第十話:傾いた家
老夫婦の話は、要約するとこんな内容だった。
夫婦の家は昔から、家鳴りがひどかった。だが徐々にその家鳴りは大きく、はっきりした物音に変わり、やがてはドタンバタンと何かが走り回るような音に変わった。ポルターガイストみたいな状態だ。
その時点で、魔術師の仕業だと感じた夫婦は、市長に訴え出た。だが、対策はとられなかった。つまり、犯人と思しき魔術師は見つからず、「はぐれ」認定もされなかったというわけだ。何より、サヴラダルナみたいに疫病をばらまいたりゾンビの山を築いたりするような連中と比べれば、騒音なんて無害に等しいということだ。
引越しを考えたが、夫婦はその家に愛着があった。死んだ息子の思い出がなんとか、と言っていた。それでずるずる先延ばしにしているうちに……騒音の主が、ちらちらと姿を見せ始めた。それは魔術師ではなく、二本足で走り回る、子供ぐらいの背丈の、小さな「何か」だったという。
「……魔獣ってのは、要するに魔術で生み出された化け物の総称だから……実際はいくつかの分類がある。もともといる動物を、クソ魔術師がいじって化け物に変えたやつ。あるいは、何もないとこからアホ魔術師が生み出した、人工生命ってやつ。話を聞く限りじゃ、後者かな……」
すっかり冷静になったアンナが、鋭い目つきで語る。
「二本足で歩く動物って言ったら猿か人間だけど、オーランドの近くに猿はいない。人間の子供を使ったなら、さすがに『はぐれ』認定されてるだろうし」
「……詳しいんだな、アンナ」
正直、ヴィバリーの方が知性派で、アンナは腕力担当で、ステータスで言えば知力は低いのかと思っていた。もっとダイレクトに言うと、脳筋だと思っていた。
「あー……まあね。ヴィバリーと会う前は、魔獣狩り中心にやってたから。で、その小さい魔獣の群れが、何をしたの?」
アンナが話を促すと、老人はぽつりと、無気力な声で言った。
「家を……食っちまったんだ」
俺たちはアンナに引き連れられて、老夫婦の家に向かった。大まかな場所だけ聞いて、詳しい住所は「行けばわかる」とのことだった。もう夜中だし、正直そろそろ宿に行きたかったが、話の流れ上ここでそれを言い出すのは気が引けた。……それに、どうせ戦いになっても、戦うのは俺以外の二人だしな。
「なるほど、こりゃ確かに、行けばわかるわね」
背の高いアンナが、最初にその家に気づいた。それから、やや遅れて俺も。
オーランドの街は、入ってすぐはわりと小綺麗な街並みだったが、酒場の近くに行くとやや汚く、さらに奥まったこのあたりでは貧民窟に近いような、埃っぽい寂れた風景だった。どこの家も、立て付けの悪そうな感じ。カラスの声が、陰気さに拍車をかける。
その中でも、老夫婦の家が特殊だったのは――はっきりと斜めに傾いていたことだ。
「……ななめ」
ユージーンがぼそっと言って、自分の頭を斜め45度に傾けた。家の角度に視線を合わせているらしい。
「地盤沈下、とかか?」
思わず口から出た俺のつぶやきに、アンナはちっちと指を振った。
「だから、魔獣のせいって話でしょ。シロアリみたいなやつが柱から土台まで食っちまったんじゃない?」
シロアリは二足歩行しないと思うが。いや、この世界のはするのかもしれないが……
「入ってみるか? 扉、開いてるけど……っていうか、ひしゃげて外れてるけど」
これじゃ、確かに暮らすのは無理だろうな。
「今夜はとりあえず外から様子見て帰るよ。夜は魔術が強まる。魔獣も同じだ。わざわざ不利な時間に相手しなくてもいいさ。まだ、ちょっと酒残ってるし……」
アンナは大鎚を地面にぐりぐり押し付けながら、家の姿を眺め回した。俺もつられて、めちゃくちゃになった家の様子に目を向ける。
「……壁は、穴だらけ。歯型がある……人の仕業じゃないのは確定。……見た目ボロボロだけど、ウワモノはただ傾いてるだけだね。西側の柱が、二本とも沈み込んでるのか……」
ぶつぶつ言いながら、アンナは一歩家に近づくと、玄関先の石段に向かって大鎚を振り下ろした。ゴンッと鈍い音がしたが、手加減したのか石は割れなかった。
「この音、空洞があるな。地下室か、それとも噂の魔獣たちが穴掘ったのか……その空洞に向かって、地上の土台が崩れ落ちた感じだろうな」
「へー……」
感心してぽかんとする俺を見て、アンナは照れ臭そうに頭をかいた。
「実家が大工だったもんでね。今日は、アンナちゃんのイケてるところを色々発見する日だねえ」
実家が大工なのは、イケてるポイントなのかどうかよくわからないが。
「地下に潜るなら、カンテラかなんか持ってこなきゃダメか。しかし、魔獣を始末しても、この有様だと、家を立て直すのはちょいと無理だろうな……」
残念そうなアンナに、俺はかける言葉を探した。正直、老夫婦のことは大して気の毒にも思わないんだが……(魔獣なんか放っといて、金のあるうちにさっさと引っ越せばよかったのに)アンナの無邪気な親切心が叶わなかったのは、やや気の毒な感じがしたのだ。
「……まあ、倒してやれば、爺さんたちも気分的にはスッキリするんじゃないか? 大事な家のカタキなんだし」
アンナは、大鎚ビリーをヒュルルっと素早く回転させて肩に担ぐと、小さく笑った。
「そうだね。まっ、とにかく宿に行こう。ヴィバリーにも話通しとかないと」
歩き出すアンナに従って、俺も歩き出す。やっとこさ、寝床にたどり着ける。しかし、昨日の宿では怪我人扱いでずっと寝ていたから考えなかったが、今日はどういう部屋割りになるのか……女性陣と相部屋か? ユージーンはいつもどうしてるんだ? ――などと考えていると、頭上からストンとユージーンが飛び降りてきた。
「……お前、今、どこから降りてきた?」
「屋根」
まあ、他に登るとこもないだろうけど……
「屋根で、何してたんだ」
歩きながら尋ねると、ユージーンは難しい顔で後ろを振り返った。
「声……聞こえたから。フードゥーディ……ともだち……って」
「フー……?」
いよいよわけのわからないことを言い出した。幻聴でも聞いたのか。それとも、この世界の連中には意味の通じる言葉なんだろうか。
「アンナ……こいつの言ってること、おまえには分かるか?」
「さあね。でも、ユージーンは耳がいいから。遠くの子どもの声でも聞いたんじゃない」
肩をすくめるアンナに、ユージーンは不満げにむうーっと唸り声をあげた。