第二十四話:青白の騎士、ガートルード その1
「さて……どうしたものかな」
ガートルードと名乗った女は、俺たちを悠然と見下しながら、冷たく微笑んだ。
こっちに来てから初めて見る……本物の、露出の高い鎧を。ビキニアーマーというほどではないが、上半身を覆うのは胸元を強調した、へそ全開の短い胸当てだけ。下半身はややガードが固いが、ひらりと垂らした腰布からは白い太ももが覗いている。
――殺されかかった後でそんなとこばっかり見てる俺も俺だが。生で見ると、やはりエロさよりも違和感の方が強い。防御力に関してはボロ服を着たユージーンも似たようなものだが、こっちはそもそも日常で着る服として明らかにおかしい。というか、寒くないのか。
「狩りの前の景気付けに、野良犬の血で刃を濡らしておく程度のつもりだったのだが。野良の騎士団一行と見えるとは……ふふ、幸運な出会いではないか。子供の臓物は好きか? カナリヤ」
ガートルードは背後に向かって声をかけた。すると、背後に隠れていた二つの人影のうち一つが、ゆらりと動いた。フードを被った女――いや、少女だろうか。顔はよく見えないが、右手でさっき俺を殺しかけた鉄の円盤を弄んでいる。彼女は濃い緑色の髪を左右に振って、無言で否定の意を示した。
「そうか? 我らの肉は美味と聞くぞ。想像してみるがいい、あの柔い肉をお前の鋭い歯で噛みちぎり、小さな骨から削ぎ食らうことを……」
くっくっと笑い、ガートルードは戯れに己の武器を肩の上でくるりと回し、一瞬で右から左へと持ち替えた。その長大な曲剣は、どう見ても俺の剣の数十倍の重さがある。「同族」という言葉の真意はわからないが、ユージーンと同じく隠れた怪力の持ち主なのは間違いない。一見、腕も足も踊り子のようにしなやかで、最低限以上の筋肉があるようには見えないのに……
「…………」
ユージーンは無言で、ガートルードを睨んでいた。その凶悪な目つきは、攻撃を仕掛けられたから、というだけではなさそうだ。彼女が、これほど誰かに敵意を向けるのを初めて見た。
「そんなに熱い目をするな……子供のくせに、私をたぎらせるなよ」
素人の俺でもわかる、殺気の応酬。冗談めかして笑いながらも、ガートルードは今にもユージーンを真っ二つにしそうな雰囲気だ。だが、ユージーンは完全に丸腰。名誉がどうとか言ってたが、丸腰の子供にデカい剣持って喧嘩売るなんて、名誉も何もありゃしない。そもそも、どうして俺たちはこいつらに襲われてる?
「……どこかへ、行け」
ユージーンは短く、しかし強い語調で言った。俺はどうにか身を起こし、隠れるようにユージーンのそばに立った。一応、剣だけは握りつつ。
「私は騎士団の青にして白。長たる私に命令できるものはいない。退かせたければ、力づくで試すがいい」
ガートルードは担いだ曲剣の柄を片手でがっしりと掴んで構え、ついに剣先を俺たちの方へ向けた。自然に、喉がごくりと鳴る。ユージーンのそばに立ったのは失敗だった。こいつは何が来ても避けられそうだが、俺は絶対に一瞬で真っ二つだ。
恐怖を感じた俺は、思わず場の空気を読まずに声をあげた。
「まっ……待ってくれ。何で俺たちを襲ってきたのか知らないが、とにかく、こっちに敵意はないんだ。剣を引いてくれ。た、頼む……!」
我ながら、土壇場でよくすらすらと喋る度胸があったものだ。だが、俺の勇気ある命乞いも、ガートルードには蚊ほども通じなかった。
「死人は黙っていろ。子供……ユージーン。お前の望みはどうだ? 私と出会って、何を感じる? 逃げたいか? それとも……」
言い終えるのを待たず、ユージーンが動いた。地面を蹴って、空へと跳ぶ――一瞬、本当に飛んでいるのかと思うほど高く。自分の体より大きな剣を持った相手に、空手で挑もうと考えるのは、人並み外れた自信なのか、よほど馬鹿なのか。
