第十五話:孤独なる者フードゥーディ その1
「剣の柄はもうちょい上を握って。刀身のどこを相手に当てるのかを意識して、弾かれないように力を入れるといい。こいつらは硬いから、切ることは考えないで、棒でぶっ叩くと思いな」
早足で歩きながら、アンナはド素人の俺に簡単なアドバイスをくれた。本格的な戦闘になったら、守ってやれないだろうから、とのこと。二言三言の助言で、運動音痴の俺が魔獣を倒せるとも思えないが……とりあえず死にたくはないので、話は聞いておく。
「一番大事なのは、パニックにならないことだ。冷静に、やるべきことをやれ」
俺たちは、穴の奥へ、さらに下へ、と向かっていた。戻る道を塞がれた以上、先に進むしかない。途中で別の分かれ道から上に戻れないかと思ったが、すでに塞がれたのか、一向に分かれ道に出くわさない。そういえば、さっきから断続的に地震が続いている。
「誘い込まれてるな。フードゥーディって野郎、引きこもりのくせに好戦的じゃないか」
引きこもり、という単語に一瞬ビクッとする俺には気づかず、アンナはさらに足を早めて奥に向かう。いい加減、俺も切り替えなきゃいけない。過去のことは、過去のことだ。いつまでも、引きずるわけにはいかない。
この世界には、冬子は、いないんだし……この世界では、俺は……人殺しじゃない。今度は、真っ当に生きられるかもしれない。世のため人のためとは言わなくても。
「声の響きが強くなってる。大きな空間がある。剣を構えろ、トーゴ!」
そう言って、走り出すアンナ。俺も後に続く。
やがて、風が吹いてきた。地の底で風なんて、と不思議に思いつつ駆け抜けると、視界がぱっと明るくなった。
そこにはアンナの言った通り、開けた空間が広がっていた。そして――頭上には、高い、細い穴。明るいと思ったら、そこから月の青白い光が落ちてきていたのだ。幻想的にも思える風景の中、アンナは空間の中心に歩み出て、奥の暗がりにうごめく大きな影に呼びかけた。
「ようやく、張りのある相手とやれそうだな。ちっちゃくてかわいい連中を張り倒すの、結構罪悪感あったんだよね」
隣で見てる限り、罪悪感なんて微塵も感じなかったが。その声に応えて、大きな影が口を開く。
「ふ、フードゥーディ……ずっとここにいる、だけ。どうして、フードゥーディ、そっとしてくれない……フードゥーディ、言い付け、守ってる……」
小さいやつより、喋りが流暢だ。いじけたようなそいつの言葉に、アンナはイラついたようだった。
「さっきから被害者ぶりやがって、何なんだよ? 家をぶっ壊しといて、そっとしとけも何もねえだろ。そっとして欲しいのはあたしたち人間の方だよ!」
アンナは大鎚を振りかぶり、真正面からそいつに振り下ろす。だが――その大きな「トモダチ」は、するりと横にうねってその一撃をかわした。俺にとって、アンナの攻撃が外れるのを見るのはこれが初めてだった。見た目は命中率低そうなのに。
アンナ自身にとっても、意外だったに違いない。素早く後ろに飛びのいて、深く呼吸しながらじりじりと間合いを取る。
「ともだち……フー……フードゥーディ……守る……」
不吉な声とともに、そいつは暗がりからのそりと身を起こした。――デカい。俺より一回り大きいアンナより、さらに一回り大きい。そして何より、形が今までのとは違う。大きな頭に、前傾姿勢の長い体、大きな後ろ足に、うねる尻尾。これは人形じゃなく、「竜」だ。
「……竜狩りは二度目だな」
つぶやくアンナ。一匹倒したことあるのか……。
月の光が入ってくるおかげでカンテラを掲げる必要がなくなった俺は、慌てて壁際に退いた。と、すぐそばでカタカタと音を立てる小型の「トモダチ」が視界に入る。……幸い、こっちに襲ってくる気配はない。もしかすると、一度でも攻撃を仕掛けたアンナ以外は、敵だと見なされてないのかもしれない。
「おらぁぁぁぁーっ!!」
雄叫びを合図に、闘技場のような空間でアンナと鉄くず竜の戦いが始まった。
素早く飛びかかる竜の顎をかわし、アンナはすかさず横っ面を大鎚でぶっ叩く。アンナの怪力で、竜は思いっきりのけぞるが……倒れない。すぐに体勢を立て直して、再び顎を開いてアンナの頭に噛み付こうとする。
