第十六話:孤独なる者フードゥーディ その2
その穴は、思ったより深くはなかった。カンテラの明かりを頼りにまっすぐ進むと、間もなく一つの扉に行き当たった。木の扉だ。土の壁に、どうやってくっついてるのかはよくわからない。そのへんも魔術なのかもしれない。
扉の周りには、誰も、何もいなかった。広間でアンナと戦ってる連中が、トモダチの全てだったのか。俺たちはもう、ほぼダンジョン攻略直前まで来てたわけだ。
「もしもし?」
とりあえず、扉をノックする。返事の代わりに、がさがさと物音がした。中に、確かに誰かがいる。
「……フードゥーディ、だよな? 入っていいか?」
焦りを隠して、話しかける。怯えたような、うめき声。
「うー……だ、だめだ。フー、ふ、フードゥーディは……誰とも、あ……会わない」
強いどもりの入った喋り方。でも、会話はできてる。それに、攻撃的でもない。ホッとしつつも、どこか……ぞわっとするのは何なのか。
「俺は敵じゃない。俺は……あー、そうだ。お前の、友達だ。友達になりにきた」
適当な嘘を並べ立てる俺。少しの罪悪感。でも、人の命がかかってるんだ。多少のハッタリは使ってやる。
「フードゥーディに、人間のともだちは、いない。今までも、これからも」
今度は、意外にきっぱりとした声だった。ハッタリは通じないか。ダラダラ話してても埒が明かないので、俺は扉の取っ手に手をかけた。鍵はかかってない。そのまま引いてみると、みしみし音を立てながら手前に開いた。
カンテラに照らし出された部屋の中は、殺風景だった。もはや見慣れつつある土の壁と、トモダチ同様に不恰好で歪んだ家具類がちらほら。そこら中に、本が何冊も積まれている。だいたい、予想通りの「魔法使いの部屋」って感じだが――同時に、どこか子供っぽい乱雑さがある気もする。
部屋の主人の姿は、壁際にあった。ぬぼっとした顔の、青白く痩せた小男だった。大きな布にくるまって、じっと壁を見て、俺が入ってくるのに気づいても、一瞬身じろぎしただけで、こちらを見もしなかった。
「お前が……フードゥーディ、なんだよな」
とりあえず、聞いてみる。フードゥーディは壁を見たまま、ためらいがちにうなづいた。
俺は自分で思ったより、冷静にこいつと向き合えていた。なんとなく予想してたことだが……こいつ自身には、おそらく戦う力はないんだ。使い魔というか、召喚獣というか、そんなものを生み出すだけの能力。
いきなり殺されたりはしない。むしろ、体格的には俺の方が有利かもしれない。しかも、俺は剣を持ってる。振ったことはないが、脅しには使えそうだ。
「戦いを止めさせてくれ。俺の友達が、お前のトモダチと喧嘩になってる。このままじゃ、どっちかが死んじまう」
俺の言葉に、フードゥーディは顔をしかめて、ゆらゆらと前後に体を揺すった。
「う……フードゥーディは、喧嘩は、きらい。それは、よ、よくないから。お母さんが怒る……喧嘩は、い、いけない」
「なら、早くやめさせてくれ!」
思わず大声を出すと、フードゥーディはビクッと体を震わせて、体をくるむ布を不安げに抱き寄せた。ビビりながらここまで来たのに、まさか、こっちがビビらせる側になってしまうとは。
「……すまん。大声出すのはやめる。でも、話は聞いてくれ。お前は、外の連中を止める力があるんだよな? だったら、それを使って欲しいんだ……頼む」
俺は声のトーンを落として、ゆっくり、静かに言った。この、気を使う感じ……覚えてる。冬子だ。家にこもってからの、冬子と話すときに似てる。……なんとなく、嫌な気分がした。
「……ともだちが、止まったら……ぼくは……一人になる。一人は……うぅ……つらい」
苦しげに言ってうずくまるフードゥーディ。様子を見ようと覗き込んだ俺は、こいつの足元で起きていることを見てぎょっとした。
土の上に落ちた小さな木くずとワラの切れ端か何かがひっついて、風にまかれたように、ぐずぐず動いていた。そいつらはだんだん、周りのゴミを巻き込んで、はっきりした形を得ようと、大きくなろうとしていた。俺の目の前で、今まさに「魔獣」が生まれつつあるのだ。
とっさに、思わず足で踏みつぶす俺。生まれかけの魔獣はばらばらになって、元のゴミクズに戻った。俺の足音でフードゥーディは一瞬びくりとしたが、何も咎めたりはしなかった。一つ一つのトモダチが、それほど大事というわけでもないらしい。
「おい! これ以上増やすなよ!」
「友達は……お、多い方がいい。お父さんも……言ってた。ぼくは、地下にいなきゃいけないけど……ちゃんとした、男の子には……と、ともだちが……たくさん、いる……」
