第三十五話:幻影城主 その1
俺はコララディと名乗る幼女に手を引かれるまま、カツカツと足音を立てて階段を上っていた。階段と言っても、ただの階段じゃない。手すりもなくむき出しの、しかも終わりがないと思えるほど長い、ついでに高い階段だ。東京タワーの階段だってビビってたのに、夢の中だからってこんなもの登りたくはない。
「あの城に行けば……俺は、この夢から出られるんだよな?」
風に揺られながら、震える声で尋ねる俺。コララディはきょとんとした顔で首をかしげる。
「さあー、どうかなあ。それは私もわかんない」
「はっ!? それじゃ、なんでわざわざここまで……!」
と、うっかり足元を見てしまった俺はぶるっと震える。ダメだ。どっちにしろこのまま行くところまで行かないと、階段の途中で置き去りにされたらたぶん気絶する。
「お城に行けば、この夢の管理者……つまり、幻影城の城主がいるの。わんちゃんは今、許可なしで不法入国してきた状態だから、その女王様に頼めば外に出してもらえるんじゃないかなー。まあ、どっちみち、他にどうしようもないでしょ」
不法入国って……そもそも自分で入ってきたわけでもないのに。めんどくさい話だ。まあ、頭を下げるのは苦手じゃない。頼み込んで終わりにできるならそれもいいか。
「こっから飛び降りたら、パッと目が覚めたりしないのか?」
最もお手軽そうな覚醒方法を口にしてみる俺。だが、コララディの反応は芳しくなかった。
「んー、試してみてもいいけど。たぶん、無理だよ」
「この夢で死んだら、現実でも死ぬ……とか?」
よくある話だが、それも間違いらしかった。コララディはフームと口を尖らせて、難しげな顔をした。
「死なないよ。むしろ、死ねないかな。わんちゃんはこの夢じゃ何もできないから。つぶれてぐちゃぐちゃになっても、ずーっと生きてる。身動きもできない肉片のまま、この夢の終わりまでずーっと地面に貼り付いてるの」
無間地獄か。俺はため息をつきつつ、さっきまでより慎重に階段を登る。
「ふっふふ。それはそれで、マスコットみたいでちょっとかわいいかもね?」
「勘弁しろよ……」
趣味の悪い子供だ。結局のところ、この夢から出るためには城まで行かなきゃいけないってことは確定か。俺は頭上を見上げて、コララディ自慢の「幻影城」とやらを眺める。その名前には聞き覚えがある……そう、ヴィバリーが話していた。どっかの魔導師が自分の国を夢の中に隠したって。きっと、俺はその隠された国に入り込んじまったんだ。
それにしても、変な城だ。ゲームか何かで天から生える逆さ城ってのは見たことがあるが、上と下でつながってる(?)ってのはあまり見ない気がする。待てよ、つながってるってことは――
「おい、コララディ……もしかして、あの城壁から中通って上までいけたんじゃないのか?」
「あ、うん。いけるよ」
「え!? じゃあ、そっちから歩いていけばよかっただろ!」
思わず声が荒くなる。無間地獄に落ちるリスクを冒してまで、こんなあぶなっかしい道を通る意味はなんだったのか。俺の苛立ちが伝わったのか、コララディもぶすっと頰をふくらませて不機嫌そうにする。
「もーっ、わがままなわんちゃんだなあ。こっちの方が近道なのー。城の中通ると、迷っちゃうしぃ。せっかくの絶景なんだから、楽しめばいいのにー」
文句を言う俺に文句を言うコララディ。楽しめと言われても、この状況じゃどう考えても落ちる怖さの方が先に立つ。
「そりゃ、すごい景色だと思うけどさ……しょせん夢は夢だろ。俺は、現実でやることがあるんだよ。さっさと起きて戻りたいんだ」
起きて戻って、ローエングリン相手に何ができるってわけでもないかもしれないが。それでも、寝てる間に殺されるのはごめんだ。
「……あっそ。やっぱ、騎士様は騎士様だなー。現実、現実って、つまんなーい。わんって言ってよ、わんちゃん」
「……わん」
