第十三話:フードゥーディのともだち
実際、どこまで正義感だったのか、それともアンナに下心があったのか、単に調子に乗っていたのか、アドレナリンのせいか、自分でもやはりわからないんだが。捨て鉢というか、どうせ異世界来たんだからモンスター退治の一つぐらいやっとこうぜみたいな、軽い気持ちもあったことは否めない。
だが、家に入ってすぐ、俺は自分の浅慮を深く後悔した。
「……わーお」
アンナが外人みたいな声を出して(実際見た目は外人だが)、家の中を見回した。
カンテラの明かりに照らされた狭い室内は、見事に食い尽くされていた。家具も、壁も、柱も、扉も、食器も、全てに無数の噛み跡と穴が空いている。そして、45度傾いた床の端には、ぽっかりと穴が空いていた。
「あたしの読み通り、地下室に向かって沈み込んでるな。降りるよ」
木の床……というより、もはや滑り台のようになった木の板を、転ばないように慎重に降りていく。明りを持ってる関係上、俺が先を行かざるを得ないのは計算外だった。くそっ。
「うわっ……と!」
穴に近づくと、傾斜がもう足では立っていられない角度になっていて、俺はもう踏ん張りも効かず、不可抗力的に穴の中に飛び込んでしまった。まあ、コケてもどうせ痛くないしな。
「あいっててて……」
いや、痛くないんだが、つい声に出てしまった。明らかに全身打ち身だらけになりそうな衝撃があったのに、皮膚の感覚はふわっとしてて気味が悪い。
遅れて、アンナがスルリと下に降りてきた。体は大きいのに、身のこなしも軽い。さすが、プロって感じだな。
地面に落としたカンテラを俺が拾い上げると、アンナがひゅうっと口笛を吹いた。
「地下室……だけかと思ってたけど。こりゃ、そういうレベルじゃなさそうね」
見回した先に広がっていたのは……カンテラの火に照らし出された、いくつもの横穴だった。穴の中の穴。つまり――地下道だ。壁らしいものが残ってるのを見るに、もともと地下室があったのは確からしいが、そこをさらに「魔獣」とやらが食い破って、トンネルを作ってしまった感じか。
ごくり、と息を飲む俺。家の地下室で、ゴブリンかなんかの定番雑魚キャラを倒しておしまいかと思っていたが、そう簡単な話じゃなさそうだ。
「話し声がするな。聞こえる?」
アンナが、ホラー映画みたいなことを言う。まだ地面に尻餅をついたままだった俺は、土を払って立ち上がりつつ、文句を垂れる。
「やめろよ、そういうの。脅かすなよ……」
と言いつつ、俺にも何か妙な音が聞こえた。地下の空間にこだまして、どこかから、響いてくる、かすかな声。かすかだが――大勢の。
アンナはフーッと深い息を吸い、それから同じ深さの息を吐いた。彼女は、笑っていた。
「……燃えてくるじゃない」
その目の光は、老夫婦への親切心とか、正義感とか、そういうまともな方向のものではなかった。最初に会った時、サヴラダルナの頭を踏み砕いた瞬間に俺を見下ろしたのと同じ目――戦闘狂の目だ。
アンナは大鎚ビリーをくるるっと扇風機のように振り回し(その風圧だけで俺は一瞬よろめいた)、水平にぴしっと止めると、いつでも振り下ろせるように振りかぶった構えを維持したまま、穴の奥へ歩き出した。
「どこに向かってるか、わかってるのか? ……アリの巣みたいに入り組んでるぞ」
怯える俺の声。自分でも、震えてるのがわかる。アリの巣みたいと言ったものの、本当のところ、暗すぎてどれぐらいの通路が広がってるかはわからない。アンナが慎重になることを期待して、適当に話を盛った。
「声のする方に行けば、間違いないだろ。ちゃんと、隣についてきな。足下を見たい」
言われるまま、カンテラを下に向ける。掘られた土の上には、無数の足跡が付いていた。思わず、背筋に寒気が走った。その横で、アンナは冷静に足で土を蹴る。
「地盤は硬い。人力で掘れる穴じゃないな。かなりの力で掘り進んだらしい。どんな化け物なんだ、一体?」
その答えは――すぐにわかった。アンナが土を眺める横で、俺は穴の奥で動く影を見ていた。すでに、そこにいる。
「アンナ。前を見ろ」
俺は自分が剣を持ってることなんか完全に忘れて、身を守ろうとか構えようなんて発想もなく、ただ「武力」担当に声をかけてその横に隠れた。トコトコ歩いてきた小さな影を見て、アンナは失笑した。
「なんだよ。群れからはぐれたのかい、おちびちゃん?」
それは……なんとも言い難いモノだった。小人、ではある。前情報通り、腰の高さぐらいの、子供みたいな、人型の生き物だ。だが、明らかに人ではない。
手足と胴はブリキの人形みたいにカクカクしていて、ついでに大きさのバランスが狂っている。右手は長く、左手は短く、足もちぐはぐに曲がってる。そして、頭は……ぬるりとした……なんとも名状しがたい、目のない魚の頭のようなものが、首の上に乗っかっている。
「オチび……チャン」
大きな顎――というか、頭そのものが、でっかいトラバサミみたいにぱくりと開いて、その奥から声が響いてきた。口には、舌も、唇もない。がらんどうの穴に、ノコギリみたいにギザギザの歯が生えている。
「キミ、タチ……フードゥーディの……トモダチ?」
シュールな見た目のわりに、意外とフレンドリーな声だった。甲高いが、子供向けアニメのマスコットキャラみたいに、愛嬌のある喋りだ。カタコトなのも、個人的には好感度が高い。
「違うね」
あっさりと、アンナ。まあ実際、フードゥーディが誰かも知らんしな。でも、ここは一時的に友達のふりをするとか、善意の嘘をついてもよかったと小市民である俺は思う。
「ボク、タチ……フードゥーディの……トモダチ!」
こっちは友達じゃないと言ってるのに、なぜか嬉しそうな「トモダチ」は、ハイテンションにまくしたてる。
「フードゥーディ、ひとり。フードゥーディ、さみしい。フードゥーディ、はらぺこ」
よっぽどしょぼくれた奴らしい。アンナは優しい笑顔を浮かべて、小さな魔獣に話しかけた。
「なあ、おチビちゃん。いくら腹ペコでも、人間の家を食うのはやめろってそいつに伝えてくれる?」
意味がわかってるのかわかってないのか、魔獣は不気味な首をぐらりとかしげた。
「にンゲん、フードゥーディ、いじめる。キミたチ、フードゥーディ、いじめる?」
首を横に振る俺の後ろで、アンナはにこやかに言った。
「ああ。こっぴどく、いじめるよ!」
小さな「トモダチ」は口を大きく開いて、おぞましい叫び声をあげた。俺は思わず耳をふさぎ、地面に伏せる。黒板を引っかいた時の例の音を、アンプに繋いでディストーションをかけたような音だ。つまり、拷問だ。
だが、長くは続かなかった。アンナは大鎚の先端の大きい部分(名前は知らん、叩くとこ)で的確に小さいやつの脳天を吹き飛ばし、一瞬で黙らせた。土の上に転がった頭の残骸は、中身のない、ひしゃげた金属のかけらだった。
「まず、一つ」
アンナのつぶやきと――静寂。そして、遠くから、少しずつ、喧騒が広がる。叫び声。無数の、狂気のコーラス。その全てを正面から受け止めて、アンナは舌なめずりをした。