第十九話:異界人たち
「……はぁー、なるほどね」
俺がもろもろの説明を終えると、アンナがぽかんとした顔で言った。絶対に何もわかっていない。まあ俺自身、何がどうしてこんなとこに連れてこられたのか、全然理解してないのだから、アンナにわからないのも当然だが。
「自動車が走るとかテレヴィがどうとか、あなたのいた異世界とやらの話はさっぱり分からなかったけど……つまり、流言師が言っていた『異界の客人』っていうのは、あなたのことだったわけね。イクシビエドまでが探っているとなると、これから誰がどう出てくるか……」
一方、彼女なりに話を消化したらしいヴィバリー。俺自身のことより、こっちの世界でのそれぞれの思惑が気になるようだ。
「……ジドーシャ……テレ・ヴィー……」
そして、ぼんやりと聞き流しているユージーン。
「まあ、とにかく伝わろうが伝わるまいが、説明はしたぞ。この話、さっきの魔導師のおっさんにもしなきゃいけないのか?」
ヴィバリーの方を見て尋ねると、彼女はきょとんとして首を横に振った。
「え? いいえ、そんな必要はないわ。イクシビエドにはもう伝わってる。彼は、つまり……『物知り』の魔術師なのよ。この世界で起きる、ほとんど全てのことを把握している。特に自分の領内では、全ての人間、動植物、空から土まで、生物非生物を問わず全ての動きを見て、聞いているという話」
全知全能かよ……いや、「全知」までか。聖徳太子は同時に十人の話を聞いたって話だが(真偽はともかく)、聖徳太子何万人ぶんの脳みそがあればそんなことができるんだ。
「……ってことは、今こうして話してることも……」
「当然、筒抜けよ。どんな気分なのか、想像もつかないわね。無数の人間の咀嚼音から排泄音まで四六時中聞いてるなんて」
珍しく下ネタっぽいことを言って、鼻を鳴らすヴィバリー。同調して、アンナもうなづく。
「要するに、盗み聞きしてるんだろ。質実剛健が売りのウーバリーっ子としては、陰湿な感じで前から気にくわないんだよね、イクシビエド。あたし、一人でいる時は、よくあいつに向かって言ってやるんだよ。『聞いてんじゃねえぞ、イクシビエド!』って……あれ、本当に聞こえてるのかなあ……」
アンナの妙な癖はともかく、確かに、独り言も全部聞かれていると思うと落ち着かない感じがする。
「陰湿なのは否定しないけど、イクシビエドの領地の治め方は、魔導師の中では一番ましだと思うわ。人間に対しても好意的……というより、ある程度は平等に扱っているから」
「聞かれてるからって、媚び売ることないのに」
からかうアンナに、ムッとするヴィバリー。
「違うわよ。イクシビエドが『はぐれ』認定を多く出すおかげで、私たち騎士団の仕事も多く回ってくる。味方ではないけど、互恵関係といったところね」
「ま、お仕事くれるのはいいことだ。これから会うのもお仕事なんだろ? 市長と魔導師がお揃いで出てくるなんて、一体どんな大物相手なんだ?」
どこか楽しみそうなアンナの質問に、ヴィバリーは小さく唸る。
「……わからないわ。トーゴのこともあるし、何か計り知れない事情があるのは確かね。本当なら、私一人で話を聞くつもりだったんだけど……市長含め全員同席の上、というのがイクシビエドの望みだから仕方ないわ」
不機嫌そうに言って、ヴィバリーはうつむく。その物憂げな様子を見ると、さっきから憎まれ口を叩いていたアンナがふっと優しい顔になって、彼女の肩をさすった。
「何でも一人で抱え込むの、悪い癖だよ。なるようになるさ」
「そういうわけじゃなくて……まあ、いいわ……ありがと」
礼を言いつつも、ヴィバリーは何か考えありげにため息をついた。
ヴィバリーのため息の理由は、招かれた市長宅に着いてすぐに知れた。数人のメイドに(やっとメイドが見れた! コスプレじゃない本格メイドだ。生きててよかった)案内されて、奥の面会室に向かうと……そこには、いかにも紳士という風体の、髭面の男が両腕を広げてにこやかに立っていた。
「おお、ヴィバリー! 待っていたよ、私の可愛い子……今日も一段と輝いているね」
男の馴れ馴れしい言葉を聞いた瞬間、俺とアンナは顔を見合わせた。一体この市長、ヴィバリーとどういう関係なのか。年の離れた恋人か、愛人、それとも……
「人前で馬鹿なこと言うのは止めて。マ……パパ」
「パパ!?」
俺が大声をあげると、アンナがこらえきれずに吹き出した。
「ぷっ……あはははは! パパだって……パパ……」
ヴィバリーは心底嫌そうに顔を歪めて、拳を震わせていた。これほど冷静さを失ったヴィバリーを見るのは初めてだ。市長はそんな彼女の様子には気づかず、にこやかな笑顔で俺たちに挨拶した。
「やあやあ、君たち。私はオーランド市長、ガーナヴィだ。噂は聞いているよ。いつも、娘と仲良くしてくれてありがとう。危険な仕事だから、いつも心配しているんだよ。娘が元気でいられるのは、君たち有能な仲間がいるおかげだ」
手を差し出して、俺たち一人一人に握手を迫る市長。この人懐っこさ、気配り能力……ヴィバリーとは正反対だ。