俺が要望通りにしても、コララディはまだ不機嫌な顔をしていた。やっぱり女子ってのは面倒くさい。まあ、俺がまともに会話したことのある女子は妹と騎士団の三人ぐらいだが。
「急いだからって、大して変わんないよ。ここは夢の中だもん。時間の流れなんてあってないようなもんなの。一晩経ってるかもしれないし、ちょっとしたうたたねかもしれない。起きてみるまでわかんないし、気にしても無駄だよ」
そう言われてみれば、夢ってそういうものかもしれない。胡蝶の夢みたいに、一生ぶん生きたと思っても、起きてみれば一瞬だったり。いや、あれは蝶々の一生だから微妙に違うか……
「まあ幻影城はみんなでみてる夢だから、あっちの時間に影響される部分もあるけどね。今この夢にいる人は、現実でもやっぱり今、眠ってるはず。時間の感じ方は違っても、同じ流れの中にいるの」
ますますネトゲっぽい話だ。となると、廃人みたいに朝から晩まで眠りこけて、ここに入り浸ってるやつもいるんだろうか。……廃人というか、かえって健康的な感じもする。
「そういえば、ここの城主……女王様ってのは、どんな奴なんだ?」
徐々に城の姿が近づきはじめ、心に余裕が出てきた俺はコララディに尋ねた。城主に頼まなければここを出れない、ということは、城主のご機嫌取りをしなきゃならないってことだ。人となりを知っておくに越したことはない。特に、相手が魔導師となれば……話が通じる相手かどうか、かなり怪しい。うっかり地雷を踏んで、一生この不自由な夢に囚われるのはごめんだ。
俺の質問に、コララディはうーんと唸って首をかしげる。
「実はねえ、ホントの女王様は今、いないのよ。どっかから連れてきた女の子を玉座に座らせて、自分はふらっと消えちゃった。だから、その子が今は代理の女王様ってわけ」
「無責任な城主だな……」
まあ、夢の世界に国ごと現実逃避した魔術師という出自を考えると、それぐらい逃避癖があっても不思議ではないようにも思えるが。
「ふっふふ。アウラは気まぐれだからね。まー、魔術師なんてみんな気まぐれなもんだけど。あの子は特別……なんたって、『意識』を司る魔導師だから。どこにでもいて、どこにもいない。あの子自身、夢みたいなものなのかも?」
ぶつぶつ話しながら、階段を上がっていくコララディ。手を握ったままの俺も、引っ張られて段を上がる。
そういえば……こいつも、やたら詳しいところを見ると魔術師なのだろうか。見た目のわりに大人びてるのも、そう考えると納得はいく。魔術師になった人間は歳をとらないと、キスティニーが言っていた気がする。
「今、城主をしてる子のことは、実は私もよく知らないんだよね。ちょっと会ったけど、話合わなそうだったし。アウラとは友達みたいだったけど……ほらー、友達の友達って、なんか話しにくいじゃない? 話題続かなかったりしてさー」
夢の中で聞くにしては、妙にリアルな理由だ。
「まあ、その気持ちはなんとなくわかるけど……つまり俺は、まったく予備知識なしで初対面の女と会って、話を通さなきゃならないわけだな」
ため息が出る。初対面の女子と会って交渉ごとなんて、俺にとっちゃ最悪の苦手分野の掛け合わせだ。不安げな俺を元気づけるように、コララディはぱしぱしと俺の背中を軽く叩いた。
「大丈夫大丈夫! いくらわんちゃんでも、おとなしくしてればいきなり首切られたりしないってば。彼女、けっこういい子ぽかったし。あ、ほらほら、城門が見えてきたよ! 幻影城の門を生で見たなんて、向こうで友達に自慢できるよー。絵描きさんとか詩人さんとか、来た人みんなが題材にしたがる名所なんだから」
楽しげにスキップしながら階段を上がっていく(どうやっているのかはよくわからない)コララディに引っ張られ、俺もトタトタと駆け足で上がっていく。
見えてきた城門は、確かに絵にしたくなる美しさだった。というか、城下町の景色と同様、いくつもの「城門」の姿がホログラムみたいに重なり合っていて、その不可思議さだけで目を奪われてしまう。
