせる!」

 笑いながらすっくと立ち上がり、芝居掛かった口調で言って、それから気が抜けたようにまた玉座に沈み込む冬子。俺ははっきり否定しようと口を開いたが、口から出たのは曖昧な言葉だけだった。

「それは、イクシビエドが……! まだ……お前を殺すって、決まったわけじゃ……」

 自分でも、責任転嫁だとわかっていた。俺はヴィバリーに、イクシビエドに意思決定を丸投げしてる。本当はアンナが言ったように、兄貴としてこいつを守ってやるべきなんだろうに。今でもまだ、俺は――イクシビエドが「殺せ」と命じたら、抵抗できない気がしている。俺はイクシビエドを恐れ、冬子を恐れている。

 そんな俺を見る冬子の目は、冷たかった。

「兄貴。私はね……もう、誰にも殺されたくないの。二度と、誰にも。私が私でいられる場所を、自分の領地を、土足で踏みにじられて、背中を刺されたりしたくない」

 冬子は玉座から再び立ち上がり、右手をすっと挙げた。顔をつかんでいたローエングリンの手がほどけ、俺はがくんと床にへたり込む。冷たい、硬い石の床の感触は、俺の今の気分によく合っていた。

 対照的に、まっすぐ立ってこちらを見下ろす冬子の姿は堂々としていた。まるで、その玉座に相応しい女王であるかのように。

「だから、刃物持って私のところに来る人たちが、私を殺すかどうか考えるのを待ってあげるつもりはないんだよ。そもそも、おかしいじゃん。魔導師(ウィザード)だか何だか知らないけど、私が生きてていいかどうか、他の誰かが勝手に決めるなんてさ。私が生きていくことに、誰の許しもいらない」

 冬子の言葉は、力強かった。

 今にして思えば。こいつは昔から頑固だった。引きこもるようになった朝、こいつがした目を覚えてる。頑なで、石のように重く、硬かった。あの時のあいつは――自分を守るために引きこもるというより、外を、現実を、自分の世界から切り捨てていたのかもしれない。

「お前は……イクシビエドと、戦う気なのか?」

 そして今また、冬子は同じように立って、頑なな目で俺を見ている。

「私は兄貴とは違うから。現実に合わせて、器用に自分を変えたりできないから。私が私であるために、世界の方を変える必要があるんなら、それが誰かを怒らせるとしても、生きることをやめるつもりはないよ。……今の私には、それができるから」

 遠回しな言葉だったが、質問に対する答えがイエスであることは、俺にもわかった。

「……怖く、ないのか……?」

 俺は、思ったことをそのまま尋ねていた。

「私は何者も恐れない。私は何者にも屈しない。私の領地は、私が守る。でないと、誰も守ってなんかくれないんだ」

 宣戦布告のように、そう言って。冬子はくるりと俺に背を向けた。

 冬子のセーラー服は、背中に小さな穴がいくつも空いていた。穴は五つあった。俺はその穴を知っていた。この目で見たことはなかったが、それを空けた手を知っていた。それは、俺の手だ。

「あ……」

 その姿を見ていたたまれなくなった俺は、両手で目を隠そうとした。だが、横に立ったローエングリンが鋭く剣を抜き、目をそらすな、とばかりに俺の手を上から剣の腹で押さえた。

「……やっぱり、最後にもう一度会っといてよかったよ、兄貴」

 肩越しにこちらを振り返って、冬子は笑った。

「もしかして、何か変わったかもって思ってたけど。やっぱり、兄貴は兄貴のままだった。向こうにいた時と同じ、人殺しの臆病者(バックスタバー)だった。おかげでよくわかったよ。人間なんて、何があっても変わらない。期待なんかしちゃいけないって……これで、後悔しなくて済む」

「冬子……俺は……っ!」

 俺は、なんだ? 何を言おうとしてるんだ。何を言いたいんだ。言わなきゃいけないことがあるのに。言葉にならない。視界が急に、徐々に白く薄くなっていく。足元が揺らぎ、壁が崩れる。俺はこの夢から、追い出されつつあるのだ。

「さよなら」

 最後に聞こえた冬子の言葉には、一片の迷いもなかった。

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