「いえいえ、こちらこそお世話になっております、パパさん。今後ともご贔屓に!」
ニヤニヤしながらヴィバリーをチラ見して、アンナが言う。ヴィバリーは舌打ちして、アンナを睨み返した。
「くそったれ……だから、会わせたくなかったのよ」
立ち居振る舞いから育ちがよさそうなのはうすうす感じていたが、市長の娘だったとは。たまに言葉遣いが荒れるのは、礼儀正しい親への反発だったりするのかもしれない。
「新人のトーゴ君だね。有望な若者と聞いているよ。頑張ってくれ給え」
がっしりした指で俺の手を握る市長。有望と言われてもまるで実感がないので、とりあえず黙って愛想笑いするしかなかった。
続いて、市長が床の上で縮こまったユージーンに手を差し出す。
「事情は聞いているよ、ユージーン君。いや……ちゃん、かな。どちらで呼べばいい?」
「…………」
意味ありげな問いかけに、ユージーンは黙って首を横に振り、静かに一歩、後ろに下がった。市長はため息をつき、ばつが悪そうに苦笑いした。
「はは……嫌われてしまったらしい。気分を害したなら謝るよ、ユージーン」
横で聞いていた俺は、今の言葉の意味を考える。前から性別不詳だと思っていたが、この世界の連中にとっても、こいつの性別は謎なのか。あとで一度、アンナにでも聞いてみるか。
――などと考えていると。
「全員、挨拶は済んだね。では、本題に入ろう」
聞き覚えのある声――市長の背後に、いつの間にか二人の魔術師が立っていた。イクシビエドと、キスティニー。今さら、突然のワープぐらいで驚きはしないが。キスティニーがそこにいたのは、やや意外だった。
「シシ、シュー……お久しぶりですこと、皆々様。あれ、昨日会ったばっかだっけ?」
例によってトンチンカンなことを喋っているキスティニーを無視して、イクシビエドは一方的に用件を告げた。
「オーランド市長、ならびに冬寂騎士団の諸君。君たちに依頼したいのは、ここよりさらに西方、かつて幻影城主アウラが住まっていた土地に出現した、一人の魔術師の調査だ」
イクシビエドの説明は単刀直入、裏通りで会った時のような謎めいた言葉もなく、淡々としたものだった。
「……出現した?」
「……調査?」
ヴィバリーとアンナが、別の言葉に反応して眉をひそめる。
「ヴィバリー、その通りだ。彼女はそこに歩いてきたわけでもなければ、魔術によって転移してきたのでもない。ある瞬間から、ただ、そこにいたのだ。それを『出現』と表現させてもらった。そしてアナリーズ、その通りだ。これははぐれ魔術師の討伐依頼ではなく、調査の依頼だ。だが、場合によっては討伐してもらう可能性もある。まずは、目標地点に向かって欲しい。それと、君の独り言はいつも楽しませてもらっているよ。気分を害してすまないが、『盗み聞き』をやめることはできないんだ」
二人の疑問に、イクシビエドは息継ぎひとつせずにつらつらと答えていった(アナリーズってのはアンナの本名だろう)。ついでにアンナのくだらない独り言への答えも付け加えて。
「私の弟子であるキスティニーを護衛に付けるが、故あって彼女の空間魔術は役立たない。長旅になるだろう。市長には彼らに物資と馬車を提供し、あらゆる手段で彼らを支援してもらいたい」
それから、イクシビエドはふいっと首を傾けて、斜めになった顔のまま、目だけでまっすぐ俺を見た。虚ろで、それでいて何か得体の知れないものに満ち満ちている。無数の意味。無数の言葉が。
俺はまだ、イクシビエドが口から垂れ流した大量の情報を消化しきれず、口をポカンと開けていたのだが……その目を見た途端に、何か、恐ろしいものを垣間見たような気がして、体がすくんだ。たった今、こいつが口にした言葉の中に、何か――俺の知りたくないことが含まれていると。頭より先に体が気づいたのだ。
「トウゴくん、君がこれから問うであろう質問にも、前もって答えておく。その通りだ。この魔術師というのは、君がこの世界に現れたのと、まったく同じ瞬間に現れた。その意味は、私の知り得ることではない」
淡々と続けるイクシビエド。俺はひどく喉が渇いている気がした。
「……だが、君には心当たりがある。そうだね? 心臓の音が、揺れているよ」
まさか。いや、やっぱり――でも、まさか。
想像はしていた。考えないようにしていた。生きていたのか。それとも、生き返ったのか。どうして――どうする? 何も、わからない。額から、汗が滲み出す。
「トーゴ? ……どうした?」
アンナの声に、俺は黙って首を横に振った。
「トウゴくん。具合が悪いようだね。君はパニックに陥りつつある。数秒後には気を失うだろう。だがその前に、もし知っているならば、彼女の名前を聞かせてもらえるかね?」
イクシビエドの言う通り、俺は膝から下の感覚を失っていた。カーペットの上に倒れこみながら、俺は絞り出すようにその名を口にした。
「……冬子」
薄れる意識の中で、イクシビエドがにっこり笑う顔が見えた。
「ありがとう。一つ、知識欲が満たされたよ」