第二十二話:魔術師なるもの その3
日が落ちてから、俺たちは馬車を止めて野営することになった。要するにキャンプだ。馬車を降りると、一面の荒野が広がっていた。岩に砂、まばらな緑。暗くて遠くはよく見えないが。
「……寂しい風景だな」
「昔は、大陸で最も栄えた地域だったそうよ。でも意識魔術を究めた魔導師である幻影城主アウラが、この土地の全てを……人も、建物も、何もかも、自分の夢の中に隠してしまったんだとか……」
「夢の中に、って……どういう原理なんだ」
魔術に原理とか道理を求めても無駄だと、わかっちゃいるが聞かずにいられない。ヴィバリーは岩に腰掛けたまま、興味なさげに肩をすくめた。
「さあね、私の知ったことじゃないわ。この土地で眠ると、今も夢の中で彼女の城を見られることがあるそうよ。でも、誰もそれが本物だと証明できない……ただの夢かもしれない」
ヴィバリーは目を細めて、岩陰にアンナが熾した焚き火を眺めた。ユージーンとアンナは火のそばで料理を作っているが、ヴィバリーは料理に関しては役立たずなので除け者にされている。まあ、俺もだが。味見役もできないし……。
「……トーゴ。あなたは、夢を見る?」
ヴィバリーは、つまらなそうな顔のまま不意にそう言った。
「さあ……見たことぐらいはあると思うけど。朝起きると、全部忘れてるよ」
夢なんて、そういうものだ。それを惜しみはしない。
「私はないわ。夜に見る夢も、昼に見る夢も。私に見えるのは、現実の荒野だけ……」
暗い地平を眺めながら、ヴィバリーはぼんやりと呟いた。この冷たい女にも、時々は自分の生き方に疑問を抱くことがあるんだろうか。
「それが不幸だとも、幸福だとも思わない。あるがままを受け入れる。だから……私は魔術師にはなれないの」
「……え?」
その言葉の意味を考える間に、ヴィバリーはすっと立ち上がった。
「暇ね。せっかくだから、剣の稽古をつけてあげる」
「いや、俺は……」
反対しようと口を開いているうちに。ヴィバリーは素早く抜いた細剣の切っ先で、俺の腰に刺さった剣をするりと引き抜き、空中にぱぁんと跳ね上げていた。
「……おい」
「取ってみて?」
いきなりの無茶振り。なんてスパルタだ。剣は空中で、扇風機みたいにブンブン回りながら、俺の頭上めがけて落ちてくる。
「いや、無理だろ!」
「とりあえず掴んでみて。怪我してもすぐ治るでしょう」
そう言うなり、ヴィバリーは背を向けた。自分でやるしかない。覚悟を決めて、深呼吸――している暇もない。鋭い音を立てて迫る、ぼやけた影に向かって、当てずっぽうで手を伸ばす。瞬間、何かを掴む手応えがあった。
「……やった!?」
俺の指は、確かに剣を掴んでいた。ただし、掴んだのは柄ではなく刃だった。そりゃそうだ、柄なんか全体の20%ぐらいの長さしかないんだから、当てずっぽうで掴めば確率的に刃を掴むに決まってる。
みるみるうちに手のひらから流れ出す血を見て、俺は思わず声をあげた。
「うわっ……くそっ、汚ねぇ……」
慌てて手を放すと、地面に剣が落ちた。その音を聞いて、立ち去りかけたヴィバリーがちらっとこちらを見た。
「まずは動体視力を鍛えた方がいいわね。剣の振り方はわかるの?」
「……アンナに聞いたよ。っつーか、なんだよ、今のは! 俺の指が吹き飛んだらどうする気だ!?」
血だらけの手を服で拭いながら、文句を言う俺。黒い服にしといてよかった。
「そのぐらいじゃ指は落ちないわよ。軽い剣だしね。目的地に着くまで、十日はかかるわ。それまでに、教えられることは教えておくから。……あなたも、努力して」
それだけ言うと、ヴィバリーはアンナたちの方へ歩いていった。
血が止まるのを待ちながら、俺はその場にしゃがみこんで、ヴィバリーの言葉の意味を考えた。……雇った責任として、一応の技術は教えてくれるということだろうか?
