草原の穴 ①
ぴょんぴょん。
「どうじゃった? お前さんの固有魔法は」
気づけば、目の前に広がる光景は惨劇的な教室ではなくて、広大な草原へと姿を変えていた。
白い空間とも違う。
てっきり異世界なんてデタラメですべて夢だった、なんてことも有り得た。しかし、こうも連続して場面展開が続いているにも関わらず、目が覚めないのだから夢ではないのだろう。
私は本当に異世界へ来たのだ。
これは転生や転移で言えば、どちらになるのだろう?
「何をボサッとしておる。どうじゃった、と聞いておるのじゃ」
リスカは血で汚れた手から、キレイな色白の手へと変えていた。戻っていた、という表現の方が正確か。
容姿の変化では、私はどんな姿になったのだろう。
固有魔法《喰吐》を手に入れたらしいけれど――その実感は何一つ感じていない。
「いや、ええと、リスカ……」
「何か感じたことはあるか?」
「いや、その、何も……」
「何も感じないと?」
リスカの表情はあまりよろしくは無さそうだ。私がこうして異世界だったかな? に殺さずに来れたのも、私に魔法の適性があったからだ。
その適性は、教室の様子を見れば私にしかなかったと見て取っていいだろう。
理想的な言葉を使えば、私だけ『特別』だった。
だけど、人間から魔法の使える人間に変化したにも関わらず……その実感がないのは、自分のことながらショックである。自分のことだからショックなんだけど。
「まあ良い。少しずつ魔法を覚えたらいいじゃろうしな」
そう。少しずつだ。
クーパの言葉が正しければ《詠唱魔法》を覚えればいい。《固有魔法》がリスカに劣るとは言え、魔法が優れていないわけではない。
「これから、どこに行くの?」
見渡す限りの草原には、人の気配も動物の様子もない。鳥一匹の鳴き声すら聞こえない。
「どこ……というよりも、まずはココでマホの魔法を試してみないとな」
「待って、え? ちょっと、話の先が見えてこないんだけれど……?」
「お前さんの固有魔法はあたしの劣化版だと聞かなかったのか?」
それは聞いたけれど、そういうことを言っているわけではない。
私の魔法を試すも何も《喰吐》がどういう魔法なのかも私は知らない。魔法の使い方も、知らないままだ。
「その顔だと聞いた様子じゃな。なら《お隣さん》をボコボコに殺すことも容易かろう」
自信満々に言うリスカだけど……そう言えば、リスカの実力はココではどれだけの存在なのだろう。クーパは《お隣さん》を敵だと教えてくれているけれど。
その敵を倒すだけの実力は持っているはずだ。
だけど……。
「リスカ……私は、魔法の使い方を知らないから……」
蔑むような目で見られた。
こんな幼女に、そんな視線を受けたことは生まれて初めてのことだった。
「マホの固有魔法《喰吐》は、『食べた相手の能力を受け継ぐ魔法』じゃ」
あまりピンと来ないけれど、それは経験しなければ分からないということだろう。何事も経験だけれど、食べた相手の能力を受け継ぐ……?
「あの、それじゃあ。リスカの固有魔法って……?」
「殺した相手のステータスを自分に加算する魔法《暴食》じゃ」
ステータスを加算?
「要するに、殺した相手の腕力を自分の腕力に上乗せする。殺せば殺すほど強くなる魔法じゃ」
チートじゃないか、そんなの。
けど私はその劣化版だから、十分優れていることはわかった。
「故に最強じゃ。あたしに殺せない存在はあまりいない」
「あまり……?」
「うむ。まあ、お前さんの様子じゃと……魔法の発動条件も知らなそうじゃな」
話を強引に変えられた気がしてしょうがないけれど、確かに杖をまだ所有していない。杖を持てば魔法が使えるかどうかは知らないけれど。
所有どころか……あれ?
「待って。私こんな格好で生活しなきゃいけないの!?」
リスカは相変わらずの黒いワンピースだったけれど……私はセーラー服から別の服装へと変っていた。
何というか、とてもダサい。
ダサいしか感想が思い浮かばないデザインをしている。
「こんな、とは失礼だな。最初に着ていたお前さんの服装は、こっちでは通用せん。じゃから、あたしが見繕ってやったのじゃ! 感謝しなっ!」
言っていることは確かに最もかもしれないけれど……。
感謝しろと言われても、これでは農家みたいだ。
黒いオーバーオールに真っ赤なシャツ。気づかなかったけれど帽子も被っていたようで、リスカが《魔女》だからか知らないけれど三角帽子(これは真っ黒)を身につけていた。
靴は革製の割と可愛いローファーのようで良いけれど、全体のバランスは最悪だ。
胸のあたりに違和感があるのは……まさかとは思うけど――――ブラなしだった。
最悪。
いや、本当に最悪なんだけど……。
「……うん。ありがと」
ここまで感情のこもっていない感謝の言葉を出せたことに驚いた。
「さて。マホにはこれから《お隣さん》と戦ってもらうんじゃが」
「え?」
急展開過ぎない?
「何を驚いておる。マホのいた世界も《お隣さん》が出てくる世界も《穴》は一緒じゃ。時間が経てば《お隣さん》が出てくる」
見渡す限り草原だと思っていたけれど、上を指したリスカのおかげで《穴》の存在に気がついた。あれが《穴》と呼ばれるものか……想像していた《穴》よりも、空間に亀裂が入っているようだ。
「まあ。あのくらいの大きさなら小物じゃろうし……ひとりでも何とかなるかな?」
聞かれても困る。
そして、私にはそんなことできない。小さな虫を殺したことはできるけれど、リスカのように冷酷な環境を生きていない。人を殺したこともなければ、本当に虫以外は殺した経験がないかもしれない。
私に限った話ではないだろう。
誰であれ、何かを殺すことは難しい。人間だった人なら尚更……。
「リスカ……私が、その、倒すの?」
「倒すのではなく――殺すのじゃ」
言葉にプレッシャーを感じたのは、初めてのことだった。
気迫のようなものも感じた。視線が怖かった。
あれが人間のする目だとは思いたくない。
いや、リスカは人間ではないのか。自らを魔女と名乗っていたくらいだし。
「……できるだけのことは、やってみるつもりだけど。私は固有魔法を発動する仕方も知らないの」
「本体に教わらなかったのか!?」
リスカが驚いているのを初めて見た。まだ出逢って間もないけれど、新鮮だ。
さっきも同じようなことを言った気がするけれど、まあいっか。
「教わっていないわ。他の《詠唱魔法》についても知らないし」
「んー、教えるか。マホの固有魔法は、名称を声に出した後に受け継ぎたい相手の一部を食べれば良い」
「食べれば?」
「うむ。飲み込んだときに初めて魔法が機能する。後は経験を積めば応用も利くはずじゃ」
それじゃあ、最初は私そのものじゃないのか?
え?
魔法のある世界で、魔法を使えないまま戦えってこと?
鬼畜過ぎない?
あっさり死ぬよ?
「待って。それじゃあ、私は何も魔法が使えないまま――」
会話の途中で空から草原へ落下してきた巨体を見て、つい言葉を飲み込んでしまった。
「おっと。お出ましのようじゃな」
リスカは満面の笑みで、その声の主に視線を移す。
「え……これ……冗談でしょ……?」
《穴》から落ちてきたのは、とても可愛らしい小さな顔をしたボディビルダーのような身体のウサギさんだった。
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