「……やはり、お前もそそられるか」
愉しそうに言いながらも、直立して動かないガートルード。ユージーンはその頭上に落下して、脳天に向けてかかと落としを見舞った。
鈍い音。その神速の蹴りは、確かに狙い通り、ガートルードの頭に直撃していた。だが――
「美事。だが軽いな」
ガートルードは微動だにせぬまま、ユージーンの足を額で受け止めて、平然と言った。
「……!」
ユージーンは空中でもう一発ガートルードの頭を蹴ると、その勢いで後ろに飛び退いた。俺のそばまで転がってくる彼女の姿は、まるで怯えた獣のようだった。
「その身のこなし、瞬発力。筋肉の質。『混じり』ではないな。興味深い……なぜ、王国の外にお前のような純血種がいるのか」
ガートルードは……右目から血を流していた。いや、血でよく見えないが、眼球のあるべき場所に、それがない……今の一瞬、ユージーンは鋭い蹴りで相手の目を文字通りぶっ潰していたのだ。
無傷のユージーンに、目を潰されたガートルード。状況だけ見れば、こちらの圧勝だ。だが、ガートルードはなおも不気味に微笑んでいた。まるで、わざと傷を負わせたように。
「……野良犬よ」
ぽつりと話し出すガートルード。その背後に、もう一人の女がいることに俺は初めて気づいた。まるで影のように、あるいは衣服のようにガートルードに寄り添い、手を伸ばしてガートルードの傷に触れた。――魔術師だ。次の瞬間には、ガートルードの顔は元どおり無傷に戻っていた。道理で、避けようともしないわけだ。
ガートルードはその女に一瞥もくれず、再生した両目でユージーンを見下ろした。
「今まで自分より強い獣に会ったことがなかったのだろう。ねずみの群れに一人紛れこんで、己は強いと思っていた。死に物狂いになったこともない。並の魔術師でさえ、お前には敵とはならぬ」
一歩ずつ、彼女はこちらに歩み寄る。ゆっくりとした歩み。だが、一瞬の隙もない。俺も、ユージーンでさえも、動くことができない。
「だが、私はお前より強いぞ。どうする? 死ぬのを承知で抗ってみるか? 無様に命乞いをするか? それとも……私に蹂躙されてみるか?」
ガートルードは舌なめずりをして、さらに一歩踏み込む。その時、隣に立つユージーンの様子がはっきりと変わった。獣のように唸り声をあげ、毛を逆立てて。ガートルードの言う通り、ユージーンも本能的に、相手が自分より上だと悟ったのだ。
だが、ユージーンは相変わらず素手……いや、待て。武器ならあるじゃないか。
「……おい。こいつ使うか?」
俺は自分の剣を逆さに持って、柄をユージーンに差し出した。今、俺にできることはマジでもうこれしかない。ユージーンは無言で柄を握り、小さくうなづいた。仕事を終えた俺は今が好機と、そそくさ後ろに退く。よし。
「それで対等、か? 対等である必要もないのだが。じゃあ今度は、私が素手でしてみるか……色々やってみよう。変化がなくてはな……」
そう言って、ガートルードは自分の剣を地面に投げ捨てた。もはや何がしたいのかわからない……いや、理解はできないが、わかることはわかる。要するに、楽しみたいのだ。俺たちは、こいつの玩具にされている。
「……団長。お遊びは程々に」
後ろに立っていたもう一人の騎士、一番目立たなかったひょろ長い男がぼそりと言うのが聞こえた。なんとなく、親近感のわく男だ。こいつも俺と同じ、騎士団で男一人だし。
「遊ばずして何の生であるか。私を殺ってみろ、ユージーン!」
ガートルードは掌を開き、つかみかかるように襲い掛かった。俺の目でも追えるほど、ゆったりした動き。誘っている……ユージーンは警戒しつつ剣を振る。その切っ先の直前で、ガートルードはふいと身を引く。踊るような所作。
