第二十五話:青白の騎士、ガートルード その2
「ふ、く……ははははは!」
喉元に剣を突きつけられたまま、ガートルードは大声で豪快に笑い出した。その途端、ついさっきまで周囲に張り詰めていた殺気がふっと薄らいだような感じがした。
だがヴィバリーはあくまで戦闘態勢を解かず、突きつけた細剣にほんの少し力を込めた。ぷっ、とガートルードの皮膚が破れ、赤い血が刃に垂れる。
「槌を置け」
ヴィバリーの警告を聞いて、さらに笑うガートルード。
「うふふ……見るがいい、ジェミノクイス。この美しい女を。全力であがく、この姿を。あがくものの姿は美しい……私はいかにすべきか?」
その言葉に答えて、背後に付き従っていた女魔術師がくすくす笑う。
「愛しの月光の君。お心のままになさいませ。この世界はあなたのためにあるのですから……」
「もとより」
ガートルードがにやりと笑って、そう口にした瞬間。赤い血が、ばっとその場に弾けた。
彼女は――あろうことか、ヴィバリーの細剣に向かって自分の喉を押し当て、自分から刺さりにいったのだ。鮮血がほとばしり、ヴィバリーの顔を赤く濡らす。その表情に、一瞬戸惑いが見えた。そりゃそうだ、目の前で自分から首に剣を刺す奴がいたら誰だって戸惑う。
だが、そこはさすがに歴戦の騎士。ヴィバリーはすぐに冷静さを取り戻し、握った柄に力を込めた。すでに半ばまで喉に刺さった細剣を、さらに押し込むため。エルフとやらがどれだけ強靭だろうと、喉を完全に破られれば死ぬのは間違いない。何が狙いであれ、とにかく息の根を止めるのが先決。
だが、ここで問題が一つあった。それは――剣が少しも動かなかったことだ。
「ぐ……くっくっく……」
喉に剣を突き刺したまま、ガートルードは血を吐きながら笑った。突き通した首のわずかな筋肉で、刃を挟んで固定しているのだ。魔術で治療される前提なのか。いや、治るにしたって、こいつは俺と違って死ぬほどの痛みがあるはずだ。気が狂ってるとしか言いようがない。
「……!」
今度こそ、ヴィバリーはたじろいだ。そして、その隙をガートルードは見逃さなかった。
「ヴィバリー!」
そう叫んだのは、ユージーンだった。ユージーンは俺の渡した剣を再び振り上げて、組み合う二人に向かって突進する。だが――間に合わなかった。
「ぐ……ッ!?」
ヴィバリーの呻き声。何が起きているのか。俺は一瞬理解しかねた。最初、ヴィバリーが攻撃されたのかと思った。だが、そうではなかった。いや、ある意味で精神攻撃……なのか。
ガートルードはあろうことか、ヴィバリーの頭を左手で押さえ込み、自分の顔に押し当てていたのだ。つまり……キスしていた。口から溢れる赤い血を、相手に飲ませるかのように。強引で、退廃的な接吻。
ユージーンがどうにか引き剥がそうと近づくが、ガートルードはヴィバリーを盾にするように体を振って、手出しさせまいとする。
「アンナ!」
どうにか口を引き剥がしてそう叫んだ時、ヴィバリーの顔は嫌悪で青ざめていた。
遠くで待機していたらしいアンナは呼びかけに応えて、こちらに何かを投げつけた。ガートルードは首に剣を刺したまま、ヴィバリーの体をぱっと放し、大鎚ビリーも手放して、飛んできたものを片手で受け止めた。それは、こぶし大の石だった。大鎚をぶんなげた後で何を投げるのかと思ったら、ずいぶん原始的だ。
だが、ただの投石でもアンナの腕力では十分な破壊兵器になる。続けて、二発、三発と風を切って飛んでくる石ころに、ガートルードは徐々に避けきれなくなっていた。アンナの腕力が種族の壁を越えるほど強いってことか――いや。そうじゃない。喉をぶっ刺され血を垂れ流し続けたガートルードの体力が、ようやく限界に近づいているのだ。
肩をかすめ、腹を打たれ、五発めの石ころが、とうとうガートルードの脳天にジャストヒットした。彼女は喉から血を噴き出しながらもんどり打ってぶっ倒れ、地面で動かなくなった。
「くそっ……たれ!」
ヴィバリーが声を荒げて、ガートルードの顔を思い切り蹴りつけ、ついでに口に入れられた血をベッと彼女の顔に吐きかけた。血に染まった唇の色もあいまって、非常に怖い。相手が美女とはいえ、無理やりキスされるのはやはり不快だったらしい。
「……気が済んだかね」
ガートルードの背後から、男がすっと歩み出た。ヴィバリーは瞬間的に細剣をガートルードの首から抜き取り、今にも男を刺し殺さんばかりに構える。
だが、男の方に戦意は全くないようだった。……そもそも、団長が一人で戦っているというのに、こいつらはずっと突っ立って背後で見ていたのだ。薄情な騎士団だ。俺もまあ、基本見てただけだが。
「……迷惑をかけた。見ての通りの奴だ。我々にも止められん。月が沈めば多少は落ち着くはずだ。改めて明日、話をしよう」
男は無精髭だらけのぬぼっとした顔でそう言うと、倒れたガートルードの体をひょいと担ぎ上げ、女魔術師に向かって放り投げた。
「ああ、ガートルード様……! 死にかけて青ざめたお顔も、また格別の美……ウフフ……」