いや、それより前に、気になる台詞が――
「……キスティニー、聞こえてるか?」
ふと、頭をよぎった名前を呼んでみる。さっきから姿が見えないが、あいつのことだからどうせパッと出てくる気がする。これで誰にも聞こえてなかったら恥ずかしいが――
「呼べば出てくると思わないでほしーんだけどなーっ」
その声は、俺の頭上から聞こえた。
「実際、出てきたくせに……」
ぶつぶつ言いながらも、俺は内心少しビビっていた。馬車の中でダラダラと話した後ではあるが、こうして一対一で向き合うと、やはり気味が悪い。
「何か用? 魔術師を呼ばわって、何でもありませーん、なんて言ったら、相応の代償を払ってもらわなきゃ……」
さらにビクつく俺の顔を見て、キスティニーはおかしそうにけらけら笑う。
「うっふふ、ウソ、ウソ! 他ならぬトウゴくんの言いつけとあらば、火の中、水の中、あるいはこの世の外だって……それもウソだけど……」
「もういい、わかった。それより、お前に聞きたいことがあるんだ」
これ以上適当な話が長引かないうちにと、俺はきっぱりと言った。キスティニーは目を細め、今までとは違う、狂気を帯びた微笑みを浮かべた。
「……あら、あら。それって、騎士様たちには聞けないお話? うーん、男の子の悩み? それとも、それとも……」
「魔術師ってのは、結局……何なんだ?」
それは、単純な問いだった。まだ誰も、はっきりと答えてはくれなかった問い。おそらく、あまりにも当たり前すぎるから。俺も自分で勝手に決めつけて、改めて聞かずにいた。
「どこから湧いて出てくる? 魔術師が、魔術師の子を生むのか? ……違う、よな」
俺の濁した質問に、キスティニーは静かに、遠回しに、答えを口にした。
「――魔術とは。人間が、自らの内に見いだすもの。不確かな、言葉のない言葉。世界の構成概念。己の魂の名。それを把握し、支配した時、人は人であることをやめる。肉体はただの器になり、その瞬間から成長も老衰もしない。空腹になることもない。それが、魔術師なるもの」
キスティニーは一瞬、目の前から消えて、
「だから、わたしのぶんはいらないよ、アンナちゃん」
……とだけアンナに伝えて戻ってきた(らしい)。
「それじゃ……魔術師は、もともと、人間だったんだな? サヴラダルナも、お前も……俺が殺した、フードゥーディも」
ぞくっ、と悪寒がした。あの瞬間、剣の柄ごしに伝わった肉の感触が蘇って。今も手が血にまみれてるのは、嫌な偶然だ。俺は、やっぱり……人殺しだったんだ。
「……わかってたでしょう?」
シシシ、と楽しそうにキスティニーは笑った。
「……いや、俺は……」
「トウゴくんのことはずっと見てたよ。話す言葉も、心臓の音も聞いてたよ。わたしは空間術師であり、知識術師だから。ほんの少しだけど、ものごとを『識れる』。フードゥーディを刺した時のトウゴくんはね。自分で思ってるほど、慌ててなかったよ」
何も言えなかった。キスティニーの言う通りだったからだ。
俺は、自分で、自分を欺いていた。保身のために。自分の居場所を守るために。自分が、あいつを殺しやすいように。「これは、人間じゃない」と言い聞かせて。でも、内心、うっすらと、気づいていた。こいつらが、何なのか。
「魔術師とは何であるか? 無数の説明があるけれど。本当の説明は存在しない。だから、みんな好きなように解釈するの。わたしが好きなのを教えてあげるね」
……こいつらは、冬子と「同じもの」だ、と。
「魔術師とは、夢みるもの。魔術とは、願いの力。狂気に至るほどの、純粋な願い。人の枠に収まりきらない、大きすぎる夢。だから我ら魔術師は、人を捨て、心を捨て……それを、つかみとるのだよ」
歌でも歌うように、なめらかな調子で言い終えると、キスティニーは空を見上げ、ふわりと空中に浮き上がっていった。
「……月が綺麗。ああ、間近で見ずにいられない……じゃね、トウゴくん」
そして、そのまま、かぐや姫みたいに夜空に吸い込まれて消えた。俺はため息をついて、荒野に目をやった。月の美しさなんか、俺にはわからなかった。