刺々しい異形の門。白く塗られた、荘厳で壮大な門。色とりどりで華美な派手派手の門。あるいはどっしりと質実剛健な辛気臭い門。それらが渾然一体となって、同時に重なり合っている。言葉にするとめちゃくちゃな光景なのだが、不思議と俺の目には、それらが混ざり合った闇鍋状態ではなく、それぞれに独立した姿として、ひとつひとつのパターンの美しさを見ることができるのだ。コララディの手助けがなければ、俺にはその一つさえ見ることもできなかったのだろう。
「……すげえな、確かに」
ボキャブラリのなさが悲しいが、俺なりに感動したのは伝わったのか、コララディは自慢げに笑った。
「でしょでしょー。中はもっとすごいよ。私が案内しよっか? まあ、案内なしでしばらく迷ってみるのも幻影城の醍醐味だけどね。無限回廊で百年歩き回った時は楽しかったなー……」
嬉しそうなコララディを見て、俺はふっと口が緩むのを感じた。子供の頃の冬子は、そういえばこんな感じだったかもしれない。ここまでアクティブではなかった気はするが。二人でお使いに行かされたりすると、あいつは色んな風景だの本だの人だのを何でも面白がって、俺に見せようとして、あちこち引っ張られたっけか。
引きこもってからのあいつは、何を面白がっていたんだろう。こんな風に夢の中では、自分だけの綺麗な世界を見ていたんだろうか。
「……わんちゃん?」
不思議そうにこちらを覗き込むコララディ。俺はふうっと息を吐いて、歩調を早めた。
「いや。いいよ、観光は。俺はさっさと起きなきゃ……会わなきゃいけない奴がいるんだ」
俺がそう言うと、コララディは急に、握った俺の手をぐっと引っ張って止めた。
「おいっ!? 何を……」
怒ってるのかと思ったが、そうではなかった。コララディは、鼻と鼻がくっつきそうなほど顔を近づけて、俺の目をじっと見た。中に星でも入っていそうな、大きな瞳がどアップになる。
「ふうん……わんちゃん、ちょっとこの夢になじんだね。今、何を考えてたの?」
「え? えっと……妹のことを」
コララディは顔を離して、意味ありげな微笑を浮かべた。
「きっと、素敵な妹さんなんだね。ふぅん……ああ、そっか……なーんか、あると思った」
「何だよ、ぼかさないで話せよ」
魔術師連中の無駄に思わせぶりな話し方にうんざりしていた俺は、(見た目上)年下という気安さもあってか、ストレートに情報提供を要求した。コララディは少し眉根を寄せて、心なしか寂しそうな顔で笑った。
「手を離していいよ、わんちゃん」
「……え?」
俺がそうする前に、コララディはするっと自分から手を離した。その瞬間、幻影城の姿は跡形もなく見えなくなるかと思ったが――どうやら、そうはならなかった。いや、ある意味、そうなったのか?
俺はこじんまりとした、ありがちな見た目の、よくある普通の「お城」の前に立っていた。宙に浮いてるとこだけは同じだが、壮麗な幻影城は一気につまらない風貌になってしまった。
「わんちゃんが夢を受け入れたからかな。とりあえず、存在だけは見えるようになったみたい。もう、案内いらないね」
そう言うと、コララディは城門前に俺を置いて、トコトコと階段を降り始めた。
「一緒に来ないのか?」
正直、城主とやらに一人で会うのが怖かった俺は、情けなくも幼女を呼び止める。
「私ねぇ、幻影城の門番みたいなお仕事なんだ。だから、一人で大丈夫な人の面倒まで見てる暇ないの。ほらほら、怖くないから一人で行っといで! わーんちゃん!」
パシッと俺の背中を叩いたっきり、コララディは振り返りもせず階段をスキップで降りて行った。中身の年齢はわからないままだが、この切り替えの早さは、やっぱり子供らしい。
「……わん」
小声で返事をしてから、俺は再び城門に向き合った。
開きっぱなしの城門は、見たところ特に入るものを拒む力はなさそうだ。とぼとぼと歩いて門をくぐり抜け、俺は地味でつまらない姿に変わった幻影城の中へと入っていった。