ダメだ。全然、会話がキャッチボールにならない。
それにしても、魔術師にも父親母親がいるってのは……当たり前のことではあるが、どこか不思議に思える。この世界の「魔術師」は人間と別の種族みたいだから、家族もみんな魔術師なんだろうな。こんな傍迷惑な息子を放ったらかして、どこで何をやってるんだか。
俺は、キレないように深呼吸して、背を向けるフードゥーディに少しずつ近づいた。
「……いいか、フードゥーディ。お前は魔術師で、強いんだろ。だったら、こんな地下にこもってないで外に出てみろよ。そうすれば、魔術師の友達とかできるかもしれないし……とにかく、今は俺の言う通りに……」
俺の押し付けがましい説得は、フードゥーディのきっぱりした言葉で打ち切られた。
「フードゥーディは、家から出ちゃいけない。フードゥーディはここから動かない。ぼ、ぼくは、やっと、戻ってきたんだ。お父さんも、お母さんもいる、ぼくの家に!」
フードゥーディが大声を出した途端に、ぐらりと地面が揺らいだ。悪寒がした。何か、巨大な敵意に囲まれているような。
「……ぼくは、ここにいる……ともだちと、一緒に……ずっと……言い付け通り、あ、あの家の下に。それで……ぼくは、幸せだから」
次の瞬間、俺はカンテラを地面に落としていた。巨大な影が揺らいだ。動き出したのは、他ならぬ部屋そのものだった。土壁が、家具が、本が、全てが一体になって、フードゥーディを守ろうと蠢き始めたのだ。
「う、うわぁぁっ!」
思わず情けない声をあげて、俺は部屋の扉を蹴り開けて飛び出した。幸い、扉はまだ「生きて」はいなかった。だが、周囲の土はなおもがたがた強く震え、俺を飲み込もうと動き始めていた。
震動に転びそうになりながら、俺はアンナのもとへ走った。悔しかった。俺は結局、しくじったのだ。それどころか、事態を悪化させたかもしれない。
広間に戻ると、そこは真っ暗だった。月が傾いて、天井の穴から月光が入らなくなったのだ。だが、すぐ近くで金属音が響き、火花が散っていた。視界を奪われてもなお、アンナはまだ持ちこたえている。
俺は自分が逃げてきた穴ぐらを振り返った。震動は小さくなっていたが、うっすらと巨大なものが蠢く影が見えた。このままだと、フードゥーディの新しいトモダチが広間に出て来て、アンナと俺は竜と挟み撃ちにされちまう。
――もう、終わりだ。なけなしの勇気も無駄に終わって、ついにここで死ぬのかと思った。悔しいとか恐怖より、気が抜けたような感じだった。
地面にへたり込んで、死を受け入れようとした時――背後で、ヒュボッと風を切る音がした。アンナの大鎚かと思ったが、違う。聞き覚えのある……矢の音だ。
振り向いて広間を見ると、光源もない暗闇の中、不思議にぎらつく銀色の光が、地獄に垂れた蜘蛛の糸みたいに天井からまっすぐ伸びていた。ユージーンの銀の糸だ。瞬きする間に、その銀糸は縄跳びみたいにひゅるんと回転し、真下にいたらしいフードゥーディの竜をからめとっていた。
「ユージーン!」
上に向かって、思わず叫ぶ俺。だが返ってきたのは、ユージーンの声ではなかった。
「二人とも、中心から離れて! 私が今から降りる!」
ヴィバリーが、大声でこちらに呼びかけていた。返答する間もなく、頭上からどっと土の山が落ちてきた。天井の一部を崩して、穴を広げたらしい。
「助けに来てくれたのか……!」
糸を伝ってするりと降りてきた彼女の姿を見て、俺はもう泣き出しそうだったが、ヴィバリーの反応は冷たいものだった。
「甘ったれたこと言わないで。私は、仕事をしにきたの。あなたは、自分の判断であの子についていったんでしょう?」
暗くて顔は見えないが、どうやらかなり怒っているらしい。まあ、命が助かったんだから怒られるぐらいは軽いものだ。
「仕事って……そういうことか? あたしが正しかった、とは言わないけど……まあ話はシンプルになったな」
何か納得した風のアンナ。状況が飲み込めない俺に、ヴィバリーは自分の剣を抜きつつ説明する。
「さっきの地震で、地上に被害が出たの。夜中だから規模は不明だけど、負傷者多数。孤独なる者フードゥーディは、正式にはぐれ魔術師に認定されたのよ。イクシビエドが認定を出すってことは、きっと何人か死者がいるんでしょうね」
淡々とした言葉を、俺は頭で理解しつつも、どこか遠くの話のように聞いていた。
「……ってことは、仕事って……あいつを……」
「そう。今から、殺しに行くのよ。手伝う? それとも横で見てる?」
ヴィバリーは挑発するように言ったが、その口元は笑っていなかった。俺は――何も、答えられなかった。