「くっそ……吹っ飛ばしてやるっ」
アンナは素早く屈みこんで竜の顎をくぐり、重心である胴体めがけて、再び大振りに槌を叩き込んだ。重そうな竜の巨体が、一瞬、宙に浮き上がる。だが――竜はすぐに空中で体をよじり、衝撃をそらして再び着地した。
「まだ足りないかよ……」
アンナがつぶやく。俺は、初めてアンナが余裕をなくしつつあるのに気づいた。一進一退で、どちらかといえばアンナの優勢が続いているが……それでも。一つ間違えば、アンナが死ぬ可能性がある状況だってことだ。
さっきから戦う姿を見てきて、今さらという気もするが……何となく、どんな死闘でも彼女は死なないような気がしていた。自分に痛みがないせいで、麻痺していたのかもしれない。
だが、これはゲームではない。この世界は、現実と同じ。人は、傷つけば死ぬ。
「せいっ!」
アンナは大鎚で足元を払って、竜を転ばせた。だが、転がる一瞬に竜の尻尾が彼女の頭を叩き、のけぞらせていた。やはり小さい奴らとは、段違いに強い。それとも、小さい奴らはもともと戦闘用じゃないのかもしれない。今も、観客みたいに周りでぎゃあぎゃあ叫んでるだけだ。
「あたしに一発入れやがったな? うっふふ……」
――アンナの額から、血が出ていた。アンナ自身は、むしろ面白がっているようだったが。俺は正直、焦っていた。というか、ビビっていた。アンナが死ねば、次に死ぬのは俺だ。いや、攻撃さえしなきゃ俺は無事に出れるのか?
一瞬、迷った。このまま、アンナを置いて逃げるかどうか。それから、自己嫌悪。逃げたくない。アンナにも、死んでほしくない。ついさっき、真っ当に生きたいなんて願ったばかりで、またクズみたいなことを考えるとこだった。腹をくくるしかない。
でも、俺に何ができる? ……問題は、そこだ。魔獣を倒すのは無理だ。当たり前だが。竜を少しでもひるませる……のも無理だろう。石でもぶつけて、注意を引くぐらいなら? 注意を引いた後、一瞬で全身食い尽くされるのがオチだ。どうする……?
「こっ……この野郎!!」
アンナの憎々しげな叫びで、俺は我に返った。アンナを見ると、大鎚のビリーの先端が、竜の顎に食われるような形で挟み込まれていた。
「あたしのビリーを放しやがれ! ちくしょう!」
アンナは竜の体ごと大鎚を振り回し、地面に何度も叩きつける。だが、なかなか離れない。アンナは、自分が攻撃されてる時よりも怒っているようだ。一体、あのでっかいハンマーは彼女にとってなんなんだ。
大鎚を間に挟んで、綱引きみたいな状態でお互い引っ張り合うアンナと竜。その姿を見ていた俺は、今いる空間のさらに奥、暗がりの向こうに穴が続いているのを見つけた。その向こうには、おそらく――魔術師フードゥーディがいる。
「……アンナ! しばらくそいつを引きつけててくれ!」
「はぁっ!?」
俺の呼びかけに、アンナは困惑したようだった。俺も、自分で言いながら困惑しているが。とにかく、何かの役に立ちたかった。アンナを死なせないために。俺にも、何かマシなことができると思いたいから。……人を殺す以外のことが。
俺が駆け出すと、アンナは舌打ちしつつも、竜を俺から遠ざけようと大鎚を竜ごと反対側にブン投げた。壁に叩きつけられ、ようやく大鎚を口から離した竜は、まだ動けるようだったが、金属と廃材の体はところどころひしゃげていた。
「何する気か知らんが、余計なことはしなくていい! あたしだけで潰せる!」
そう叫ぶアンナの声。振り返ると、彼女の周りで小さな「トモダチ」たちがわらわらと動き始めていた。彼らは竜の体にまとわりついて――その体と同化して、ひしゃげた竜の体を補強し始めた。状況は、好転してはいない。
俺は奥の穴に向かって進みながら、アンナに向かって一言叫んだ。
「俺が、魔術師を止めてみる!」
トモダチどもの動きと、それにユージーンの「敵じゃない」って言葉を思い出すに、このフードゥーディって奴はきっと話が通じる相手だ。家のことなんかもう、どうでもいい。とにかく、アンナとの戦いをやめさせられれば。
「馬鹿ッ……拾った命、ドブに捨てる気かよ……!」
アンナの苦々しい言葉を背中で聞きながら、俺は暗闇に向かって走った。