「そうだな……髪の一本くらい切れたら、お前一人は生かして帰そう」
そう言って、わざとらしく髪を振り乱す。
「二本切れたら、そこの死体も傷つけまい。四本でお前の騎士団を全員生かす」
こいつ――アンナやヴィバリーの存在にも気づいている。思わずごくり、と喉が鳴る。つまり、一本も髪を切れなければ、全員殺すと言っている。
魔術師達と相対した時とは違う、むき出しの殺意。同じ人間が……人間だからこそ、なのか。大した理由もなく。ただ愉しみのために。こうも簡単に、命を奪うなんて口にする。
「おいで。踊ろう」
その一言を合図に、ユージーンが動いた。
「シィッ」
息を吐く音。剣が嵐のように吹き荒れる。俺が持った時とは、まるで別の武器のように。それどころか、もはや別世界の場面のように。切っ先が何重にも軌跡を描き、余裕ぶったガートルードの周囲を駆け巡った。
そして――その全てが、ガートルードの体にも、髪一本にさえ交叉することはなかった。早すぎてもう何が起きてるか俺には見えないが、どうやらほとんどを紙一重でかわし、時には剣の腹を指で弾いていなしているようだ。
「いいよ、いい……やはり同族が一番だ。こうでなくては……栄えある千年王国も堕ちたものだよ。昨今はこれほど楽しませる使い手も減った……」
余裕ぶるどころか、老害臭い世間話まで始めやがった。
「……もったいないが」
そして、ふっと剣の音が止まった。
「これで終演」
人差し指と、親指。ユージーンの渾身の剣は、たった二本の指で止められていた。引こうとしても、押そうとしても、動かない。
ガートルードは剣の切っ先をつまみあげたまま、左手で彼女の肩を押さえつけた。ユージーンはなおも憎々しげに相手を睨みつけながらも、額からは玉のような汗が吹き出ていた。――動けないのだ。
その様子を満足げに見下ろしていたガートルードは、急にぐいと姿勢を低くして、ユージーンの眼前に顔を近づけた。口づけでもしそうなほど、近く。口を開き、笑いながら、喉を噛み切るように歯をむき出して……いや。こいつには、本当にそうするだけの力がある。
「ユージーン!」
俺が思わず、声をあげた瞬間。背後から、風を切る轟音が聞こえた。覚えのある音。危険で、致命的で、なんとなく安心する音。アンナの投げた、大鎚ビリーの音だ。
「……不粋な」
そう呟くと、ガートルードはユージーンから手を離し、ぐっと両腕を広げて身構えた。その中国拳法のような構えは、彼女が今度こそお遊びでなく本気で防御態勢を取っている証だった。
間もなく、風とともに飛来する大鎚。間近でその強烈な風圧を受けると、アンナを怒らせることはすまいという決意を新たにさせられる。
これなら、今度こそこのイかれた女騎士を吹き飛ばしてくれるかもしれない――と、期待したのもつかの間。身を低くして構えていたガートルードは、大砲のように飛んできた大鎚ビリーを難なく受け止めると、体ごとくるりと回転してその速度を殺し、自分の武器であるかのように大鎚を構えて、アンナの襲撃に備えた。
――だが。我らが冬寂騎士団に必要だったのは、その一瞬の隙だったのだ。
「戯れはそこまでにしていただこう、エルフの君。二度とその指でうちの騎士に触れるな」
ヴィバリーの声。どの瞬間からか――おそらくはこの場の誰も気づかないうちに。彼女はすでにガートルードの真下に入り込み、細剣の先端をガートルードの喉元に突きつけていた。
いくらヴィバリーといえどもこんなに一瞬でここまで潜り込むのは無理だ。キスティニーの空間魔術を使ったに違いない。どうやってあいつに協力させたのか気になるが……いや、今はそれよりも気になることがある。
「……エルフ!?」
思わず空気を読まず声を出す俺。隣では、その単語を耳にしたユージーンが、びくりと肩を震わせていた。