不気味なことを言いながら、女魔術師ジェミノクイスはガートルードの体をずるずる引きずっていった。
「あー……で、あいつら何だったんだ?」
荒野を去っていく四人を見送りながら、歩いてきたアンナが呟いた。
「さあね。明日また来るつもりらしいわ。ユージーン、あなたとは無関係なのよね?」
ヴィバリーが尋ねると、ユージーンは顔をうつむけながら首を横に振った。
「……そう。トーゴ、あなたは何か話したの?」
「いや、なんかいきなり襲われて……殺されかけて……大体それだけだ」
俺の雑な答えに、ヴィバリーはふっと皮肉な笑みを浮かべた。内心まだキレているのだろう。
「ふ、エルフらしいわね。そういう連中なのよ。何しにここまで出てきたんだか……」
そう言って、ちらりとユージーンを見る。ユージーンは悲しげに、ヴィバリーから距離をとった。自分のことを責めていると思ったのだろう。
「違うの、あなたのことじゃないわよ……ユージーン。拗ねないで」
ため息をつき、視線を逸らすヴィバリー。ユージーンはアンナに駆け寄り、足にすがりついた。
「よし、よし。お疲れさん。とにかく、今日はさっさと寝ちまおう。夜中に叩き起こされて、もうすっかりおねむだよ、あたしは」
拾った大鎚を肩で担ぎながら、アンナはユージーンの頭を軽く撫でた。ユージーンは「ンー」と猫みたいな声を出して、ぐったりとアンナに寄りかかる。夜中に走り回って、疲れたんだろう。
「やっぱ、こういうとこは子供だな。んじゃ、今夜は一緒に寝るか」
「……アンナ」
何か言いたげにするヴィバリーを、アンナはシーッと人差し指を立てて黙らせた。
「子供相手に変な心配しなさんな。んじゃ、あたしらは先に戻ってるよ」
もうすっかりうつらうつらしているユージーンを抱え上げて、アンナは馬車の方へ戻っていった。
残された俺はとりあえず、まだ気が立っているらしいヴィバリーを刺激しないように、そろそろと自分の剣を拾い上げる。だが、案の定素通りはできなかった。
「……あなたの世界に、エルフはいたの?」
ヴィバリーは背を向けたまま言った。唐突な質問に困惑しつつも、律儀に答える俺。
「え? いや……いないよ」
「本当に? でもさっき、『エルフ』って言葉を聞いて驚いていたわよね」
いちいち人の言葉を疑ってくるのは性格なんだろうが、やっぱり少しイラつくな。
「エルフってのは、俺の世界じゃ想像上の生き物だったんだ。魔術師とか、竜とかもそう。本の中にだけある、幻の生き物なんだよ。だから、本物がいるって聞いて驚いた。それだけだよ」
うんざりしつつ説明すると、ヴィバリーは疲れた様子でため息をついた。
「そう……わかった」
口に出して謝るような性格ではないが。そのばつの悪そうな顔を見るに、今のはちょっとした八つ当たりだったんだろう。なんとなく立ち去りにくい空気を感じて、俺はついでにこっちから質問を返してみた。
「……それで、この世界のエルフってのはどういう連中なんだ? ユージーンもエルフなんだろ」
ヴィバリーは少し考え込むようなそぶりを見せてから、独り言みたいに話し始めた。
「あの子と会ったのは……本当に偶然だったのよ。街道沿いの森で浮浪児みたいに暮らしていたのを、アンナが拾ってきて……どうしてそんなところにいたのか、詳しい事情は私たちも知らない。ただ、エルフが彼らの王国から出てくるのは本当に稀なことなの。まして、子供が一人でなんて……だから……」
「保護してたってことか?」
「……まあ、あの子は一人でも生き延びられたでしょうけどね」
自嘲気味に言って笑うヴィバリー。その表情を見て、俺もなんとなく察した。だいぶ不器用にではあるが、彼女も彼女なりにユージーンに愛着を抱いているらしい、ということを。仲間としてか、家族としてかはわからないが。
「ごめんなさい、質問は何だったかしら。駄目ね、私も疲れているみたい」
そういえば、エルフの話を聞こうとしたのにいつの間にかユージーンの話になっていた。
「えっと、俺はエルフのことを聞こうと思って……」
改めて聞き直すと、ヴィバリーはムッと眉をひそめた。ユージーンはともかく、エルフ全般にあまりいい印象がないようだ。
「エルフのこと……そうね。さっきの奴とユージーンを見てわかる通り、並外れた身体能力を持つ種族よ。銀髪と琥珀の瞳。両性具有の肉体。自分たちじゃ上位種族だなんて言っているけど……精神的にはそう優れているとは思えないわね。ユージーンがあんな風にならないように、教育方針を考えた方がいいかしら……」
「…………」
「詳しいことはまた話しましょう。私は先に戻るわ。あなたも、早く寝て体力を温存しなさい」
ヴィバリーはそう言うと、俺を置いてアンナたちの後を追って歩いていった。俺はしばらくヴィバリーの言葉を反芻しながら、その場にぽかんと突っ立っていた。
(……今、両性具有って言ったか?)
結局、俺はその一言が気になって朝まで眠れなかったのだった。