草原の穴 ③
戦闘描写は永遠の課題。
死ぬかと思った。
いや、本来ならば死んでいてもおかしくない痛み――のはずだ。
私が生きていることは、痛みが証明している。生まれて初めて感じるタイプの、人に殴られたらこんなに苦しいのかと痛感する。
文字通りの意味だ。
「あー。身体は魔力で補っておるから、前の身体よりもずっと丈夫じゃからな!」
上空からリスカの言葉が聞こえてきた。
なるほど。前よりもずっと人間離れした身体能力になったと受け取っても良さそうだ。前の私が受けたらどうなったか分からないけれど、多分殴られたときに腹に風穴が空いていただろう。
数十メートル吹き飛ばされても動けるのが奇跡だ。
この身体になっただけでもチートだと思っても良いくらいだ。
《お隣さん》は私を見つめて毛を逆立てている。ウサギというよりもライオンのような印象を持つ。二足歩行でゆっくりと歩く姿はクマの方が表現は正しいか?
ライオンでもクマでも構わない。
あれを今から殺すための算段を私は考えなければ、この世界で生きていくことは出来ないのだろう。逃げることも可能かも知れないけれど、空から私を見ているリスカがそれをさせない。
そもそも従僕として、どこにいても居場所はわかりそうだ。
魔法があるから尚更……。
「さて。考えよう……私にはリスカの劣化版だけど魔法がある」
劣化版。
下位互換。
どちらにしろ、教室にいる人間を全員ぐちゃぐちゃにするだけの魔法だ。ウサギ一匹殺すことなど造作もない魔法になるはずだ。
「けど。発動の条件は、相手を食べて呪文を唱えるのよね」
呪文と言うよりも固有魔法《喰吐》を唱える必要がある。
けど、飲み込まなければ発動はしない。下位互換とは言え、決して同じではない、と思う。他の魔法がないから分からないけれど、これまで培ったサブカルチャーの知識で生き抜く必要がある。
相手の一部をどうにかして手に入れなければいけない。
状況に適応するしかない。
「とりあえず、私がどこまで動けるか確認しないとかな?」
もう目の前まで来ているウサギを見て、私はすぐに走り出した。
真っ直ぐ後ろに向かって走っても仕方がないので、できるだけ木々が見えている横側に向かう。視界が悪くなれば、いくらか勝機も生まれるってものだ。
走り出した私を追うように、後ろからは地面を鳴らしながら迫ってくる音がする。振り向いたら負けかも知れないけれど、今は二足歩行なのか四足歩行なのかが気になってきた。
完全に二足で立っていたけれど、歩くのと走るのでは意味が違う。
獲物を追うときに四足歩行で走らない動物はいないだろう。野生の動物なら本能的に、それも見た目は大体ウサギなのだから。
「!?」
振り向くか悩んでいると、突然視界が暗くなった。
太陽が雲で隠れたように自分の周りに影ができていた。
そして、すぐに影は消えて目の前にウサギが降り立つ。
「あ、《鋭刃》!!」
足を止めて、私は両手を地面に当てながら大きな声で呪文を唱えた。
初めての魔法だけど成功しているのを祈るだけだ。
ついさっきリスカが私に教えてくれた詠唱魔法。触れた物の先端を鋭い刃物に変える……魔法だったかな?
細かいことは微妙に覚えていないけれど、触れた物を刃物に変える魔法だったことは確かなはず。
魔法が本当に使えるか半信半疑だったけど、実際には成功していた。
私の触れた草は天に向かって異様なまでに輝いていた。鋭い剣山のようだ。
ウサギは二足歩行で走って来ていた。
って、二足歩行かよ!
私は自分の周りを囲うように剣山を量産した。例え毛皮で覆われていようと、刃物を踏めば痛い。
「走ってわかったけど、身体能力もすごい上がっていたわね」
全力で走ったにも関わらず息切れをしていないのが良い証拠だ。前までなら軽い早歩きでも息切れはしていたような気がする。
「よっこいしょー!」
走ってきたウサギを避けるように、私は横に全力でスライディングをする。その際に身体のどこかが剣山に触れていれば重傷間違いなしだったろう。
幸いどこもけがをしていない。思っているよりも横に飛べていることに驚いた。本当に身体能力が数十倍に膨れ上がった気分だ。
後方で風を感じながら、二、三回ほど転がってから身体を立て直す。
「……よかった。ちゃんと痛みはあるみたいね」
私が転んだのはダメージを負わない為だったけれど、ウサギは無様に片足から血を流して倒れいていた。少し離れた距離からでも、白い毛が赤く染まっていたら分かる。
「じゃあ、次はこれも試してみようかしら?」
私は地面に生えている草をむしり取って握る。
これも物体である以上は凶器に変えることができるはずだ。原理はなくとも魔法は無条件に発動することがわかった。
触れた草も魔法が解けるまでは凶器のままらしく、未だに鋭く天を向いていた。
「《鋭刃》――痛っ!?」
え?
鋭い痛みを感じて私は手から草を落とす。
手を見てみると、ズタズタに手のひらが引き裂かれていた。こんなにむごい自分の手は初めて見た。
いや、魔法の欠点なのかもしれない。
「触れた物の先端がなければ……すべてが刃物として認識されるのかしら?」
痛みに耐えながら、何が起きたのかを確認する。
これは仮説でしかないけれど『触れた物の先端』がどこかを認識しないといけないのか?
だとしたら……あまりにも無条件過ぎる。好きなところを刃物にすることだって可能になるじゃないか?
いや、今はそれどころじゃない。
ちゃんと勝つための算段を……
「うぉおおおぉおおおおおおおお!!!!」
地響きのような鳴き声が草原に響き渡った。
《お隣さん》を見ると、四足歩行で私の方に向かっていた。一回一回のジャンプが凄まじく、もうすぐ手前まで跳んできていた。
「やばっ」
また殴られたら立てるか分からない。
ウサギの可愛らしい顔は相変わらずだったけれど、もごもごとしていただけの口からは鋭い歯が見える。
その歯をむき出しにして跳んでいる。
明らかに噛んでくることが分かる格好だ。
考えろ。
せめて、この攻撃だけでも躱さないと……!
頭を抱えている暇はない。頭を抱えてる暇は――――それだ!
《鋭刃》
私は頭に被っている三角帽子を触れて叫んだ。
三角帽子のツバを掴んで、ブーメランを投げる要領で《お隣さん》の頭を目がけて放り投げた。すぐ目の前まで来ていた相手に物をぶつけることはとても容易く、それでもこちらは逃げる余裕はあまりなかった。
力一杯に横へ跳ぶのが精一杯だ。
生々しい音もなく。
私はウサギの片耳を奪って、代償として右足首を食い千切られた。
一人称視点よりも三人称視点の方が遙かに伝えやすいのでは?